第17部

10分ほども亮子が泣き続けたろうか、やっと落ち着いてきたようだ。

「アキちゃん、話せる?」

「うん、うっく、だいじょうぶ・・ごめん・・ひっく」

亮子は優しく康司に抱かれながら、泣いている自分を少し冷静に眺めていた。『恥ずかしいから泣いたの?それとも感じたから?』しかし、どっちも正解ではないようだ。

「ねぇ、撮影について俺とアキちゃんの決めたことってなあに?覚えてる?」

「そ、それは、・・写真を撮って・・、私だけの写真集を作る・・こと」

「そうだよね。そのために必要なものはなあに?」

「カメラとフィルムと・・機材と・・私・・それと・・場所・・・かな?」

「うん、そうだ。これで決まった。これ、なあんだ?」

康司はバスケットに入っていた小さなノートを取り出した。

「え?康司さんのメモ?ごめんなさい。忘れてた。康司さんのメモも」

「違う。これは必要なものに入ってないんだ。そうだろ?」

「ううん、ごめんなさい。ちょっとぼんやりしてて・・忘れた訳じゃないの。康司さんがいっぱい調べて作ってくれたメモのこと」

亮子は康司が気を悪くしたのだと思って慌てて訂正した。しかし、

「アキちゃんは忘れてない。必要なものはカメラ、機材、アキちゃん、場所、だけ。それで良いんだ。だから、こうしちゃう」

康司は思いっきりメモを破いた。

「ああっ、そんなこと!」

更に康司はびりびりに何度も破いて細かくした。最後にはくしゃくしゃに丸めてバスケットに放り込んだ。

「あーすっきりした!」

「なんてことするの!あんなに何日もかけて作ったのに」

「何言ってんだい、これが全ての間違いの元。こんなものがあるからアキちゃんが泣くんだ」

「ううん、違う。私が康司さんに言われた通りできないから・・だから・・」

康司はビーチタオルの上で体を起こした亮子の隣に座った。

「いいかい、確かにメモはいろんなことを考えて、最も効率よく、最高の露出で、最高の構図で撮影できるように考えてあるよ。それは知ってるでしょ?」

「うん、私、康司さんがどれだけ時間をかけたか知ってる」

「でもね、一番大切なものがどこにも書いてないんだ。これがないと写真にならないのに」

「え?なに?何か忘れてたの?」

「そう、忘れてた。コロッと。アキちゃんも分かってるはずだよ。それに気が付いたから泣いてたんでしょ」

亮子はそう言われて、やっと気が付いた。

「私・・・・わらって・・ない・・」

「そう、あのメモのどこにも笑顔を作る方法が書いてないんだ。いくら最高の構図で、最高の露出でシャッターを切っても、アキちゃんが泣いてるんじゃ意味ないよね」

「そう・・ね・・でもそれは私が・・・」

「あとはメモなんて使わずに、アキちゃんの好きなようにしているところを撮るよ。その方がきっと良い写真が撮れるって思うんだ。もともとポートレートよりはスナップの方が得意だし」

にっこり笑ってそう言う康司の顔を見て、亮子の心は急に軽くなった。まるで重い荷物を降ろした時のようだ。

「ほんと?・・・いいの?」

「もちろん」

また康司はにっこり笑った。それを見ていた亮子の表情にも笑顔が広がってきた。

「そうか、よおし、私も決めた!」

「なに?」

「私も捨てちゃうことにしたの」

「何か持ってたの?」

「そう、私の計画」

「そ、それって、中学の時から考えてた計画でしょ」

「そう、そんなの、もう考えなーい!」

「だって、それがこの撮影の基本でしょ」

「良いの。もうここに来たんだから。忘れちゃうことにしたの。だってね、いい?康司さん、私の計画ってすごいのよ。まず林から砂浜にゆっくりと入って、一度回りを見渡すの。そして、砂浜の景色が私を受け入れてくれるって分かってからゆっくり波打ち際まで歩いていくの。そうしたら、そこに小さな貝があって、それを手にとって波に返してあげるの」

「貝があるの?無かったら?」

「あるのよ。必ず。見渡せば見つかるの!そうなってるの」

「そうなの?そんなに簡単に見つかるんだ」

「探したけど、・・・無かった・・・」

「なんだそれ?」

「だって、私の計画ではそうなってたんだもん。私の計画では・・・」

「そんなこと・・そうか、それでなかなか俺の方に歩いてこなかったんだ」

「そう、分かったでしょ。私の計画が。でも、あれはまだまだ最初なのよ。その次は静かな波打ち際をそっと歩くと、足首にかかるかどうかの波が何度も私にじゃれついてくるの」

「何度も?」

「でもさっきは波の強さが毎回違って、思ったように歩けなかったわ」

康司も亮子の言いたいことがだんだんと分かってきた。

「うん、分かった。アキちゃんは自分の計画した通りにできなくて、それで泣いたんだ・・」

「そう、だってそんなこと考えてたら康司さんの言う通りになんてできないモン。私の中で別の私がそんなこと言うのは邪魔だーって騒ぐから」

「そうか、なんか二人して間違っちゃってたね」

「そう、その通り!あーあ、損しちゃったな」

亮子はタオルの上をズリズリ動いて、そのまま康司の膝に頭を乗せ、下から見上げて言った。

「でも、すっきりしちゃった。思いっきりわんわん泣いたし、康司さんに大切なこと、教えてもらったし」

「こっちも、もう少しでとんでもない写真を作るとこだったよ。アキちゃんが我慢しないで泣いてくれたおかげだね」

「そうなの?それなら感謝してもらわなきゃ。午後はいっぱい写真撮ってね」

「うん、まかせて下さい」

「それじゃ・・と」

亮子は体を出かける準備をするために起こそうとした。

「え?これだけ?」

「なに?まだなにかあるの?」

「だって・・こういう時って・・ほら・・小説なんかじゃ・・二人で・・そのまま・・キス・・したりしない?」

「なに言ってるんだか・・、もう、子供みたいなんだから!」

亮子は康司の膝の上でくすくす笑った。康司が残念そうな顔をして亮子を下ろそうとしたとき、亮子の腕がスッと伸びて康司の首を引き寄せた。

「大切にしてくれて、ア・リ・ガ・ト」

そのままゆっくりと唇が重なった。唇を通して二人はお互いの大切さを、伝え、確かめることができた。本当にグァムに来て良かったと思った瞬間だった。それから二人は部屋に戻り、シャワーを浴びてベッドに横になった。すると、緊張がほどけて安心した二人は抱き合って5分もしないうちに眠りに落ちてしまった。

 

部屋の電話が鳴る。亮子がベッドから手を伸ばしてそれを取った。

Hello? Hnn.. OK,サンキュー」

それだけ言うと、亮子は受話器を戻し、

「タクシーが来たって」

と康司に言った。だるそうに体を起こした康司は、

「俺はすぐに出られるから良いけど、アキちゃんは?」

とカメラに手を伸ばしながら言った。

「あ!日焼け止め!」

亮子は慌ててバスルームに走った。が、すぐに戻ってきてフロントに電話をかけた。

Wait, wait, please. Taxi, wait, 5 minutes」

慌てていたので英語なんだか英単語なんだか分からなかったが、そんなことは気にしていられない。バスルームに駆け込んでばたんとドアを閉めるとドレッサーの前であわてて日焼け止めを塗りたくった。2分もしないうちに、バスタオルを身体に巻いて走り出してくると、

「康司さん、あっち向いて」

「え?わかった。でも・・」

「何も言わないで、急いでるから」

大急ぎで自分の服を取り出すと、康司の目を気にしながら全裸になり、取り出した服を超特急で着た、と言うより被った、と言う感じだった。

「えーと、えーと、持っていくのは日焼け止めとお財布と、それから・・電子辞書と・・あ、ガイドブック・・それだけ???あー、わかんないーっ」

「もう良いだろ?行こうよ」

「うーん、大丈夫かな。大丈夫ね。たぶん、よし、あとはどうなっても知ーらなーい」

亮子は小さなハンドバッグを持つと康司と外に出た。ホテルの管理棟の前にはタクシーが待っていた。二人が慌てて乗り込むと、タクシーは走り出した。

「どこに行くの?」

「もう、頼んであるの。港よ」

「港??どこかに行く船に乗るの?時間は大丈夫?あ、観光船だ」

「そうか、康司さんはなんにも知らないんだ。じゃぁ言わない」

亮子は秘密めいた、いたずらっぽい笑い顔を見せた。しかし、それでは康司が収まらない。

「何なのさ、ちゃんと言ってよ」

「どうせすぐに分かるわよ。港まですぐだから」

亮子はニコニコ、そして康司に一瞬ニヤッと笑ってまた外を見てニコニコしていた。

「アーッ、私のカメラ忘れた!!」

「ほうら、人に秘密なんか作るから。ちゃんと最初から全部話してくれてれば準備だって前々からできたのに。アキちゃんの意地悪な心が忘れ物を作ったんだよ。俺のせいじゃないからね」

「分かってるわよ。そんなこと・・。意地悪で悪かったわね。こうなったら絶対に言わないから」

「どんな船に乗るのか知らないけど、秘密にするほどのことなんて無いだろ?その船が空を飛ぶって言うなら話は別だけど」

「そう、いいんじゃなぁい?それで・・」

勝ち誇ったような亮子の笑顔とは反対に、急に康司の表情は曇った。

「可愛くないなぁそうまでして秘密にしておきたい訳?アキちゃんにそう言われると、ちょっと悲しくなるな」

康司の言葉にハッとした亮子は、慌てて謝った。

「ごめんなさい。別に無理に秘密にしたいわけじゃないの。ちょっと気持ちが落ち着いてなくて、ごめんなさい」

「謝るほどの事じゃないよ。ほら、アキちゃんのカメラ、部屋の入り口に置いてあったろ?ちゃんと持ってきたよ」

「わぁ、ありがとう。やっぱり女の子は可愛らしくしてないとダメね!」

「なにそれ?ほら、港に着いたよ。ちゃんと案内してよね。乗り場は分かってる?」

「昨日、夕食の時に聞いてあるから大丈夫」

タクシーが港の一番奥に止まると、亮子はまっすぐ建物の中に入っていく。

 

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