ウォーター

第五百十部

 
「そうだね。特許とか取った?」
「それは考えたけど、かなり難しいみたい。レシピって特許にならないって言う大前提があるから」
「そうなんだ」
「知ってたんじゃないの?」
「何となく、って言う程度だよ。俺の仕事は特許とは縁が無いから」
「可能性はあるみたいなんだけど、弁理士さんが言うには、今のところ特許が取れる確率は30%くらいだって」
「そうかぁ、それでも、窓の技術が発展すれば、レシピではなくて発明だって言えて特許が取れるかも知れないし、取れなくてももっと幅広く応用が利くかも知れないよね。例えばさ、薬を飲まなきゃいけない人は多いけど、飲むのが苦手な人も多いだろ?窓の技術を使えば食品の中に薬を入れちゃうことだってできるかも知れないよ」
「へぇー、凄いこと思いつくのね。やっぱり宏一さんにはかなわないな」
「まぁ、真面目に考えると、薬を入れちゃったら食品じゃなくて薬品になっちゃうから、スーパーで売れなくなるし。でも、薬の錠剤を飲めなくて困ってる人は多いんだからニーズはあると思うんだ。だから、きっとどこかに突破口があるかも知れないよ。それに、薬品がダメでもサプリとか、とにかく口に入れるものなら何でも考えてみれば良いんじゃないかな?」
「そうね。サプリなら薬品じゃなくて食品だから良いかも」
「うん、面白そうだね」
「でもね・・・・・・・」
舞の表情が暗くなった。何か言いたくないことを言わなければいけないという雰囲気だ。宏一は舞の表情の意味が分からず不思議に思った。
「でも・・・・・・いろいろがんばったけど、この話はここでお終いになるみたい。私、異動になったの」
「えっ?」
「今日、報告会の後で内示を貰ったの」
「どうして?」
「それは・・・・・・・さつま揚げのプロジェクトがうまくいったから、次のフィールドでがんばってくれって言われちゃった。エースが欲しいって言うプロジェクトからご指名が来たって言うことになってるけど・・・・」
「そうなの?」
「エースとかって言われても・・・・・・ね・・・・。さつま揚げをちょっとヒットさせただけだし」
「・・・・・・・・・そうか。それで、どこに行くの?」
「国際航空貨物」
「へえっ?そりゃまたぜんぜん違うね。この会社にそんなプロジェクトがあったんだ」
「そうなの。最近は輸入食材が増えてて、輸送の手配が重要なの。それに、材料の輸送とかはノウハウが要るし、ルート開発とか凄いし、第一、今のメンバーは凄い人ばっかりだし」
「なんか、嬉しそうじゃないね」
「正直に言えば、ね。さっきまでの報告会の打ち上げでは一生懸命笑ってたけど。本当は不安ばっかり」
「そうか・・・・でも、きっと舞さんにとっては良いことなんだろうから、腹をくくって飛び込むしか無いと思うんだよ。きっとしんどさに見合った給料だってもらえるだろうし」
「それはね・・・・一つランクが上がったの」
「良かったね。それなら今日はお祝いだね」
「お祝いしてくれるの?」
「もちろんだよ」
二人がそんなことを話している間に、目の前では何種類もの肉が順に焼かれていった。中にはゲームと呼ばれる狩猟で取った肉などもあり、焼き方も手が込んでいる。宏一は甘くないロゼのワインをボトルで注文すると、舞と会話を楽しみながら食事を進めていった。
ちょうどこの日は1万8千円のコースが無いとのことで、その下の1万3千円のコースにしたが、二人で話しながら楽しみ、舞にはちょうどという感じの量で、肉好きのマスターが丁寧に説明しながら焼いてくれる肉は、二人共既に一回軽く食事を済ませていることもあって少なめの量ながら十分に楽しむことができた。既に二人はそれぞれ飲んでいたのでワインを開けてしまうと程よく酔ったので、そろそろここは切り上げることにした。
宏一がお勘定を済ませている間に、外に出た舞はタクシーを拾った。
舞は運転手にホテルの名前を告げると、それ以上は何も言わなかった。ただ、その意味は二人共よく分かっていた。
「舞さん、東京に来たのは今日でしょ?いつまでいられるの?」
「それが、明後日にはプロジェクトに参加しないといけないから、このまま長崎に行くの」
「そんなに急なの?って、プロジェクトは長崎にあるの?」
「そう、東京から見てると分からないけど、九州の西側ってアジアとの繋がりが結構あって、中国とかには大量の魚や魚介の加工品を輸出してるの。干物から刺身用、さらには活魚まで。うちは輸出はほとんど無いけど、練り物ってアジア中で一般的に食べられてるから窓付きだって高級店向けに売れるらしいの。それに、向こうから輸入するのも帰りの便を使えば安いから、主出拠点の長崎にプロジェクトが移ったの」
「凄いね。舞さん、今度は世界を相手に仕事なんだね」
「そう言えば聞こえは良いけどね。別に海外に行って仕事するわけじゃ無いし」
「そうなの?無いの?」
「たぶん、ね。物流の開発ってそう言う仕事じゃ無いみたいなの」
そんなことを話している間に、タクシーはホテルに着いた。普通のビジネスホテルだ。宏一は、舞が泊まっている部屋がシングルだったらどうしようと思ったが、舞はタクシーを降りると言った。
「部屋は8階なの。でも、先ずそこのコンビニで何か買っていきましょう。飲み直したいの」
そう言うと宏一を誘ってコンビニへと入り、そこで二人は酒とつまみや食事になるものなどいろいろ買い込んだ。
「こんなに買っちゃって食べきれるかなぁ?」
「明日はゆっくりで良いんでしょ?それなら大丈夫よ」
舞は涼しい顔で簡単に言った。定時に出社する必要の無い舞はゆっくりできるが、宏一がゆっくり出社しようと思ったら知恵を絞る必要がある。舞はそれを分かっていて言っているのだ、そうしなさいと。
しかし、宏一は舞と過ごせるのなら少しくらい無理をしても良いと思った。
「うん、分かった。明日はゆっくりするよ」
「朝食は外で食べても良いし、ね」
「それはその時、で良いだろ?」
「そうね」
いつの間にか宏一が泊まっていく話で纏まってしまったが、実は舞はいつ宏一が帰ると言い出さないか内心ドキドキだった。自分の昇進祝いの飲み会をさっさと切り上げてきたのも早く宏一と過ごしたかったからだ。
仕事が忙しくてなかなか戻って来れなかったが、その間も舞は宏一に抱かれた最後の夜のことを忘れたことは無かった。そして、そっと部屋で宏一にもらった物を使ったことも一度や二度では無かった。モデル体型で仕事もできる舞には向こうでいろいろ話があったが、舞はそれには全く見向きもせずに仕事に邁進した。それは、宏一に抱かれる日を待っていたからだ。そして、やっとその日が来たのだ。
ギリギリまで宏一に連絡しなかったのは、あちこちに用事ができたりトラブルが起こったりで連絡できなかったからだ。だから舞は宏一は時間を作ってくれるものだと勝手に信じ込むしかなかった。それ以外にこの仕事を乗り切る自信は無かったのだ。
舞は宏一を部屋に入れた。ダブルベッドではなく、ツインルームだ。
「ダブルだと部屋が狭くなるの。だから・・・・ツインでも良いでしょ?」
「うん、一緒ならどっちでも関係ないからね」
「先にシャワーを浴びてきて。こっちの準備をしておくから」
舞はそう言って宏一をシャワールームへと押し込むと、窓際の小さな応接セットに買ってきたものを準備し始めた。その袋には宏一が買った替えの下着も入っている。舞はそれを眺めながら、本当に宏一と泊まる日が来たのだと実感した。
ふと舞は宏一が持ってきた紙の手提げに目を留めた。宏一が自分と会う前に買ってきたものらしい。しかし、プレゼントという感じではなさそうだ。舞は後で聞いてみることにすると、自分の着替えの準備を始めた。
やがて宏一が上がってくると、舞は着替えを持って代わりに入った。宏一は舞が準備してくれたものを眺めながらビールで喉を潤す。昨日の由美を始め、宏一の相手には若い子が多い中で、舞は唯一の年上だ。もっとも、宏一くらいの年になると年上も年下も普通は余り変わらないものだが、中高生に比べれば舞は圧倒的に大人だ。由美は洋恵とは一回りも年が違う。その分、宏一は気を楽に持てるし、舞は宏一への配慮がとてもスマートだ。
宏一はこれから過ごす夜が楽しみだった。
やがて舞はシャワーから上がってきたようだが、洗面台でしばらく時間が掛かっているようだった。さすがに大人の女性だなと思いながら宏一はタバコに火を付けた。そう言えば舞は吸わないのにこの部屋が喫煙室なのも舞の心配りだ。宏一は大人の舞の心配りに感謝しながらタバコに火を付けた。
紫煙をくゆらせていると舞が戻って来た。既に宏一と同じ部屋着に着替えている。たぶん、部屋着では無く下着に気を遣っているのだろうと気が付くと、宏一はベッドが楽しみになって肉棒に力が籠もってきた。
「宏一さん・・・・・・」
舞は宏一の側に来ると、自然に宏一が立ち上がり、そのまま抱き合ってキスを始めた。何もそんな前触れはなかったのに、そうなることが決まっていたみたいだった。
「もう・・・・いきなりなんだから・・・・・・」
舞はまるで宏一がいきなりきすをしてきたかのように言った。
「そう?ごめんね」
「バカ、どうして謝るのよ。私から誘ったのに」
「そうだっけ?」
「もう、本当に最高なんだから」
二人はそのままもう一度キスをした。
「甘えたいの。いろんな事、忘れさせて」
舞はキスの合間にそう言った。やはり、よほど仕事のストレスが溜まっているのだろう。宏一はできるだけ答えたいと想い、気持ちを込めてキスをした。二人の濃厚なキスがしばらく続くと、やっと舞は気持ちが落ち着いてきたらしい。静かに唇を離し、そっと離れた。宏一はこのままベッドに押し倒すべきかと思ったが、舞がシャワーの前に簡単な鮭の準備をしてくれていたので、舞を応接セットに座らせた。もうここまで来ればいつでもベッドに入れるからだ。そして舞は、気になっていた宏一の紙袋のことを聞いてきた。
「ねぇ、宏一さんが持ってきたあの紙袋、聞いても良い?なあに?」
「あぁ、あれね。それは後で。せっかく舞さんが準備してくれたんだから、先ずはさっきのお酒の続きをしようよ」
「そうね」
舞は肩透かしを食った感じだったが、楽しみは後でと思い、酎ハイで乾杯した。コンビニで買ってきたとは言え、おつまみは結構豪華だ。定番のチーズやチャーシューの他、冷凍食品をレンジで温めてきたのでピザや担々麺まである。宏一はピザの箱を開けると、一切れ舞に差し出した。
「ピザで良い?」
「もちろん」
「お腹の具合はどう?さっきのでいっぱいになった?」
「お肉は美味しかったし、珍しいのが色々あったけど、量としてはちょっと少なかったかも?でも、イノシシとか鹿とかあったし、さすがにウサギはちょっと抵抗があったけど、食べてみたら美味しかった」
「ウサギはフランスとかではポピュラーだけど、こっちでは食べないものね」
「こっちではって・・・・どこ?」
「アジア全般はあんまり食べないよ」
「ふうん、イノシシや鹿は食べるのにね」
「そうだね。舞さんはイノシシや鹿は食べたことある?」
「有るわ。営業だから話題になるものはたいていね」
「それじゃ、珍しいものも食べた?」
「珍しいかどうかはわかんないけど、北海道の人からトドの缶詰って言うのをもらったことがあるけど・・・・・あんまり美味しいものじゃなかった」
「トドとは凄いね」
「ねぇ、宏一さんは珍しい肉って、何を食べたことがあるの?」
「珍しいと言えば虎かな?」
「トラ?食べられるの?」
「そうみたいだね。もの凄く弾力がある牛肉って感じだったよ。脂はのってたし、味も牛肉に近かったかな。もっとも、本当にトラかどうかは分からないけどね。レストランを信じるしか無いから。まぁ値段が高かったから、そうなのかも知れないね。それくらいかな?珍しいものって」
「どこで食べたの?」
「アメリカのロシア料理の店」
「そんなところにも行ってたの。他には何かある?」
「後はそんなにないよ。せいぜい、ワニとかかな」
「それもアメリカで?」
「うん。アメリカ南部にはワニは普通に川にいるから、そんなに不思議なものじゃないよ。普通のレストランにあるし、値段も安いよ」
「宏一さんて本等に不思議な人なんだ」
「仕事だよ。しばらくの間だけだったけどね。でも、その不思議な人って言うのは、舞さんの感想なの?」
「私は不思議って言うより・・・・・・・暖かい、かな?」
「それじゃ、その不思議って言うのは誰の感想?」
「それは内緒・・・・・・って言うのは失礼な話だから、こっそり教えてあげる。会社の女の子で間での評判なの」
「へぇ、そうなんだ。以前、斉藤さんて言う女の子と仕事してたとき、ちょっと俺の評判とか聞いたことがあるけど、不思議って言うのは無かったなぁ」
「あぁ、あの子ね。辞めて岡山に行ったんだっけ」
「よく知ってるね。ずっと鹿児島にいたのに」
「女の子のネットワークは地球だって越えちゃうのよ。でもあの子のグループのことはよく知らないな」
「それじゃ、舞さんのネットワークってどこら辺なの?」
「営業の海産物加工品とか受託加工とか」
舞はだんだん話が気持ちとは別の方向に行ってしまう気がした。



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