ウォーター

第百四十一部

 


 嬉しいことに買い出しは揃わない機器もなくとても順調に終わった。このまま帰れば充分4時前に帰れそうだ。やっと安心した宏一は、通信機器の店で一服させて貰った。そこでふと見ると、見慣れない小さいものが目に入った。

「これ、なんなの?」

「あ、それはカメラとレコーダーです」

「ああ、良くテレビなんかで出てくる小さいカメラか」

「カメラ自身は業務用からスペックダウンして安くなってるだけだけど一応ハイビジョンだし、特に凄いのはレコーダーですよ。こんなに小さいんだから」

「え?これがレコーダー?」

宏一はタバコ大の大きさの本体に驚いた。

「そう、ミニSDカードに記録するんですよ。だからバッテリーもCR123Aが二つです」

「そうなんだ。凄いね」

「3倍ズームも付いててオートフォーカスでこの値段なんですよ。絶対に売れますよ」

「いくらなの?」

「セットで12万です」

「高いねぇ」

「三谷さんなら安くしときますよ」

「そうだな・・・・・」

ふと宏一は思いついたことがあった。

「それじゃ、三つ貰おうか」

「ええっ?買うんですか?三つも?本当に?」

「あぁ、安くしてくれるんだろ?」

「そりゃぁ、三谷さんですから7掛け位にはしますが・・・」

「もう一割」

「それじゃぁ儲けが無くなっちゃいますよ」

「そう言わずに」

「でも、伝票貰うだけじゃ次を仕入れるったって・・・・ウチだって三つしか仕入れてないんだから・・・・」

「これはカードで直ぐに買うよ」

「カードですかぁ・・・・・・・少し入金が早くなる程度だけど・・・ま、伝票よりは良いか。特別ですよ。三谷さんだけですからね」

「ありがとう。良かったよ」

宏一はそう言うと宅急便で送ってもらうように手配してから購入した機器を持ってタクシーに乗った。

タクシーの中で宏一は不安いっぱいだった。もし、今日進めた変更は会社の許可を取ったが、急な変更がいつも上手くいくとは限らない。ビルの仕上げなどが原因の場合、必ず他の場所にも同様の手抜きがあるものなのだ。だから変更した先で同じようなトラブルになることは珍しくない。上手くいかなければ宏一はエンブレスエンジに戻って更に次の対応策を考えなくてはいけない。その場合、宏一は恵美との夕食をキャンセルしなくてはいけないだろう。

また、全然違う場所でトラブルが発生する可能性だってある。宏一の心の中では日向に向かう船の上での不思議な出会いが恵美との出会いを魅力的なものにしているだけに、宏一は変更が順調に行くように願った。

会社に着くと、ちょうど仕事の終わっていたオプトテックに買ってきた部品を渡し、既に取り付けてあった機器との交換を依頼してから部屋に戻った。

「どう?あれ以外は順調に行ってる?」

宏一は会議室に戻ると真っ先に友絵に尋ねた。

「どうしようかしら?」

友絵は宏一に見向きもせずにつぶやいた。

「え?やっぱり何かあるの?」

「え?違いますよ。三谷さん、段取りを考えていただけです。あ、メールがいくつか入ってます。エンブレスエンジからも」

友絵の所には既に一回目の変更図面が届いていた。そこから後は意外にスムースだった。宏一は猛烈な勢いで仕事を片付けていくのでパソコンでの処理が重くなり、CPUファンの音がうるさく部屋に響いていた。

宏一の方ではいくつもの業者に同時にやって貰っている回線の仕事がそろそろ佳境に入ってきた頃で、いくつかテストも始まっていた。最初は宏一が用意したテスト用のパソコンを繋いでテスト通信を行うのだが、それと同時に各業者の仕事の進捗状況管理と来週の打ち合わせも必要になる。

本来ならこういう仕事は土曜とか日曜に片付けるのだが、ビルとの契約で土日の工事は一切禁止なので平日にやるしかないのだ。だから宏一はいつも時間に追い立てられていた。しかし、土日に仕事ができない、つまり土日がフルにプライベートに使えると言うことは、宏一が由美や一枝とたっぷり時間を過ごせると言うことなので悪いことばかりではない。

幸いにもその後は順調だった。そして6時近くになり、宏一の待っていた連絡が入ってきた。いったんコールが切れてから宏一が会社の外に出てから電話をすると、直ぐに恵美が出た。

「三谷さん、今、良いですか?」

「うん、大丈夫」

「まだ仕事?」

「うん。だけどもうすぐ終わるよ。どこで待ち合わせる?」

ここで宏一は息をのんだ。次の恵美の一言で今日の運命が決まる。

「う〜ん、石川町の駅、分かります?」

宏一は心の中で『やったぜ!』と声を上げながら話を続けた。

「うん、知ってる。そんなに詳しくないけど」

「そこに、北口ってあるんですよ。そこなら中華街が近いんだけど」

「分かった。北口だね」

「そう、そこにしましょう」

そこで恵美は一度深呼吸したようだ。

「ごめんなさいね。ギリギリまで連絡しなくて。とにかく早く仕事を片付けたくて。それにちょっと忙しかったし」

「良いよ。何時にする?」

「もうすぐ終わるから、7時でどうかしら?」

宏一にはちょっと厳しい時間だった。しかし、恵美と早く会いたい気持ちの方が強い。

「良いよ。少し遅れるかも知れないから、ちょっとゆっくり目に付くようにして貰えるかな?」

「ふふふふふ、分かりました。でも、そんなに遅くならないで下さいね」

恵美の声は意味ありげな感じでとてもセクシーに聞こえる。この神秘的な感じが堪らない。

「なるべく早く行くから」

「はい、待ってます」

「ところで、何を食べたいの?飲茶?それともコース?一品料理?」

「う〜ん、それは迷うなぁ、どれも良いけど・・・・・」

その時、何か恵美の周りで起こったらしく物音が聞こえた。

「あ、それはお任せします。それじゃ、後で」

そう言うと電話は一方的に切れた。たぶん、誰かに呼ばれたか話しかけられたのだろう。宏一は取り敢えず席に戻って終い支度を始めようとした。すると、友絵の方から先に切り出してきた。

「三谷さん、今日はもう業者の方は全て帰りましたし、私も用事があるのでこれで帰って良いですか?」

「そう?分かった。お疲れ様」

「三谷さんはまだ残りますか?お茶、入れておきますか?」

「ううん、俺ももうすぐ帰るよ」

「誰の所に行くんですか?問い詰めちゃいますよ」

「何言ってるんだい。そう言う話は職場でするものじゃないよ」

そう言って宏一は上手く友絵の言葉をいなした。

「その職場で三谷さんがしたこと、覚えてるんですか?全く」

「その話を始めると長くなるよ。良いの?」

「あ、そうだった。それでは失礼します」

友絵はそう言うと、バイバイと手を振って出て行った。。

友絵はそう言って軽く頭を下げると部屋を出て行った。宏一も慌てて片付け始め、直ぐにパソコンを切ろうとして思い直し、横浜中華街のページを見てみた。そして目に付いた店に電話を掛けて聞いてみると、運良く二人分のコース料理が取れるという。宏一は一番高いコースを頼もうとして、ふと恵美の声を思い出して真ん中よりも少し上のコースを注文した。そして数分で部屋の鍵を掛けると外に出た。外は夕方になっても相変わらず暑い。宏一は渋谷からの私鉄に乗り換えるとそのまま横浜を目指した。

すると、突然、由美から電話が来た。由美から電話が来ることなど滅多にない。何かあったのかと思って直ぐに出た。

「宏一さん?」

「由美ちゃん、どうしたの?」

「あの、来週の土曜日に出かける話ですけど・・・・」

声の調子から宏一は嫌な予感がした。久しぶりに由美とゆっくり過ごせる機会なのだ。宏一もかなり楽しみにしていた。

「急に親戚の家に家族で行かなくちゃいけなくなって、ダメになっちゃったんです」

由美は明らかに残念そうに、申し訳なさそうに言った。

「そうか・・・・・・・」

「ごめんなさい」

「良いよ。仕方ないね」

そう言っている自分の言葉に明らかに落胆が混じっているのが分かる。

「それで、代わりに明日なら出られることになったんですけど、どうですか?」

「明日?そう・・・・・・良いよ。何とかなるよ」

「わぁっ、良いんですか?大丈夫なんですか?」

急に由美の声がはっきりと明るく、大きくなった。

「もちろんだよ。だってせっかくのチャンスだもの。由美ちゃんと出られるなら何とかするよ」

「あの・・・・・・、宏一さんといられるならどこでも良いんです」

由美は少し恥ずかしそうに言った。

「分かったよ。それじゃ、まだ何にも決まってないけど、取り敢えず新橋駅に何時に来られる?」

「新橋ですか・・・・・。2時くらいかな?」

「分かった。それじゃ、2時に新橋駅の銀座口に来てね」

「はい、新橋駅の銀座口に2時ですね」

由美は正確に復唱した。

「そうだよ。もし何かあれば電話頂戴」

「はい。絶対ですよ。約束ですよ」

「大丈夫だよ。由美ちゃんは元気な顔だけ持ってくればいいの。分かった?」

「いいえ、それだけじゃダメです」

「どうして?」

「だって、・・・着替えもいるでしょ?」

由美はそう恥ずかしそうに付け足した。

「そうだね。それじゃ、明日だね。待ってるよ」

「はい、私も。・・・失礼します」

宏一は携帯を切るとふぅっと息をついた。かなり忙しくなりそうだ。

 

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