ウォーター

第二十八部

 

 一方、そんな明子の気持ちは全く知らない宏一は必死に資料を

まとめ、簡単なプレゼンができるくらいのものを作り上げていた。

何としても会社にネットワークの変更を認めてもらわなければな

らない。

 一通りできあがった頃、総務部の女性から部長が机に戻ったこ

とを知らせてきた。総務部長をの内諾を得ておけばかなりスムー

ズに事が運びそうに思える。しかし、出入りの業者と宏一をまと

めて手玉に取るくらいだから、宏一の思い通りに進まなくなる可

能性も高い。

 しかし、今回は急がないと間に合わないので総務部長を訪ねる

ことにした。部長に席におずおずと顔を出すと、

「ん?三谷君じゃないか。どうしたんだ、まあ、かけたまえ」

と空いているイスに座らされた。

 「実は、システムの変更をしたいのです。このままだとどうも

不安なものですから」

総務部長は一気に表情を暗くした。

「どういうことなんだ。既に詳細は部長会で決まっているはずだ

が・・・。まあいい。とにかく話を聞かせてもらおう」

総務部長は立ち上がると、横の女子社員に

「お茶を持ってきてくれんか」

といい、宏一を促して部屋の横の小さな応接ブースに入った。

 宏一は早速ミニノートを使って簡単なプレゼンを始めたが、2

分もしないうちに

「ちょっと待ってくれ」

と止められてしまった。

「こう言うのは他の部長の前でやってくれんか。要するにどうい

うことなんだ」

「つまり、当初の計画よりもネットワークを強化する必要がある

と言うことです」

「何で今頃になって言い出すんだ。もうすぐ工事が始まるのに」

「申し訳ありません。先週末になってやっと分かったものですか

ら」

「何が分かったと言うんだ」

明らかに不機嫌になってきているのが分かった。宏一は冷や汗が

出てきた。

「これが現在の使用状況ですが、これを元にして工事完成後の通

信量を予測すると現在のシステムでは能力不足になる可能性が高

いのです。今回の予測が、私がこの仕事を始めた頃に比べて大幅

に増えている原因は、主に営業部での通信量の増加にあります。

当初の三倍近い通信量が予測されるのです」

「当初はこんなに使うとは思っていなかったと言うことか?」

「はい、その通りです。営業の方が使い方になれてきたのでかな

り煩雑に使いだしたようです」

そう言われて総務部長には思い当たる節があった。

 確か、先々週の部長会で、どこかの営業部の部長から、

「部員の帰社時間が遅くなり、残業時間がかなり増えてきた」

と報告があった。

古いシステムのままでノートパソコンを使い始めたのでデータの

処理に時間がかかっているのだ。今はまだ専用のソフトで一旦ダ

ウンロードしてから、経理なり、在庫管理なりのそれぞれのソフ

トを呼び出して数字を入力しなければならない。総務部長はたぶ

んそれだろうと思った。

 「それは新しいシステムに移行する段階での過渡的なものにす

ぎないのではないかな?」

宏一自身もまさにそう思っていた。しかし、そうは言えない。

「もちろんそれもあります。しかし、営業部は今後、更にPHS

でデータ通信も始めます。これをやられると更にネットワークに

大きな負荷がかかります。通信配線の問題もありますが、今のま

までは数人が同時にデータ通信を始めると、他の部署へも間違い

なく影響が出るはずです」

 総務部長は大きくため息をついて考え込んだ。宏一はお茶を飲

みながら『もしかしたらうまく行くかも知れない』と期待した。

総務部長はゆっくりと顔を上げると、

「三谷君」

と話し始めた。

 「今までの仕事ぶりからして、君がそんな初歩的ミスをすると

は考えられん。うちの会社の商売だって最初の見積もりが商談の

成功を左右するんだ。君がそれを知らないわけがない。

当然、今回の一時的な通信量の増加は予想していたはずだ。その

ために君がいろいろ準備してくれたんじゃないか。どうしてなん

だ。率直に言って欲しい。もし手当が不満ならこちらで考える。

何も何百万もするものを買わなくたって、君の手当の分だけ増や

せばいいんだから簡単なことだ」

 宏一は追いつめられた。はい、と正直に言ってしまおうか、リ

ベートがもっと欲しかっただけだと。『やっばりこの部長にこん

な姑息な手段は通用しなかったか、臨時の部長会を開いてもらっ

てプレゼンで一気に攻めれば良かったかも知れない』宏一は後悔

した。

 総務部長は宏一が黙ってしまったのを見て、本当の理由は他に

あることを確信した。しかし、宏一を攻めるのは得策ではない。

システムの出来は宏一に全てかかっているのだ。落ち込んだまま

の状態でいい仕事ができるはずがない。

 しかし、宏一の言い分を、はい、そうですか、と認めるわけに

は絶対に行かない。そのために各部長がいるのだ。『三谷君は優

秀な技術者だが会社組織をまだ良く知らないようだ。我々が若い

社員より高い給料をもらっている理由を甘く考えたようだな。さ

て、どうしたものか』

 

 「もう一度説明してくれんか」

突然、総務部長が言った。

「え?」

宏一は思わず聞き返した。

「もう一回、そのソフトを使ってもいいからゆっくりと説明して

くれんか」

「はい、では最初から説明いたします」

宏一は不思議に思いながらもゆっくりと説明を始めた。途中で何

回も総務部長は聞き返したり、質問して少しずつ理解していった。

 プレゼンが終わると、

「大体分かってきたぞ。要するに、ループになっていれば一カ所

だけ通信量が増えても迂回路があるからあまり影響が出なくなる

わけだな」

「はい、その通りです。更に細かく言うと、回線自身の問題と言

うよりは、今回のように各部の一カ所からネットワークに繋ぐ場

合は、それを繋ぐインターフェイスの容量に制限が生じると言う

ことです。ループにしたのは本質的な問題ではありません」 

「三谷君、これはまだ君には言っていなかったはずだが、来

年度の下期に、新しいビルに引っ越す予定があるんだ。その場合

でもこのシステムは使えるな」

「もちろんです。パイプスペースの問題もありますが、このシス

テムの方が対応ははるかに楽になるはずです」

宏一は喜んで答えた。

 そこで更に総務部長は考え込んだ。宏一はじっと答えを待った。

長い時間に思えたが、実際は一分程度だったろう。

「条件がある」

総務部長はゆっくりと話し始めた。

「もし、君が私の条件を呑むのなら変更を認めよう。臨時の部長

会でプレゼンしてくれれば後は私がやる。但し、君の待遇面の問

題が本質なら、特別な手当を出すからそれでしのいで欲しい。そ

の方がお互いにさっぱりする。手当で行くか?」

 宏一はもう迷わなかった。ここでハイと言えば、手当と引き替

えに社員に誘われるのは明らかだった。たぶん、総務部長の性格

から考えて社員になってもこのことが後に響くことはないだろう

とは思った。そして安定した仕事は欲しかったが、ここの会社だ

けは嫌だった。木下部長の顔を見続けるのには耐えられそうにな

かった。

「いいえ、条件を聞かせて下さい。私の予測ミスであったこ

とは認めます。そのためにご迷惑をおかけするのですから、でき

る限りのペナルティーは受けるつもりです」

宏一ははっきりと言った。もう、毒を食えば皿までの心境である。

総務部長は一瞬表情を曇らせた。どちらかというと寂しそうな表

情に見えた。宏一がしらを切り通す覚悟を決めたと見て、総務部

長も心を決めた。

 「おいおい、社員でもないのにこっちが勝手に君をどうこうす

るわけには行かないよ。それくらい分かっているだろう」

宏一が神妙な顔をして頷いたので総務部長にはおかしかったらし

い。力無く笑いながらお茶をグイッと飲み干す。

 「いいかい、今回のシステムの変更はうちの会社じゃ始まって

以来の大改革なんだ。ここにたどり着くまで3年かかっているん

だ。絶対に失敗するわけには行かない。分かってくれるよな」

「はい、承知しています」

「君がここに来たのは偶然ではない」

「君の派遣会社に何度も足を運んで、候補者の仕事ぶりを確かめ

に、実際に前に担当していた会社に伺って話も聞いた」

宏一には初耳だった。

 「それだけこっちは真剣だって事だよ。実は君を選んだのは私

なんだ。私が指名したんだよ。最終的に選ぶまで二ヶ月近くかか

ったかな。君の仕事ぶりは素晴らしかった。特に、経理も分かる

と言うことで、とても使いやすいと前の会社の担当者は喜んでい

た。確かに、君はシステムに価格の高いものを選びがちだと言う

ことも知っている。しかし、我々はそれを承知の上で君の仕事の

確実さと質の高さを選んだ」

 宏一には全て初耳で、驚きの連続だった。こんな事までしてい

たとは。それでは、宏一が今まで開発中に大幅なシステムの変更

などしたことがないのは十分知り尽くしていると言うことだ。

大失敗だった。これからどんなことを言われるのか不安になって

きた。まさか追い出されはしないだろうが。

 「いいかい。君の提案している今回のシステムの変更は我々の

予想を超えている。つまり、許容できないと言うことだ。それだ

けの金をかけるのなら、君のように時給の高いエンジニアをやめ

て普通のエンジニアを二人雇うことができる。そうすれば半分と

は行かないが、今よりかなり短い時間で開発することも可能なは

ずだ」

勿論、それに対しては宏一は言いたいことを百も持っていたが今

は黙っていた。

 総務部長は宏一の目が光ったのを見のがさなかった

「分かっている。システムにはハーモニーが大切だ。一人が開発

するからこそ調和がとれたものができるんだ。でも、それだけ金

額が大きくなりすぎると言うことを知って於いて欲しい。この不

況の中で伸びてきた会社とは言え、未だ利益率は低いままで配当

さえやっとだ。大きな会社のように数百万の金をぽんと出すわけ

にはいかんのだよ」

宏一は少しじれったくなってきた。いったい何を言いたいのか。

 「このシステムの導入と並行して、新たに使用するアプリケー

ションソフトの社員教育があることは知っているね」

総務部長は急に話を変えた。

「はい、来月から始まると聞いていますが」

「その講師を君自身がやるのなら変更を認めよう」

「しかし、私は講師などやったことはありませんが・・・」

「もちろん知っている。でも、できるよ、君なら。いい経験にな

るだろう。そうすれば外部講師に払う分の予算を使える。これが

条件だ。講習費用だってかなりかかるからな。勿論、超過勤務の

分はきちんと払うよ」

 宏一は本来、来月からはシステムの立ち上げと保守に廻るはず

だった。そうなれば今までの経験から、少しずつ仕事が減ってい

き、楽になってくるはずだったのだ。

しかし、講師までやるとなるとかなりの負担を覚悟しなければな

らない。でも宏一は選択の余地がなかった。

「分かりました。お引き受けいたします。できるだけのことはさ

せていただきます」

宏一は頭を下げた。

 「そうか、君も頑固な方だな。仕方あるまい。じゃあ、よろし

く頼むよ。後のことは任せておきたまえ。私が責任を持って処理

する」

そう言うと、総務部長はブースを出ていった。

 宏一はしばらく座っていた。完全にやられた。外部講師の予算

を考えれば、同じ予算でシステムをグレードアップでき、更に開

発者を直接講師に使うことができたのだ。会社としては丸儲けみ

たいなものである。おまけに宏一の希望もちゃんと通している。

見事としかいいようがない。所詮、宏一は手玉に取られるだけの

未熟者だ。

 宏一は重い腰を上げ、部屋を出ていこうとした。すると、お盆

を抱えた女子社員が一人入ってきた。その社員は宏一に気が付く

と、

「あ、ごめんなさい」

と出ていこうとする。

「いや、いいですよ。これから出るところですから」

と宏一が無理に元気を出して微笑むと、

「そうですか。では失礼します」

とお茶の入った茶碗をお盆に載せようと宏一のすぐ近くで身体を

かがめて茶碗を取ったので宏一の方にいい香りが流れてくる。

 その香りが宏一をとらえた。フッと気分が良くなる。まるで瞬

間的にリフレッシュしたようだ。

「ごちそうさまでした」

宏一がそう言うと、

「どういたしまして」

とにこやかに微笑む。

「もしかして、電話でいつも連絡を下さる方ですか?」

「え?あ、そうです。部長の秘書のようなこともやっていますか

ら」

「そうですか。それじゃ、いつもお世話になっているんですね。

ありがとうございます」

「三谷さんて、本当に丁寧な方なんですね」

 「あれ?俺の名前を知っているんですか?」

「はい、勿論です。でないと電話できないですよ」

「そうか、余計なこと言いましたね。えーと」

宏一は相手の名札を見て

「新藤友絵さん、ですね。ごめんなさい」

「いいえ、どういたしまして。三谷さんに名前を覚えていただい

てうれしいです」

「お世辞にしてもそう言ってもらうとうれしいですね」

「そんなことありませんよ。三谷さんて結構有名人だから」

「え?有名人?」

「ええ、女子社員には結構人気あるんですよ。まじめで優秀だっ

て。でも、時々彼女から電話が入るとスッといなくなるそうです

ね」

いきなり痛いところをつかれてギクッとした。

 「彼女?何だか凄いですね、情報網は。さて、仕事に戻ります

か」

努めて平静を装い、そう言って立ち上がる。

「今日もこれから残業なんですか?」

と、友絵が何気なく聞いてきた。

「そうですよ。ちょっとしたミスをしたもので、今日は遅くなり

そうですね」

宏一はそう言ってブースを出ていく。

「そうなんですか」

友絵は考え込むようにつぶやいた。

 宏一は自分の所に戻ると、ゆっくりと予定表と進捗状況を付き

合わせる。当然、まだかなりの遅れがあったが、今日、深夜まで

がんばれば何とか今週中に予定通りになりそうだった。

総務部長の内諾を得たので発注表も変更する部分は全て書き換え

てしまう。次に、工事仕様書の変更に入った。伝票の書き換えは

一気に伝票処理ソフトでできてしまうが、工事仕様書の書き換え

は手作業でやらねばならない。

これが猛烈に時間を食うのだ。配線を通す場所、ターミナルの配

置場所、ルーターの場所、結合様式、部品、電源の位置、とにか

く時間がかかる。

 休憩も忘れて一心不乱に仕事を片付けているうちに、いつしか

退社時間が過ぎ、気が付くと宏一だけが残っていた。そこに、ひ

ょっこり友絵が顔を出した。

「三谷さん、ちょっといいですか?」

「あれ?新藤さんじゃないの、どうしたの?もう六時半なのに」

「いいえ、ちょっと残業があったものですから。三谷さんも遅く

なるって言ってらしたからまだいらっしゃるかと思って顔を出し

てみました」

そう言って宏一の横まで来てCRTをのぞき込む。どうやら友絵

は宏一に興味を持ったようだ。下手なウソ、と言うよりは堂々と

興味があるので来てみました、と言っているようなものだから宏

一も悪い気はしない。

 「何だか、工務店みたいな仕事なんですね」

とワープロ書きされた工事仕様書を見て友絵が感心したように言

う。

「よく工務店なんて事が分かるね」

そう言いながら宏一は友絵を改めてゆっくりと見た。身長は16

2センチくらいでセミロングの綺麗な髪をしている。少し痩せて

いるし、胸も腰も小さめだが、腰のラインは綺麗な線を描いてい

る。

 「うちの実家が工務店なんですよ。だから、伝票なんかはこん

なのばかりです」

そう言って友絵は笑った。宏一も少し息抜きをすることにして友

絵の話に付き合うことにした。

「ところで、さっき、俺のことを有名人とか言ってたよね」

「ああ、そのことですか。気になります?」

友絵はいたずらっぽく言うと、

「だって、三谷さんは一人で全部のシステムを引き受けているん

でしょ?おまけに独身で長身だし、興味持たない方がおかしいで

すよ」

 「で、どんな風に言われているの?」

「それはさっきも言いましたけど、うちの女子社員に見向きもし

ないのは、きっと、もう決まった人がいるんだろうって、時々携

帯にかかってくる電話の相手がそうなんじゃないかって、そんな

とこですよ」

「そうか、じゃあ、そんなに悪く言われてるわけじゃないんだね」

「もちろん。誰が三谷さんにアタックするか、お互いに牽制して

るって所ですね。だって、成功する確率低そうだし」

「ははは、そう言われると困っちゃうよね」

宏一は、結構ずけずけという女の子だな、と思いながら友絵を見

ていた。よく見るとまだ二十歳程度の若い社員だ。

 「で、どうなんです?」

友絵が思いきって聞いてきた。

「えっ、あのね、それに答える前に、どうだい、夕食でも食べに

いかないか?俺はここにまた戻ってこなくちゃいけないけど」

「わぁっ、食事に連れていって下さるんですか?嬉しい」

「どこがいいかな?何か食べたいものある?」

「えーと、えー、魚介類の美味しい店がいいですね。どこでもい

いですよ。居酒屋でも」

友絵は言った後にあわてて付け加えた。

 「そう言われると手を抜けないな。分かった。少し遅くなるけ

どいいかい?」

「ええ、私はかまいませんけど、三谷さんは仕事あるんでしょ」

もちろんそんなことは言われなくても十分に知っていたが、今は

何より気分転換がしたかった。

「じゃあ、下で待っててくれる?」

「分かりました。正門を出て右に二百メートルほど行くとマック

がありますから、そこで待ってます」

さすがに女子社員だけあって、宏一と一緒に出ていくような迂闊

なことはしない。

 宏一が仕事を一時止めて、後始末をしてから友絵の言ったとお

りの所にいくと、地下鉄の入り口のすぐ近くだった。

「さあ、行こうか」

「はい」

友絵は嬉しそうに宏一の後をついてくる。宏一はタクシーを捕ま

えると、友絵を誘って乗り込み、「芝浦まで」と告げた。

「三谷さん、芝浦まで行くんですか?結構かかりますよ」

「だから、少し遅くなるって言ったろ?任せてくれるんじゃない

の?」

宏一が少しだけ強く言ったので、友絵はあわてて弁解した。

「いえ、ごめんなさい。そんなつもりじゃ・・・」

 「気を遣ってくれるのは嬉しいよ。ありがとう。でも、今は気

分転換がしたいんだ。新藤さんが声をかけてくれたおかげだよ」

宏一がそう言うと、友絵は急に気分が良くなった。もしかしたら、

絶妙なタイミングで声をかけたのかも知れない、そんな思いが胸

をよぎる。

 友絵は普段はそんなに積極的な方ではない。しかし、宏一に対

してかなり前から興味を持っていたので、何とか近づく方法を探

していた。応接ブースで声をかけられたとき、チャンスは今しか

ないと思った。

そこで、わざと残業して遅くなり、人気が無くなってから声をか

けたのだ。こんな事をしたのは初めてだったので、部屋から出て

きたときは身体が奮えているのが自分で分かったほどだ。

 でも、思い切って声をかけてよかった。この後どうなるにせよ、

チャレンジした自分をほめてあげたい気分だった。宏一はこの後

会社に戻るのだから、まさか部屋に誘われることもないだろうし、

と考え、もし誘われたら、と思って赤くなった。『三谷さんはそ

んな人じゃないわ』そう思い直して、再び快活に話す友絵に戻っ

た。

 

 車が芝浦に近づくと

「海岸通を品川方面に行ってもらえますか。日の出桟橋の手前ま

で」

そう言って着いたところはまさに海の横の居酒屋風のレストラン

だった。

「さあ、どうぞ」

タクシーを降りると宏一はわざとらしく手を取って友絵と歩き出

した。

 レストランの入り口に来ると、何人かが既に順番待ちをしてい

た。入り口で二人ですが、と告げると

「四十分位かかりますが」と店員が言う。友絵は一瞬残念な顔を

して宏一を見たが、

「いいですよ。待ちますから」

と言って宏一はリストに名前を入れてもらった。そんなに待つの

か、と言った感じの友絵の顔を見て、友絵の耳元にそっと口を寄

せて

「大丈夫だよ。すぐに空くから」

とささやいた。店内の騒音に負けないように耳元に口を近づけて

いったので、宏一の息がうなじにかかってくすぐったかった。友

絵は

「きゃっ」

と小さな声を上げた。



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