第18部

「アトランティス???」

どうやら、観光船の出発ロビーのようだ。亮子は受付で簡単な手続きを済ませると、

「時間ぴったり。間に合って良かった」

とにっこり笑った。

「潜水艦の絵が描いてあるよ。あれに乗るの?」

「さぁ、どうでしょうね?」

「潜水艦の形をした観光船なんて、遊園地みたいだね。それはそれで面白いかもね。下に窓がいっぱい付いているからグラスボートなんだ、きっと」

「どう?気に入った?」

「うん、まぁ、海がどれくらい綺麗かによるからね。観光で使うんだから、きっときれいなところだと思うけど、波があると揺れそうだね。酔ったりしないの?」

「実は、揺られるのって苦手なの。でも、きっと大丈夫よ。ホテルの人は酔わないって言ってたもん」

「アトランティスって船の名前なんだね」

「そうみたい。あ、バスが着た」

どうやら他のホテルからの送迎バスが着いたようだ。ドヤドヤといろんな人が降りてくる。しかし、あまり日本人は見かけない。アメリカ人の夫婦や親子ばっかりだ。

「へぇ、みんなグラスボートに乗るの、好きなんだ。アメリカ人も同じだね」

やがて、康司には何を言っているのか分からない案内が流れ、全員で潜水艦の絵の前で写真を撮った。

「きっと、帰ってくるときに写真ができてるんだね。でも、高いだろうな」

「そうね、でも、こっちには凄腕のカメラマンがいるんだもん、いらないわよね」

亮子にほめられて康司は大得意だった。みんなが乗り場に行ってもまだ絵をバックに亮子の写真を撮っている。亮子はみんなが行ってしまうのではと気が気ではなかった。

二人が慌てて追いつくと、小さな船にみんな乗り終わったところですぐに出航となった。

「あれ?絵の潜水艦と違うじゃん。なんだ、がっかりした。普通のボートだよ。これ」

康司は本当にがっかりしたが、船に乗っている他の客は桟橋から離れるに連れて逆にどんどん盛り上がっている。『こんなどこにでもあるような船で港の回りを走って何がそんなに面白いんだろう?確かに風は気持ち良いけど』康司は不思議で仕方なかった。更に、康司がもっと不思議だったのは、亮子まで船の前方をしっかり見ながら、瞳をキラキラ輝かせていたことだった。亮子は一応、日焼けには気を遣っているらしく、船のデッキの日陰に入っているが、それでも遠くに何かがあるかのようにしっかり見つめている。

どうやら、康司一人が不思議がっており、他の客は全員ドキドキしながら待っている、と言う感じだった。

15分ほども走ったろうか、突然船が止まった。船の速度が落ちて停止すると、船体が波に揺れ始める。近くには同じ方の船がもう一隻いるが、そっちの方は誰も乗っていないようだ。すると、康司の後ろから乗客がぞろぞろと甲板に出てきた。

「どうしたの?向こうの船に乗り移るの?」

「う〜ん、それは分からないけど・・でも・・たぶん・・・」

亮子が視線を海の上に走らせているので、康司もつられて近くの海面を眺めた。穏やかな海だ。港からしばらく走ったが、まだ湾の中にいるのだろう。波が静かでかなり透明度も高いようだ。すると・・。

海の底の方から何か白く大きいものが近くに浮き上がってきた。かなり大きいものだ。

「え?、まさか!ほんとうに!」

康司の驚きの声が終わるか終わらないかのうちにザバーッとすぐ近くの海面に真っ白な潜水艦が上がってきた。あの船の乗り場で見たのと同じ形をしている。

「本物の潜水艦なの?」

「そうよ。グァムの資料を調べていたとき見つけたの。観光用の潜水艦なんだって。世界に3カ所しかないのよ」

「すごい。本物の潜水艦に乗れるなんて。初めてだよ、こんなこと」

「私だってそうよ」

先に着ていたもう一隻の船と康司たちの乗っている船はゆっくり動いて潜水艦の両側に並んだ。どうやら2隻で潜水艦を挟み込もうとしているようだ。康司は船員が潜水艦のハッチを開けるのを興味津々で眺めていた。

やがて2隻がぴったりと潜水艦にくっつくと、潜水艦の中からぞろぞろと乗客が出てきて、もう一隻の船に乗り込み始めた。そのころ、亮子は康司の手を引っ張って乗り移る列の先端まで来ていた。

「潜水艦の一番先頭に座るのが良いんだって。そう書いてあったわ。この船に乗ったのが最後だったから、一番先に乗れそうよ。ありがとう。康司さんのおかげね」

亮子は小さな声でそう言った。やがて潜水艦の乗客が迎えに来た船に乗り移り終わると、康司たちの番だった。ちょっと揺れていたが、亮子も康司もなんとか真っ白の潜水艦に乗り移り、ハッチから急な階段を下りて中に入り、まっすぐに先頭に向かった。潜水艦の中は背中合わせにベンチがあって、30人くらいが座れるようになっていた。先頭だけは前に向いて小さなベンチが付いており、その前に操縦席がある。亮子と康司は操縦席のすぐ後ろに席を取り、大きな窓の外の海中の景色に目を見張った。すると、全員に小さなラジオと電話の相の子のようなものを渡され、Japanese(日本語)と書かれたボタンを押すように案内があった。ヘッドセットを付けると日本語の案内が流れている。

「こりゃ、ゴキゲンだ」

「うわぁ、ドキドキする」

二人は一番良い席を取れたようだ。他の乗客の前にある窓は操縦席の前に比べてかなり小さい。そこで、多くの乗客は窓にしっかりと顔を付けて外を眺めていた。

やがてハッチが閉められ、気圧の確認が終わると船はゆっくりと沈み始め、海中への旅が始まった。海面は文字通り水色なのに、沈んでいくとすぐに青っぽくなってくる。船はゆっくりと下に向かって進んでいく。

「こんなにすぐに水の色が変わるなんて…びっくり」

「太陽の光ってすぐに吸収されちゃうんだ」

「あ、康司さん、あそこにあるメ−タ−、どんどん数字が動いてる」

「あぁ、深度計だね」

「もう60メートルも潜ったの?アッという間ね」

「そんなに潜ったのかなぁ、まだ海面が上の方に見えるけど・・、あ、深度計の上の方にフィートって書いてある。60フィートなんだ。でも・・どれくらい?・・・?????」

「えーと、18メートルよ」

そう言うと、亮子はじっと黙って窓の外を見ていた。遙か上の方にはテレビでしか見たことのない、キラキラ光る水面が輝いている。そして、その光りとの間を小さな魚がシルエットになって泳いでいた。

「あれ?」

亮子がじっと上を眺めていると、水面の方からダイバーが降りてくるのが見えた。ゆっくりと潜水艦の窓まで降りてきたダイバーは魚をえさで呼び寄せ、乗客にその様子を順に見せている。康司は夢中になってその様子をよく見ようと立ち上がりかけたが、係員に座っているように言われてしまった。窓ギリギリまで来た大きな魚がパクパクとダイバーの与える餌を食べている。乗客は大喜びで写真に撮ったり自分と一緒に撮影してくれるように頼んだりして、しばらくは大騒ぎだった。もちろん、康司も持ってきたカメラで何枚も写真を撮っていた。

その間、亮子は一人で操縦席の前の一番大きな窓を独り占めして遠くの水面と目の前を何度も眺めている。『これが今まで絶対に見たかった景色?』亮子は自分と対話していた。目の前の景色は亮子の想像以上に綺麗で、神秘的で、静かなものだった。十分に感動するだけの迫力があった。しかし、それは亮子が密かに期待していたものとは違うような気がした。『どうして?こんなに綺麗なのに?』しかし、気持ちは弾むどころが落ち着いてくる。目を輝かせてキョロキョロしている康司とは大違いだった。しかし、決してイヤな気分ではなく、どちらかというと静かに気持ちが落ち着いた、と言う感じだった。緑色に満ちた海の中で、亮子はじっと黙ったままだった。まるで海水と一体になったかのように。

ダイバーはやがて潜水艦の全ての窓で餌付けを終えるとゆっくり水面に戻っていった。日本語の案内によると、更に深く潜るという。ゆっくりとモーターの音がして、船は静かに下に向かって降りていった。更に海水の色がゆっくり緑から青へと変わっていく。

「静かね」

「え?静か?アキちゃん、海中の音が聞こえるの?どこ?ヘッドホンか何かあるの?」

「あ、ううん、違うの。深い海って魚もいないくて、うす暗くて、とっても静かな所だなって」

「なんだ。そうだね。これだけ暗くなるともう写真なんか撮れないよ。残念だなぁ」

やがて船が水平になると、再び案内があり、

「深度120フィートです。何もありませんね」

と言っていた。

「ほんと、何もない。こんな静かな世界だなんて・・・・」

どちらかと言うと、暗いと言った方が良いような世界だった。しばらく深いところに留まっていた船は、やがてゆっくりと上昇を始めた。やがて周りの海に明かりが戻ってくると、再びダイバーがやってきた。今度は浅い所にいるらしく、海底が近いので魚だけではなく海草やイソギンチャクなどを客に見せている。さらに今度はイルカが近寄ってきて、ダイバーから餌を受け取っている。そうやって何度も乗客にショーを見せながら、二人の乗った潜水艦はゆっくりと海中の旅を続けた。

やがて潜水艦はゆっくりと海面に向かって上昇を始めた。海中の旅も最後になって、康司はやっと亮子がほとんど何も話していないことに気が付いた。

「アキちゃん、どうしたの?気分でも悪い?」

「ううん、なんか雰囲気が・・・・ね」

「どうしたの?きれいじゃない、とっても」

「うん、綺麗だけど・・・・なんか寂しくない?」

「そうかな?」

潜水艦はゆっくりと浮上した。海面に上がると波を受けてゆっくりと船が左右に揺れる。しばらくするとハッチが開いて乗客は下船を始めた。

外に出ると太陽の明るさに目がくらむ。

「うわぁー、眩しい!!」

康司だけでなく、亮子も一瞬くらっとするくらいの強烈な光りだった。

観光船に乗って港に帰るまでの間に、亮子はやっと気が付いた。『そうだ、あそこには太陽の光がないんだ。だからあんなに静かなんだ・・』当たり前のことだったが、亮子は今やっと実感として受け止めることができた、海の中がどんなところなのかを。

「康司さん、早く帰りましょう。なんか、浜辺に行きたくなっちゃった」

「え?いいけど・・・でも、まだ太陽の光が強いよ」

「大丈夫、日焼け止めをばっちり塗るから。ああ、早く帰りたいな、あそこへ」

手すりに手を置いて港の方を見ながら亮子は背伸びをするように言った。敬礼をするように手を額に当てて光を遮り、風に吹かれながら遠くを見ている亮子のとても眩しい、生き生きとした表情に、康司は思わず吸い寄せられるようにシャッターを切った。いきなり元気になった亮子の様子に少し驚きながらも、康司は亮子が生き生きとしてきたのが嬉しかった。亮子は康司がシャッターを切り始めても全く気にする様子が無く、

「ねぇ、やっぱりお土産、買っていきたい?ここは外国なのよね」

「ほら、あそこ見て、おっきなヨットが走ってる。あんなのに乗って旅をする人って、どんな人なんだろうな?」

と屈託無くカメラを構えたままの康司に話しかけてきた。その生き生きと遠くを指差す亮子を康司はどんどんフィルムに収めていく。

「あ、ちょっと待って」

あわてて康司は標準のスカイブルーのフィルターを薄いマゼンダに交換した。これで水の反射で肌の色が青くなるのを防ぐつもりだった。

「いいよ。お待たせ」

「やっぱり海の上はいいわ。みんな生き生きとしてる。鳥だって飛んでるし、雲も動いてる。やっぱりこの方が良いなぁ」

 

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