第51部

 翌日、康司は亮子と待ち合わせの場所に時間の十分前に着いた。いよいよ撮影したフィルムから切り取った時間を焼き付ける日が来たのだ。結局写真は焼き付けてみないと価値が分からない。康司は亮子の到着を待ちながら、グァムでの撮影を思い返していた。いくつか失敗もしたが、基本的なところで失敗はないと信じている。だから各シーンごとにベストショットは必ずあるはずなのだ。それを今日、確認できると思っていた。印画紙代がかかりそうだったが、かなり無理してお金を用意してきたので、百枚くらい大きく焼いても足りるはずだった。

亮子は時間よりも十五分近く遅れてやってきた。一時は亮子はもう来ないと思ったくらい心配したが、亮子を見た途端に康司の顔に笑みが広がった。

「やぁ、遅かったね」

「ごめんなさい。ちょっと地下鉄を間違えちゃったの」

「それじゃ、行こうか?」

「うん」

今日の亮子は薄いブルーのサマーセーターと白のパンツ姿だ。サマーセーターの向こうに下着が透けて見えるのが康司を刺激した。康司は『もうすぐあのセーターを脱がせるんだから、我慢我慢』と思っていた。そして、康司が喜ぶと思って着て来てくれた亮子の気持ちが嬉しかった。

プライベートスタジオに着くと、康司は直ぐに亮子を抱きしめてキスをした。亮子が反応すれば一度してもいいと思っていた。しかし、亮子は嫌がらなかったが、お座なりに唇を重ねただけで、直ぐに離れてしまった。そして向こうを向くと、

「早く始めなきゃ。今日は忙しいんでしょ?」

と言った。康司は思った通りの展開にならなかったのでちょっとがっかりしたが、

「そうだね。大切な日だもんね」

と言うと、気分を直して準備にかかった。今日は焼き付けをやるので下準備はフィルムの現像に比べれば簡単なものだ。ただ、フィルムがたくさんあるので、それをまず全てビューワーで見て順番に並べ直し、それからベタ焼きと言われるフィルムと同じサイズの焼き付けを作った。これでだいたいの焼き付け条件が分かるのだ。これだけやるにもかなりの時間がかかった。

康司は機械的に仕事を進めていったが、亮子はその中の気に入ったものを取り上げてはずっと眺めていた。康司の撮影したフィルムには、亮子のリクエストで最初のセックスも余すところ無く写されていた。写真が小さすぎて良く分からないが、最初の自分は明らかに緊張しているのがなんとなく分かった。そして、自分の秘部を写した写真もあった。亮子は思わず目を逸らしたが、大切な思い出であることには変わりない。もちろん、康司には絶対に見せたくない写真だった。ただ、籐椅子で服を脱がされながら撮った写真は自分でも綺麗に写っていると思った。殆ど康司が写っていないのと、全然嫌らしさがないのだ。もちろん、籐椅子での写真撮影の後に起こったことは大切な思い出の中に仕舞ってあったが、そっと本屋で立ち読みしたグラビアと同じくらい綺麗に写っていると思った。

そして、後半のビーチでの撮影では、自分の想像以上に自分自身が生き生きとしていた。小さな写真から自分が飛び出してきそうなほど素晴らしいできだった。ヌードの写真もあったが、恥ずかしそうに、嬉しそうに、それぞれ生き生きと写っていた。ビーチで泣き出す前までの写真は硬い表情だったが、それはそれで亮子らしさが出ていた。亮子は気づいていなかったが、肌に付いた砂まで綺麗に写っている写真はデジカメ全盛となった今でもフィルムでなければなかなか出ない味わいに仕上がっていた。

ベタ焼きが終わる頃、

「どう?気に入ったものが見つかった?」

と康司が聞くと、

「ううん、小さくて良く分かんないの。一生懸命見てるんだけど・・・」

と亮子が残念そうに言った。

「そうか、ベタ焼きで判断するのはアキちゃんには難しかったのかなぁ」

「ねぇ、この前みたいに普通の大きさに焼けないの?」

「できないことはないんだけど、ほら、現像した後にネガケースに入れるために全部6枚ずつに切っちゃったろ?自動でやるためには繋ぎ直さないといけないんだよ。もともと全部手動でやるつもりだったから切っちゃったんだ」

「そう、それじゃ、これで見るしかないのね」

「ううん、大丈夫。繋ぎ直すのなんてたいした手間じゃないから」

「え?できるの?切っちゃったのに?」

「うん、専用のフィルムがあるんだ。それを使えば直ぐだよ」

「ここでできるの?」

「もちろん」

「やって貰える?」

「うん、直ぐにやるよ」

「嬉しい。やっぱり普通サイズの写真で見てみたいの」

「そうだね。アキちゃんはそうだよね」

康司はそう言うと、ネガケースのフィルムを繋ぎ直す作業に取りかかった。実は結構面倒な作業なのだが、康司は慣れているのでかなり手つきが早かった。それでも全部のフィルムを繋ぎ直して全自動でLLサイズの写真を作るのには2時間以上かかった。高速現像焼き付け機を使ってこれだけかかるのだから、大きなサイズを丁寧に焼いていたら夜までかかっても終わるはずがない。しかし康司は、それはそれでまた亮子と一緒にいられる時間が長くなると思って喜んでいた。

「ねぇ康司さん、お腹、空かない?」

亮子がそう言ったのは2時近くになってからだった。

「そうだ。忘れてた。お昼にしようよ」

「どこかに行くの?」

「そうだね。気分転換に散歩しながらお昼にしようか?」

「でも、たくさんあるでしょ?時間、もったいなくない?」

亮子が賛成するものと思っていた康司には意外だった。しかし、それだけ写真に真剣になっている証拠なのだと思い、

「それじゃ、何か買ってこようか?」

と言った。

「私が買ってくる。康司さんに手伝いできないもの」

と亮子が言ったが、

「いいよ。アキちゃん、このあたり知らないだろ?ちょっと裏に入ると直ぐにいろいろあるんだ。任せてよ。美味しそうなのを買ってくるから。ね、ちょっと待ってて」

そう言うと、康司は亮子を部屋に残して飛び出すように出て行った。

最初、康司が部屋を出て直ぐ、亮子はじっと康司の出て行った扉を見ていた。1分近くそうしていただろうか。亮子は呼吸を整えると、視線をネガとベタ焼き、そして現像機から吐き出されたばかりのLLサイズのプリントに目を落とし、静かに片付け始めた。何度も想像した瞬間だったが、いざとなってみると心の中は空っぽだった。

康司は小走りに裏通りへと入っていった。裏には大通りに平行した少し広い道があり、そこに食べ物屋が何軒も点在していた。どうやらオフィス街に近いらしく、ランチメニューを終わった店が何軒も片付けをしている。最初、康司はマックでバリューセットを買っていこうと思ったが、気力が充実していたのでお腹が空いていたし、マックではありきたりだと思って定食屋の持ち帰り弁当にした。しかし、ランチの時間が終わっていたので作り置きはなく、少し待たされた。それでも、作りたてを食べられるのだから亮子が喜ぶと思って待つことにした。スタジオへの帰り道、夜近くなるとお腹が空くかも知れないと思い、更にマックでもいくつか買って帰り道を急いだ。結局20分以上かかってしまったが、亮子と二人きりで食べる食事なのだから、ゆっくりと食べたいと思った。

そしてスタジオのある大きなカメラ屋に入っていくと、店員に呼び止められた。

「ねぇ、彼女、帰っちゃったよ。終わったの?」

一瞬、何を言っているのか分からなかった。亮子はじっとスタジオで康司の帰りを待っているはずだった。

「え?いるでしょ?だって、これからお昼だよ。ほら?ちょっと遅いけど」

康司は抱えているものを見せた。

「そう?でも、荷物持って出て行ったよ。帰ったと思ったんだけど」

「何も言ってなかった?」

「うん、一人でスーッと出て行ったんだ。だから帰ったのかなぁって」

「そんなこと無いよ。もし出て行ったのなら、近くで何か買い物してるんだよ。自分でお昼を買ってるのかもしれないし?」

「そうかな?出て行ってだいぶ経つけど。帰ってきた感じ、無かったけどなぁ」

「大丈夫だよ。きっともう帰ってきてるよ」

「そう」

康司は店員にからかわれたと思ってスタジオに戻った。ただ、胸騒ぎが凄かった。

亮子はいなかった。

一瞬、康司は先程自分が口走ったように、亮子が買い物に出たと思った。だからしばらく待っていた。その間にスタジオを見回してネガもベタ焼きもLLプリントもないことに気が付いた。更に十分経っても亮子は戻らない。

康司には何が何だか分からなかった。直ぐに亮子に電話してみる。しかし、携帯は繋がらなかった。

康司は何か残されていないかと思い、急いで周りを探してみた。すると、ビューワーの上に小さなメモがあった。『康司さん、急ぎの用事ができたので帰ります。ごめんなさい。亮子』それだけが書いてあった。

康司はそれでもしばらく待っていた。せっかく買ってきた弁当が冷め切ってもまだ亮子が戻ってくるのではないか、と思って待っていた。しかし、いくら待っても亮子は戻ってこなかった。電話も通じなかった。

それでも康司は夕方近くまでそこにいた。仕方なく弁当を食べられるだけ食べ、残りは持ってスタジオを出た。スタジオの料金を精算した時、大きいサイズの印画紙を使わなかったので、思ったよりも安かった。しかし、その安さが康司の心に痛みを生んだ。『結局、形を残せなかった』そんな重苦しい気持ちを引きずって家路に着く。その頃になると、亮子は自分から去っていったのだという想いで気が狂いそうになった。

それでも康司は亮子が好きだった。亮子が去っていった辛さを味わってみて、『やっぱり俺はアキちゃんが大好きなんだ』と改めて思う。しかし、それは慰めにもならない自己満足でしかなかった。

何もする気が起きなかった。家に帰っても、ただ亮子から連絡があるかも知れないと思って携帯を眺め続けた。何度か昌代から電話があったが、とても出る気にはならなかった。夕食を食べた気はしなかったが、いつの間にかマックの袋が空になっていたところを見ると、きっと食べたのだろう。それが何だか可笑しかった。

亮子はどうしていなくなったのか、それを何度も考えてみた。急な用事で帰ったのなら、必ず後で電話があるはずだった。まだ大きなサイズに焼き付けていないのだ。それに、急な用事で帰ったのならなぜ全部持って帰ったのか。もう康司には分かっていた。康司は用済みになったのだ。なぜなのかは分からないが、グァムへの旅行の最後の辺りから何となく感じていたことだった。今だからこそはっきりと分かるが、旅行中は何かに気づいていながらも、亮子が手の届くところにいたのでその『何か』を見ようとはしなかった。

きっと亮子は目的を達成してしまったのだろう。自分の大切な時間をフィルムに収め、それを全て普通の写真として手に入れてしまった以上、康司にして欲しいことは無くなったのだ。

そしてやっと一昨日、亮子から連絡があった理由が理解できた。成田空港に着いた時、フィルムを全部無理に持って帰ったが、きっといざ現像しようとして不安があったに違いない。もし康司が特別な撮り方をしていれば、自動現像では上手くいかなくなることに気づいたのだ。亮子も康司の横でいろいろと写真の知識を身に付けたと言うことだ。

だから再び康司に近づいてきたのだ。現像は焼き付けと違って一発勝負だから、もし失敗したら全てが失敗になる。それが怖くなって亮子は再び康司の間に現れたのだ。

しかし、そこまで想像して、やはり康司は亮子がそんなことをするとは信じられなかった。冷静なカメラマンの頭ではそう思うが、昨日の夜、ここで亮子を抱いたのだ。亮子が許しを請うほど激しく愛し、亮子と絶頂を共有して思いっきり中に放出したのだ。それでもお互いの気持ちは収まらず、最後にお互い引き寄せられるように再び身体を繋いだのだ。もし、カメラマンとしての康司の推理が正しければ、昨日の亮子とのことは嘘になってしまう。あの声が嘘だったというのだろうか?何度も康司におねだりし、強烈な絶頂に歯を食いしばって仰け反ったあの可愛らしい身体は嘘だったというのだろうか?康司に全てを愛されたあの乳房は、秘核は、肉棒を締め付けた肉壁の痙攣は・・・・。まだ全てが生々しい記憶しか持たない康司には、亮子のことを考えることしかできなかった。

 

 

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