第1部
バスが止まると70人近い生徒がぞろぞろと降りてきた。ミーティング、討論、発表と息つく間もなく丸一日絞られたのでそれぞれの顔には解放された安堵感が広がっている。やがて生徒会役員をしている一人の女生徒が参加者を集めた。
「それではこれで生徒会主催のリーダー研修を終了します。昨日から丸一日ご苦労様でした。気を付けて帰ってください。解散です」
橘昌代の可愛らしい声が響くと参加者は一斉に家路に向かって校門からでていった。しかし、3年生の安田康司だけは少数の生徒会役員と一緒に裏口から校舎に入ると、彼らと別れて写真部の暗室に入り、慣れた手つきで現像の準備を始めた。部屋のライトを消すと暗闇の中でパトローネの蓋を外してフィルムを抜き取り、現像タンクのリールに巻き付け、しっかりと蓋をして電気を付ける。自動現像機を持っている写真部の多い中で、康司の高校の写真部は未だに手作業で現像をしなければならなかった。
恒温庫に入っている現像液を取り出してタンクに注ぎ、温度計で温度を確認しながら現像時間を決定する。数分後に現像液を流し出すと、一度タンク内を水洗いしてから 定着液を注ぎ込んだ。定着が終了すると、定着液を流し出してからタンクを流水に漬け、定着液は現像液と一緒に恒温庫に戻し、現像タンクの蓋を開けて中のフィルムに写った画像を見る。 ゆっくりとネガを眺めていた康司の顔に抑えきれない笑みが浮かび上がってきた。『これで面白くなりそうだ』康司はネガをそうっと乾燥機にかけると、すぐに焼き付けの準備に入った。ほんの今、生徒会主催のリーダー研修が終わったばかりなので疲れているはずだがそんなものはまるで気にならない。赤いライトの下で印画紙を取り出しながら康司はこれから始まるゲームに夢中になっていた。そして何枚か焼き付けが終わるまで慎重な作業が続いた。
翌週の火曜日と水曜日は校内の球技大会だった。康司は写真部の部長としてあちこちの競技をてきぱきと撮り続け、初日に撮影した写真はその日のホームルームが終わる前には現像を終わって廊下の掲示板に張り出された。前日から校内放送で宣伝しておいたし、いつものことなので、放課後になると何人かの生徒が掲示板の前に自然に集まってきた。康司は全部で2百枚にはなろうかという手札サイズ(E版)の写真を持って暗室から現れると、何人もの生徒が集まって遠巻きに康司を囲んだ。これから張り出されるはずの写真を期待しているのだ。
自分の競技中に写真を撮っている康司を見た者、あこがれの先輩の姿を探しに来た者、何か面白い写真がないかとただ寄ってみただけの者、単なる通りすがり、など色々だったが、その中の橘昌代は単に通りかかっただけで、さして興味は持っていなかった。。
「あ、あったよ!あれ!」
「こんなの〜?もっと決まってたと思ったのにぃ」
「あのぅ、57番の写真を焼き増ししてもらえますか?」「済みませーん、聞いてみるんですけどぉ、引き延ばしってできるんですかぁ?」
にぎやかな声はすべて康司の写真への素直な反応だ。しかし、その中で康司はどこか物足りない何かを感じていた。こんなことをしても何か満足できないような、そんなもどかしさが康司を少しだけいらつかせる。それでも、いつものように焼き増し、引き延ばしなどの注文をメモに書き留めていた。
昌代は整ったスタイルと理知的な顔立ちで同級生の間で知らない者はいなかったが、3年生と1年生にもファンは多く、昌代はいつも誰かの視線の中で学園生活を送っていた。性格的にはっきりとしているタイプなので付き合っている人がいることを隠そうともしなかったし、時には同級生にのろけたりもしていた。身長は
164センチと平均だったが、肩まである髪をなびかせながら校内を歩く姿には依然としてファンが多かった。その日、まだ昌代には生徒会で書記としての仕事が残っていたし、第一、安田康司という人間にあまり良いイメージを持っていなかったので、通りかかった廊下に張り出された写真に多くの生徒が群がっていても、康司の写真など見る価値のないものだと思っていたので特に気を付けることもなく歩き続けた。
張り出された写真を前に多くの声が飛び交う中、昌代は掲示板の前を通り過ぎて生徒会室に向かって通り過ぎようとしていた。その瞬間、見るとはなく1枚の写真が昌代の視界の隅に止まった。一番目立たない低い位置に何気なく貼られた写真に目が行ったのは全くの偶然だった。
何の写真かは一瞬分からなかった。その1枚の写真には運動服姿で横たわっていると思われる首から下の上半身と左手しか写っていなかったからだ。ちょっと目にはカメラを下に向けている間にシャッターを押してしまったミスショットのようにも見える。その写真に写っている人のちょうど胸の所にある氏名の刺繍は服のしわに隠れて見えない。
昌代はどこかで見たような手だと思った。不完全な姿だが、どこかで見た服だとも思った。次の瞬間、昌代はその写真がどこでいつ撮影された物かをはっきり理解した。『そんな!夜中に撮るなんて!誰にも見られなかったと思ったのに!』昌代はくるっと振り返ると、まだ写真を貼り続けている康司に向かって歩き出そうとしてグッと踏みとどまった。『今ここで言ったらまずいことになる』そう思うと、楽しそうに写真に群がっている女子生徒をからかっている康司をもの凄い目で睨み、そして去っていった。しかし心の中では、あの写真に誰かが気が付くかも知れない、と怯えていた。
康司は他の写真を張り出しながら、横目でメッセージが昌代に伝わったことを確信すると、何気なく写真を貼り続けた。
「どう?これは良く撮れてるだろ?」
「はい、球技大会の記念にしたいんです」
そんな嬉しそうな女子生徒の声など康司にはどうでも良かった。実はこの一瞬の為だけに今日一日、たくさんの写真を撮り、現像し、焼いて張り出したのだ。昌代の教室から生徒会室に行くには掲示板の前を通るしか方法がないことが分かっていたから、終業時間に合わせて写真を貼りだしたのだ。何気なくあの写真を昌代に見せるために。
生徒会室に入った昌代は、カバンを会議テーブルに放り出すと立ち尽くした。誰も知らないはずだった。あの時、他の生徒会役員の男子は、全員まだ運動室で翌日の準備をしていたはずだし一般の生徒は就寝時間で誰も出歩いていないはずだった。健一と示し合わせて先にこっそりと抜け出し、生徒会男子の使っていた宿泊室の隣にあった使われていない宿泊室の2段ベッドにもぐり込んだことを知る生徒は誰もいないはずだったのだ。
昌代と健一は二人とも生徒会役員で、今回のリーダー研修ではそれぞれ色々な責任を持っていた。付き添いの教師は何人も同行していたが、生徒会主催と言うことになっていたために、実行そのものは全て生徒会役員に任され、二人とも当日はほとんど口をきく時間もなかったくらい忙しかった。
夜になったら二人だけの時間を過ごそうと誘ったのは健一だったが、場所を決めたのは昌代だった。健一は消灯後点呼が終わったら二人で研修センターの「青年の家」を抜け出そうと言い、バイクも用意できると言ったが、昌代が研修センターを抜け出すことには強く反対した。確かに、何も起こらなければ消灯後に抜け出して早朝に帰ってきても誰にも分からないだろうが、もし、抜け出した先で何かあったらとんでもないことになる。まだ処女を卒業したばかりの昌代には、健一と二人きりになることが生徒会の大切な行事の最中に抜け出す程のことには思えなかった。
あの時は、健一の待つ2段ベッドにもぐり込んだ昌代は、体操服のまま健一に抱かれてしばらくじっとしていた。もちろん、そんなところではいくら空の部屋とは言え、声や音を誰に聞かれるか分からないのでセックスなどはとても無理だ。あまり感じない程度に軽いペッティングで済ます他はない。
だから、生徒会役員がそれぞれのベッドに入り、物音が聞こえなくなるまで二人でじっとしていたのだが、ついに我慢できなくなった健一は昌代の服の中に手を入れてきた時、昌代は最初少しだけ拒絶したが、健一に抱いてもらっているという実感が身体から沸き上がってくると、だんだん抵抗が弱くなり、最後はブラジャーも外され、乳房を揉まれて茂みの中を探られてしまった。
健一もさすがに挿入まではしようとしなかったが、何度も服を脱がそうとするので、昌代は健一の肉棒を握ってしごいてやり、かろうじて我慢してもらった。そして、二人はその格好のままでしばらくうたた寝してしまった。張り出された写真の体操服にしわが寄っていて名前が見えなかったのは、服の中に健一の手が入って半分近く捲り上げられていたからで、良く写真を見れば健一の手が体操服の下の昌代の乳房を包んでいることを想像できるはずだった。
たぶん、ほんの少し二人がペッティングの後にまどろんだ時間に、康司が部屋に入ってきて、カーテンで仕切られた2段ベッドの中にカメラをそっと差し込んで至近距離から写真を撮っていったのだろう。それ以外には考えられなかった。昌代は真っ先に健一に相談しようと思った。しかし、相談したところでどうなる物でもない。しばらく考えた昌代は自分でやることにした。
翌日、球技大会も後半戦となり、ほとんどのクラスは自分のクラスでまだ勝ち残っているチームの応援をしていた。バレー、サッカー、バスケ、ドッジボール、ハンドボールと種類はあるので、大抵は一つのクラスでもどこかのチームが勝ち残っていた。
「安田君、2年の橘さんが呼んでるわよ。暗室の前に来てって」
康司のクラスの女子生徒が昌代が呼んでいることを教えに来た。康司はいよいよ幕が開くことを知った。全てセッティングは終了している。確認もした。あとは実行するだけなのだ。康司は撮影を中止するとゆっくりと歩き始めた。
「ネガ、返して下さい」
昌代はいきなり凄い剣幕で言い出した。
「ネガ?何のネガのこと?」
「分かっているでしょ、私の写っているあのネガよ」
「どこに写ってたっけ?写真が多くてわかんないよ」
「とぼけないで!今すぐあのネガを渡して」
「だから、どのネガなのさ」
「あなたが土曜日のリーダー研修で私を撮った、あのネガよ!早く渡して!」
「ああ、あのネガか。なかなか面白かったな」
「認めるのね。どうでも良いから早く渡して!」
「何で橘に渡さないと行けないの?俺が自分で買ったフィルムのネガだよ」
「フィルム代なら渡すから。早く渡して!」
「フィルム代だけもらったって損だよなぁ」
「いくら渡せばいいの。言って」
「そうだなぁ、お金じゃ買えないものも色々あるからなぁ」
康司は昌代が思った以上に熱くなっているので面白くなり、白々しくとぼけて見せた。
「じゃ、どうすれば渡してくれるの!」
「とにかく、そんなにかっかしながら怒鳴ってたら、みんなに聞いて下さいっていってるようなもんだろ。とにかく部屋に入ろう」
康司はそう言うと、昌代を暗室に誘った。しかし、昌代は暗い部屋で康司と二人きりになるのは絶対に嫌だった。何をされるか分かった物ではない。
「嫌、ここで話して。ネガを渡してくれればいいの。早く渡して」
「いつまでそこにいるんだ。中で話そう」
「嫌、ここで話をして。中に入る理由なんてない!」
「それならそこで怒鳴ってればいいさ。中で待ってるよ。10分だけ」
康司は暗室に入ると薬剤を入れてある冷蔵庫からジュースを取り出し、ゆっくりと飲みだした。昌代は康司の好みにぴったりだった。怒っている昌代の声も、康司には何かの歌のように聞こえた。今まで遠くから見ることしかできなかったあの橘昌代が、康司に面と向かって話をしている。こんな楽しいことはない。
『もうすぐ昌代は暗室に入ってくるはずだ。そうしたら、ジュースを勧めて落ち着いてもらってから条件を話し、納得してからあそこに行こう』そう思っていた。始めて昌代を抱きしめられる、それだけで康司は幸せだった。ちょっとの間だけ抱きしめられればそれ以上は何も望むつもりはなかった。『たかが写真のネガじゃないか。ちょっとだけ想い出を作らせてくれればあんな物渡してやるよ』そう思いながら昌代を待った。
しかし、昌代はなかなか暗室に入ってこなかった。約束の10分を過ぎても誰も入ってこなかった。15分まで待ったが、同じだった。とうとう康司が我慢できずに廊下に出ると、そこには昌代の姿はなかった。昌代が去ったことが分かると、昌代の立ち去った後の廊下を見つめる康司の中で何かが切れた。
翌日の昼休み、康司は2年生の昌代と同じクラスの今野亮子を廊下で呼び止めた。亮子は同じ中学の出身なので、頼み事をするには都合が良かったし、亮子には渡したい写真もあったのだ。亮子に渡す写真のうちの一枚は喜納昌代に見せた写真、もう一枚は球技大会の亮子自身を撮った写真だった。ちょっと体操服の下の肌が写っているので先生に何か言われるのがイヤで昨日は張り出さなかったが、写真の出来はいい方だった。お気に入りの一枚と言っても良いくらいだ。その写真はこのままでは誰に見られることもなく、忘れ去られてしまうので、本人に渡しておこうと思った。
その時の康司は昌代の方に気を取られていて、亮子のことなどほとんど考えておらず、単なる中学からの知り合いとしか思っていなかった。だから写真を渡して、ちょっと頼み事をすることだけ考えていた。
久しぶりに見た亮子はボーイッシュな感じは残っているものの、すらっとした細身の身体でかなり可愛らしくなっていた。
「今野さん、ちょっと、良い?」
「え?安田さん、どうしたの?」
高校に入ってから今まで、康司の方から話しかけてくることなど無かったので、亮子は少し意外そうな顔をして言った。
「5分だけ、良いかな?見て欲しい写真があるんだ」
「私の?安田さん、私を撮ってくれたの?」
「それもあるんだけど、きっと面白い写真だと思うんだ」
亮子は不思議に思いながらも興味を引かれて康司の後に付いていった。暗室に入ると、康司は2枚の写真をそっと亮子に手渡した。一枚目は亮子自身の球技大会の写真だった。アングルが変わっていたが良くできている。後でじっくり見ようと思って次に目を通した。その写真を一目見た瞬間、亮子のくりっとした目はまん丸に見開かれた。
「うわぁー!!凄いーっ!!きゃー!!!!!」
突然亮子は大声を出したので康司の方がびっくりした。
「しっ!静かに!」
康司は亮子がこんな大声を出すとは思っていなかったので、とにかく暗室から出ることにした。長い間暗室に生徒がこもっていると指導教官がうるさいのだ。無理矢理亮子を連れ出すと、ちょうど少し離れた職員室から3年の古文の教官が出てきた。
「なんだぁ、安田。今野に何かしたのかぁ?」
「違いますよ。写真を見て喜んでるんですよ。そうだろ?」
「はい、写真を見せてもらってびっくりしただけです」
「どんな写真何だぁ?」
「いえ、先生には秘密です。安田さん、ありがとうございました」
そう言うと、まだキャッキャッと騒ぎながら今野は小走りに去っていった。
「球技大会の写真ですよ。いい瞬間が撮れたんで、これを見せてデートにでも誘おうと思ったのに、持ち逃げされましたよ」
「安田、お前には今野は無理だよ。自分を良く見直すことだな」
「そんなぁ、先生が生徒に言う言葉じゃないですよ」
康司は不満そうに言ったが、内心では話題がそれて安心していた。
「自分を正しく受け止めるのも高校生の仕事だぞ」
その教官は再び職員室に入っていった。
康司は写真を亮子に見せて昌代を呼びだしてもらうつもりだった。亮子なら口は堅いし、昌代と仲が良さそうだから、見せても問題ないと思ったのだ。少し予定が狂ってしまったが、どのみちあの写真はまっすぐ昌代の所に届き、彼女がカバンの奥深くにしまい込むか、すぐに焼却されるだろう。そうなれば康司に連絡が来るはずだ。康司は昨日の準備した仕掛けを点検に階段を上がっていった。
康司への連絡は思ったより早かった。5時間目が終わるとすぐに康司に昌代からのメモが届いた。放課後、玄関に康司が行くと、それを見つけた昌代が飛びかからんばかりにもの凄い勢いで走ってきた。
「ネガを返してっ!」
「返してって、あれ、俺のだぜ」
「何でも良いから早く頂戴!」
「昨日、中で待ってた俺をすっぽかしてどっかに行ったのは誰なのさ」
「あんな所に誘うからよ。私のを早く返して」
「私のだって?俺の写真とネガをそんな風に言われる覚えはないね。頭冷やして出直すことだな」
康司はくるっと背を向けると暗室の方に向かって歩き出した。
「待ちなさい!」
昌代は先回りして康司の前に立ちはだかると、
「今すぐネガを渡しなさい」
と言い放った。その高飛車な言い方に康司もとうとう頭にきた。
「何で俺があんたに命令されなきゃ行けないんだ!え?このまま職員室へ行くか?それでも俺は一向に構わないぞ」
「卑怯者!」
昌代の顔がグッと引きつる。そんなことをされたら困るのは昌代だ。
「ほら、行くぞ、付いてこい。俺は偶然あの写真を撮っただけなんだ」
康司は歩き出した。昌代は真っ青になった。唇が振るえているのが良く分かる。康司にとっては、昌代が康司の言うことを聞かないのなら、別にあの写真が教師の手に渡っても康司は一向に困らなかった。偶然にあの写真を撮ったというのは本当なのだ。誰かがいる気配がしたのでそっと部屋の中に入り、カメラをカーテンの隙間に差し込んでシャッターを押しただけで、中に誰がいたかは現像するまで分からなかったのだ。上手く行けば誰かの寝顔でも撮れるだろう、それを見せてからかうことができるかも知れない、位にしか考えていなかったのだから、康司にははっきり言ってどうでも良いことだった。
歩き出しても昌代は付いてこなかった。
「暗室に来いよ。中で話そう」
そう言っても昌代はじっと立ったままで康司を見ていた。
「そうしていると明日の朝、後悔することになるぞ」
康司は廊下を曲がるときに、すでに10mは離れた昌代に言った。すると、すぐに小走りの足音が聞こえてきた。康司が暗室に入る時、昌代は康司の後にくっつくようにして後ろを歩いていた。
二人が暗室に入ると、康司は薬品を入れてある冷蔵庫からジュースを出し、昌代にも勧めた。しかし、昌代は手を付けようとしなかった。
「最初に言っておくけど、ここは大声を出すと職員室に聞こえる。何を言っても良いけど小さな声で話してくれ。まず落ち着けよ、な?」
康司がジュースを飲み始めたが、相変わらず昌代は手を付けなかった。
「今野に渡した写真は持っているのか?」
「取り上げたわ。あんなことするなんて、最低!」
「橘の寝顔のすぐ横に男の顔の一部が移っているんだもんなぁ、誰だって驚くさ」
「何も他の人に見せなくたって!」
「今野なら仲がいいんだから問題ないだろう?いいか、あれは写真の一部を抜き出した物なんだ。ネガにはもっと広い範囲が写ってる。どういう意味か分かる?」
「証拠を見せて。見るまで信じない」
「良いだろう、じっくり見ることだな」
康司は戸棚を開けるとA4ほどの大きさの印画紙ケースから一枚の写真を撮りだした。その瞬間、昌代の目はまん丸になり、次の瞬間、康司から写真をもぎ取ると自分のカバンの中にぐしゃぐしゃに押し込んだ。
「よく見なくて良いのか?」
「家で見ます」
「ま、いいさ。俺の条件を言う。それを聞いてくれたら写真とネガを渡す。それでお終いにしよう」
「聞かせて」
「抱きしめてキスをしたい。一度だけだ。それで良いだろ?」
「ばっかじゃないの!そんなこと聞ける分けないでしょ」
「とりあえず言うだけ言っておく。明日の3時間目が始まって10分したらテニスコートの前に来て欲しい。校舎の壁に寄りかかっていれば誰にも見えない。そこでキスをしよう。抱きしめてキスをして、それと俺はスカートの中のパンツに触って、セーラー服の中に手を入れてブラの上から胸を触る。1分でいい。それを我慢してくれればネガを渡して終わりだ。大丈夫、それ以上はしないから」
「そんなことするくらいなら、張り出された方がましよ!」
「それならそうするよ。俺はどっちでもいい。本当だぞ」
康司の目が本気だと語っていた。次第に昌代はどっちを選んでも地獄を選ばねばならないことをやっと理解してきた。
「なんでこんな・・・、私がそんなに憎いの?」
「昨日、ここに来ていれば、ちょっとキスをしてそのまま渡すつもりだった。本当だ。ここに用意してあったんだ。今はないけど。でも、俺はコケにされた。だからその分、代償を値上げした。この条件を呑まないなら、明日、間違いなく職員室に呼ばれる覚悟をしておくことだ。言っておくが、リーダー研修でこっそりあんなことをしたのはあんただ。胸を揉まれてあそこをいじられて気持ち良くなったのは自分の責任だ。俺のせいじゃない。人のせいにするな。解ったら帰っていいぞ」
昌代はもの凄い目で康司を睨み付けたが、結局何も言わずに暗室を出ていった。
その日亮子は珍しく一人でマックに入ると、注文したバリューセットも目に入らないように、じっと康司からもらった写真を眺めていた。応援合戦で飛び上がった瞬間を撮った割りには構図、ピント、露出までピッタリ合っており、まるでずっと亮子の前で構えていて撮った写真のようだった。
『でも、良く覚えていないけど、確か安田さんはあちこち写真を撮りながら私の前を通り過ぎていっただけなのに・・。どうしてこんなにきれいな写真が撮れるのかな?サヨの写真も凄かったな。おへそまで写ってたもの。あれはどうやって撮ったんだろう?盗撮したのかな?そんな人に見えないけどな。どこで取ったんだろう?でも、凄くはっきり綺麗に写っていたな。あの距離でどうやって取ったんだろう?きっと、慣れた人はほんの一瞬を見逃さないんだろうな』亮子は写真を一人で眺めながら、もしかしたらこの人が探していたカメラマンかも知れない、と言う予感が胸の中から沸き上がってくるのを感じていた。『えーと、安田さんて、どんな感じだったっけ???』写真をじっと見つめながら康司の記憶を探っていた。『綾の彼と一緒にいたんだよね、中学の時は。カメラ小僧だったことくらいしか思い出せないなぁ』
ふうっと小さなため息をつくと、更にしばらく写真を眺めてからカバンに大切にしまって席を立った。
翌日の3時間目が始まったとき、康司は図書室で自習していた。ふと周りを見ると昌代も来ていたので昌代が納得したことが解った。約束の時間の10分前に何も言わず一人でテニスコートに向かう。しばらく待っていると、昌代は時間通りにやってきた。校舎の壁にくっつくようにして小さなテニスコートがある。二人は校舎の窓の下で向かい合った。ここなら校舎の廊下を歩く人からは見えない。
「ネガを見せて」
「ほら、ここに半分ある」
康司は6枚分で一本になったネガを昌代に渡した。
「まだあるの?」
「よく見て見ろ、1枚目は二人の上半身を移した物だろうが。今野に渡した奴だ」
「もう一本は?昨日の写真のネガは?どこ!」
「ここにある」
康司はくるっと後ろを向くと、
「背中にあるのが分かるだろ?」
と、背中を見せた。Yシャツの中に何かが見えた。
「早く出して」
「これを欲しけりゃ自分で取ることさ。これはシャツの内側に軽く縫いつけてある。俺を抱きしめてシャツの中に手を入れれば撮れるよ。どうせ抱き合うんだ。それくらいできるだろ?」
「卑怯者!」
「それしか言うことはないのか?俺はお前が喜んで抱き合うと思うほど能天気じゃないことくらい分かってると思ったけどね。欲しりゃ抱き合うこと、いいな。しかし、その前にその手の中のネガを確認した方が良いんじゃないか?」
昌代は言われたとおりネガを光にかざした。色が反対なので分かりにくいが、確かに最後のコマに横たわった自分が写っている。しかし、昨日暗室で見た写真のコマは入っていなかった。あれには昌代の服が半分捲り上げられ、健一の手が後ろから伸びて服の中の胸を包んでいるのがはっきりと写っており、昌代のおへその向こうにはスカートの中まで差し込まれたもう一方の手まで少し写っているのだ。
昌代は、先に受け取ってさっさと逃げるつもりだった。卑怯な約束を守る義理など無いと思っていた。しかし、康司の方が一枚上手だった。
「いいな、さっさと始めるぞ」
「あ、待って。カメラなんか持ってないでしょうね」
「あるかどうか自分で見えないのか?ほら、手ぶらだ」
康司が抱きしめようとしても昌代は躊躇して動こうとしない。
「どうした、まだ何かあるのか?」
「違うの、そうじゃなくて。どこかに隠してるんじゃないでしょうね」
「付き合ってられない。そんなこと言ってると時間ばかりかかるぞ、いやならいい。それまでだ」
康司は引き返そうとした。その康司の手を昌代の手がグッと掴む。
「違う、そんなんじゃない。でも・・・」
「早くって言ったのはお前だろう?」
「・・・分かった。これきりよ」
「ああ、そうだね。タイマーを動かすぞ。ほら1分にセットしてある」
康司は腕時計の逆算タイマーを昌代に見せて1分にセットされているのを確認させると、ピッとスタートさせ、素早くポケットの中から小さなものを取りだして上に向けてスイッチを入れた。
昌代はいやいやながらもゆっくりと康司の身体に手を回すと康司の身体を抱きしめた。康司は昌代を抱き返すと唇を奪った。
「うっ」
思わず嫌悪感で顔を反らせてしまう。しかし、康司は更に唇を求めようとはしなかった。その代わりスカートの中に手を入れるとパンツの上を撫で始めた。昌代は猛烈な勢いで康司のワイシャツをめくり上げ、その下のTシャツを探った。康司の手は昌代のパンツから中に入ってきた。尻を撫で、そのまま左手が中に入ったまま前に回ってくる。昌代は狂ったように康司のTシャツを捲り上げ、その中にあるはずのネガを探った。何かが手に当たった。しかし、背中を探ってもTシャツに縫いつけてあるのでシャツと一緒にめくれてしまい、なかなか場所が定まらない。康司の左手はとうとう昌代の茂みをまさぐってきた。「!!!」
思わず康司を突き放しそうになる。嫌悪感で無意識に昌代は両手を引いてしまったので、せっかく探り当てたネガの位置が分からなくなってしまった。
「意外に濃くないんだな」
昌代の茂みをまさぐりながら康司が耳元で囁く。
「いや、いや、いや・・・・」
昌代は目をつぶって耐えながらも再び康司を抱きしめた。
康司は左手で茂みの奥を探りながら今度は右手で制服の中に入ってきた。昌代の手は再びネガを探り当てた。康司の左手の指先が敏感な秘核に届く。ビクッと体が反応したが、昌代は必死に康司を抱きしめてネガを離さなかった。汗で滑ってなかなか引っ張っても取れない。康司の右手はブラジャーに届くとそのまま上に押し上げ始めた。普通なら身体が離れてしまうところだが、昌代がしっかり抱きしめているので康司の手は好きなように動ける。とうとうブラジャーがずり上げられるとぷくんとした昌代の乳房が康司の手の中に収まった。
昌代はしっかりとネガを掴もうとするが、汗で滑って上手く掴めない。昌代は身体がビクッと反応するたびに嫌悪感で何度も康司を突き放しそうになるが、必死に堪えてネガを探った。康司の右手は昌代の左の乳房を揉み上げながら乳首を転がし、左手は秘核にぴったりとあてがわれてゆっくりと動き始める。既に制服は大きくまくれ上がり、昌代の首の辺りにしわくちゃになって固まっている。とうとう昌代はしっかりネガを掴むことに成功した。力任せに思いっきり引っ張ると、ビリッと音がしてネガが外れた。そのまま昌代は康司を突き放す。その時ピピッ、ピピッ、とアラームが鳴った。
昌代は制服を抑えて逃げるように康司から離れ、しばらく走って康司が追ってこないことを確認すると、ネガを見た。確かに自分が横たわっているコマが入っている。安心した昌代は反撃にでた。
「このままじゃ済まないわよ。覚悟しておきなさい」
ともの凄い顔で康司に言った。
「お互いに納得したんじゃなかったのか?」
「納得なんてする訳ないでしょう。私は絶対に許さない、卑怯者!」
それだけ言うと、昌代は制服を抑えながら走り去っていった。
康司はあわてなかった。どうせこうなると思っていたから保険も用意してある。あまり気にすることはない。康司はゆっくりと図書室とは反対の方角に歩き始めた。
それから3日ほどは何も起こらなかった。しかし、翌週の水曜日の授業中に康司は生徒指導教官に呼び出された。
「安田、お前、盗撮したんだってな。被害届がでてるぞ」
「何ですか、いきなり」
「聞いているんだ。2年の橘昌代のスカートの中を逃撮したろうが」
康司は安心した。これは単なる言いがかりだ。
「何言ってるんですか。そんなことする訳ないでしょう」
「しかし、橘が全部話したんだぞ」
「どうやって逃撮したって言うんですか。スカートの中って言うのは撮影し難いんですよ。いいですか、よほどカメラを近づけないと中が暗いから上手く写らないけど、近づけることなんてなかなかできないでしょうが。カメラにストロボを付けたらかなり大きいですよ。そんなものをスカートの中にこっそり入れられるとでも思っているんですか?」
「俺は詳しいことは良くわからんが、スポーツバッグの中に入れて取るとかできるんじゃないのか?」
「あれはビデオの話でしょう。俺の一眼レフカメラでどうやったらそんなことできるんです?レンズだけでもこんなに大きいんですよ。そう言うなら見てください」
康司はそう言うと教師を暗室に連れていき、自分のカメラを見せた。教師は康司のカメラを見ながら、
「そうは言うが、橘は確かに逃撮されたと言っていたぞ」
「だったら、その写真なりネガなりがあるはずです。見たんですか?」
「恥ずかしかったのですぐに燃やしたそうだ」
「それじゃぁ、何の証拠もないじゃないですか?俺にどうやって無実を証明しろと言うんです?」
「その辺りはよくわからん。とにかく、明日の10時に生徒相談室に来い。教頭先生が話を聞きたいそうだ」
康司は証拠がないのである程度は安心していたが、訴えた方は生徒会役員、こっちはただの写真部部長では教師に対する評判がまるで違う。証拠は燃やしてしまったと言われては誰も確かめることなどできないから、もしかしたら濡れ衣を着せられるかも知れないと思った。
翌日、康司の釈明には2時間以上もかかった。最初から康司は有罪扱いされたので、安心してはいたが説明するのが大変だった。やはりほとんどの教師が橘昌代の言うこと信用し、康司を犯人扱いしていたのだ。また、教頭がマスコミに洩れる前に芽を摘んでしまいたがっていために、あやうく盗撮犯人にされる寸前まで行った瞬間もあった。そして、停学処分と教育記録への記載は避けられないだろうなどと言われたりもした。
しかし、同席した多くの教師がなんの証拠もないのに一方的に処分しては、還って後で問題が起きる可能性を心配したために、結局『よく注意して行動するように』とのことで無罪放免となった。康司が昌代に告白して振られたどころか、二度と話しかけるなと嫌われたと言う話を信じた教師も多かった。
相談室から廊下に出てきた康司は昌代が影で笑っているような気がして我慢できなかった。昌代は一芝居打って教師を使って康司を追放しようとしたのだ。どうやら保険を払い出すときが来たようだ。あれは康司が自分の記念に大切にとっておくつもりだったが、こうなってはあれを使って復讐しなければ気が済まない。代償はしっかり払ってもらうつもりだ。
その日は金曜日だったが、放課後、昌代が帰ろうとして下足箱の靴を取り出すとき、靴の下に封筒を見つけた。『まさか!』と言う思いがよぎった。ネガは確かに自分が焼却した。抜けているコマがないかフィルムに付いているコマ番号も確認した。あれ以外に写真などあるはずがないと思ったからこそ、教師に訴えたのだ。教師の前では自分でも迫真の演技だったと思った。逃撮したというのは半分以上本当のことだから、教師の前では自然に涙まで出た。それだというのに・・・・。
あわてて封筒をカバンにしまうとトイレに駆け込み、おそるおそる封筒を開いた。中には10枚ほどの写真が入っていた。その1枚目を見た途端、目の前が真っ暗になった。康司に自分から抱きついている写真。2枚目はキスをしている写真。3枚目は抱きついている康司にスカートを捲り上げられ、股間を探られている写真。・・・そして最後はセーラー服を大きく捲り上げられ、上にずり上がったブラジャーの下から乳房がこぼれ、康司に揉み上げられている写真だった。全ての写真は二人を高いところから見下ろすアングルで撮られていた。多分、校舎からテニスコート側に張り出した2階から望遠レンズで撮ったのだろう。しかし、誰が・・・。
1枚の紙切れが入っていた。そこには、『これは自分だけの記念にしておくつもりだったが、お前はそうして欲しくないらしい。俺をさらし者にした報いは受けてもらう。この写真を公開されたくなければ明日、1時に暗室の前に来い。俺は本気だ』と書かれていた。
その夜、昌代は一睡もできなかった。これから康司が何を始めるのか予想はできたが、それを切り抜ける方法はどうしても思い当たらなかった。
その翌日の土曜日、康司は暗室に残って機材の整理をしていた。写真用には細々としたものをいろいろ使う。15℃から30℃までしか計れない現像&定着液専用の温度計、ネガを乾燥するためのリール、写真を止めるゴムの付いたクリップ、現像機に使うカラーフィルター、数え上げるとキリがない。球技大会の撮影で使用したものをきれいに整理しておかないとあとで使いたいときに困るので、康司は決まりきったことだがきちんと片づけて行った。
既に多くの生徒は帰宅し、運動部員は外か体育館にいるので校内に部活で出ている生徒は少数だ。昌代は休日のみ使う裏口から校舎に入ると、重い足取りで暗室に向かった。カチャッ、小さな音を立てて扉を開け、中に入る。既に康司は来ていた。
「よく来たな」
「あの・・・、ネガを下さい」
既に怯えている昌代の声は、以前とは比べ物にならないくらい小さな弱々しい物で、康司を怒鳴りつけた昌代とは思えなかった。
「ま、座れよ。俺をはめようとして、まだそんなことを言うのか」
「あれは自業自得よ。私を脅すからよ」
「そうか、そう言うなら俺の好きにさせてもらう。帰っていいぞ」
「何をするつもりなの?」
「お前を有名人にしてやるよ。それだけだ」
「そんな事してみなさい、あんたの人生をめちゃくちゃにしてやるから」
「お互い様だな。でも俺は写真で生きて行くつもりだ。学歴なんかいらない。良い写真が撮れれば仕事はある。でも、お前は大学進学希望じゃないのか?」
「・・・・・」
昌代は黙ってしまった。何も言い返せないのが口惜しかった。
「・・・どうすれば・・・」
「ネガを探して持って帰ればいい」
その言葉に昌代は驚いた。そんなことを康司が許すはずはないと思っていたので、まじまじと康司を見てしまった。
「いいの?」
「但し、条件がある。それをお前が呑めば、好きなだけ探してネガを持って帰ればいい。ネガのコピーなんて作ってない。探し出せばあんたの物だ」
「本当?どこにあるの?」
昌代は思わす声がうわずってしまった。心配しすぎたようだ。これ以上康司もことを大きくしたくないらしい、そんなことを勝手に考えた。
「どうだ、その条件を呑むか?」
「どんな条件?言って。できる限りのことはする」
「お前が探している間、俺はあんたの身体を好きにする。それだけだ」
昌代は凍り付いた。意味することは嫌になるくらいよく分かった。
「それから、言っておくけど、嫌ならここから逃げ出せばいい。翌日にはその結果がはっきりする。俺はこの学校の中で写真を撒こうなんて思わない。平成商業や拓北工業の連中には知り合いが多い。港北女子にだって知り合いはいる。共成女子、第六女子、これくらいの連中に写真を一回渡せば、後は連中が勝手にコピーして増やしてくれるさ。誰かがデジタル化すればあっという間に全国に広がるだろうな。この高校まで回ってくるのなんてすぐだ。何日かかるかな。それを楽しみに待つのもいいかもな」
「そんな・・こと・・」
昌代は絶望を通り越し、地獄というものが何なのか始めて分かったような気がした。選択の余地があるようで、実は全くないのだ。堕ちて行くだけ。自分はもっと高く上がりたいのに実際の道は反対しかない、まさに地獄だ。何とかならないかと無駄と走りつついろいろな方法を考えてみる。
「どうする?」
昌代はだいぶ長い間黙っていた。しかし、康司はじっと待ち続けた。昌代は黙っていることが唯一の救いであるかのように、じっと黙り続けた。
30分も経ったろうか、ついに康司が口を開いた。
「嫌なら帰ってくれ。探す気があるなら始めよう」
しかし、昌代は黙ったままだった。何も言えるはずがないのだ。どちらか一言、言った途端に全てが終わってしまう。
康司はついに決断した。
「そうか、そのつもりならいつまでも黙っていればいいさ。俺は帰る。ネガの入っている所はしっかりと鍵がかかってる。多分、その場所さえあんたにはわからないだろう。明日から楽しい日が始まるな。それじゃ、せいぜい何でもしてみるこった」
康司はバッグを手に取るとドアを開けて出ていった。