第20部

「わぁ、ずるい。それなら私は・・・・、いいや、天ぷらうどんとエビフライ定食のセットにする」

「え?アキちゃん、そんなに食べられるの?」

「わかんないけど、とにかく食べたいの。少し手伝って」

亮子はそう言うと、カウンターに行って二人分オーダーした。康司はその間、周りをきょろきょろしながら見回し、空いている席を見つけて二人のテーブルを確保した。亮子が注文を終えて戻ってくると、

「よく見たらいろんな国の料理があるんだね。コリアンて韓国だっけ??チャイナゲートってたぶん中華だよね。もっとよく見れば良かった」

「そう、康司さんはゆっくり見てれば良かったって思うのね。でも、その分食べ始めるのは私より遅くなるのよ。分かってる?私はさっきので十分満足だから」

「なに言ってんの。俺が先に決めたからアキちゃんがあわてて決めたくせに。俺が迷ってたら、きっとアキちゃんも一緒に迷ってたよ」

「そうかも知れないけど・・・・、でもね、女の子の方が食い意地が張ってるんだから。どうなってたか分からないわよ!」

亮子はニヤッと笑って康司を脅かした。

「そ、そんな・・・・。アキちゃん、一人で勝手に注文して、それでさっさと食べちゃうの?俺が注文してないうちに・・・??」

「分からないわよ?女の子を甘く見ると、どうなるか?」

そう言うと亮子はケラケラと笑った。もちろん、まともに英語のできない康司をおいて、さっさと自分だけ食べるつもりなんか全然なかったが、康司に先を越されてばかりではおもしろくないからちょっと脅かしてみただけだった。

「あ、できたみたい。呼んでる」

亮子は自分のレシートに書かれた番号が読み上げられるのに気がつくと立ち上がった。

「ぁ、私の番号だ。待ってて、すぐに持ってくるから」

そう言うと亮子はカウンターに向かった。それを見送りながら康司は、『結局アキちゃんに全部世話してもらわないとなんにもできないんだな』と少し寂しい気がした。今さら英会話を勉強しておけば良かったとは思わなかったが、それにしても外国に出るとこんなに不自由なのか、と何かを一つやるたびに身にしみる。たとえば、今亮子が急に倒れたとしても、康司には電話を掛けることも、人を呼ぶことも、部屋に帰ることも何もできない。

ふとカウンターを見ると、亮子がお盆を持ってこちらに歩いてくるところだった。それを康司の目の前に置いて、

「さぁ、先に食べてて。今、私のを持ってくるから」

と言うと再びカウンターに引き返した。考えてみれば二人ともセットを注文したのだから、亮子一人で一度に運べるはずがない。そんな簡単なことにも気がつかなかった康司はよけいにがっかりしてしまった。亮子はすぐに自分の分を抱えてくると、

「さあ、食べようよ。冷めちゃうから」

と言うと割り箸をパチンと割って食べ始めた。それにつられて康司も食べ始める。ふつう、日本でセットメニューというと、最低どちらか一つは通常より小さくなっているものだが、ここのセットはどちらも普通サイズだった。そしてここの「普通サイズ」というのが日本の大盛り並なのだ。

「すごい、こんなにはいくら私でも食べきれない。こんなにたくさんなんて」

さすがに亮子は気後れしたようだったが、康司の方はそんな亮子の言葉も気にせずに、ただひたすら食べ続けている。昨日あんなに大きなビフテキを食べたことなどきれいに忘れているみたいだった。

康司にはカツカレーもラーメンもそれほど美味しく感じなかったが、日本のスーパーのフードコートで食べているみたいに却って安心できた。ほとんど何も考えないうちにどんどん食べてしまう。

やがて康司がラーメンを食べ終わり、カツカレーに入る頃になってやっと一息ついてきた。

「アキちゃん、全部任せっきりでごめんね。今度はちゃんと何かするから」

と亮子にちょこっと頭を下げて見せた。天ぷらうどんを半分も食べていない亮子はエビ天を箸でつかんだまま、

「ううん、そんなことない。さっきだって、タクシーの中で私が何にも言えなかったときに、ちゃんと話をしてくれたじゃない。私、何か話さなきゃと思ったけどできなかった。康司さんがいてくれたおかげ」

「でも、結局あれだってアキちゃんが助けてくれたからうまく話が続けられたんだよ。さっきだって番号を呼ばれていたはずなのに全然気がつかなかったし・・・数字くらい分かってもいいはずなのにね」

「康司さんはレシートの番号を呼ぶって言うことだって知らなかったんだから仕方ないわ。発音が学校で習うのと全然違うんだから聞けなくて当然だし。お礼を言うのはこっち」

亮子はそう言って譲らなかった。そのとき、康司に良いアイデアが浮かんだ。

「じゃあね。そのエビ天、ちょうだい!」

亮子は自分がエビ天を箸でつかんだまま話をしていたことに気がつくと、

「え?これ?ええ、いいわ・・・わかった・・・」

と言って、康司のカツカレーの横に置いてくれた。しかし、一瞬ちょっと残念そうな顔をしたのを康司は見逃さなかった。

「ありがとう、これはそのお返し」

そう言うとカツを二切れ、亮子のうどんに載せてくれた。

「あ!そんな・・・・、でも・・・ありがとう・・・へへ・・もらっちゃった・・」

「ねぇ、その天ぷらうどん、美味しい?」

「食べたいの?どうぞ?」

「違うんだ。さっき食べたチャーシュー麺は、なんかスープの味が違ってて、チャーシューはハムだったし、日本の味じゃなかったから、そっちはどうかな?と思って」

「こっちはまぁまぁね。食べる?」

「ううん、アキちゃんが気に入ったのならそれでいいよ」

そう言うと二人は笑った。やっと心のわだかまりが解けた気がして、二人は先ほどの潜水艦のツアーについていろいろ話をした。亮子は潜水艦ツアーをインターネットで見つけてから決めるまでのこと、康司は潜水艦の中での写真撮影について一生懸命話し続けた。

その時二人は、結局お互いが助け合わないとうまく行かないと言うことに気がついた。亮子は困ったときになりふり構わず助けてくれる康司が大好きだったし、康司は結局亮子がいないと何をやっても中途半端で終わってしまうことに気がついた。考えてみれば、昨日、旅行を始めてからずっとそうだった。なんか二日目になってやっと自分たちの存在が見えてきたみたいだった。

二人はいろんな話をしながら食べていたので意外に時間をかけて食べていた。最初カツと天ぷらを交換した二人だったが、結局二人はそれぞれの器を交換してお互いに味見をしながら食べたので、結局二人で4皿食べたのと変わりなかった。康司の方が全体としてみれば亮子より少したくさん食べたが、亮子だってお腹いっぱい食べたし、二人とも大満足だった。

全部食べ終わってからも二人は話し続けていた。今までのことやこれからの予定など、今まで少し気になっていながらも、なぜか話せなかったことまで全部話した。だから、気がつくと時間は2時を回っており、1時間以上も話していたことが信じられなかった。

「あ、そろそろ戻らなきゃ、準備があるから」

「もうそんな時間なの?」

亮子は少し驚いた様子で席を立つと、康司と一緒に外に出た。幸いタクシー乗り場はすぐに見つかったので、自分たちのホテルの名前を告げると運転手は、20分ほどだ、と愛想良く答えて車を走らせた。そして午前中に乗った潜水艦の乗り場を通り過ぎて自分たちのホテルに戻るまで運転手を交えて三人で(と言っても康司はあまり会話に参加できなかったが)天気のこと、グァムのこと、買い物のこと、などいろんなことを話した。会話の内容よりも、運転手と会話したこと自体が楽しく、あっという間にホテルに着いてしまった。

自分たちの部屋に入ると、二人はやる気満々で準備に取りかかった。康司は機材の準備を始め、亮子は一度シャワーを浴びてから水着になって日焼け止めをよく塗った。二人の準備が整ったのは2時を回った頃で、まだ日差しは強かったが亮子はやる気満々だった。

二人は午前中にけんかした浜辺まで来ると、木陰に荷物を置いて周りを見渡した。

「ねぇ、今度はどういう風に撮影するの?」

「どうしようか?アキちゃんの好きな風にして良いよ」

「計画ではどうなってるの?」

「もう、あのメモは使わないって決めたんだ。覚えてるけど・・。アキちゃんがリラックスできるんならそれが一番だから。本当に好きにして良いよ」

「そう言われても・・・。困ったな」

「じゃあ、こうしよう。撮影にきたんじゃなくて、遊びに来たと思えばいいよ。アキちゃんの好きなことをしてればいい。こっちは勝手に撮影するから。話しかけたりはすると思うけど」

「そんなんで良いの?陰とか太陽の当たり方とか難しいんでしょ?」

「それを何とかするためにいろいろな機材を借りてきたんだ。たぶんなんとかなるよ。昼間でもストロボがパチパチ光ると思うけど、気にしなくて良いからね。さぁ、思いっきり遊ぼう。せっかくグァムまできたんだから」

「そうね。明日は帰るんだし。遊んじゃおうか?」

少し心配そうにしていた亮子も、どうやら気持ちを切り替えたようで、元気よく立ち上がるとTシャツを脱ごうとした。

「ちょっと待って、そこから撮影するから」

「なあんだ。せっかく人がその気になってきたのにぃ」

亮子は笑いながら言うと、康司の構えるカメラの前で改めてTシャツを脱いで木の枝にかけ、砂浜に向かって歩き出した。それを康司が何枚も撮影する。

亮子は椰子の林をゆっくりと抜けて海岸の砂浜に出た。椰子の葉に遮られていた強い日差しをまともに浴びて眩しさに目が眩む。

「ねぇ、光、強すぎない?」

「うん、そうだけど、午前中に撮影をやめたときほどじゃないよ。それより弱くなっている。何とかいけそうだ。日差しが弱くなりすぎないうちに撮影しちゃおう」

康司はそう言うと、荷物を木の下に下ろし、撮影用のカメラを取り出した。

「どうしようか?砂浜で走ってみる?」

「う〜ん、それも楽しいかも?」

そう言うといきなり亮子はたたたっと走っていった。康司がカメラを構えると、亮子が声を上げて走ってくる。康司は亮子の肌が斜めから日差しを受けるようにして連写でシャッターを切った。日差しが強いので被写体が走っていてもほとんどぶれる心配がない。

「こんなに疲れるなら走るのやだー!」

亮子はそういって康司の横を走り抜け、それからすぐに歩いて戻ってきた。

「なんだい、アキちゃん、『キャー』とか言うかと思ってたのに」

「私、モデルじゃないもん。いかにもそれっぽくしたら私らしくないでしょ?」

「そうかなぁ?それもいいと思うけど」

「もう一回しようか?」

「ううん、いいよ。それなら、そこに座って砂と遊んでみてくれる?」

「砂と遊ぶの?そんな子供みたいなこと・・・、ぅわあ、綺麗。この砂、透き通ってる。よく見るといろんな色があって。・・・記念に持って帰りたーい!」

康司はその笑顔を余さずフィルムに焼き付けた。

「ねぇ、海に入ってもいい?暑くて」

「うん、でも、あんまり遠くに行かないでね」

亮子が海に入ると、驚いたように言った。

「ああっ、すぐに深くなるよ。遠くに行ったらおぼれちゃう」

「それなら波打ち際で遊んでよ。きっと楽しいよ」

「どう?なにかみつかった?」

「ちょっとこっち向いて」

「それ、こっちに見せてよ」

「コラ!水をかけちゃダメ!」

「砂浜に寝ころんでみたら?」

「あはは、それ、おもしろいや。もう一回やってみて」

「ねぇ、水の中に何か見える?」

康司は撮影しながらも亮子との会話を楽しんでいたので、亮子にしても一人で遊んでいるとは感じなかった。時には康司を少し困らせてみたり、せっかく見つけた貝を康司には見せなかったり、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。しかし、亮子は時間のことなど気にせずに思いっきり楽しんでいる。

 

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