第19部
「ねぇ、さっきは元気なかったけど、潜水艦のツアーに乗りたかったんだろう?嫌いになったの?海の中が」
「ううん、違ってただけ、私の想像と。もっとにぎやかな感じかと思ってたの。それだけ」
ちょっとすねた感じで言う亮子を見ながら、康司は『これは良い写真になったぞ』と思った。亮子は薄い白の長袖ブラウスとミニスカートを着ているが、海の青さとの対比が素晴らしい。光りが強いので、本当は陰を消すためにストロボを炊く必要があったのだが、スナップ撮影程度にしか考えていなかった康司は持ってこなかった。だから内蔵のスピードライトしか使えず、少し不満が残る撮影だったが、何より亮子の表情が素晴らしい。生き生きとしているので、指の先までとても綺麗だった。
「ねぇ、そんなに一生懸命撮らなくたっていいじゃない。もうすぐ着いちゃうわよ」
「そうだね。ごめん。あんまり綺麗だったから・・」
「私?ほんと?うわぁ、よかった。それならもっと撮ってもらおうかな?」
「もうフィルムないよ」
「なんだ。残念。ねぇ、あわてて出てきた割りにはこの服、素敵でしょ?」
「うん、間違いなく海の上での撮影には合ってる。薄手だから、きっと光りが透けて綺麗に移ってると思うんだ。こんな撮影は日本じゃ無理だよ、光りが弱いから」
「えっ!透けて見えちゃってたの!言ってくれればぁ。もう、エッチ!!!」
「大丈夫だよ。身体のラインがうっすらと見えて綺麗だって言いたかっただけ」
「なんだ。良くわかんないけど、要するに綺麗に撮れたのね。それならいいかな」
「でも、撮影するにはいいんだけど、白の薄手の服は光りを良く通すから、日焼けを防ぐには良くないんだよ。これからは注意してね」
「もうこの服は着ないから大丈夫。日焼け止めだってばっちりなんだから。心配しなくて大丈夫よ」
「分かった。でも、部屋に帰ったら日焼けしてるかどうか確認しないとね」
「はいはい、また私の肌を見たいわけ?ま、いいわよ。いつでも言って」
亮子はだんだん写真撮影がどんなものなのか、少しずつ分かってきた。光りだとかなんとか康司はいろいろ言っているが、要するに色なのだ。カメラの前でどんな色に見えるか、が一番大切だと言うことを自然に受け入れるようになっていた。『色か、私って何色なんだろう?康司さんには何色に見えるのかな?』
ちょっとそんなことを考えて康司を見つめた。
港に船が着くと、康司は亮子に聞いた。
「これからどうするの?お腹減らない?お昼、まだだよ」
「そうね、どうしようか。まずお腹をいっぱいにしないとね」
「ホテルに帰るの?」
「う〜ん、それでも良いとは思うけど・・、何か食べたいもの、ある?」
「簡単でボリュームのあるチャーシュー麺とかがいいな」
「グァムに来てチャーシュー麺食べるの?そんなの無いと思うけどなぁ」
「それじゃぁ、やっぱりホテルに帰って昨日のレストランか。あそこはボリュームあっていいんだけど、なんて言うか、疲れちゃって」
「とりあえず聞いてみるから待ってて」
亮子は電子辞書でいくつか単語を調べてからぶつぶつ何かを言いながらギフトショップの店員の所に行くと、
「
Excuse me, would you tell me the location of restaurant we can eat soup noodle? do you know…?」(済みませんけど、スープ麺を食べられるレストランの場所を教えてください。知ってます?)「
OK, you can go to Micronesia Mall」(マイクロネシアモールに行ったら?)「
Micronesia Mall?」(マイクロネシアモール?)「
So, it's a best place to eat and shop. You can find any you want」(そう、食べたり買い物したりに一番良いところよ。欲しいものは何でもあるわよ)「
How can we get to there?」(どうやっていけばいいの?)「
Hnn, you don't have a car, huuu, you may take a taxi」(車が無いのね。タクシーで行けば?)余り親切な言い方ではないような気がしたが、公共交通機関がほとんど無いのであれば仕方がない。
「ねぇ、タクシー使うしかないみたいよ」
「タクシーか、大丈夫だよね、危なくないよね」
「私に言われたって・・。でも、・・う〜ん、やるっきゃないか!」
亮子はそう言うと康司と一緒に、と言うより康司を連れて外に出た。タクシー乗り場というものはないようだったが、何となくタクシーが何台かいる場所はすぐに見つかった。外に出て他の運転手と話をしていた一人の運転手が、近づいてきた二人を見つけると大急ぎで後ろのドアを開けてくれた。
二人はそのままタクシーに乗り込むと、ドアを閉めた。
「
Hi, how are you, today?」(やあ、げんき?)「
We are good, would you go to Micronesia Mall?」(はい。マイクロネシアモールへ行って下さい)「
Certainly, 15 min.」(あいよ、15分だ)昨日、空港に着いたときは活発に運転手と話していた亮子だったが、今日はあまり気分が乗らないらしく、走り出して運転手が話しかけてきても
Yes, Noくらいしかまともに返事をしない。どうやら初めてのタクシーに緊張しているようだ。亮子や康司にしてみれば、空港にいるタクシーと違って街のタクシーを使うというのが安全なのかどうなのかが全く分からないので、どうしても緊張してしまい、言葉が少なくなってしまう。最初は何度か快活に話しかけてきた運転手も、なかなか返事をせずに二人だけでこそこそ何事か話している二人に、だんだん嫌気が差してきたようだ。
気が付くと車内の雰囲気は康司にもはっきりと分かるくらい険悪になっている。心なしかタクシーの運転も少し荒くなってきたようだ。康司はこの場の雰囲気を何とかして欲しいと思って亮子の方を見たが、亮子も何を話して良いかどうか分からないらしく、少し青ざめた表情のまま何も話そうとしない。
康司は、このままじゃよくない、と直感した。タクシー料金はメ−タ−がちゃんと動いているので問題はないようだが、これだって何かと言われて割増料金を取られるかもしれない。二人は別に高価なものを持っているわけではないが、康司のカメラだけは借り物のパーツをいくつも付けてあるので取られたら大変だ。本当にこの状況が安全か危ないのかは別にして、ここは何とかして運転手とうち解けないと、康司たちが安心できない。
「ハイ!ハウアーユー!アイム、コウジ」
突然康司が話し出した。まるで英語ではない、完璧な日本語の発音の英語だ。一瞬、運転手はびっくりしてハンドルが少しぶれたくらいだった。
「ハイ!ハウアーユー!」
康司は一生懸命話している。康司が言っていることが通じているのかどうかは分からなかったが、運転手はとりあえず康司が話しかけてきているらしいことだけは分かったようだ。
「
Hi, I'm good. How about you?」(ハイ、俺は良いよ。そっちはどう?)いぶかしげに話を返されても康司には聞き取れない。単語の最後の子音を聞き取れない康司には(ハ、アイグッ、ハバッツ!)と聞こえるのだ。当然、何を言っているのかは分かっていない。しかし、康司はそれを無視して話し続けた。
「ドゥユーライク、ジャパニーズガール??」
突然康司は大声でとんでもないことを話し始めた。しかし、今の康司に話せる運転手との話題と言えばこの程度しかなかった。その他に康司の頭の中にあったアメリカ人の知っている日本の話題と言えばゲイシャ、フジヤマ位しかなかったのだから。幸い、運転手はいい人だった。
「
Japanese girl? Absolutely, positively, affirmative. Your girl friend looks so pretty. I always love Japanese tourists, not girls.」(日本の女の子?もちろん当たり前に当然さ。あんたのガールフレンドはかわいいね。俺は女の子だけじゃなくて、いつも日本人の観光客は大好きだ)運転手の返事の中には少し皮肉も込められていたのだが、そんなことは康司には分からない。元々ほとんど聞き取れていないのだから。しかし、運転手の口調からあまり悪い印象を持っているわけではないことだけは分かった。
「アイ、ライク、ビーフステーキ、ポーター・・ポーター???」
「
Steakee?? Beef Steak???? You say “porterhouse”?」(すてぃきぃ?・・・ビフテキ?ポーターハウスか?)「そーそー、ポーターハウス、ポーターハウス。アイ、ライク、ポーターハウス。デリシャス」
「
All Guam steak is best in the US. The best beef come from all over the US, not Australia. Where did you eat it, yesterday?」(グァムのステーキ全部がアメリカで一番さ。アメリカ中から最高のが集まってくるんだから。オーストラリアだけじゃなくてな。昨日はどこで食べたんだ?)康司は困ってしまった。気合いで話しかけたのは良いが、向こうが何か質問している。何か答えなければと思うのだが、何と応えて良いのか分からない。
「アイ、ライク、ポーターハウス・・、グッド・・」
「
Actually, we ate them in restaurant in our hotel. I surprised for the sizes. It's not big, huge! I've never seen it like that.」(あのね、私たちは昨日、ホテルのレストランで食べたの。その大きさに驚いたわ。大きいんじゃなくて巨大よ。私はあんなの見たこと無かった)康司がもごもご言っているのを見かねて亮子が話し出した。康司の気合いに誘われる形で亮子もとうとう話し出したのだ。あんなに嫌がっていた英会話を必死にやっている康司を見ていて黙っていられなくなったのだ。
「
It's huge?? No, It's not huge. I eat it once a week. Why do you say it's huge?」(巨大だって?そんなことはないさ。俺は週に一回は食べる。どうして巨大だなんて言うんだ?)「
Because, Japanese beef steak is rather small. It would be about one fifth of that.」(だって、日本のビフテキはかなり小さいの。だいたいあの五分の一かな?)亮子が加わって会話が一気に弾んできた。おかげで車内の雰囲気はあっという間に楽しげなものになってしまった。康司はどっと噴き出した汗を感じながら、『やっぱりアキちゃんがいないとだめだな』と思っていた。会話が弾むと道のりは短い。それからはあっという間にマイクロネシアモールに着いてしまった。車が止まると亮子はメ−タ−の金額に15%のチップを乗せて支払い、
「
Thanks a lot」(どうもありがとう)と言うと、
「
Have a good tour, and your love」と運転手が答えて、康司にウインクをした。康司は今一歩良く聞き取れずにキョトンとしていたが、その隣の亮子の方が顔を赤くした。
「どうしたの?なんて言ったの?」
よく聞き取れなかった康司が亮子に聞き返したが、亮子は、
「何でもない。良い旅をって。さぁ、早く入りましょ。お腹ぺこぺこ」
「『良い旅を』ってボンボヤージとか言うんじゃなかった?」
「それはフランス語でしょ、あー日焼けしちゃうー!」
と言うと、康司の手を引いてショッピングモールの中に入った。
明るくて広いモールの中は外とは別の商店街のようだ。特に明るい色でまとめられた通路は、元々広い通路をよけい広く見せているし、歩いている人の数も東京とは比較にならないくらい少ない。
「わぁ、映画で見たことある。こんなとこ。良いなぁ」
「うん、きれいなとこだね。でも、ご飯にしようよ」
「はいはい、たぶんレストランがあるはずなんだけど・・・、あ、あそこに案内図がある。見てみようよ。えーと、あ、2階なんだ。あっちね。いこう」
亮子はフードコートの方を指さすと歩き出した。ちょっと歩くと、だんだん良いにおいがしてくる。
「ああ、美味しそうなにおい」
「アキちゃん、臭いだけで分かるの?」
「そうじゃないけど、なんかそんな気がするの。私のカンは結構当たるんだから」
漂ってくる美味しそうな臭いが強くなってくると次第に二人の足取りは軽くなり、フードコートが見えてきた時には軽い小走りになっていた。その臭いは昨日のホテルのレストランのいかにも西洋風の臭いとは違い、どこか懐かしい臭いが混じっていた。
「あ、ケンタだ」
「当たり前よ、こっちが本場なんだから」
「和食もあるよ。キッチンアリガトウだって」
「行ってみよう」
「おおっ、カツカレーだ。チャーシュー麺、冷やし中華、天ぷらうどん、なんでもあるぞ」
「どれにしようかな?迷っちゃうね」
二人はディスプレイの前をウロウロしながらしばらく考え込んでいたが、考えれば考えるほどお腹が空いてくる。とうとう我慢できなくなった康司は、
「とにかく、まずカツカレーとラーメンのセットにする」
と元気良く宣言した。