ウォーター

第六十一部

 

 食事が終わって二階の座敷に上がると、窓から外を眺めてみた。

港町とは言っても、海に面しているわけではないから普通の家並

みが見えるだけだ。

宏一は座布団を2列に並べると、史恵と並んで横になった。それ

でも宏一は窓からしばらく外を眺めていたが、史恵はすぐに座布

団を丸めて枕にすると、すぐに横になって目をつぶってしまった。

のどかな景色を見ながら出されたお茶を一杯飲んだ宏一も、満腹

感とほろ酔い加減で次第に眠くなってきたので、史恵の横に同じ

ように座布団を枕にして横になると、昨夜の睡眠不足もあってす

ぐに眠りに吸い込まれていった。

 「宏一さん、起きて」

史恵の声で宏一は目を開けた。すると、すぐ目の前に史恵の顔が

あった。そのまま抱き寄せてキスをする。史恵はおとなしく唇を

重ね、宏一の舌が入ってきても嫌がらずにそっと絡めてきた。

しばらく、無言でお互いの唇を求め合う。宏一がそのまま史恵の

胸に手を当てても特に嫌がる風でもなく、しばらく宏一に身体を

探らせていた。やがて唇を離すと、

「宏一さん、もうすぐ3時よ」

と抱かれたまま史恵が言った。知らない内に寝入ってしまったら

しい。身体を起こすと史恵は少し乱れた服を直しながら、

「宏一さん、港から船で島に渡れるのよ。行ってみましょうよ」

と言う。

「う〜ん、今から行くと宮崎に着くのはかなり遅くなっちゃうね」

「そうか・・・。ねぇ、宏一さん、どうしても宮崎に行きたい?」

「え?そんなことはないよ。特に理由があって決めた訳じゃない

から。どうして?」

「確か、公営の宿が島の中にあると思うの。ここの島だと思うん

だけど、前にニュースで見たような気がするの。新しく宿泊施設

がオープンしましたって。良くわかんないけど」

「それじゃ、シーダイナをキャンセルする?」

「してもいい?」

「いいよ、必ずいきたい分けじゃないんだから。史恵ちゃんが行

きたいところなら、それが一番だよ」

「ありがとう、宏一さん」

史恵はにっこりと笑った。

「でも、宿が取れるかどうかを確認しなきゃね。それからシーダ

イナをキャンセルしよう」

「下に行って電話番号を聞いてくるわ、待ってて」

史恵はそう言うと下に降りていった。宏一は窓から外を眺めなが

ら、『何か想い出でもあるのかな、小さいときの』と、のどかな

街並みを眺めながら想像していた。

『多分、想い出と言っても小さいときのものだろうから、ずいぶ

ん前のことなんだろうな』などと考えていると、史恵が小さな紙

切れを持って戻ってきた。

「見つかった?」

「ええ、あったんだけど、店の人の話では混み合っているから当

日の予約は無理なんじゃないかって」

「でも、聞いてみないと分からないじゃない。電話して見ようよ」

宏一が紙に書いた番号に連絡してみると、ちょうどキャンセルが

入ったばかりなので一部屋空いているという。さっそく申し込ん

で宿への行き方を確認してから電話を切った。

 「うわぁ、あそこに行けるんだ」

史恵は何かを懐かしむように窓の外を見た。

「良かったね。予約が取れて」

宏一はシーダイナにキャンセルの電話を入れながら史恵に話しか

けた。

「宏一さんとこんな旅行をしたからここに来れたんだ。宏一さん

を追い掛けてきて本当に良かった」

「・・・あ、はい、申し訳ありませんでした」

宏一は電話を切ると、

「3時前のキャンセルだったから簡単だったよ」

と宏一は史恵に言った。実際にはちゃんとキャンセル料を取られ

たのだが、史恵には黙っていることにした。

 二人は寿司屋を出ると港に向かい、港に車を置いて連絡船と言っ

た趣の船で島に向かった。港から見た島はすぐ近くに見えたが、

船に乗って港を出てみると意外に距離があるようだ。しばらく海

の上を走っていた船が着いた港は、想像していたよりもずっと大

きな港で、これが小さな島なのかと言うくらいに普通の港だった。

 港から宿までは2キロくらいあるという。歩こうかタクシーで

も使おうかと思ったが、何ともっと小さな船がタクシー代わりに

島を回っているという。ちょうど良い時間だったので卸と呼ばれ

る船で宿のある港に向かった。

港から宿まではすぐだった。案内表示に従って二人は管理棟に行

き、家族棟と呼ばれる部屋の鍵を受け取る。どうやらここは、管

理棟で食事や大浴場で入浴をするシステムのようだ。管理人が、

「運が良かったですね」

と言ってくれる。通常は満杯で、かなり前から予約しないと家族

棟が取れることはないようだ。

とりあえず部屋に入って荷物を下ろし、一服することにした。家

族棟は真っ白できれいな一軒家で、バストイレ付きだ。

 部屋に入ってカーテンを開けてエアコンを入れ、荷物を下ろし

てからとりあえず腰を下ろす。エアコンが効いてくる頃、史恵が

御茶を入れてくれた。

「宏一さん、一度こんな所に来てみたかったんだ。なんか、とっ

ても気分がいいな」

「そう?確かにラッキーだったみたいだね。こんな良いところで

料金も安いし、簡単に取れるはず何て無いもんね」

「うん、本当にラッキーだった」

「あのまま、あの寿司屋から出発していたら、こんな良いところ

に泊まれたかどうかわかんないね」

「ちょうどなんか思い出したの。昔おばあちゃんに連れられて島

に渡ったのを。でも、こんな宿があるなんて知らなかった」

「そりゃそうだ。この宿、結構できてから新しそうだよ」

「そう、2年くらいかなぁ、全然古くないわね」

「史恵ちゃんのおかげだね」

「そうかも知れないけど、やっぱり宏一さんのお陰。だって、宏

一さんがもともと旅行に誘ってくれたんだもの」

「でも、別府の宿を決めたのは史恵ちゃんだよ」

「私、宏一さんじゃなかったら、絶対に実家から戻ってきたりし

なかった。私をその気にさせたのはやっぱり宏一さん。実家に帰っ

たときは、もう別府で宏一さんに追いつくって決めてたもの」

「そうなの?」

「うん、私、高千穂峡からバスに乗ったとき、本当は単に一人に

なりたかっただけなの。ちょっと一人になって考えたかったの」

「てっきり嫌われたもんだと思ってたよ」

「私が?宏一さんを?」

「だって、すごかったよ、あの時の史恵ちゃんは。どれだけ言っ

ても一緒に泊まってくれなかったじゃない」

「そんなに言ったっけ?そうかしら?」

「全然聞いてもらえなかったよ」

「私は宏一さんが待っててくれるって解ってたから心配はしなかっ

たの。予定通りに回ってくれるのは分かってたから」

「何だ、俺だけ心配してたの?バカみたいだね」

「そう言わないで。反省してるんだから。ごめんなさい」

史恵はぺこりと頭を下げた。気の強い史恵が頭を下げるなど見た

ことがなかった宏一は少し驚いたが、史恵の素直な態度にこの旅

行に来て良かったと思い始めていた。

 「史恵ちゃん、これからどうしようか?疲れた?元気があれば

貸し自転車で近くを回ってみるのも面白そうだよ」

宏一は窓際に行って外を眺めながら史恵に訊いた。史恵は、無言

で立ち上がるとそっと宏一の横に来て、

「宏一さんが外に出たいのならそれでも良いけど・・・」

と言ってカーテンを閉めると宏一の頸に手を回し、目をつぶった。

 宏一は唇を重ねながら史恵を抱きしめると、史恵の希望を叶え

ることにした。そのままそっと史恵を抱き上げ、畳の上に横たえ

ようとすると、

「待って、あそこにお布団があるから・・」

と史恵は立ち上がり、押入の中から二人分の敷き布団を引っ張り

出し、部屋の中央に敷いた。そして、宏一の見ている前で背中の

ジッパーを下げてワンピースをすとんと落としてしまう。そして、

シミーズの下のストッキングを手早く脱ぐと、少し恥ずかしそう

に布団に横になった。宏一は、ややあわててシャツとスラックス

と靴下を脱ぎ、パンツ一枚の姿で史恵の横に寝て腕枕をしてやる。

史恵はそのまま宏一の胸に顔を埋めてきた。

「宏一さん、ごめんなさい」

「その話はもうやめようよ。史恵ちゃんを訪ねてこっちに来て良

かった」

「私を訪ねてきてくれたの?家庭教師の子供の付き添いって言っ

てたけど・・」

「もちろんそうだけど、その家庭教師の子供に、九州のおじさん

のところに遊びに行ったら?ってそそのかしたのは俺なんだ」

「そうだったの、知らなかった。その子、女の子?」

「そうだよ」

「好きなの?」

「好きか嫌いかって言われれば好きだけど、その程度」

「どの程度?」

「どっちかって言えばって程度。だって、史恵ちゃんに会いたく

てこの話をその子にしたんだよ」

「ごめんなさい。嫉妬してる訳じゃないけど、なんか気になるの」

「今まで何もそんなこと言わなかったのにね」

「そうね。宏一さんと会って、こうして腕に抱かれて初めて気に

なったのかも知れないわ」

「何を訊きたい?何でも話すよ?」

宏一は賭けにでた。今までの話からして、史恵にうそを付きたく

ないと思ったし、勘の鋭い史恵にはうそは付けないと感じたから

だ。史恵は、

「私のこと、どう思ってる?」

と訊いてきた。

「ずっと好きだったよ」

「ほんと?」

「うん。離れていても、何かきっかけになることがないかってい

つも思ってた」

宏一は素直に自分の気持ちを伝えたつもりだった。

「忘れてくれてて良かったのに。私のことなんか。私は宏一さん

のこと、忘れてたの」

史恵は平然と言った。

「そ、そう・・?」

「そうなの、ずっと忘れていたわ。もう二度と逢えないって思っ

てたし。だから好きになった人もいたの」

「史恵ちゃんみたいに可愛ければすぐに見つかるよね・・・」

「宏一さんは私を好きでいてくれたからそう思うのよ。私、そん

な女じゃないの。分かったでしょ?私を宮崎で抱いたときに」

「そんなって・・・」

「私、自分をこわしそうになることがあるの。宏一さんと別れて

からはずっと寂しかった。だから好きな人が見つかったときはと

っても嬉しくて、すぐに恋人の関係になった」

史恵は、まるでテープレコーダーにでも話すように淡々と語った。

高校の最後に九州に引っ越してから卒業までの間に好きになった

人、就職を探す時に世話になった人に抱かれそうになった話、鹿

児島に就職が決まってからアパートを探しの最中で世話になった

人とホテルに行ってから逃げ出してきた話、せっかくできた恋人

と別れることになった新車販売の失敗、そして最後に今の恋人の

話も正直に言った。

「好きなんだけど、それ程好きじゃないって言うか、どこか冷め

た自分がいつも心の中を冷やしてるの。ベッドの中に入っても・

・・。最近は向こうも気が付いたみたい」

そこまで言うと、史恵はやっと黙った。宏一は、はっきり言って

こんな話を聞きたくはなかった。史恵が好きになった人の話をさ

れても、宏一にはどうにもできない。

史恵の性格からして、宏一のアドバイスを受け入れるとも思えな

かった。しばらく宏一は史恵を腕に抱き、背中をゆっくりさすり

ながら黙っていた。史恵も、されるがままに宏一に身をまかせて

いた。いくら考えても、宏一には何をどう言えばいいのか分から

なかった。下手に何かを言うと史恵を傷つけ、またどこかに行っ

てしまうような気がした。



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