ウォーター

第百九十二部

 

 その頃、宏一はマンションを出て自分の部屋に向かって歩き始めた。由美や一枝と一緒にいた時は感じなかったが、一人になってみると一気に疲れが出てくる。さすがに身体が怠い。考えてみれば、金曜の夜から恵美、由美、一枝と立て続けなのだから当たり前なのだが、疲れから少し頭がフラつくようだ。しかし、気持ちとしては充実感を感じており、自分でもよく頑張ったと思う。駅に向かう通りを歩き始めながら、戸惑いながらも身体を開いていく恵美や服を脱がせると恥じらう少女からどんどん大胆になっていく由美、そして自分の身体に興味津々な一枝の身体が走馬燈のように頭を駆け巡っていった。

幸いまだ時間は早い。あとは部屋に帰ってゆっくりと身体を休めようと思った。明日からの仕事も忙しいのだ。それに、会社に行けば友絵にも会える。一緒に仕事をしていても忙しくてあまりプライベートな話ができないのが残念だが、友絵はしっかりと宏一をサポートしてくれるし、なにより制服姿の彼女を見ながら、ベッドでの姿を思い出せるのは楽しいものだ。もちろん、二人共に仕事をきっちりとこなしているからこそ、そんな楽しみも味わえるというものだ。

そんな想いを胸に抱きながらいつものコンビニの前を通り過ぎようとした時、ふと視界の隅に少女の頭がよぎった。一瞬、誰なのか分からなかったが、パチッと電気が灯ったように記憶が蘇った。

慌てて引き返し、コンビニの中に入っていく。『どうしてここを知っているんだろう?それよりも、どうしてここにいるんだ?俺は軽井沢から帰ってきて直接ここに来たのに?』そんな思いが一気に胸に渦巻く。

雑誌コーナーに行くと、一人の少女がポツンと宏一を見つめて立っていた。

「洋恵ちゃん、どうしてここに・・・・???」

「あの・・・・・・・・」

そう、洋恵がいたのだ。洋恵と家で夢中になってお互いを求め合った後、急に親から電話があって洋恵と会うのを禁止されてしまってから、もう一月以上になる。気のせいか、目の前にいる少女はほんの少しだけ背が伸びたようだ。

このマンションはもちろん洋恵には内緒だ。もともと洋恵は宏一の部屋で、そして由美はこのマンションで会うことにしたから、お互いが知るはずはないのだ。それでも知っていると言うことは偶然と言うには都合が良すぎ、宏一の後を付けてきたとしか考えられなかった。しかし、洋恵は宏一の職場を知らない。だから、後を付けてきたと言うことは宏一が部屋からマンションに直接来た時、つまり、一枝の相手をするために宏一が週末に部屋を出てきた時に後を付けてきたことになる。『しまった。もっと気をつけておくべきだった』とは思ったが、今更後悔しても仕方がない。

「洋恵ちゃん、久しぶりだね。元気にしてた?」

「うん・・・・・・」

洋恵は宏一に見つけられてかなり困っているようだった。言葉が見つからない、と言う感じだ。

「ねぇ、久しぶりにあったんだから、ちょっとカフェかなんかに行かない?」

「・・・・うん・・・・」

洋恵は渋々という感じで宏一の後をついてきた。

「洋恵ちゃん、お腹、減ってる?」

「・・・・・・・・・」

「俺はお腹、減ってるんだ。少し付き合ってもらえるかな?」

洋恵はコックリと頷いた。

そこで宏一は駅の近くのカフェレストランに入り、自分にはハンバーグセットとコーヒー、洋恵にはドリアとストロベリームースを注文した。

「洋恵ちゃん、あのコンビニにはどうしていたの?」

いきなり核心を突かれて洋恵は黙り込んだ。

「誰か他の人と会う予定だった?」

洋恵は頭をゆっくりと左右に振った。

「それじゃ、俺に会いに来てくれたの?」

洋恵は何も反応しなかった。実は、洋恵とて宏一と話をしようと思ってあそこにいたわけではなかった。宏一に会いたかったのは事実だが、まだそこまで心の整理ができていなかった。だから、先々週、宏一の後をこっそりと付けてマンションの位置を知った。だが、それ以上はしようと思わなかった。宏一の近くにいるだけで取り敢えずは充分だった。それ以上の展開を望んでいたわけではなかった。

「俺、声を掛けて迷惑だった?」

洋恵は激しく頭を振った。絶対にそれはなかった。

「それじゃ、今、嫌じゃない?」

洋恵はコックリと頷いた。

宏一は取り敢えず安心した。洋恵に声を掛けたことが面倒なことになる心配だけは無さそうだ。

「洋恵ちゃん、学校の勉強はどう?成績は?」

「・・・下がった・・・・」

ぽつりと洋恵が言った。実は、宏一と会うとどんどん自分が変わっていくようで、怖くなって親に宏一を断って貰ったのだが、宏一と会えなくなった途端に物凄く後悔した。最初は新しく彼を作ろうとしてみたが、思い切って告って付き合った彼とは直ぐに別れてしまった。それまで宏一に夢中だった洋恵にしてみれば、同級生の彼はあまりに子供だったのだ。

そして、結局いつも想うのは宏一のことばかりだった。宏一に褒められたくてがんばっていた勉強にも身が入らなくなった。だからこの前のテストの成績は散々だった。

もちろん洋恵だってこのままで良いと思ったわけではない。だからこそ、もう一度宏一に会って自分の気持ちを整理したくなり、休みの日にこっそりと宏一のアパートの前に来るようになった。そして、そのまま吊られるようにマンションの近くまで来てしまったのだ。

今日はお昼過ぎにあのコンビニの前に来たが、それは、洋恵がうっかりしている間に宏一が出かけてしまったのだと思ったからだった。ただ、宏一があのマンションにいると思い、その近くに自分が居ると思うだけで心が落ち着いた。宏一に会えるとは思ってもいなかった。

「そうか、成績、下がっちゃったんだ」

宏一が言うと、洋恵はゆっくりと頷いた。

「でも、もう洋恵ちゃんに教えられないんだから、自分で何とかしなくちゃね」

「そう・・・・・、分かってる」

「うん、でも洋恵ちゃんに会えて嬉しいよ。洋恵ちゃんに嫌われたって思ってたから」

「ううん、・・・・私が子供だったの・・・・」

洋恵の言う意味は宏一に分からなかった。しかし、何となくこうしていることは洋恵にとって良いことのような気がして、宏一は更に話を続けた。

「ねぇ、洋恵ちゃん、彼とかできた?」

「え・・・・・・・別れた・・・・・・」

その答を聞いて、宏一はちょっとショックだった。洋恵に他に好きな人ができたと聞けば、元カレとしては心穏やかではない。ただ、別れたと言うことを聞いて宏一は、洋恵は今、失恋の痛手を癒したいのだと思った。

食事が運ばれてくると、洋恵は直ぐに食べ始めた。それは、お腹が減っていたのは確かだが、それよりも洋恵は宏一に安心感を感じていたからだ。年頃の女の子は安心できる状況でなければいくらお腹が減っていても人前でそう簡単に物を食べたりしない。食事というのはとても無防備なものなので、安心できないうちは我慢するものなのだ。

洋恵は宏一の声、話し方、食事の手配、等全てに安心を感じていた。同じ年頃の彼が相手なら、例えお金を持っていても、何が好きか、どれが良いか、飲み物はどうするか、等事細かに話さないと食事などできない。しかし、宏一は洋恵を一目見て洋恵がそんな状況ではないことを見抜き、何も聞かずに当たり障りのないものを注文してくれた。そんな心配りが洋恵にはとても心地良かった。『やっぱり先生、って言うか、宏一さんじゃなきゃダメなのかな・・・・』そんな想いが心の中に浮き上がってくる。

「そうか、彼とは別れちゃったのか・・・・、残念だったね」

「うん・・・・・・、でも、いいの」

「え?もういいの?」

「うん、とりあえず、だけど・・・・」

宏一は、洋恵が『付き合ったけど合わないのが分かったからもう良い』と言ったのだと思って納得することにした。

「そうか、ま、そう言うこともあるよ。何でも上手く行く訳じゃないからね」

「そうね、フェリーの時からかな・・・・・」

「え?何のこと?」

「ううん、先生と一緒にご飯を食べるのが」

「あぁ、そう言えば久しぶりだね。あの時は洋恵ちゃん、よく食べたね」

「そんなに食べてない」

「そうだっけ?かなりいっぱい食べたような・・・ええと、確か、帰ってきた日はハンバーグ定食を食べてから部屋でサンドイッチを食べたんだよね」

「もう、そんなこと、女の子の前で言うなんてサイテー」

「ごめんごめん。でも、嬉しいな」

「何が?」

「こうやって洋恵ちゃんと話ができることが」

「そう?」

「うん、洋恵ちゃんに会えなくなってから落ち込んだりしたからね。立ち直るのに少し苦労したんだぞ」

宏一はそう言ったが、その言葉はかなり明るく、あまり深刻な響きはなかった。その時の洋恵は宏一の言葉を全力で解析しており、その中に二つの意味を見つけた。一つは宏一も洋恵のことを本気で好きでいてくれたこと、もう一つは明るく言うことで洋恵に負担を掛けまいとしていること、だった。そして、どちらも今の洋恵にはとても嬉しい発見だった。

「そうなんだ。私も、なの・・・・」

「え?そうなの?」

洋恵は話の流れから、ある程度は宏一に一方的に家庭教師を断った理由を話さなければいけないと思った。しかし、ここでは話し難い。少し考えたが、

「うん、あのね、先生に会えなくて、結構寂しかったんだ」

とだけ言った。しかし、宏一は、

「そうなんだ。でも、洋恵ちゃんが会いに来てくれるなんて、本当に嬉しいよ」

と話を纏めてしまい、あまり理由を詮索しようとはしなかった。

「そう?本当にそう思う?」

「もちろん、だって、良く分かんないけど、だいぶあそこにいたんだろう?」

「4時間」

「ええっ?そんなに?」

「お店の人が全部入れ替わったもん」

「洋恵ちゃん、ありがとうね。本当に。疲れただろ?」

「うん、疲れた」

「それじゃ、もっと何か食べる?それくらいじゃ足りないだろう?」

「でも、あんまり食べたら帰ってから夕ご飯が・・・・」

その言葉から宏一は、洋恵がこのまま帰宅するつもりなのが分かった。考えてみればもう夕方だ。中学生が出歩く時間は残り少ない。

「洋恵ちゃん、最近、夕ご飯がお腹いっぱいで食べられなかった事ってあるの?」

「・・へへへ、ないの・・・」

「そうだろ?一回くらい食べたって太ったりしないよ。だって、前より少し細く見えるよ」

「うん、3キロ痩せたの」

「それなら、もう少しだけ、遅くならない程度に何か食べない?俺も付き合うよ」

そう言って宏一がメニューを差し出すと、洋恵の顔に笑顔が表れ、今度は本気になってメニューを見始めた。宏一は洋恵を見ながら、何とか会話が成立するようになっただけでも喜ぶべきだと思った。それに、洋恵がそれほど宏一を嫌っていないと言うことも嬉しかった。ただ、今日に限って言えば、洋恵には悪いが『早く帰って寝たい』というのが偽らざる気持ちだった。じっと座っていると身体がどんどん重くなってくるし、疲れから少し目眩がしてきた。金曜日から緊張と全力の連続だったのだから当たり前だ。だが、洋恵は宏一がそうとは知らず、少しずつ打ち解けてきている。宏一は、もう少しだけがんばらなければと思った。

「先生、キノコのパスタとオレンジパンナコッタ、食べて良い?」

「うん、いいよ」

そう言うと宏一は店員を呼んで洋恵の注文にカツ重を追加オーダーした。

 

 

 

 

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