ウォーター

第百五十四部

 


「まだ寄る所があるんですか?」

「うん、時間次第でまだ迷ってる所もあるけど、せっかくここまで来たなら寄った方が良いかなって思ってね」

「わかりました。宏一さん、この先もだいぶ道路が曲がってますね」

由美はナビの画面を見つめて言った。

「そうだね。ナビの画面には標高が出てないからわかりにくいけど、この先の温泉は草津って言って、日本で一番有名な温泉なんだよ。そこまでは一気に千メートルも下るんだ。またジェットコースターだよ」

そう言うと宏一は連続したヘアピンカーブの区間に車を乗り入れ、軽快にコーナーをクリアし始めた。

「ひゃぁぁぁ、すごい、この車だから安心だけど、そうじゃなかったらカーブから飛び出しそうですぅぅ」

「ははは、そうだね。こんな車を借りれて良かったね」

「すごーい、本当にジェットコースターみたいぃ」

宏一はそれほどスピードは出していないのだが、カーブの中でも余りスピードを落とさないのでスピード感だけはかなりある。安定感のある車だからこそだ。

「あれ?宏一さん、ロープウェイがありますよ」

「そうだよ。草津温泉の上と白根山を結んでいるんだ」

「あれにも乗ってみたいなぁ」

「さっき、あそこの終点よりも高い所から降りてきたじゃないの」

「それはそうですけど・・・・・」

そう言っている内に車内に温泉の臭いがしてきた。

「由美ちゃん、硫化水素の臭いがするだろ?」

「そう、何か臭い・・・」

「ほら、あの看板を見てごらん」

「停車禁止って書いてありますよ」

「そうだよ。時々高濃度のガスが出るから、止まっちゃいけないんだ。だからここは車専用道路で、歩いちゃいけないんだ」

「それは危ない。宏一さん、早く通り過ぎましょう」

「そうだね」

二人の車は殺生ガ原を通り過ぎ、やがて草津温泉に着いた。

「由美ちゃん、あんまり時間はないけど、やっぱりここだけは少し寄っていこう」

宏一は近くの駐車場に車を止めると、由美を連れて緩やかに曲がりくねった温泉街に入っていった。

「宏一さん、草津温泉て有名なんですか?」

「そうだね。日本人ならたいてい名前くらいは知ってると思うよ。由美ちゃんは?」

「聞いたことはあるんですけど、どこにあるかなんて気にしたこともありません」

「まぁ、そうだろうね」

「宏一さん、まだ時間がかかるなら、あんまりゆっくりしない方が良いですよね」

「ん?そうだね。早くホテルに行きたいからね」

そう言うと宏一は由美を見つめた。由美は宏一の言いたいことが分かったが、

「はい」

と言っただけだった。実は由美もそうしたかったのだ。

それでも、温泉街を通り、温泉饅頭の蒸かしたてを試食させている所を見た時、由美の目は興味津々という感じで輝いていた。

「由美ちゃん、温泉饅頭を見たこと無いの?」

「おみやげ屋さんに置いてあるのは見たことあるけど、作ってるのは見たことありません」

「温泉にはこういう湯気とお饅頭がつきものなんだけどなぁ」

そう言うと宏一は由美に一つ買った。

「美味しい。もっと大きければいいのに」

由美はそう言いながら、熱々の饅頭を美味しそうに食べた。

「由美ちゃん、ほら、あれが草津温泉の一番のスポットだよ」

「あれ?何・・・・??・・・・・・ええっ、ウソ?・・・・・」

「ウソじゃないよ。ほら、来てごらん」

「宏一さん、これ、全部温泉なんですか?」

「もちろん。お湯の量が多いのが草津温泉の名物なんだから」

「それにしても、すごい・・・・・、あんなにたくさん」

由美は湯畑の壮大なスケールに驚いた。学校の体育館より遥に広い面積でお湯が木の樋を伝って勢い良く流れており、最後の部分ではちょっとした大きさの滝になっている。潺のようなお湯が流れているのしか見たことのない由美には、川のように大きな音を立てて流れる温泉は圧巻だった。

「宏一さん、何のためにお湯を流してるんですか?観光のため?」

「それもあるけど、見てごらん、木の樋の中を」

「黄色っぽいものが沈んでる・・・・・」

「あれは温泉の成分で、木の樋の中を流す間に冷えて固まったものなんだ。年に2回、このお湯を止めて貯まったものを掻き取って売ってるんだよ。あれは湯の華って言うんだ」

「入浴剤の成分なんですか?」

「どうかな?硫黄がいっぱい入ってるから、普通のお風呂に入れたら金属の部分が錆びちゃうよ。お湯を入れるだけのお風呂なら心配ないけど。確か、皮膚病に効くって聞いたことがあるけど・・・・」

「吹いてくる風がお湯の湯気で暖かいですね」

「そうだね」

二人は少しの間湯畑を眺め、ちょっとだけぼうっとする時間を過ごした。しかし、宏一がタバコを吸い終わると由美の方から、

「さぁ、宏一さん、いきましょう」

と宏一を追い立てるようにして車に戻った。

「由美ちゃん、面白くなかった?」

「そんなことありません。面白かったです」

「そう?直ぐに戻ろうって言ったから、無理してるのかなって思って」

「そんなこと言わないでください」

「気に入らなかったらごめんね」

「違います。もう、人の気も知らないで、早くぅ」

「それじゃ、行くよ」

「ホテルまでどれくらいかかりますか?」

「え?ホテルに泊まるって言ったっけ?」

「言いましたよ。2回も」

「そうだっけ?」

「宏一さん、後、どれくらい走るんですか?」

「一時間半くらいかな?」

「そんなに・・・・・・宏一さん、早く行きましょう」

「ここから先は道もだんだん良くなるから、気持ち良いドライブができるよ」

「掴まらない程度に急いでくださいね」

「うん、そうするよ」

二人の車は草津の街を抜けて万座温泉方向に進路を取った。道路標示を見た由美が、

「宏一さん、万座温泉に行くんですか?それとも軽井沢?」

「万座温泉はここからそんなに遠くないんだ。一時間もかからないよ」

「それじゃぁ・・・・・・」

「そう。由美ちゃんが喜ぶかなって思ってね」

「うわぁっ、嬉しい。軽井沢に行けるなんて」

由美は満面に笑みを浮かべて大喜びした。

「それなら新幹線で通った時に教えてくれれば・・・・・、あ、教えない方が良いって言ったんだ」

「でも、こうやって道路標示を見て知るのも楽しいだろ?」

「はい」

「ホテルはどんな所だと思う?」

「きっと森の中で、小鳥が囁いて・・・・・」

「それじゃ単に田舎じゃないの」

「ううん、でも、ホテルはとってもセンスが良くて、新しくて綺麗で・・・・、そんなわけ無いかな?」

「ははは、由美ちゃんの希望が少しでも叶うと良いね」

「宏一さんは行ったこと、あるんですか?」

「ううん、ずっと前だから、ホテル自体は知ってるけど、泊まったことはないよ」

「そうなんだ・・・・でも、楽しみ」

「それに、もしかしたら素敵なことに出会えるかも知らないよ」

「そうなんですか?何なんだろう?教えてください、ねぇ。ううん、教えないでください。楽しみにしてますから。何なんだろう?お祭りかな?」

「お祭り、ねぇ?ある意味お祭りかも?でも、今日やってるかどうかも分からないし」

「ああん、もう教えないでください。どんどん楽しみが無くなっちゃうぅ。言わないで」

「それじゃ、由美ちゃん、さっき山の上で買ったパンがあったろう?あれを食べたら?そろそろおやつの時間だよ」

「あ、そうだった。宏一さん、お茶を買いたいんですけど、自販機で止まってくれますか?」

「お茶?ここでそんなことを言われても・・・・・」

既に草津の街は通り過ぎており、車は山道を下っている。販売機などあるはずがない。

「ごめんよ。もう少し走ったら次の街で買うからね」

「はい。でも、私が買いますから」

由美は財布を握りしめると、しっかりと前を見て販売機が突然出てきても逃すまいと集中した。しかし、左右にカーブする道が続く辺りにあるはずもなく、結局由美がお茶を買ったのは万座鹿沢口の駅の直ぐ近くだった。

「あ、宏一さん、あった。止めてください」

そう言うと由美は車から降り、お茶と缶コーヒーとを2本ずつ買った。

「由美ちゃん、ずいぶんたくさん買ったね」

「今二人で一本ずつ飲んで、後は私が持ってます。いつでも飲めるように」

「ありがとう。嬉しいよ」

宏一には由美の健気な心遣いが嬉しかった。自然にアクセルにも力が入ってしまう。そして、ここから先は殆どカーブのない、雄大な森の中を走っていく。車は有料道路に入り、道も一気に良くなった。由美はパンを美味しそうに食べ、宏一もハンドルが楽なので一つ貰って食べた。

やがて車は広大な草原に出た。一気に視界が広がっていく。宏一は由美を見たが、いつの間にか眠ってしまっていた。こうなると起こすのは可愛そうだ。宏一は何度も由美の寝顔を見ながら起こそうかどうしようか迷った。車窓の景色はそれほど素晴らしい浅間山の裾野が広がる景色だったが、結局、由美の寝顔が可愛らしくて起こさずじまいだった。

車が軽井沢と中軽井沢への分岐を過ぎた当たりで由美が目を覚ました。再びカーブが連続するようになったので気が付いたらしい。

「わぁー、綺麗。葉っぱが薄緑に透けてる」

「目を覚ましたんだね」

「宏一さん、ごめんなさい。何か寝ちゃいました」

「ううん、でも、由美ちゃんが寝てる間にとっても綺麗な所を通ったんだよ」

「通り過ぎたんですか?」

「そう。ごめんね。起こそうかと思ったんだけど、あんまり由美ちゃんの寝顔が可愛くてね」

「ううん、通り過ぎた方が良かったから。でも、寝顔なんて恥ずかしい。私、ちゃんと寝てましたか?」

「もちろん、まぁ、運転してたからあんまりしっかり見てなかったけどね」

宏一は何度も何度も寝顔を見ていたことなどおくびにも出さずにそう言った。

「でも、目を覚ましたらこんなに素敵な景色だなんて、ドラマみたい」

由美はうっとりと白樺の林を眺めていた。車はそのままホテルへと入っていく。

「あ、変わった名前のホテルなんですね」

「このホテルは昔の温泉だった時代から続いていて、今は星野って言う地名だけが残っているけど、とっても歴史のあるホテルなんだよ」

「とっても綺麗な所ですね」

「さぁ、由美ちゃん、着いたよ」

「素敵。森の中のホテルなんですね。本当に緑の中に埋もれてる。私の想像と一緒」

 

「そうだよ。それじゃ、チェックインの前に、何か良いことが見られるか、ちょっと覗いてみようか?」

「え?部屋に入らないんですか?」

由美は直ぐに部屋に行くものだと思っていたのに、宏一がホテルの外に連れて行こうとするのでちょっと変に思った。そして、宏一は由美をホテルの前にある小さな小屋の中に由美を入れた

 

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