ウォーター

第三百四十八部

 
そして夕方、宏一は結依の家に行った。玄関でベルを押すとロックの外れる音がして結依が顔を出した。
「こんばんは」
「どうぞ」
そう言うと結依は宏一が入ったドアをロックして、玄関近くにあるセキュリティシステムらしい操作盤のボタンを押した。やはり先週聞いたとおり、セキュリティを起動したのだ。
結依と一緒に階段を上がって結依の部屋に入ると、既に二人のためにコーヒーが用意してあった。まだ湯気を立てている所を見ると煎れたばかりらしい。改めて結依を見ると、先週のクールな感じよりはずっと明るい表情だ。
「結依ちゃん、いつも夜は10時まで一人なの?」
「そう」
「それは寂しいよね」
「大丈夫。今は宏一さんが居るから」
「そうか、それじゃ、今日は何を勉強する?」
宏一が聞くと、結依はちょっとがっかりした表情をした。
「どうしたの?」
「勉強するの?」
「え?いやなの?だって家庭教師だから・・・」
「ううん、いい」
相変わらず結依は言葉が少ない。それでも、結依は気持ちを切り替えたのか勉強机に座った。ただ、まだコーヒーカップを持っている。
「このコーヒー、美味しいね。結依ちゃんが煎れたの?」
「はい」
「美味しいよ」
「あの・・・お代わり、あります」
「そう、それじゃ、もう一杯貰えるかな?」
宏一が言うと、結依は立ち上がって下に降りていき、しばらくしてからもう一杯カップに入れて持ってきた。ただ、お代わりを煎れてきたという時間ではない。十分近く掛かっている。
「ありがとう。もしかして、もう一回煎れてくれたの?」
「・・・・・はい」
「うわ、そんなことまでしてくれなくても良かったのに」
「その方が美味しいから・・・・・・」
宏一の言葉が気に入らなかったのか、結依は明らかに寂しそうな表情をした。
「でも、美味しいよ。香りも最高だし。わざわざありがとう」
宏一が慌ててそう言うと、結依の表情がパッと明るくなった。それは子供っぽいと言えば語弊があるが、本当に小さな子供が喜んでいるような無邪気な笑顔だった。その様子を見て宏一は、結依は家庭教師よりも一緒に居てくれる人が欲しいのかも知れないと思った。
「ねぇ、元々結依ちゃんは勉強もできるんだから、何か結依ちゃんから聞きたいこととか無いの?それとか、一緒にして欲しいこととかさ。なんでも良いからしたいことを言ってごらん?」
そう言うと結依はちょっと嬉しそうな満足そうな表情をしてから言った。
「少し勉強するから見て」
「え?だって・・・・」
さっきは勉強するのかとがっかりしたくせに、今度はじぶんから勉強すると言い出した結依に宏一は少し驚いたが、結依はさっさと机に座ると勉強道具を並べて自習を始めた。どうやら数学らしい。
「これでいいの?」
結衣が勉強を始めるのを斜め後ろのベッドに座っていた宏一に結衣は声を掛けた。
「ん?なんだい?」
宏一が結衣の後ろからのぞき込むと、結衣は参考書をの例題を指している。どうやら、この例題と同じと考えて良いのかどうかを聞いているらしい。もちろん正しい例題を見て居る。
「そのままやってごらん」
宏一が後ろに立って結依の身体越しに書いているのを見ると、さすがに問題を読んでから淀みなく計算して問題を解いている。今日の結依はディズニー柄のプリントTシャツ姿のラフな格好なので、こっそりと上から胸元をのぞき込むとピンクのブラジャーが見えた。もちろん結依の胸はかなり小さいのでカップも小さいが、それはそれで可愛らしいと思った。
宏一は静かに勉強している結依を見ながら、『この子がおちんちんを欲しがって声を上げて夢中になる姿なんて、どうも想像できないなぁ』と思った。それほど結依はクリーンで清楚な感じなのだ。
「ねぇ、ここはこれでいい?」
結依はそう言うと計算している途中の代数をまとめている所をペンで指した。どうやらまとめる順番がこれで良いかどうか聞いているらしい。
「うん、まずaとbで纏めてから、纏めた括弧の中を比べる問題だね。どっちから始めても最後は同じになるから一緒だけど、結依ちゃんの方法の方が効率が良いと思うよ」
「いきなり答を言わないで」
「え?」
「もっと丁寧に見て。それじゃ答を教えてるのと同じ」
「あ、ごめん・・・・・」
宏一が回答方針をバラしたのが気に入らなかったのか、結依はさっさと次の問題に移ってしまった。
「今度は、こう?」
結依が再び計算途中をペンで指した。ただ、結依の文字はかなり小さいので読むだけでも大変だ。
「結依ちゃん、いつもこんな小さな字を書いてるの?先生に何か言われない?この前はこんなに小さい字じゃなかったよね?」
「この前は最初だったから・・・」
「そう・・・・」
宏一は結依が嫌がらないように気をつけながらも、かなり結依の項に近い位置で結依の書いた計算を読まざるを得なかった。それに、結依が文字を書く位置はかなり身体に近いのだ。どうしても被さるような感じになってしまう。
「うん、それでもいいけど・・・・・・、それだと括弧で纏めた後が大変だから、一度に全部纏めないで一つずつ順番に書いていってごらん?」
宏一がそう言うと、結依は言われたとおりに、一段階ずつ纏めていった。
「ほら、そうすればどこで括弧の中を比べれば良いか分かるだろう?」
「はい」
結依は大人しくそう言うと、なめらかに解いていく。しかし、宏一は結依がわざと面倒な方法でやって見せて宏一に一段階ずつするように言わせたのではないかと思った。前の問題ではそうやっていたからだ。
それからしばらくの間、同じような質問と答が繰り返された。ふと気が付くと宏一は結依の項にもの凄く近いことに気が付いた。そこでちょっといたずらをしてみることにした。わざと項にチュッと軽くキスをしてみたのだ。
「やっ」
途端に結依が反応し、慌てて身体を縮めてても胸をガードし首も縮めた。完全防備の体勢だ。
「ごめんね。結依ちゃんが可愛かったから」
「・・・・・・・・・」
結依は何も言わなかった。ただ、それからは文字も少し大きくなったし、身体から少し離してかいて宏一が少し離れてもよく見えるようになった。そこで宏一は、結依の耳元でそっと囁いた。
「結依ちゃん、この前、洋恵ちゃんと同じ事をしてって言ったよね?」
結依は項に宏一の息が掛かるのを気にしながらも、小さく頷いた。
「今でもそう思ってるの?」
「・・・・・・・」
結依は何も言わずに考え込んでいるようだ。
「もし、本当にそうして欲しいのなら、少しずつその準備をしてあげる。でも、本当にそれでいいの?」
結依は少し考えて、また小さく頷いた。
「洋恵ちゃんは、結依ちゃんがそう考えてるって知らないんでしょ?」
「そう」
結依はコクッと頷いてから小さな声で言った。すると結依は、少し近すぎる宏一の頭をよけるようにして答えた。
「今、洋恵は新しい彼のことばっかりでそれどころじゃないから」
宏一は昨日の洋恵のことを思い出して納得した。そして更に結依に聞いた。
「それって、洋恵ちゃんが知らない間に結依ちゃんがそうなっても構わないってこと?」
結依はまたコクッと頷いた。
「だって、私が大人しい女の子だって勝手に思い込んで私に家庭教師は要らないかって聞いてきたのは洋恵だし、私には特に何も言わなかったもの。私、全部知ってるのに」
「それじゃ、そうなったとして、結依ちゃんは洋恵ちゃんに言えないことができたって後悔しないの?」
「しない」
「本当?」
「しない」
「結依ちゃんは興味本位でそんなこと言う子じゃないよね。それは分かってる。何か特別な理由でもあるの?」
「・・・・・・・・」
「言えないの?言いたくない?」
結依はしばらく考えてから小さくコクッと頷いた。これで結依がはっきりとした理由があって宏一にして欲しいと言っていることだけは分かった。ただ、雰囲気からしてそれ以上は聞かないで欲しいというのは伝わっている。
「分かったよ。大丈夫。俺も洋恵ちゃんには言わない。それでいい?」
また結依は頷いた。少し恥ずかしそうだがちょっと微笑んだように見えた。
「それじゃ、ちゃんと結依ちゃんが感じるようにして、優しくしてあげるからね。怖がらなくて良いよ。急ぐ必要なんてないんだから」
「・・・・だいぶかかるの?」
「え?」
「その・・・・する・・・・・・・まで・・・・」
明らかに結依は本当に恥ずかしそうに小さな声で聞いた。
「もちろんしばらく時間は掛かるだろうね。さっきの様子からすると」
「なるべく早くして・・・・」
「え?」
「あんまり時間はないの」
「そんな事言ったって・・・・・・第一、感じるのは結依ちゃんだし・・・・」
「時間ならある。土曜とか日曜に来ても良いの。両親はいないから」
「でも、さっさとするだけしちゃうって言うのは嫌なんでしょ?」
結依はまたコクッと頷いた。どうやら複雑な思いを抱えているようなので宏一は話を変えることにした。
「ねぇ、どうして俺なの?それは教えてくれる?」
「洋恵が・・・・・・・・・・」
「洋恵ちゃんが?なに?」
結依はしばらく黙っていたが、ぽつんと言った。
「・・・・幸せそうだったから・・・・・いいなって・・・・・」
「そうなんだ。洋恵ちゃんが幸せそうだからって子とか・・・・・それで俺に・・・家庭教師もそのため?」
結依はコクンと頷いた。元々勉強はできるのだから家庭教師などたのむ必要はないのに不思議だと思っていた。その謎が一つ解けた。
「誰にも言わないで」
「もちろんだよ。絶対に言わない。安心して」
「私も言わない」
「誰にも?」
結依はコクンと頷いた。
「でも、ご両親には?」
「もちろん言わない」
「だけど、ご両親は結衣ちゃんが勉強したいから家庭教師を頼んでいるって思ってるんでしょ?」
「それは・・・・・・・・また別の・・・・」
子供に家庭教師を付けるのに勉強以外の理由などあるのか宏一には分からなかった。とにかく複雑な家庭のようだ。宏一は更に話を進めた。
「でも、結依ちゃんはちょっと触っただけで怖がるよね?」
そう言うと宏一は結依の肩に手を置いた。途端に結依はビクッとして胸を手で隠して身体を縮める。
「ほらね」
「・・・・・・・」
「だから、結依ちゃんが俺を怖がらなくなるようにしないと、ちょっと難しいと思うんだ。だから、それから始めるよ。それでいい?」
結依は少し考えてから宏一を見つめた。細面の整った顔立ちで幼いが綺麗だ。結依は宏一をじっと見つめてゆっくり頷いた。
「それじゃ、嫌だったらちゃんと言うんだよ。約束だよ?」
結依は微かに頷いた。
「それじゃ、こっちに座って」
そう言うと宏一は勉強机から離れてベッドに座った。そしてそのままじっと待つ。結依はさすがに怖いのか、なかなか椅子から立ち上がろうとしなかった。それでも宏一は何も言わずにじっと待ち続けた。これは言葉の問題ではない。結依の気持ちの問題だ。宏一を結依が本当に信用しているかどうかなのだ。
それでも宏一が静かに待っていると、やがて結依はゆっくりと立ち上がった。それでもまだ宏一の近くには来ない。
「おいで」
宏一が声を掛けると、結依はゆっくりとベッドの方に来て、宏一から1メートルほど離れた所に座った。
「うん、ありがと。それじゃ、もう少しお話をしたいな。それでいい?」
そう言って宏一は話し始めた。宏一は先ず結依のバックグラウンドを聞きたかったのだ。だから家庭のことや家のことなどを簡単に質問した。すると、結依は小学生の時から両親がいつも夜遅くならないと帰ってこない家で育ったことが分かった。ただ、今まで家庭教師は付けてもらったことがないという。母親は近くの年上の女の子を頼もうとしたことがあるらしいのだが、その子に結局断られて上手くいかなかったそうだ。



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