ウォーター

第五十五部

 

「三谷です。何でも、6時頃から調子が悪くなったとか」

宏一が詳しく話を聞くと、最初、データの書き込みが出来ないと

言うトラブルが起こり、サーバーの管理プログラムを元に戻そう

として失敗したらしい。

「何でそんな事したんですか。第一、パスワードは私と3人の営

業部長しか知らないはずでしょう」

「は、そうなんですが、木下部長がどうしてもすぐに直すにはこ

れしか方法はないっておっしゃって」

と若い営業マンがすまなそうに言う。

「木下部長が?どうして。コンピューターの事なんて何にもわか

らないでしょうに」

「私たちもそう言って止めたんですけど、簡単だからって」

「それでは、最初に書き込みが出来なくなったと気が付いた人に

代わって貰えますか?」

話を聞くと別の人に代わって、いつもの操作で営業データを入力

しようとしたら出来なかったという。

「わかりました。木下部長に確認したいので、代わって貰えます

か」

宏一は腹が立った。管理プログラムなんて、そう簡単にいじれる

ものではない。そんなことが簡単にできるのなら、誤操作、ウイ

ルス、不調などの理由でいつでもプログラムが変わってしまうで

はないか。どうも厄介なことになったと思って木下部長と話をし

た。しかし、何というファイルをどうしようとしたのか、それを

なかなかはっきりと言わないので、話が堂々巡りになってしまう。

 宏一は弱ってしまった。これを解決するには宏一の手元にどう

してもコンピューターが必要だ。荷物の中にはポケットサイズの

ものが入っているが、通信速度も遅く、何と言っても画面が小さ

い。これでは不可能ではないにしても、もの凄く時間がかかるだ

ろう。

「わかりました。これから少ししたらパソコンでアクセスします

から、営業の全てのパソコンをオンにして、そのまま絶対に触ら

ないで下さい。時間がかかるかもしれませんが、こちらから連絡

するまで、絶対にそのままにしておいて下さい」

そう指示を出すと、何時まででも待っているという。

 そこで一旦電話を切ると、パソコンを探しにフロントに相談す

るために部屋を出た。すると、少し離れたところでめぐみが他の

部屋の膳を下げているところに出会った。

「あ、三谷さん、もう少し待ってて下さい。お酒を持っていきま

すから」

「いや、めぐみちゃん、困ったことになったよ。どうしてもパソ

コンとインターネットを使いたいんだけど、ホテルに貸し出し用

のパソコンなんてある?」

「ホテルにはありませんけど、お姉ちゃんが持ってますよ。聞い

てみましょうか?」

「助かるよ。絶対に中味を変えないから、しばらく貸して貰えな

いかな」

宏一の真剣な様子から、めぐみは事情を察してくれたようだ。

「それじゃ、部屋で待ってて下さい。これが終わったらすぐにい

きますから」

めぐみはそう言うと、膳を下げに行った。

 おとなしく部屋に戻ると既に酒用のつまみを残して膳は下げら

れ、布団が敷かれていた。宏一は、めぐみが来るのを待ちながら、

どうしてこんなことが起こったのか考えてみた。しかし、営業の

使うプログラムは重要度が高いので、こちらに来る前に何度も動

作確認をしたし、実際、営業部では通常の作業に使っていた。そ

の時は何の問題もなかったし、メインテナンスでも問題は発見さ

れなかった。いくら考えても宏一には原因が思い当たらなかった。

少しすると、めぐみが姉のノートパソコンとインターネットプロ

バイダーへの接続用の番号を書いた紙を持って宏一の部屋に来た。

「これで良いですか?」

「助かるよ。ありがとう。これで会社にアクセスできる」

「あの、良かったら見ていても良いですか?お邪魔はしませんか

ら」

「ああ、良いよ。これがないと大変なことになったんだから、じっ

くり見ててね。でも、解説までは出来ないよ」

「はい。三谷さんの仕事が見たいだけですから」

そう言うと、めぐみは座敷テーブルの反対にちょこんと座った。

 いよいよ仕事だ。

「さぁ、まずは部屋からインターネットに繋がるか、だ。ホテル

で古い交換機を使っていると、部屋からじゃダメなことがあるん

だ」

宏一はそう言いながら部屋の電話機のプラグを抜いてノートパソ

コンを繋ぎ、インターネットに接続してみる。どうやら大丈夫な

ようだ。

会社のサーバーにアクセスして管理者用のパスワードで入り、シ

ステムの状態をチェックする。すると、一台だけアクティブになっ

ていないパソコンがあった。営業三課のものだ。宏一はすぐに電

話をして、そのパソコンの電源を入れるように指示した。

 全てのシステムチェックが終わると、いよいよ原因の特定に入っ

た。他の営業のデータの入っているファイルにアクセスすると、

直接ならデータファイルには問題なく書き込みは出来る。という

ことは、パソコンのOSや機械的なトラブルではないようだ。そ

れから、営業のデータ管理プログラムの問題なのだろうと当たり

を付けていろいろ調べていく。すると、確かに営業データ管理プ

ログラム上から普通に書き込もうとすると、エラーが出て書き込

めなくなる。

宏一は管理者用のエラーメッセージの入ったファイルを調べ、原

因を特定することができた。どうやら、営業のデータ管理プログ

ラムが古いバージョンに上書きされたらしい。調べてみると確か

に営業管理の一連のプログラムが古いバージョンになっている。

データファイルに書き込みをおこなう際に、古い管理プログラム

から書き込みをおこなおうとしたので、認識上は違うプログラム

からのアクセスとしてエラー処理されてしまったのだ。

 宏一はこの旅行に出る前に、万が一宏一の不在中にシステムに

トラブルが起こった場合にシステムを再インストールできるよう

に、パスワードと一緒にシステムの入ったCD−ROMを各部長

に渡してきた。それは、ちゃんとアップグレードしてあるものだっ

たが、そのパスワードを使って古い方のシステムを入れたらしい。

 宏一は管理者権限で変更されたファイルを元に戻すと、いくつ

か確認のためにあちこちのパソコンにアクセスしてファイルの内

容を確認し、終了操作をしてから最後に借りていたパソコンの電

源を切り、東京に電話をかけた。

「三谷です。ああ、新藤さん、総務部長に代わって貰えますか?

あ、三谷です。いえ、大丈夫です。宿の方が親切にパソコンを貸

して下さったので、早く原因が分かりました。夕方5時42分の

状態に戻しましたので、それ以降に書き込んだデータが無効になっ

ています。改めて書き込みをお願いします」

そう言って宏一はなるべくわかりやすく原因を報告した。部長は

早々に宏一の指示を伝えてから、じっと報告を聞いていたが、最

後に一言、

「大体の原因は分かった。それでは、どうしてその変更をしてし

まったのか、推測できるかね?」

と聞いてきた。

「良く分かりませんが、どうやらプログラムを書き換えた人が、

古いプログラムの方を使用したい何かの理由があったのではあり

ませんか?それ位しか今は言えませんが。いえ、使いやすさや何

かは全く変わっていません。確かに新しく追加された機能はあり

ますが、削除されたものはありません。だから、積極的に元に戻

す理由は思い当たりませんが」

宏一がそう答えると、総務部長は正常に書き込みが出来るように

なったと報告があったことを告げ、丁寧に休暇を邪魔した非をわ

び、改めて後日礼をしたいといって電話を切った。

 「ご苦労様でした」

先程の酒が程良く回ってきたのか、少し赤い顔をしているめぐみ

がニッコリと笑って宏一に話しかける。

「おかげで助かったよ。ありがとう。申し訳ないけど、これを返

してきて貰える?」

「姉貴は明日まで使わないといってましたから、急がなくて良い

ですよ。すぐにお酒を持ってきますね。そしたら、三谷さん、私

にパソコンを教えて貰えませんか?」

「それはかまわないけど、良いの?」

「全然かまいませんよ。それじゃ、約束ですよ。すぐに戻ってき

ますね」

めぐみは楽しそうにいうと、部屋を出ていった。

 宏一がインターネットで天気予報を見ていると、めぐみは冷酒

をポットに入れて持ってきた。ちゃっかりお猪口は二つあった。

めぐみは携帯からインターネットにアクセスするようだが、なか

なか上手く目的のサイトが見つからないことを嘆き、宏一に何か

良いアイデアがないかを尋ねてきた。

宏一は、座敷テーブルの真ん中にパソコンをおいて、その手前に

おつまみとなる刺身や蒸しものを置き、隣に座っためぐみに操作

させながら冷酒を楽しみ、新鮮な魚介類を堪能した。もう冷めて

しまったが、地獄蒸しの味はやはり絶品としか言いようがない。

だいぶ腹はいっぱいだったが、意外に食べられることに宏一自身

も驚いていた。

 関サバの刺身や新鮮な魚介類の蒸しものだけでも東京の人間に

は最高の贅沢なのに、それに加えて美人の高校生を相手に酒を飲

んで楽しくないわけがない。めぐみは宏一の話を熱心に聞きなが

ら、時々料理に嬉しそうに手を出していた。めぐみも少しずつお

酒を飲んでいたので気分が良くなってきたのだろう、だんだん開

放的になってきたようだ。少しずつ身体が宏一に近づいてくる。

「そうか、こんな風にすれば確かに効率的に探せますね。闇雲に

検索してもダメなんだ」

「そうさ、何にでも上手なやり方ってものはあるよ。もし、プロ

グラムをダウンロードして良いのなら、もっと効率的なのもある

よ」

「それも教えて下さい。姉貴には言っておきますから」

「検索専用のプログラムがあるんだ。高機能のやつはお金がいる

けど、機能の少ないやつはただで使えるんだよ。それだって大し

たもので、いくつもの検索サイトに同時にアクセスして、扱いの

大きい順や、複数のサイトで見つかったものなんかを全部整理し

て優先順位を付けて表示してくれるんだ。5倍くらい検索が早く

なるよ」

「わぁ、すごい。それ、教えて下さい」

 めぐみは、検索処理ソフトの威力に驚き、何でもすぐに出てく

ると言って大喜びだった。しばらくは、大喜びでいろいろなホー

ムページを見ていためぐみだったが、少しずつ酒が回ってきたよ

うで、しばらくするとだいぶ大人しくなってきた。

「めぐみちゃん、こんな所で満足したかな?」

「ええ、でも、これで何でも探せるようになったけど、探せない

ものもありますよね」

「え?大抵のものは探せると思うけど」

「私の恋、なんて無理だろうな」

めぐみは少しとろんとした顔で宏一に微笑んだ。

「めぐみちゃん、それは自分で手探りした方が楽しくない?」

「そうかしら?三谷さん、探せる?」

めぐみは宏一の肩に頭をもたげ、宏一にピッタリと寄り添った。

 「めぐみちゃん、眠いの?」

「三谷さん、私のこと、どう思う?私を抱きたい?いいのよ」

宏一は驚いた。まさかめぐみから誘ってくるとは夢にも思わなかっ

た。そんな女の子には見えなかったので、二人で楽しく話をして

終わるものだと思っていたのだ。しかし、このまま押し返すのも

変な気がした。めぐみの背中に手を回し、そっと膝の上に横抱き

にする。

「怒らないの?」

めぐみは少し怯えたような目で宏一を見上げる。

「どうして怒るの?こんな可愛い子が腕の中にいるのに」

「嬉しい。でもね、三谷さんはこれ以上は何もしない」

「どうして?俺がオオカミになったら?」

「それでも出来ないわ。嘘だと思ったら、試してみてもいいです

よ」

めぐみは少し悪戯っぽく、でも少し哀しそうに言った。

 宏一はその時、仲居の格好をしているめぐみの和服を脱がす方

法を知らないことに気が付いた。ぴっちりと帯を締めているので

胸元に隙間はない。裾を分ければパンティーに触ることは出来る

だろうが、めぐみは襦袢をきっちりと膝で挟み込んでいるのでそ

れも不可能だ。俯せにして帯をほどけば脱がせるかとも思ったが、

帯留めは身体の正面にあるので一度には出来ない。確かにこのま

までは何もできない。

 めぐみは宏一が困っている様子を見ると、

「ね、分かった?私はこの服を着ている限り、好きな人に抱いて

もらうこともできない。恋なんて出来ないの」

そう言うと、宏一の腕の中で静かに泣き始めた。めぐみが泣いて

いるのを見て、宏一にはめぐみの言いたいことが分かったような

気がした。確かにこうやって家業の手伝いをしていれば恋をして

いる暇、いや、自分のプライベートな時間を持つことさえ大変だ

ろう。きっと、今まで何度も手伝いのために涙を呑む思いをして

きたに違いないと思った。



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