第39部
翌日の十時頃、昌代から連絡が入った。
「ねぇ、今日は何か予定あるの?」
「なんでだ?」
「ちょっと、興味があったから」
「そうか、それじゃ教えてやる。アキちゃんから会わないかって電話が来たんだ」
「えっ・・・・それ・・・・」
「どうした?」
「ねえ、バカなこと聞いてもいい?行くの?」
「そうだ」
「・・・・・上手くいくと良いわね」
「どういう意味だ?」
「そう言う意味よ」
「俺だってバカじゃない。以前と同じ筈がないさ」
「嘘」
「もしかしたら見かけは同じかもしれないけどな。たぶん、もう・・・違ってるさ。二人共」
「・・と言うことは、そうじゃないかも知れないって思ってるんだ」
「・・・・鋭いな、お前」
「もう一回聞くわね。良いの?本当に会った方が良いの?」
昌代の心の中にはもやもやしたものが溜まっていた。心の中のもう一人の自分が叫んでいる。『こんなカウンセリングみたい
な事は似合わない。もっとストレートに言っちゃえ!何やってんのよ。はっきりしない女やってんじゃ無いよ!』
「どういう事だ?」
「私がいるなら良いじゃないの。それとも私じゃいや?」
「お前・・・」
昌代はじっと待った。待つのが辛くて何かしゃべってしまいそうだったが、それでも全身の神経を耳に集中させてじっと待った。
「ごめんな・・・」
それだけ言うと康司の通話は切れた。昌代はしばらく放心状態だった。自分があんなことを言ったのも不思議だったが、康司の最後の返事はもっと変だった。あれは康司が自分から昌代を彼女だと認めた言葉だった。単なる身体だけの関係ではないと告白したに等しい。
本当なら昌代は悔し涙を流さなくてはいけないのだが、不思議と腹が立たなかった。
どうしてそんなに腹が立たないのか不思議だったが、しばらくしてある理由を思い付いた。昌代の方が亮子のことを知っているからだ。たぶん、恋に落ちている康司よりも冷静に亮子を見た経験があるからだ。ただ、そう思い当たった時、昌代は別の不安に襲われた。もしかしたら康司がもっと傷付くかも知れない・・・・・。
康司は待ち合わせの場所が近づくにつれ、頭の中が混乱してきた。心の中では純粋に亮子を好きな気持ちと、そんな自分にブレーキをかける気持ちが激しく戦っている。もし亮子が康司の望むような女の子だったら、勝手にフィルムを持ち去ったまま連絡を絶つはずがない。どんな理由があるにせよ、その理由をはっきりと教えてくれたはずだ。それを亮子がしなかった以上、康司に隠したい何かがあると見て間違いない。そこまでは考えることができた。
今、亮子に会ってしまって良いのだろうか?亮子の笑顔を見た途端にそんな疑いなど吹き飛んでしまわないだろうか?そして、その結果再び亮子に放り出されたりしないのだろうか?このまま一駅通り過ぎてから反対列車で戻ろうか?そうすれば少しだけ時間が稼げる。そうした方が良くはないか?
結局、康司は小川町の駅で降りると改札を目指して歩き始めた。まだ待ち合わせの時間まで十分以上ある。亮子がどんな風に現れるか、それを見ようと思った。
案の定、改札にはまだ亮子は来ていなかった。康司は壁により掛かり、じっと改札を見続けた。
亮子は約束の時間より2分だけ遅れて現れた。白のTシャツにミニスカートと言ったカジュアルな格好だ。
「康司さん、待った?」
「ううん、数分かな?」
「ちょっと遅れたかな?ごめんなさい」
そう笑顔で話す亮子は康司の知っているとおりの素直な亮子そのままだ。相変わらず笑顔がとても可愛らしい。
「大丈夫だよ。それじゃ、行こうか?」
「ねぇ、怒ってない?」
「何を?」
「勝手に約束を破っちゃって連絡しなかったでしょ?」
「そうだね」
「やっぱり怒った?」
「う〜ん、怒ったって言うか、がっかりしたって言う方が正しいかな?楽しみにしてたから」
「ごめんなさい。私、謝らなきゃ」
「何を謝るの?」
「康司さん、約束を破ってごめんなさい」
「理由を聞いても良いかな?」
「たいした理由じゃないの。親にちょっとバレバレになっちゃって、外に出にくかったの」
「なんだ、そうなんだ」
「ごめんなさい。それで落ち込んじゃって、どこにも出かける気になれなかったの」
「そうなんだ」
「でもね、それじゃいけないって。中途半端じゃ、私の撮影旅行の意味がなくなっちゃうって思ったの。それで気持ちを切り替えて出てきたの」
「そうか、それじゃ、良い写真を焼こうね」
「うん」
二人は通りがかりのマックに入ると、アイスコーヒーとシェイクを頼んで席に着いた。
「康司さんは何をしていたの?」
「ふらりと出かけたり・・・・特に何もしてないよ」
「そう?」
「どうしたの?何か聞きたいの?」
「ううん、なんでもない」
「それじゃぁ、今日の予定を決めようか」
「賛成。フィルムの現像って前に一回見たけど、あれをやるの?」
「そうだね。でも、今回はもっと丁寧にやるよ」
「どんな風にやるの?」
「普通はこの前みたいに全自動で現像をやってもなんの問題もないんだけど、今回はアキちゃんの一生で一番大切なフィルムだろ?だから現像の仕方もちょっと違うんだ」
「うわぁ、あのテレビで見た奴かなぁ。暗い部屋でフィルムを見ながら現像するんだ」
「それは写真が白い印画紙にふぁ〜って現れる奴だろ?」
「そうそう、それ!」
「フィルムの場合はその程度の明るさでも真っ黒に焼き付いちゃうから、目で見ながら現像するのは無理なんだ」
「そうか、でも、それならどうするの?」
「実は、アキちゃんの撮影をする前に試し撮りをしたフィルムがあるんだよ」
「試し撮り?私を?知らなかった」
「アキちゃんを、じゃないんだ。部屋とか浜辺とかなんだけど、そんなに枚数がいらないから適当に短く切ったフィルムをあらかじめパトローネに入れておいたんだ。それを最初に全自動で現像して、どこを修正するか決めるんだ。その為のフィルムだからほんの数枚しか入ってないんだ」
「凄いんだ。そんな風にするのかぁ、知らなかったわ」
「でも、そうやると全部全自動でやるよりも時間がかかるよ。それでも良い?」
「もちろん」
「フィルムを現像して、試し焼きしてから撮影したフィルムの現像方法を決めるから、現像が終われば、それだけで夕方になるよ。時間、大丈夫?」
「そんなにかかるんだ・・・・」
亮子はびっくりしたみたいでちょっと考え込んだ。
「焼き付けは明日以降でも良いかな?」
康司は恐る恐ると言った感じで亮子に聞いた。
「もちろん。そうしよう!」
「いいの?」
「もちろん。だって、最高の写真を作ってもらうんだもん」
亮子は弾けるような笑顔で康司に笑いかけた。その笑顔を見た途端、康司は目の前の亮子を再び抱きしめて自分のものにしたくなった。
「あー良かった。ちょっと心配しちゃったから」
「なにが?」
「だって、康司さんに嫌われたらもう写真を撮って貰えなくなっちゃうかもって思って心配してたんだもの」
「そんなこと心配してたの?」
「ごめんなさい」
亮子はぺこっと頭を下げた。
「写真くらい、いつでも撮ってあげるよ」
「本当?」
「うん。大丈夫だよ」
「それじゃ、また今度どこかに行って撮って貰えるかな?」
「うん、良いよ。どんなところが良いの?」
「グァムでは海辺だったから、今度は街っぽいところが良いな」
「街っぽいところかぁ。どこか行きたいところとか、ある?」
「お台場なんてどう?」
「お台場かぁ・・・・・」
「ちょっと子供っぽすぎるかなぁ」
「違うんだ。そんな事じゃなくて、場所なんだよ」
「場所?」
「うん、お台場って東西に伸びてるから、意外に綺麗に太陽の当たる場所が少ないんだ。あんまりグラビアでもお台場って見ないだろ?」
「そう言えば・・・そうかも・・????」
「でも、考えてみるよ。それと、街で撮影するときはアキちゃんの服も考えないとね」
「どんな風にすればいいの?」
「あのね、アキちゃんの好きな白とか薄いピンクとかって言うのは緑や青のバックに映えるんだ。だから自然の中で撮ると綺麗に移るんだけど、街中だとバックが基本的に灰色だから、もっと鮮やかな色の服の方が映えるんだよ」
「私、いろんな色の服だって持ってるわよ。女の子だモン」
「それなら今度ロケハンしようね」
「ロケハン?」
「うん、聞いたこと、あるだろ?ロケーションハンティングって言って、撮影場所を決めるためにあちこちに言って撮影場所を決めるんだ」
「うわぁ、難しそう」
「難しくなんか無いよ。ちゃんとここだったらこんな色の服で、こんな風に撮ってみたらどうかな?っていうから、アキちゃんがそのイメージを想像してみれば良いんだ」
「う〜ん、なんだか楽しそう」
「そうだろ?やってみようよ」
「凄いな。写真を撮って貰うのに撮影場所を探しに行くなんて」
「アキちゃんも撮影には真剣になるのと同じで、俺だって最高の写真を撮りたいからね。モデルがフィルムの中で生き生きと移らなかったら俺の所為だから。本気でがんばるよ」
「康司さん・・・・」
「ん?」
「なんでもない、後で・・・ね」
康司は心の中にどんどん亮子が入ってくるのを感じていた。自分でもグァムの時と同じ事を繰り返すんじゃないか、と思うのだが心が引かれていくのはどうしようもない。今の康司は亮子の最高の写真を撮って、再び亮子の身体を愛したくて堪らなくなっていた。