第29部
「疲れた?」
「うん、でももう少しは大丈夫」
「そう。よかった」
「でも、明日の朝は早いから、今日は早く寝なくちゃね」
「うん、わかった。そうしよう」
「康司さん」
「なに?」
「もし、私が疲れていたら、ごめんなさいね」
亮子はじっと康司を見てそう言った。康司は最後の夜を楽しみにしていた。亮子が疲れているのは知っていたし、亮子の中がだいぶ傷ついているらしくて痛みを感じることも気がついていたが、それでも亮子が許してくれれば情熱の全てをかけて亮子を愛するつもりだった。だから、頭では分かっていても亮子にそう言われると少し、いやだいぶショックだった。
「うん、仕方ないね。でも・・・」
「なあに?」
「少しくらいだったら大丈夫かもしれないし・・・」
「もう、私の身体のことも考えてよ。でも、とにかく後はベットに入ってからね」
亮子はちょっと笑ってそう言った。
二人は食事の間、良く話をした。亮子は康司に写真を撮ってもらえたことを喜び、康司は亮子をファインダーの中から見つめ続けたことを話した。
「康司さんがシャッターを押すと、ほとんど音なんて聞こえないのに、『あ、今撮ったんだな』って分かるの。とっても不思議」
「シャッターを押す瞬間には、アキちゃんが一瞬だけ小さくだけどポーズを決めるんだ。だからぶれないし、背筋が綺麗に伸びるから良い写真になると思うよ」
「私、そこまで考えてなかったのに」
「写真ができたら説明するよ。絶対に間違いない」
「ほら、ふわーってバックが流れる写真があるじゃない?ああいうのはないの?」
「あれは絞りを開けて高速シャッターを切るんだけど、もともと1/1000秒がここの標準みたいなものだから、あまり綺麗には流れてないと思うな。でも何枚かは撮ったよ」
「日本に帰るのが楽しみになってきた。これで帰るときも寂しくない」
「楽しみにしていてね」
「うん、わかった」
亮子は不思議と康司が部屋で撮影していたビデオには興味を示さなかった。康司が部屋のテレビに繋ごうか聞いたときも、
「康司さんが見たいならいいけど・・・」
と言って興味を示さなかったし、撮影済みのテープをバックアップ用にダビングしていることさえ気が付いていないようだった。
亮子はとにかく写真のできあがりについて何度も聞いてきた。
ふと気が付くと10時を回っていた。
「康司さん、先にシャワー浴びて良い?」
「良いよ。時間はたっぷりあるから」
「それじゃ」
亮子は手早く支度をすると、バスルームに向かった。
「シャワーシーンとかも撮ろうかな?」
と言って康司が続いて行こうとすると、
「だぁーめ、もう撮影は終わりなんだから」
と言ってドアを閉めてしまった。
康司はカメラを持たずに行けば一緒にシャワーを浴びれたかな?と少し後悔した。
亮子がシャワーから出てくると、入れ替わりに康司が入った。
康司は数分で出てきたはずだったが、テレビの前に亮子はいなかった。
「アキちゃん?もう寝たの?」
「ううん、まだ起きてる」
しかし亮子はベッドにしっかり入っており、その声は弱々しかった。そして康司が髪を乾かし終わる頃には完全に寝てしまっていた。
「アキちゃん?」
康司が声をかけても亮子は返事をしなかった。よほど疲れていたのだろう。考えてみれば、バージンだった亮子の身体の中で康司はもう何度も果てていた。かなり負担がかかったのかもしれなかった。
それが分かってはいたものの、亮子の隣で大人しく寝るのは康司にとってあまりに辛かった。康司自身はまだ眠くなかったし、最後にベッドで思いっきり亮子の中に入りたかった。
康司にとっては、亮子はあまりにも魅力的過ぎた。
康司は亮子のベッドにそっと入ると、亮子を抱きしめてみる。
「あ・・ん・・・だめ・・・・少し寝かせて・・・・・」
亮子は寝ぼけた様子で康司を受け入れようとはしなかった。しかし、康司がTシャツの中の胸の膨らみに触っても何も言わなかった。康司はTシャツをめくり上げると、そこに唇を這わせていく。
「康司さん・・・・」
「なあに?」
「寝ちゃいそうなの。ごめんなさい・・・・・」
「アキちゃん、好きだよ」
「私も・・・・・少し寝かせて・・・」
どうやら亮子は疲れて切っているらしく、康司が亮子の身体を探り始めても、それ以上反応しなかった。
こうなっては仕方がない。康司は諦めて自分のベッドに戻ると、ほとんど使っていないそのベッドで持ってきた本を読み始めた。そしていつの間にか寝てしまった。
「うわぁ!寝過ごしたぁ!」
亮子の声で康司が目を覚ますと、
「急いで、康司さん。車を呼ばないと。どうやってタクシーを呼ぶんだっけ?エーとエーと、そうだ、フロントだ」
「タクシープリーズ。アワエアプレーンリーブウィズワンナワー」
余程慌てていると見えて、亮子がフロントに電話した声は完全な日本語だった。それでも何とか通じたと見え、
「康司さん、忘れ物無いようにして。私、先にフロントでチェックアウトしてるから」
そう言うと、慌て手荷物を詰めて部屋を出て行った。康司も昨日のうちに支度は終えているから、直ぐに亮子の後を追った。ただ、康司の方が圧倒的に荷物が多いので、どうしても荷物の少ない亮子のようには行かない。
康司がフロントに着いたときには既にタクシーが着ており、亮子がチェックアウトを終えて出てきたところだった。
「乗って乗って!」
亮子と二人で飛び込むようにタクシーに乗ると康司は、
「アキちゃん、大丈夫かな?間に合いそう?」
と心配そうに聞いた。
「たぶん、大丈夫だと思う」
と答えた亮子の声は心配そうだった。
「手続きとかあるの?」
「あるけど、簡単だから、混んでいなければ大丈夫」
「またアキちゃん、お願いね。手続き」
往き帰りに関しては、康司は亮子に全部任せるしかなかった。
「大丈夫。絶対間に合う」
亮子は自分自身に言い聞かせているみたいだった。
車は空港を目指して猛スピードで飛ばしている。運転手にしてみれば、日本人の使う飛行機の時間など全部頭の中に入っているのだろう。
「Can I catch up with our plane?」(飛行機に間に合う?)
亮子が運転手に間に合うか聞いてみた。
「No problem, you can do that!」(問題ないさ。大丈夫)
運転手は問題ないと言っているらしかったが、康司の外の景色は凄いスピードで動いており、とても問題ないというレベルではなかった。
「アキちゃん・・・・」
「もうすぐ空港に着くから、エーとパスポートと、チケットと・・・」
「え?もう着くの?」
「そう、管制塔が見えてるもの」
亮子の行った通り、車はすぐに空港の中に飛び込んでいった。しかし、ターミナルの近くまで来るとさすがにノロノロ運転になった。
「Thank you, TAXI DRIVER!」
「You can call me at anytime! You have a good flight!」
(いつでも呼んでくれ。良いフライトを)
ドライバーは先程までの運転とはうってかわって爽やかに二人を送り出してくれた。しかし、二人には運転手の親切に感動している時間など無かった。慌ててターミナルの中に入ってJALを探す。
「良かった。まだ手続き中だ」
亮子はターミナルの「Check in」の表示を見つけると、慌ててカウンターに行った。亮子は二人分のパスポートとチケットを見せただけだったが、係員が荷物を指差すのでそれを康司が持ち上げて載せた。すると係員は猛烈なスピードでタイプし始めた。
「アキちゃん、なんて言ったの?」
「何にも言ってない」
「え?」
「ただパスポートとチケットを渡しただけ」
「便利なんだね」
「そうかしら?」
せっかくの英語を使う機会が一つ減ってしまい、亮子は不満そうだったが、それでも帰りの飛行機に乗れるだけでも喜ぶべきだった。二人の頭上では既に表示が「Boarding」に代わっており、搭乗が始まっていることを示していた。
手続きが終わると係員は手早く荷物にタグを貼り付け、早口で金属探知機の方を指差して何かを言い始めた。康司には英語は分からなかったが、何を言っているのかは明らかだった。
既にがらんとしているカウンターを離れ、二人は金属探知機でボディチェックを受けた。こういう時のチェックはやたらと長く感じる。やきもきしながらチェックを終えた二人は、とにかく搭乗ゲートへと急いだ。
田舎の飛行場と言えども移動距離はかなりある。二人は殆ど走りながら自分たちのゲートを探した。やっと着いたゲートには幸いまだ何十人もの客がいたので、そこで初めて二人は安心して歩き始めた。
康司は帰りもビジネスクラスに乗れるものと思っていたが、亮子にくっついていった先は普通のエコノミークラスだった。
「あ、今度はエコノミーなんだね」
「そう、アップグレードは片道だけだったみたい」
「でも、こっちの方がアキちゃんの直ぐ隣に座れるからいいや」
「時間も短いしね」
二人はそう言って笑った。