ウォーター

第三十五部

 


宏一は、今日、洋恵とベッドに入らなくて良かったと思った。

いくらなんでもすぐ明子をベッドに入れれば男と女の匂いが明子に

ばれてしまう。

「コンロに火とか入ってない?」

「もう全部終わったの、後は片づけて洗うだけ。だから、安心させて」

そう言うと、明子は背伸びをして唇を押しつけてきた。

 これ以上はどうにもできないようだ。そこで掛け布団をまくらず

に明子の体をベッドの上に横たえ、ゆっくりと服を脱がしながら、

宏一は、

「時間はどれくらいあるの?」

と聞いた。

「支度があるから、あと2時間ぐらい」

目をつぶったまま明子が応える。すでに宏一は明子のブラウスを

はだけ、視線は可愛い膨らみの上をなぞるように這っていた。

じっと明子の表情を見つめている視線が分かるのか、目をつぶっ

たまま

「アン、そんなに。恥ずかしいから、早く」と、軽く嫌々をする。

「早く、早く優しく抱いて、ね、お願い、宏一さん」

明子はゆっくりと悶えながら宏一が脱がせてくれるのを待ち続け

た。しかし、宏一は明子の仕草がとても愛おしく、何度も明子の

肌の上をなぞりながら少しずつ、少しずつ脱がしてゆく。ブラウス

のボタンを完全に外して上半身を露わにすると、ゆっくりとスカー

トのホックを外してゆく。その間にも何度も明子の肌を宏一の指

が走る。宏一がスカートを引き抜こうとすると、明子は腰を上げ

て協力した。しかし、宏一は膝のあたりまで引き下げたところで

スカートから手を離し、ストッキングに包まれた腰から秘部全体

を愛撫し始める。

「そんな、早く、脱がせて、こんなにされたら、イヤ、今日は

シャワーを浴びてないから、そっちは、ねぇ、宏一さん、ダメよ」

明子は目をつぶってうわずった息のまま宏一に許しを請うた。

「大丈夫、じっとしていてごらん、もうすぐだから」

優しく声をかけると、宏一は右手の人差し指を秘核の近くに差し

込んだ。そのままゆっくりと残酷な愛撫を続ける。パンティーの

上からでもじれったいのに更にストッキングがじゃまをして明子

はじれったさに気が狂いそうだった。おまけにタイトなスカート

がじゃまをして、両足を大きく開いて愛撫を大きく受け入れるこ

ともできない。必死に両足をこすり合わせ、宏一を信じて待ち続

けるが、限界が近づいてくるのが手に取るように分かった。

「だめ、もう我慢できなくなる。宏一さん、じらさないで、優し

く愛して、お願い」

明子の声は、半分泣き声のようだ。宏一は、

「明子さん、もう少し待っていてくれる?」

そう言うと、スカートだけを脱がし、ストッキングを膝まで下げ

てパンティーの中心を折り曲げた中指で掻き上げるように愛撫す

る。ぷくっと膨らんだ秘核の周りを丁寧に撫で回してやると、明

子の反応が一段と激しくなった。

「はあっ、あ、ダメ、こんなの、早くして、宏一さん、全部して、

待てない」

明子は腰をくねらせたり、両足を擦り合わせたりしながらおねだり

を続けた。時間があまりないのだ。じらされるよりも、早く愛さ

れたかった。宏一の愛を体で受け止めたかった。しかし、宏一は

まだ明子を翻弄するつもりだった。

「口でしてもいいかい?」

「イヤ、それだけは許して、今は、口はダメ、汚いから」

明子は、すでにびっしょり濡れているパンティーと秘部を宏一に

見せたくなかった。せめてシャワーでも使った後なら許せるが、

今だけはとても許せる状態ではなかった。

「いいだろ?明子さんを思いっきり愛してみたいんだ」

そう言いながら、宏一は掻き上げていた指の動きを細かい振動に

変える。『アアッ、ダメ、こんなにされたら、もう我慢できない』

明子は限界が近づいて来たのを悟った。

「宏一さん、許して、体が、もう、待てない、脱がせて、入れて、

もう、ね、このままだといっちゃうっ」

そう言うと、顎をそらせて軽い絶頂を迎えようとする。

しかし、宏一はそれを許さなかった。指をスッと抜いてしまう。

「ああん、そんな、このまま」

明子の声が絶望の響きを含み、腰はまるで意志があるかのように

勝手にうねっている。

「アアン、もう、待てない。シャワーを・・・、汚いのに」

ぎりぎりで引き戻された明子は、もう、宏一の望む通りでいいか

ら愛して欲しくなった。宏一は、ゆっくりと無言でパンティーと

ストッキングを同時に脱がせていく。もはや明子に抗うすべは

なかった。

 脱がせ終わると既に潤いをたたえて宏一を待っている明子の下

半身の可愛い茂みを眺めながらゆっくりと宏一は自分のシャツを

脱ぎ始める。明子はその気配を察すると、むず痒さでたまらない

下半身を宏一に開いた。

「宏一さん、恥ずかしい、汚くてごめんなさい、シャワーを浴び

てないから汚れてるの。でも、そっと優しくして」

そう言うと、明子は両手で顔を覆った。宏一は明子が自分のわが

ままを受け入れる決心をしたのを見て感動した。『愛してる』心

の中でそうつぶやくと、全裸になって両足の間に入り、明子の膝

を曲げて更に秘部を大きく開いた。

 既にべっとりと塗れた秘部の奥で宏一を待っている秘口がゆっ

くりとトロリとした液体を吐き出し、周りの茂みはべっとりと張

り付いている。明子の両足を肩の上に抱え上げるようにしてもっ

とも舐め易い体制を作り、背中に手を回してブラジャーのホック

を外す。一瞬、びくっと小柄な体が震えると、宏一の頭に明子の

手が伸びてきた。そのままゆっくりと舌全体を使って舐めていく。

 「あーっ、はぁーっ、アアーン」

明子の笛のように透き通る高い声が響き、宏一の頭がぐいっと秘

部に当てられる。宏一は頭は明子の動きに任せることにして、三

角の乳房をゆっくりと揉み始めた。それでも明子は必死に我慢を

していた。シャワーも浴びていない秘部を宏一の顔にこすり付け

るのはどうしても抵抗があった。しかし、体はこれ以上言うこと

を聞かない。本人はほとんど動いていないつもりだったが、腰は

無意識にかなり大胆に宏一の舌を迎えに上下に動き、更に両手は

宏一の頭を腰の動きに合わせて押しつけていた。

 宏一は舌をほとんど動かさず、明子の腰の動きに任せて丹念に

舐め続けた。明子の全てを舐め尽くすかのように、大きく、ゆっ

くりと舐め続けた。既に、あふれた液体と宏一の唾液が明子の尻

の下のシーツにシミを作り始めている。明子は何度も軽い絶頂を

迎えていたが、宏一は更にじっくりと舐め続けた。

 明子は、宏一が飽きずに舐め続けていることになぜか嬉しかっ

た。宏一の小さな望みを叶えてやれたという喜びが、恥ずかしさ

を我慢して良かったという満足感に変わって体を駆けめぐってい

た。既に明子の足は自らの意志で思いきり大きく広げられ、膝は

胸のあたりまで引きつけられている。

 明子の反応に満足した宏一は、ご褒美にまず口で満足させるこ

とにした。舌の動きを細かく早いものに変えて、秘核の周りをゆっ

くりと回るように舐めていく。明子の少し大きめの秘核は大きく

尖り、宏一の舌の動きを喜んでいた。

「アアッ、イイッ、アッ、こうい、イイッ、凄く、あーっ、あ

ウッ、そこ、イイッ、アッ、もう、いっちゃう、ダメ、もう我慢

できない、アアッ、あーっ」

明子の体が絶頂を迎える瞬間、乳房をゆっくりと揉んでいた両手

の中指と人差し指で乳首を挟んでぎゅっと揉み込んでやる。

「くぅっ、うっ」

しばらく硬直した後、明子の体はびっしょり濡れたシーツの上で

ぐったりした。まだ息は激しく、時折ピクッと痙攣している。

 宏一は掛け布団でびっしょりと濡れている顔を軽く拭うと、明子

の体に覆い被さり、肉棒を入り口まで進めた。宏一の下で明子は

まだ息を弾ませている。肉棒が入り口をノックし始めると、

「ダメ、まだ、アアン、はウッ、欲しくなっちゃう、イヤ、こん

なに、激しくいったのに、まだ、欲しくなっちゃう、ダメ、入っ

てくる」

明子は自然に腰の位置を合わせると宏一を迎え入れようと腰を使っ

た。

「ほら、自然に入っていくよ。どうしてかな?何にも動いていな

いのに」

優しく問いかける宏一に、

「分かってるくせに、ハアッ、もう、宏一さん、もっと、深く頂

戴。奥まで」

宏一の下で体をくねらせて明子は自然に宏一を奥へと導こうと

する。

「これくらい?」

宏一は一気に肉棒を進める。明子の肉壁は心地よい軽い抵抗感を

与えて宏一を包み込む。

「イイッ、もっと、頂戴、全部欲しい」

明子はのけぞりながら手探りで宏一の首に手を回してくる。

「ほうら、これが欲しかったのかな」

宏一は肉棒を深々と差し込み、先端がコリッとしたものに当たる

感触を確かめた。

「ああーっ、これっ、これがいいっ、深いっ」

明子が歓喜の声を上げ、

「くぅっ、ダメ、良すぎるっ」

と、我慢できないと言うように自分から腰を使い出す。宏一自身

はじっと動かずに明子が夢中になって快楽をむさぼるのを優しい

目で眺めていた。明子も、宏一が相手だからここまで大胆にむさ

ぼることができた。深い快楽の奥には深い安心があった。宏一を

じっと待ち続ける苦痛が少し癒されていくのを感じていた。

 やがて、明子が二度目の絶頂を迎えるときが来た。

「アアッ、宏一さん、もうダメ、いっちゃう、アア、こんなに、

良すぎる、行く、アアッ、いくの、もう、アーッ」

明子の肉壁が宏一の堅い肉棒をキュッと締め付け、ビクッと体が

震える。

「ごめん、なさい、私、ばかり、もたな、かったの」

荒い息の下から途切れ途切れに謝る明子を優しく抱きしめ、

「大丈夫、明子さんが感じてくれるのが一番嬉しいんだ。今日は

これ以上すると仕事に差し支えるだろうから、ここまでにして

おこうね」

そう言って肉棒を抜き去った。本当はもう少し激しく動けば宏一

も達することができたが、明子をあまり疲れさせたくなかった。

明子には我慢する優しさを持つことができた。肉棒が抜き去られ

る瞬間、

「アアン」

と小さな声が聞こえ、明子の腰は名残を惜しむように肉棒を追っ

て突き上げられたが、完全に抜かれるとベッドに崩れるように沈

んでいった。

 明子はぐったりとした体を宏一に預け、体が満足感に満たされ

ている幸せに浸っていた。まだ、まだ時々軽くビクッと痙攣を起

こす体を宏一に沿わせ、優しく宏一に髪をなでられていると全て

を信じて待とうと言う想いが沸き上がってくる。

「もう少し、このまま抱いていていい?」

「ええ、このままでいましょう」

宏一は思いきって明子に告げた。

「愛しているよ。あのね、もう少し待ってて欲しいんだけど」

「分かってる。だけど、あんまり待たせないでね、寂しくなる

から」

今、初めて二人の気持ちの確認ができた。宏一は、明子を待たせ

ることに少し罪悪感があったが、このまま明子に申し込むよりは

良いと思って自分を納得させた。

 明子は、今は体が満たされているから幸せを感じているだけだ

と分かってはいたが、宏一に他の女との関係を詰め寄る気持ちに

はどうしてもなれなかった。『私、どこまで我慢できるかしら』

それだけが不安だった。

 それから二人はじっと抱き合ったまま体を寄せ合っていた。

やがて明子が体を起こしたとき、宏一は明子を引き戻した。

「ダメよ、もう行かなくちゃ」

「うん、分かってる。でも、明子さんとこうしているととっても

心が安らぐんだ。また来てね」

「もちろんよ。何度でも来るわ」

明子は既に小さくなった肉棒が目に入ると、

「少しだけ」

と言って丁寧に含み、慈しむようにしゃぶった。次第に肉棒が反

応を始めると、宏一が

「ありがとう。これ以上すると我慢できなくなるから」

そう言って明子の口から肉棒を抜き去る。明子はゆっくりと起き

上がり、手早く身支度をすると化粧を整え、全裸のままの宏一と

肉棒に心を込めてキスをしてから、足早に部屋を出ていった。

 後には二人分の冷めた食べかけの夕食が残った。宏一は食べる

人がいない明子の分まで、明子の影を重ねてゆっくりと食べ始め

た。複雑な思いが渦巻き、心にしみる味だった。

 

 出発の日、お昼頃に史恵の部屋に電話をかけてみた。日向のフェ

リー乗り場まで迎えに来てもらうことになっているが、本人にはま

だ最終確認をしていない。

「はい、溝口です」

「史恵ちゃん?」

「宏一さん、明日ですね」

「そうだよ、やっと会えるね」

「ええ、そうですね」

と答える史恵の言葉にはあまり元気が感じられなかった。

「どうしたの?都合が悪くなったの?」

「いえ、ちょっと残業が続いて疲れてるみたい」

「大丈夫?日向まで来れる?電車で行こうか?」

「いえ、そのために残業したんですから、日向まで行きます。待っ

てて下さいね」

「ああ、分かったよ。無理しないでゆっくりおいで、必ず食堂に

いるから」

 「はい、あの、もしかしたら少し早く行けそうです。4時前に

着けると思います」

「分かったよ。ほんとに無理しないでおいでね」

「はい、分かりました。それと、もしよかったら、途中で運転を

代わってもらえますか?」

「もちろんそのつもりだよ」

「良かった。これで安心して行ける」

「それじゃ、待ってるからね」

「はい、宏一さんも気を付けてきて下さい」

「うん、楽しみに待ってるよ」

「はい」

宏一は電話を切ると、一応満足できる史恵の反応に安心した。

 

 友絵は、遅れてはいけないと思い、待ち合わせ時間の30分前に

は川崎駅に着いていた。当たり前だが、宏一はまだ来ていないよ

うだ。そこで初めて少し安心したので、駅ビルの中でサンドイッ

チで軽く昼食を取る。ほんの1分か2分程度しか話ができないで

あろう事は分かっていた。携帯を渡してしまえばそれで終わり。

宏一がすぐに背を向けて歩き出しても何もいえない。

 しかし、今の友絵にはその時間が大切だった。自分でもよく分

からなかったが、この短い時間のために昨日から大忙しだった。

『どうしてこんなに一生懸命なんだろう?』自分でも不思議なほ

ど体が良く動いた。それはとても心地よい忙しさだった。例えて

言えば、実家の工務店の年末最終日に手伝いをしているときのよ

うな、朝から大忙しで伝票を整理しながら、工事からあがってく

る人に給料と酒肴料を渡して、はじけるような笑顔を見たときの

ような、そんな感じだった。

 しかし、軽い昼食を取って改札でじっと時間が来るのを待って

いると、少しずつ横に置いておいたはずの不安が頭をもたげてく

る。本当に一言しか話ができなかったら、誰か他の人と一緒だっ

たら、このまま携帯を持っていてくれればいいのにと言われたら、

時間が迫るにつれてだんだん不安が募ってくる。

 後、十分少々と言うときに宏一が現れた。さすがに大きなダッ

フルバックを抱えている。改札の手前で友絵を見つけると、その

まま改札には向かわずに友絵の方に歩いてくる。『やっぱり一言

だけしかいえないのかな』胸に一瞬悲しい思いが溢れる。宏一は

フェンス越しに友絵に近づくと、

「今、この荷物を預けてくるから待っててね」

そう言うと、コインロッカーに向かった。

 『やった!』友絵は『ラッキー』の上に超までつけて飛び上が

りたい気持ちだった。宏一が荷物を預けてから改札を出て友絵の

前に来ると、

「わざわざ持ってきてくれてありがとうね」

と話し始めた。

「いいえ、私こそ忘れちゃってすみませんでした。あの、もし良

かったら喫茶店にでも入りませんか?」

「ああ、いいよ。どこかいいところ知ってたら教えてくれる?」

「いえ、いつも私が行ってるところで良ければ」

そう言うと、友絵は北口を出て歩き始める。宏一は、前回のイメー

ジには合わない友絵の積極さに新鮮な驚きを感じた。

 友絵が案内したのは駅から三百メートルほどのオフィスビルの

一階の小さな喫茶店だった。二人が席に着くと、

「何を注文すればいいのかな?任せてもいいかい?」

と宏一が聞いてきた。

「三谷さん、おなか減ってます?」

「うん、少しね。お昼はまだなんだ」

「じゃ、ご一緒させていただきます」

そう言うと、焼きうどんとチキンカレーにコーヒーを付けて注文

した。

 「あの、これです」そう言って友絵が携帯を差し出す。

「ありがとう。これで旅行も気楽に楽しめるよ」

宏一が笑顔で受け取り、何気なくスイッチが入っているか確かめ

る。

「あれ?充電してくれたの?」

「ごめんなさい。旅行中に電池が切れると台無しになると思って」

「へえ、友絵さんも同じのを持ってるんだ」

宏一が嬉しそうに言うと、急に下を向いて

「いえ、実家に同じようなのがあったので一緒に充電してもらっ

たんです」

と答えた。

 宏一は改めて友絵を見た。会社で見るよりは整った身なりで綺

麗に化粧もしている。実家に泊まってきたにしては大人びた姿だ

った。きっと今朝、自分の部屋に寄ってから来たのだろう。

「あの、それと、これ、船の中で食べて下さい」

そう言って友絵はおずおずと小さな箱を出した。

「何?開けていいかい?」

宏一が小さな箱を開けると、中にはいかにも手作りと言ったクッ

キーが入っていた。

「これ、もらっていいの?」

宏一が改めて聞くと、こくんと頷く。

 「ありがとう。こんなものまで貰っちゃって。友絵さんには迷

惑のかけっぱなしだね」

宏一が言うと、

「そんなことありません。私が全部勝手にしたことですから。貰っ

て頂けて嬉しいんです。子供みたいだって思うかもしれませんけど」

友絵は少し顔を上げて微笑む。その笑顔は本当に可愛い。

 「でも、余計なことかもしれないけど、大変だったろう?こん

なにいろいろしたんだもの」

宏一は仕事柄、無意識に友絵の行動を時間を追って組み立ててみ

た。電話で今日の待ち合わせが決まったのが昨日の四時過ぎ、た

ぶんそれから三島の実家に行って充電を頼んでクッキーを焼き、

朝、部屋に戻ってシャワーを浴びてから髪をセットに行って、部

屋に戻って身支度を整えて来たのだろう。ほとんど宏一のためだ

けに丸一日の時間を使ったようなものだ。

 「今日、三谷さんに会うまで、とっても楽しかったんです。ホ

ントですよ」

そう言って友絵は急に帰って実家の親が驚いたことや、突然思い

ついて慣れないクッキーを夜中に作り始めて寝不足になったこと

などを楽しそうに話した。

 宏一はビーフカレーを食べながら、友絵が楽しそうに話すのを

眺めていた。本当に、友絵が楽しそうにしているのを見ているだ

けで心が和む。前回はあまり積極的に自分のことを話さなかった

友絵だが、今日はずっとしゃべり続けで宏一はもっぱら聞き役に

なっている。突然、友絵は話を中断し、宏一に

「三谷さん、こんな事、聞いてて面白くないんじゃありません?」

と言った。

「そんなこと無いよ。友絵さんの話を聞いてるだけでとっても楽

しいんだ。それと、一つお願いしていいかい?会社の外では名前

で呼んでくれないかな」

「え?いいんですか?」

「もちろん、その方が嬉しいんだけど」

「はい、宏一さん、でいいんですか?」

「そうだよ、友絵さん」

「わっ、嬉しい」

友絵が再びニッコリと微笑む。

 友絵が冷め切った焼きうどんを食べ終わる頃、5時を回ってい

ることに気が付いた。そろそろ行かねばならない。宏一が時計を

見たので友絵にも伝わったようだ。

「宏一さん、そろそろですか?」

「ああ、そうだね」

「どうやって行くんですか?」

「バスかタクシーなんだけど、タクシーで行くことにするよ」

「そうですか、じゃあ、駅に行きましょう」

友絵が立ち上がったので、宏一も伝票を持って席を立つ。

 宏一が会計をしている間、友絵は何か不思議な寂しさを感じて

いた。それが何かは分からなかったが。何かが違う、そんな感じ

だった。会計を終わった宏一が友絵の腰に手を回し、ドアを開け

てくれた。外に出るにはもう一枚ドアを通らねばならない。今の

二人は店の外からも中からも死角になっている。友絵が何気なく

ドアに手をかけようとした瞬間、宏一がスッと友絵を抱きしめた。

驚いて振り向く友絵の耳元で

「ありがとう。嬉しかったよ」

と宏一がささやく。宏一はそのまま軽くキスをするつもりだった。

しかし、宏一の唇が近づくと友絵は激しく嫌がった。宏一の手の

中で力任せに抵抗し、

「だめ、いや!、だめです!」

それだけ言うと、宏一の手を振りほどいて外に飛び出す。その拍

子に宏一が持っていたクッキーの小箱が床に落ちた。

 友絵は喫茶店の外に出たところで茫然と立っていた。宏一が

クッキーを拾って出てくると

「あの、ごめんなさい、びっくりして、あの、分からなくて、

急で、わかんなくて、ごめんなさい」

とオロオロして謝るばかりだ。宏一も、友絵が嫌がるとは思って

いなかったので、何を言って良いのか分からなかった。

「ごめんね、突然でびっくりさせちゃったね。気を悪くしないで

ね。さぁ、行こうか」

宏一が歩き出すと、友絵も後から後ろを付いていく。

 『どうして嫌がったんだろう?』自分で友絵は問いかけていた。

宏一の笑顔が見たかったからこそあんなに一生懸命いろんな事を

したのに。しかし、抱きしめられたときは明らかに嫌だった。少

なくとも、あの時は抱きしめて欲しくはなかったし、キスしたく

もなかったのだ。よく分からないが、あそこで唇を求めてくるよ

うな宏一は嫌だった、と言うのがあわてて出した答えだった。少

なくとも、あんな簡単にキスをするような関係にはまだなってい

ない。しかし、自分で宏一との関係を壊してしまったような、取

り返しの付かないことをしたような気持ちになっていた。

 宏一も落ち込んでいた。軽くお礼のつもりだったのが、思わぬ

拒絶に会ってしまった。友絵はまだそれほど自分のことを好きで

はないのだろうか、そんな想いが不安と安心の入り混ざる胸の中

に渦巻く。少し軽々しい行動だった、とは思った。

 駅のタクシー乗り場まで来ると、意外に待っている人の列は短

く、すぐに順番が来そうだった。

「友絵さん、さっきはごめんなさい。本当に」

宏一は丁寧に頭を下げてに謝った。

「あの、図々しいと思うかも知れないけど、良かったら、また会っ

てくれると嬉しいけど・・だめかな・・・」

「宏一さん、一緒にフェリー乗り場まで行ってもいいですか?」

友絵が聞いてきた。友絵は、このまま別れたくなかった。そのま

までは次に二人で会えるかどうかも分からない。今は宏一に嫌わ

れたくなかった。

 洋恵が待っているフェリー乗り場に友絵を連れていきたくなかっ

たが、今はそんな雰囲気ではない。『結局自分で墓穴を掘ったの

かな』そんな風に自嘲気味に自分を笑い、

「いいよ。でも、フェリー乗り場で、付き添っていく家庭教師を

している子とその親に会うけど、それでもいいかい?」

と聞き返す。

「ええ、お邪魔はしません」

友絵はおとなしく答えた。

 友絵を乗せてから宏一も乗り込み、日向行きのフェリー乗り場

を告げる。車が動き出すと、友絵はピッタリと寄り添い、宏一の

右腕を取って抱きしめた。宏一がどうしていいのか迷っていると、

「フェリー乗り場に着くまで、ちょっとこうしてみたかっただけ

です。ごめんなさい」

そう言うと、そっと頭を宏一に預けてくる。この格好では、宏一

はせいぜい左手で友絵の髪を撫でることぐらいしかできない。

 二人はそのままの体勢のままじっとしていた。やがて車が高速

横羽線を過ぎて浮島に入ってくると、車の流れがスムースになり、

スピードも上がる。あと、ほんの数分でフェリー乗り場に着く。

友絵は思いきって身体を宏一に寄せて目をつぶり顔を上げた。今

なら大丈夫、そう思って覚悟を決めていた。宏一は友絵の顔がす

ぐ近くに来たので少し驚いたが、目を見て想いを理解した。その

ままそっと唇を重ねる。友絵の情熱が伝わってくる。ふと、一緒

にフェリーに乗れたら、と考えてしまう。

 車は二人が長いキスを終えてほんの少しでフェリー乗り場に入っ

ていった。いつもはタクシーの中でキスでもしようものなら運転

手に小言の一つも言われる所だが、行き先が長距離フェリー乗り

場なので大目に見てくれたようだ。お礼に釣り銭を断って外に出

ると、出航前のターミナルは騒然としていた。

 既に出航一時間前なので乗船が始まったところで、人や車の動

きが盛んになっている。友絵と一緒に待ち合わせの切符売り場に

行くと、洋恵と両親が見えた。洋恵は一瞬、嬉しそうな顔をした

が、友絵を見つけると急にぷいと横を向いてしまう、そして、じっ

と冷たい視線で宏一をにらむ。分かってはいたが少し面倒なこと

になりそうだ。


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