ウォーター

第六十部

 

フロントに出てチェックアウトを頼み、カードで支払ってから

ロビーを通り抜けようと歩いていくと、ロビーの一角から突然聞

き慣れた声が聞こえてきた。

「宏一さん、おはようございます」

「エッ?史恵ちゃん?え?来たの?」

「はい」

「あーびっくりした」

「私が来たら都合が悪かったの?」

史恵はにっこり笑っていたずらっぽく言い返した。

「そんなこと無いよ、とにかく車に乗ろう」

そう言って史恵の荷物も車に積むと、車を国道に走らせた。

「あのね、ずーっと待ってたんだよ。いつ来るかと思って」

「実家にいってたんです」

「実家?福岡の?」

「うーんとね、最初から話しますね。バスが延岡に着いたときは、

もう鹿児島方面の電車はなかったんです。でも、夜行の博多行き

はあったから、鹿児島の家に帰るのはやめて実家に帰ることにし

たの。それで、次の日の朝、実家に着いて、今日の朝一番の列車

でこっちに来たんです。宏一さんが別府に泊まっているのは知っ

てたから。予定は変えないでって言ってあったでしょ?」

「それじゃ、今日は何時に起きたの?」

「5時」

「それじゃあ眠いだろう」

「全然。だって、宏一さんが何時にここを出るか分からなかった

から、ゆっくり電車の中で寝て何かいられなかったもの。駅から

タクシーでここまで来て、駐車場に私の車があるのを見たらホッ

としたの」

「それなら部屋に電話すればいいのに」

「いいの。もう会えたんだから。でも、もしかして途中で少し眠

くなったら目をつぶってもいい?」

「もちろんいいよ。今日は長いドライブだから、疲れたらいつで

も寝て良いよ」

「宏一さんは眠くないの?」

何気なく聞いた史恵の言葉にどきっとしたが、

「それ程でもないけど、もしかしたら慣れない車での長距離で少

し眠くなるかもね。でも、安全運転でいくから心配ないよ。疲れ

たらちゃんと休むから。どうして?」

「ウウン、何でもない。聞いてみただけ。やっぱり宏一さんだわ。

あーあ」

史恵は少し背伸びをした。宏一は特に気にもとめず、

「それはそうと朝ご飯は食べたの?」

「まだ。宏一さんは?」

「そう言えば食べてこなかったな。忘れちゃったよ」

「それならドーナツでも買いましょうか」

史恵はそう言うと、国道沿いのミスドでドーナツをいくつかと飲

み物を買った。

 それからは、車の中で二人の会話が弾んだ。宏一は史恵とやっ

とゆっくりとした時間が持てたような気がしていたし、史恵は宏

一を捕まえることができて安心して甘えられるような気がしてい

た。

「史恵ちゃん、お昼はどうする?何か食べたいものがある?」

「うーん、せっかく二人なんだから、何か記念になるようなもの

が良いな。あまり普通の食事だと、またこの前みたいに失敗しそ

うな気がして。でも、豪華なものじゃなくて、ちょっとしたもの

がいいの」

「一昨日はごめんね」

「ウウン、私が悪かったの。あれからよく考えてみたの、どうし

てああなったんだろうって。何か分かった気がする」

「教えて。俺も今後は気をつけるから」

「宏一さんに甘えすぎていたみたい。全部してくれて当たり前っ

て。でも宏一さんは私にも協力して欲しかったから行き違いがで

きちゃったと思うの」

「俺が全部した方がいい?」

「ううん、二人で話しながらの方が良い」

「ありがとう、俺が考えたのはね、史恵ちゃんは軽い気持ちでご

く普通に文句を言っただけなのに、俺が過剰に反応したからよけ

い史恵ちゃんが怒ったんだろうなってこと」

「私が普通に?怒るのが?」

「ええと、もっと史恵ちゃんのことを良く理解していれば、ちゃ

んと余裕って言うか、あんなに俺が怒らずに対応できたのにっ

て言うこと」

「よく分からないけど何か、でも、なんかとっても嬉しいな」

「どうして?」

「分からないけど、うーん、例えて言えば、やっと宏一さんに会

えたくらい」

「それじゃ、俺の方が良くわかんないけど、だったらチュってキ

ス位してくれても・・」

「運転中はダメ。事故起こすわよ」

「そうか、残念」

「でも、どこかに入ってくれれば・・・」

「道路沿いのモーテルでもいいの?」

「もちろん」

「でも、このまま入ったら、なかなか史恵ちゃんを放さないかも

しれないよ」

「良いんじゃないの?」

「そうなると、今日の予約のシーダイナまで戻るのが間に合わな

いかもしれない」

「それは困ったわね」

「今から入ればお昼だって食べられないし」

「そうか、ダメかな。宏一さんに会う前に気持ちの準備はしてき

たのに」

「お昼を食べた後にしようか。そうすれば時間も読めるから」

「そう、宏一さんがそういうのならそれで良いわ」

 そのまま二人はドライブを続け、国道10号線沿いに南下して

行った。この国道は九州の東側を走る基幹道路であるにも関わら

ず、意外に海の近くは通らない。のんびりと山道を走っているう

ちに昼近くになった。

「史恵ちゃん、どこでお昼を食べようか?何か希望ある?」

「もし、わがまま言ってもいいなら、お寿司が食べたい」

「お寿司か、この辺りは山の中だけど、もうすぐ港町に出るはず

だよね」

「えーと、あるある。港に行ってみましょう。きっと何かあるわ」

宏一は道路のサインに佐伯を見つけると、

「後少しだね、佐伯まで」

と言った。

「宏一さん、なんて言った?」

「佐伯まであと少しだって・・・」

「サエキじゃなくてサイキですよ」

「そうか、ごめんよ。史恵ちゃん来たことあるの?」

「う〜ん、小さい時に一度来たような気もするけど・・・良くわ

かんない」

「港に行けばお寿司やさんがあるかなぁ」

「行ってみましょう」

宏一は佐伯の街に入ると港の方に車をゆっくり走らせた。しかし、

港付近にはあまり店はないようだ。

「宏一さん、駅の方に行ってくれます?」

「え?あ、良いけど。何かあてでもあるの?」

「良くわかんない」

それでも、標識を目当てに駅を目指してゆっくり走ると史恵は再

び、

「そこを右にまがってもらえます?」

と言った。

「ああ、ここだね。え?変わった名前だね『うまいもん通り』な

んて」

「ここなら何か探せるかもしれないわ」

宏一は近くに車を止めると史恵と歩き出した。

「良く知ってたね。この街の通り」

「なんか覚えてたの。小さいときにおばあちゃんと来たことがあ

るみたい。でも、それが佐伯だったなんて初めて知ったわ」

「そうか、昔の記憶って断片的だものね」

「後は宏一さんが探して下さいね」

「ガイドブックには何もないの?」

「いくつかはでてるみたいだけど、扱いが小さくて良くわかんな

いの。それでも良ければいくつかは載っているけど・・・」

「良いよ、店の前に行ってみて雰囲気が良ければ入ることにしよ

う」

宏一達はいくつかの店の前を通り過ぎ、お昼過ぎに一つの寿司屋

に入った。

 「へい、らっしゃい!お席はカウンターもテーブルも、奥に座

敷も空いていますが、お好きな所へどうぞ」

店の板さんが威勢の良い声をかける。

「とりあえずカウンターにしようか」

そう言って席に着き、お薦めのものから握ってもらうことにした。

「史恵ちゃん、どうしてお寿司にしたの?」

「だって宏一さんはお寿司大好きでしょ」

「良く覚えてくれていたね」

「だから、宏一さんが気に入ると思ってお寿司にしたの」

「ありがとう。何も史恵ちゃんが言わなかったらカレー屋さんに

でもしようと思っていたんだ。史恵ちゃんの好物だから」

「うわぁ、ありがとう。嬉しいな。お寿司にして良かった」

「どのようにしましょう?」

板さんが尋ねるので、

「それじゃ、特上くらいの値段でネタはお任せしますから、二人

分握って下さい」

と注文する。

二人は、この辺りの名物を握ってもらい、驚きの連続だった。

「へい、ひおうぎ貝です」

「中味は普通だけど、殻を見ると何かカラフルなホタテっていう

感じだね」

「こちらの名物の鯖になります」

「サバ?締めなくても食べられるんですか?」

「こちらのすぐ近くは関サバの産地ですから」

「そうなんだ」

最初は少し不思議そうにしていたが、一口食べると史恵は美味し

い美味しいと言って食べ始めた。宏一も食べてみたが、さすがに

名物と言われるだけ合って、サバとは思えない身の締まりで脂が

乗っていてとても美味しかった。

「他には何か、ここの名物のようなものはありますか?」

「ウツボのタタキなんかいかがですか?少しお値段は張りますが

ここでしか食べられないのは間違いないです。さっき上がったばっ

かりですから」

「ウツボ???タタキで食べられるんですか?是非お願いします」

宏一は初めて聞く料理に興味津々だった。ウツボに良く似た太刀

魚は良く焼いて食べるが、ウツボ料理は初めてだった。しばらく

して出てきた皿は、どちらかというと鶏肉に似たピンク色の身が

華状に並べてあり、食べてみると外見からは想像もできないくら

い脂の乗った上等の白身だった。

「これ、すごく美味しいね」

「そうね。一つ覚えちゃったな」

史恵も上機嫌で食べている。

「おばあちゃんには食べさせてもらわなかったの?」

「こう言うのは酒の肴だから、子供が食べるなんて無理よ」

と史恵は笑って応える。

「済みません、この辺りは日本酒と焼酎とどちらが有名なん

ですか?」

宏一が尋ねると、

「日本酒ですかね。しかし、焼酎も置いてありますよ」

「それじゃ、お勧めの日本酒を一本頂けますか?」

宏一が嬉しそうに言うと、史恵は、

「宏一さん、車の運転があるんでしょ、掴まったら大変よ」

と口を尖らせて怒る。

「そうだなぁ、食事の後に少し休憩してから出ればいいよ。

急がなくても夜までには着くし」

「よろしかったら二回のお座敷でお休み下さい。空いてますから」

と板さんもあまり気にしないようだ。

「じゃあ、一本だけ」

と言って地酒を出してもらった。少し癖のある酒だったが、刺身

には良く合う酒で、

「一口だけ」

と言ってお猪口を差し出した史恵もお代わりをしてしまい、結局

軽く二本飲んでしまった。寿司自体も色々工夫がしてあり、何だ

かんだと言いながら史恵と二人で食べているとあっという間に時

間が過ぎていった。



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