ウォーター

第二百五十九部

 
「一応聞いておくが、経理システムを見ていた担当でもある。知っていたのか?」
「いいえ」
もちろん知っているどころか自分も絡んでいるなどとは口が裂けても言えない。宏一が絡んでいることは、よほどのシステム上級者で無ければ分かるはずが無いのだ。なぜなら入力の部分や計算の部分には何も細工をしていないからだ。宏一がしたのは、木下部長が入力した横領する金額をシステムに入力する時に自動的に金額を減らすことで、それは全く別の小さなソフトが木下部長が横領額を入力したかどうかを監視していて、入力があると判断した時だけ入力された数字を経理システムに渡す前に金額を減らし、それをシステムに渡すようにしてある。システム自体には何の変更も無いし、正規の伝票処理を妨害してはいけないので、それを判断するところが肝になっているが、それは別のところにあるのが特徴で、通常の経理処理では無くて横領額を入力したかどうかを別のソフトが自動的に判断するのがキモになっていて、そこが苦労したところだ。もちろん宏一が増やした部分を消してしまえば通常通りにしか動かない。
「でも、どうしてシステム担当者の私に?」
「いや、一応聞いてみただけだ」
「何かシステム担当者を疑わざるを得ないようなことがあったんですか?」
「ちょっと・・・木下部長の言っていることと実際に横領された額が合わないものだから、確認に手間取っていてな。それで聞いてみたんだ。ま、気を悪くしないでくれ。記憶違いの可能性も高い。別にメモや記録があるわけでは無いからな」
「それはそうでしょう。横領額の一覧なんて作ってたら自分で告白しているようなものです」
「そう言うことだ。ま、今日は好きなだけ食べてくれ。それくらいしかできないからな」
「そう言うことならごちそうになります」
「うん、その方が私も気が楽だ」
「それで、総務部長はその責任を取らされたと言うことですか?」
「私は営業が担当では無いから直接は責任がないんだが、一応形としてな」
「それでは、営業担当の役員は責任を取ったんですか?」
「ま、それはいずれ分かるだろう。そう言うことだ」
「それで、木下部長はどうなったんですか?」
「それは、君だけには言っておく。どうもはっきりしない部分が多くて、まだ金額も確定できないんだ。だから内々に、と言うことで木下部長には外れてもらうことになったが、支社に出てもらうことになったんだ」
「部長のままですか?」
「そうだ。内々だからな」
もちろん、部長職のままとは言え、たぶん二度と出世することは無いだろうが、それなら一応由美の家庭が崩壊することは無さそうだ。宏一は一安心した。
「まだ調査は続いているが、たぶん、このまま幕引きになるだろう。いつまでも調査を続けるわけにもいかんし、本人も返金すると言っているから警察沙汰も無しだしな」
「そうですか」
「システムの堅牢性については何度も聞いているから疑うわけでは無いが、心配ないよな?」
「はい、従来のシステムとは呼べないような原始的なものでは無く、きちんとしたものを入れてますから、もうすぐそう言うこととは無縁になります。まず無理ですよ」
宏一は言葉を選びながらそう言った。こういうことは、あまりコメントしないに限る。言えば言うほどボロが出る可能性があるからだ。
「それで、総務部長は担当を外れるそうですが、それだけですか?」
「形としてはそうなんだが、子会社に出ることになった」
「そうですか・・・・それは残念です・・・・・」
宏一の知らないところで、かなりいろいろ木下部長の起こしたことでドタバタがあったようだ。こればかりは派遣の宏一にはどうしようも無い。やがてメインの串カツが順番に届き始めた。揚げたての肉や野菜がバランス良く出てくる。二人はビールを冷酒に切り替えて話を続けた。
「だから、と言うわけでは無いが、手数料などであまり露骨なことはしないで欲しい。ちょっとピリピリしてるからな。引き継ぎではきちんと認めるように言ってあるし了承も取ってあるがな」
「そんなことはしていませんよ」
「分かる。分かるよ。念のために言うだけだ。一人で4人分5人分の仕事をしてるんだ。三谷君にはもっともっと力を発揮して欲しいからな」
総務部長は、宏一の派遣費用が高いことを言っているのだ。数人分の給料だが、一人でそれだけの仕事をするからこそバランスの取れた良いシステムになると言って今まで応援してくれていたのを確認して念を押しているのだ。
「今までの実績でも、とても良いものができているのは役員全員よく分かっているし、とても満足している。更に期待が高い、そう言うことだ」
「はい、ありがとうございます」
「それで、だ。もう一つお願いがあるんだ」
「はい、なんでしょう?」
「こんなことを私が言うのも何だが、ここからはプライベートなことを話すんだが、新藤君のことなんだ。知ってるだろう?」
宏一は、突然ここで友絵の名前が出たので驚いた。
「はい、なんとなく・・・・」
「三谷君には私のことを話したと言っていたからな」
「はい・・・・」
総務部長の言葉で、宏一は友絵と総務部長がまだ繋がっていることを知った。
「三谷君は個人的にも彼女と親しくしてると聞いたから言うんだが・・・・」
宏一は急に個人的な話が始まったので再び驚いた。宏一と友絵との個人的な関係のことを知っていると言うことは、友絵が話したと言うことだ。そこまで友絵が話したことは驚きだった。
「はい、なんでしょうか?」
「実は、今度の職場は岡山なんだ」
「岡山に行かれるんですか。そうですか・・・・・」
「それで彼女は、私と一緒に行きたいと言っているんだ」
「えっ」
「それで、ちょっと相談したくてな」
「行くって言っても・・・・、それって・・・・」
友絵が付いていくと言うことは、一緒に暮らしたいと言うことなのだろう。当然、友絵は会社を辞めて、と言うことになる。
「うん、妻はしばらく前に亡くなっていてね。それで妻の葬儀でいろいろと世話を焼いてもらっていた新藤君と親しくなったと言うことなんだ」
「そうですか・・・・」
宏一はいろんな感情が一気に湧き上がってきた。
「言いたいことは分かるよ。妻の葬儀で親しくなるなんて通常は考えられないものな」
「それもそうなんですが・・・・・・、それは彼女がアプローチしたと言うことですか?」
「まぁ、そう言うことなのかも知れないが、どちらがと言ってもあまり意味が無いと思うけどな」
「それはそうです」
「正直に言おう。彼女のことは大切だと思うが、付いてきて欲しいとまでは思っていないんだ」
「それを彼女に伝えたんですか?」
「あぁ、伝えたよ」
総務部長はグッと冷酒を飲み干した。ちょうど店員が来たので話しかけた。
「これで全部出たのかな?」
「はい、後は食事とデザートになります」
「そうか、追加もできるのかな?」
「はい、お好みという形になりますが?」
「お願いするよ。まだ少し楽しみたい」
「直ぐに支度します」
店員はそう言うといったん下がり、戻ってくると個室のミニキッチンに串揚げのセットを持ってきた。
「直ぐに職人が参りますのでお好みをお伝え下さい」
そう言うと店員は下がっていった。
「なかなか良い店じゃ無いか。確かに串揚げはあっさりしていていくらでも食べられそうだな。覚えておくよ」
「ありがとうございます」
「それで、だ」
総務部長は再び話に戻った。
「それでも彼女は納得していないようでね。どうしたものかと思って相談したんだ」
「私に言われても・・・・・」
「分かるよ。分かる。確かにそうなんだが、どうも行き詰まった感じになってしまって、会ってももう話すことが無いんだ」
「立ち入ったことを聞くようですが、どうして彼女は一緒に行きたいと言っているんですか?結婚を前提ですか?」
「いや、そう言うわけでは無さそうだ。ただ、一緒に暮らしたいと言うことのようだ。私は今更結婚する気は無いし、それは伝えたんだが・・・・・」
「そうですか。結局は彼女の選択と言うことなんですね。新藤さんが結婚を捨ててでも一緒に住みたいというのなら止める方法はありませんが・・・」
「そうだな。でも、三谷君と親しくなったと言うことは、普通の年頃の女の子としての幸せを求める気持ちも全くゼロでは無いと言うことなんだろう?」
「そうかも知れませんが、彼女は私を結婚の候補とは見ていないようですよ」
「そうか・・・でも、今はそうかも知れないな。しかし、若い相手を探したと言うことは、やはり結婚も考えているんだろう?」
「その辺りは、もしかしたら新藤さん自身もはっきりしていないのかも知れませんね。どちらかというと、部長のことで悩んでいるから一時避難しているという感じですから」
「そういうことか・・・・・」
「でも、部長がはっきりと言えば、きっと彼女も分かってくれると思いますよ」
「はっきりと言うと・・・・・」
「会社の女の子に付いてこられては迷惑だ、と」
「そこまでは・・・・・・・・でも、そう言うべきなんだろうな」
「そう言うことでしょう?」
「うん・・・・まぁ・・・・たしかにそれも・・・・・」
二人はお好みでポツポツと串揚げを頼みながら話し続けた。そして完全に満腹になる頃、やっと結論が出た。
「うん、ありがとう。きちんと言うべきことは言わないとな。そうするよ」
「それが良いと思います」
「でも、三谷君、彼女が親しくなるわけだな。今日はじっくり話してみてよく分かったよ」
「褒めて下さっているなら、ありがとうございます」
「もちろん褒めているさ」
「ありがとうございます」
「それじゃぁ、そろそろ出るか。ありがとう。助かったよ」
「いいえ、お役に立てたのなら幸せです」
「それと、最後にもう一度だけ言っておくが、あまり露骨なことはするなよ」
そう意味深なことを言うと、総務部長は勘定を済ませると宏一と店を出て帰って行った。
宏一は、まさか総務部長がいなくなるとは思いもしなかったのでかなりショックだった。今まで宏一が自由に仕事ができたのは総務部長の後ろ盾があったからなのだ。本当なら会社自身の規則や手続きがいろいろあるのに、それを全て無視して宏一は自由に仕事を発注できるし、購入できるのは総務部長のおかげなのだ。
もちろん、宏一がそれに答えてきちんと実績を上げているのはもちろんだ。宏一は、今後の仕事が今まで通りにできるのか不安になりながらも、友絵のことも考えていた。友絵にとって宏一は止まり木のようなもので、一時的な恋人としか見ていないのはよく分かっている。だからこそ、友絵の力になりたいと思った。
そして土曜日になった。宏一は昨夜ホテルを予約してあるので、後は由美と落ち合うだけだ。ただ、由美からは病院を出るのが少し遅れると連絡があった。ちょっと残念ではあったが、ここでだだをこねても仕方が無い。宏一はおとなしく待ち合わせの浅草雷門前で由美を待つことにした。
由美が現れたのは約束の2時を少し回った頃だった。明らかに急いでいる感じで息を弾ませている。
「由美ちゃん、そんなに急がなくなって良いのに」
「はぁ、はぁ、はぁ、遅れてごめんなさい」
「ううん、良いよ。でも、そんなに息を弾ませて」
「だって、早く来たかったから。急いだんですけど間に合わなかった・・・」
今日の由美はお泊りの準備をしてきただけあって、大きな手提げを持っている。服装は可愛らしいプリント柄のTシャツにローベルトのミニスカートだ。
「急いでくれてありがと。俺も由美ちゃんに会えて嬉しいよ。ありがとう。それじゃ、行こうか。荷物は持つよ」
今日の由美はお泊まりセットが入っているからか、かなり大きめのバッグを持ってきていた。宏一の方は身軽なデイパックだけだ。
「あ、ありがとうございます」
由美は荷物を宏一に渡して身軽になったので安心したのか、足取りが軽快になった。そのまま二人は人混みの仲店に入っていく。
「由美ちゃん、デートってどういうことすればいいの?」
「そう言われても・・・・・でも、こんな感じが良いんです」
そう言うと由美はニコニコして宏一にくっついて歩き始めた。
「こういう時って、高校生の女の子は買い食いとかするんだっけ?」
「そう言うのも有りですよ。何か食べたいですか?」
「由美ちゃんはお腹空いてないの?」
「実は・・・・お昼、まだなんです」
「それじゃ、どこかのお店に入ろうか?」
「ううん、それじゃ買い食いできないから」
由美がそう言うので、宏一は仲店の裏側にあるメロンパンで有名な店に行くと由美に一つ買った。由美はできたてのメロンパンを買ってもらい、さっそく頬張って嬉しそうだ。
「由美ちゃんでもこういうのを食べるんだね」
「宏一さん、私のこと、どう思ってたんですか?私だって大好きですよ」
由美はそう言って笑いながらメロンパンにパクついている。

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