第 48 部
久美は帰りのタクシーの中で寝てしまい、家の近くで運転手に起こされるまでずっと眠り続けていた。そしてタクシーを降りてから自分のベッドに入るまで股間の痛みから自分が何かとんでもないことをしてしまったのではないか、と言う気がしてならなかった。
もし翌日が休日でなかったら、久美は休んでしまったかも知れない。それほど翌日の朝の痛みは酷かった。しかし、幸いにも弟の食事と洗濯、掃除をゆっくりとするだけで良かったので、何とか日曜日を凌ぐことができた。
月曜日からは何とか学校に行けたし、水曜日には殆ど痛みも消えたのでだいぶ心も落ち着いてきた。ちーちゃんやミカリンはちょっと心配したみたいだったが、久美の笑顔自体はとても朗らかだったので余り詮索はしてこなかった。もともと土曜日の午後は会社にアルバイトに行っていることになっていたので、二人とも会社での出来事には余り興味がなかったし、少しくらい聞かれても以前にアルバイトしていた経験があったので話して聞かせることに何の心配もなかった。ただ、親友に嘘をつかなければいけない心の痛みだけはどうしようもなかったが、生活を支えていくためには仕方のないことと割り切っていた。
久美はちーちゃんやミカリンが大好きだったが、その二人がどんなにがんばっても久美姉弟の生活を支えることはできないし、二人に心配だけ掛けても仕方のないことだと割り切ることにしていたので、久美は幸一とのことを二人に話すつもりはなかった。
ただ、久美は二人に嘘をつく度に幸一に会いたいと思った。そして、久美自身も気が付いていないくらいの変化だったが、初体験を済ませたことで心の中に余裕みたいなものができ、それがほんの少し久美の態度に変化を作っていた。そして、やはり親友の二人が真っ先にそれに気が付いた。
ちーちゃんとミカリンは久美のことが本当に好きだった。少しくらい喧嘩しても自動的に仲直りできるくらい久美のことを信頼していたし、本当に久美の生活のことを心配していた。だからこそ、自分たちにはどうしようもない生活費のことは一切口を出さなかった。
久美の変化に最初に気が付いたのはミカリンだった。久美が休み時間にトイレに立った時、ふとちーちゃんに言った。
「なんか、クーって変わったよね」
「何がさぁ?」
「なんか、明るいって言うか、うつむかないって言うかぁ・・・そんな感じ」
「なにそれ?」
「ううん、何でもない」
「それならいー・・・・ってちょと待てよ。確かにその指摘、良いとこ突いてるかも?」
「だべ?」
「まー、弟抱えて大変な顔ばっかりしてるより良いかもね?」
そこに久美が戻ってきた。
「おい、クー、今日の帰りにハヤシヤにつきあえよ。いいな?」
「どうしたの?うん、いいよ」
「よし、決まった」
そう言ってちーちゃんとミカリンがにやっと笑ったので、久美は一瞬何のことか分からずに二人をキョロキョロ見てしまったが、二人とも自分の席に戻ってしまった。
そして放課後、ハヤシヤの奥まった席に久美を座らせると、ちーちゃんが厳かに言った。
「これより査問委員会を始める」
「なによそれ?」
「まだ発言を許していないぞ。まずは疑惑から聞いていこう」
「はい、それではクーの疑惑について述べさせていただきます」
そう言ってミカリンが静かに話し始めた。
「クーは先週までとても大人しい女の子で、私はクーの控えめなって言うかぁ、大人しいところが大好きでした」
「した?」
久美が突っ込んだがミカリンは無視した。
「しかし今週に入り、クーは劇的に変わりました。態度のあちこちに自信が出てきたし私たちよりもはっきりと言うようになったし、何て言うかぁ、私たちに何か隠してるって言うかぁ、とにかく私たちに言ってないことがあるのは間違いないのであります」
「クー、その意見について何か申し開きはあるか?」
いきなり久美は話の核心を突かれてびっくりした。そして、この二人には結局何にも隠し事はできないのだと痛感した。しかし、どうやって説明したらいいのか分からない。
「なんのことよぉ?わかんないよぉ」
「被告は査問委員会を侮辱するのか?」
「被告ぅ?」
「違ったっけ?何でもいいや。クー、はっきり言いなさい。何があったの?」
「なんにもないよぉ」
「本気でそんなこと言ってるの?私たちに隠し事ができるとでも思ってるの?」
「だって、なんのことか・・・・」
「ズバリ、言ってあげようか。クー、しちゃったでしょ?」
「え?」
久美はドキリとした。そして今まで言わなかったことを後悔した。たとえ言えなかったとしても、これで二人を傷つけることになる。
「どうして月曜と今日の体育を休んだの?」
「それは・・・・、体調が悪くて、怠くて・・・」
その態度にちーちゃんは久美が何か隠し事をしていることを確信した。
「じゃぁ、どうして月曜にはあんな変な歩き方してたの?」
「それは・・・・頭がふらついてたから・・・・・」
「ほーら引っかかった」
「え?」
「変な歩き方なんかしてなかったわよ。自分でゲロッたね」
「そ、それはっ」
久美は頭の中が真っ白になった。
「じゃぁ、どんな風に歩いてたのか言ってご覧なさいよ」
「・・・・・・・・」
「言えないの?」
「だから・・・頭がふらついてたから・・・・」
「ふらついてた歩き方じゃなかった、絶対」
「え?」
「階段を上がる時にちょっと途中で休んだし、走ろうとして急に止めたし」
久美はもうダメだと思った。もともと久美よりも大人のこの二人を騙せるはずがなかったのだ。自分のしたことの罰を受ける時がきたのだ。久美は黙ってうつむいた。
「白状しなさい。もうネタは十分に挙がったよ」
「・・・・・・・・・・」
久美は言葉が出てこなかった。
「クー、虐めようって言うんじゃないんだよ。分かるでしょ?」
「・・・・・・・大好きなの・・・・・」
「誰?誰のこと?どうして言ってくれなかったの?」
「ちーちゃんとミカリン」
「へ?」
「ちーちゃんとミカリンが大好きなの」
「え?何のこと?」
久美は顔を上げた。その頬には既に涙の流れた跡がはっきりと残っていた。二人はびっくりした。もともと久美が何も言ってくれなかったことにちょっと腹も立っていたし、久美が隠し事をしているのを確信した時は虐めたくもなった。しかし、二人はもともと久美のことが大好きだし、本当はうらやましかったし、できれば心から祝福してあげたかった。
しかし、今の久美の表情は二人が想像していたような甘いものではないことを示している。これは大変なことになったと思った。
「バイトの会社の人?」
久美は静かに頷いた。二人は絶句した。『高校生に手を出すなんて!』と言う怒りが湧き上がった。
「誰なの?これから行って話を付けてやる。行くよ」
「違うの、そんなんじゃないの」
慌てて久美はちーちゃんを引き留めた。
「どうなのよ。行ってごらん。私たちは久美の味方だから。絶対にどんなことがあっても味方だから」
「ありがとう。でも・・・・・・・」
「そーなの?それでも言わないの?私たちよりその人の方が大切なの?」
ミカリンは卑怯なやり方だとは分かっていたが、そうでも言わないと久美は白状しないと思った。もともと久美の心の強さはよく知っている。大人しい顔からは想像もできないほどしっかりした子なのだ。
「そんなことあるわけ・・・・」
「じゃぁ、ちゃんと言って」
久美はもうどうしようもないと思った。幸一も大切だが、この二人だけはもっと大切な親友なのだ。
「・・・・・・・・」
「クー」
「・・・分かった。言う・・・・」
ちーちゃんとミカリンは覚悟した。久美の様子から、できるだけ二人には聞かせたくなかった話なのは間違いない。久美がここまで隠そうとするのだ。よほどのことに違いない。学校には言えないことなのか、親友を亡くすほどのことなのか、とにかく親友を裏切ってまで秘密にすることなのだから。
「遅くなっても良い?」
「場所、換えようっか?ここじゃ長居できないからね」
そう言うと三人はマックに入った。
「クー、言いたくないかも知れないけど、最初に言っとくからね。どんな話か知らないけど、私もミカリンも絶対にクーを嫌いになったりしない。それだけは覚えておいてね」
「・・・・・うん・・・・・ありがと」
「心配無用!」
二人は優しく微笑んだ。
「あのね、最初から話すね。聞いてね、最後まで」
それから久美は話し始めた。叔父の家から逃げ出してきたこと、戻ってきた途端に民生委員に言われたこと、学校は何の助けもしてくれなかったこと、そして父の会社に行ったら大歓迎されたこと。ちーちゃんもミカリンも、もし自分だったらこれほどまで逞しく挑戦を繰り返せないと思った。それほどまでに久美は何とか弟との生活を切り開こうと必死になっていたのかと改めて思った。
そして会社でアルバイトをしたが、少ししたら会社の都合でダメになったこと、そして幸一からの申し出を最初は拒絶したことを話した。
「当たり前。訴えてやれば良いんだよ、そんなやつ」
「見え見えなんてモンじゃないよ。札束で高校生を買おうなんてバカにするにもほどがあるよ」
「でも・・・・・ダメだった・・・・・」
「え?」
「生活できないの。暮らしていけないの。私が卒業するまで持たないの」
「就職すればいいジャン。働いて稼ぐんだよ。学校では会えなくなるけど、絶対に友達だから」
「保証人がないと高校生は雇っちゃいけないんだって言われた」
「誰に?」
「ハローワークの人」
「就職活動したんだ」
「でも、ダメだった・・・・・。私、仕事しちゃいけないんだって・・・」
「そんなところに行かなくたってバイトならどこにでも・・・」
「ダメなの。普通のバイトじゃ生活費にもならないの。たとえ学校を止めても全然足りないの・・・。私、こんなにお金がかかるなんて思わなかった・・・・」
久美の目からまた大粒の涙がポロポロと落ちた。二人は聞くのが辛くなってきた。しかし、最後まで聞くと約束したのだ。二人も涙が落ちそうになったが、そんなことかまわずに久美の話を聞いた。