第57部

 「でも、そんなことがあったなんて知らなかったな」

「あの時はネガが気になって仕方なかったから」

「そうだよな。ごめん。あんなことして。本当にごめん」

今更謝ってどうなるものでもなかったが、康司は思い切って頭を下げた。

「もう良いわ。ネガのことも忘れちゃったし」

昌代は康司があのネガをどうにかするなどとは思っていなかった。

「何度も言うけど、ごめん」

「ねぇ、今だから言うけど、どうしてあんなことしたの?」

「元々は研修で寝顔を撮ってみようと思ったんだ。だけど、現像してみたら二人で抱き合ってる写真を見つけて・・・・・カッとなったんだよ。俺の勝手だけど。生徒会の役員があんなことしてたから。ごめん。悪かったよ」

「そう、私も悪いのよね。あんなことして・・・・。何も宿泊研修でやらなくたって良かったのにね」

「ごめん。あのネガを見つけたときに昌代をちょっと困らせてみたくなったんだ」

その言葉が昌代の心の隅に引っかかった。

「私を困らせると楽しいから?」

「違うよ。昌代と話をしてみたかったんだ。本当はみんなの憧れの橘昌代を困らせてみたかったんだ。そうしたら・・・・」

「そうしたら???」

「一度くらいデートして貰えるかなって・・・それだけだったんだよ」

「そう、それで私が先生に言ったからああなったのね・・・・」

「ごめん」

「良いのよ。もう。ここまで正直に言ってくれたから」

昌代は今まで心の隅にしまい込んでいた怒りや悲しみが一気に心の表面に出てくるのを感じていた。しかし、悲しくはあったが、不思議と康司自身を憎いとは思わなかった。そして、何となく本気で好きになれそうな、なっているような気がしていた。

「康司さん」

「・・・・・なに?」

「今はね・・・・・」

「康司さんのこと、好きになっているみたい・・・・良い?」

「本当?」

「そう、そんな気がしてるの。私、たぶんみんなの予想と違うと思うんだけど、心が弱いの。誰かに縋っていたいの。そうしないとダメなの」

「昌代が?」

「そう、昔からそうなの。それでね、康司さんに無理矢理されたとき、自分でも不思議だったんだけど、心は安心したの」

「安心・・・???」

「変でしょ?普通じゃないと思うでしょ?でも、そうだったのよ」

「ごめん、わかんない・・・・」

「そうでしょうね。でも、あんなに変な状況でしたのに、その方が良いって思えるくらい、前の彼との間では気持ち的に無理してたみたい」

「そうなのか・・・・」

「結局アキとあの話をした後、直ぐに別れたけどね」

康司は驚いた。あれからと言えばほんの二週間ほど前になる。康司が亮子とグァムに行ったときには別れた直後だったのだろう。旅行の直前、康司の部屋に来た昌代が自分から服を脱いだことがあった。その時がそうだったのだろう。康司は初めて昌代の心の苦しみを垣間見たような気になった。

「たぶん、どんな風にしても、康司さんとのことが無くても、きっと同じくらいの時に別れてたわ。そんな気がする。私、何となく気が付いてたもの。本当はね、もうすぐ別れそうだって・・・・」

「昌代・・・」

「変ね。私、普通、彼にこんなこと、絶対に話さないのよ。だって、しっかりした女の子だって思われたいじゃない?普通は。ほんとに不思議。どうして康司さんには話しちゃうのかな?」

康司はそう話しかける昌代の姿にどこか弱くて頼りたがっている女の子の気持ちが透けて見えるような気がした。

「でも、昌代の気持ちが分かったみたいで嬉しいな。俺。変かな?」

「ううん、そうか、本で読んだことがある。ちょっと好きな人の前では最高の自分を一生懸命見せようとするけど、本気で好きな人の前では普段の自分を一生懸命見せようとするって。今までその意味、分からなかったけど、なんか今分かったような気がする」

「そうか・・・良い言葉だな・・・それ・・・・」

「康司さんも、今、そう?」

「ん?」

「その言葉の通りだって思って良いの?」

康司は一瞬迷った。昌代が好きだから正直に話した、と言うよりは、楽になりたいから話したような気もするが、どうして楽になりたいのか?と考えたら、昌代の前で、好きになってきている女のこの前で黙っていたくなかったからなのだ。じっと康司を見つめる昌代の真剣な視線を感じながらしばらく考えていた康司は、優しく、そしてそっと答えた。

「そうだね。そう思うよ。近くに、いて欲しいな」

今、二人が正直に告白し合った。熱烈な愛の告白、とは行かなかったが、少なくとも今はお互いが相手を必要としていることは確認できた。心が不安定な二人にとって、今はそれで十分だった。二人とも今日、こんな場所でコクることになるとは思わなかったのに、だ。二人はしばらく不思議そうに相手を見ながら、恥ずかしそうにしていた。

二人はそのまま黙って立ち上がり、店を出るとJRの大森駅へと向かった。最初、二人は全然話そうとしなかったが、ふと昌代が思い出したように言った。

「ねぇ、今日はちょっと外を歩きたいな」

「良いけど、少し日差しが強くないか?」

「うん、そうだけど、ちょっと汗をかいても良いかな?」

昌代がそう言うので、最初被写体としては汗をかいた女の子は余り向かないので気乗りしていなかった康司も思い直した。夏らしい写真が撮れるかも知れない。

「分かった。それじゃ、海の方へ行こうか?」

「あるの?この辺りに??」

「任せておいてよ」

「うん、良いところに連れてってね」

康司は昌代らしい言い方だと思ったが、考えてみれば昌代がこんな甘えた言い方をすることなど、殆どの同級生は知らないはずだ。学校での昌代ははきはきとものを言う快活で頭の良い典型的な優等生で美人なのだから。

二人はJRを一駅だけ乗り、大井町で臨海鉄道に乗り換えて天王洲アイルまで行ってからモノレールで大井競馬場まで戻ってきた。地図で言えばぐるっと回って殆ど水族館と近い場所まで戻ってきたことになる。しかし、昌代にとっては地下鉄気分になったりモノレールに乗ったりと楽しい時間だった。

「降りようか」

康司がそう言って降りた大井競馬場前の駅は文字通り競馬場の前にあるのだが、康司は競馬場とは反対側の橋を渡って大井埠頭中央海浜公園に昌代を誘った。

「あ、あそこに行きたい」

昌代は人工の渚を見つけると、声を上げて喜んだ。早速渚へ行こうとしたが、目の前に見えていても直ぐにはたどり着けない。二人は大回りしてからやっと渚の近くに来た。渚では親子連れが楽しそうに足首を水に浸けて生き物を探したり、貝殻を探したりして磯遊びをしている。

「楽しそう〜」

「昌代も入ってみれば?」

「だって、裸足にならないといけないんでしょ?」

「そりゃそうさ。渚にスニーカーで入れば捨てるのと一緒だから」

「裸足になるなんて・・・・・」

「服を脱ぐよりはマシさ。そうだろ?」

康司がそう言うと、昌代は思いっきり怒った。

「何を言ってるのか分かんないわ。私、他を見るから」

「ごめん。ごめんよ。悪かった・・・」

「康司さん?????」

「裸足になっても、後であそこの管理事務所のところで綺麗に洗えるから心配ないって」

「ねぇ、今何か余計なこと、言わなかった?」

「思い出しそうなら忘れて。ね?さ、靴を脱いで、ね?行こう?」

康司が謝っているのを見て、怒った顔をしている昌代は、実は心の中で安心して怒っている自分を見つけ、気持ちが温かくなった。

康司は自分が余計なことを言ったために、本来は乗り気ではなかったはずの渚での撮影をやる羽目になってしまった。実は渚は湿度が高く、海水中の塩の微少な結晶が風に乗って漂っているので、カメラには決して良い環境ではない。グァムに行った時、レンタルのカメラを使った理由の一つがこれだった。しかし、今の状況ではとても撮影ができませんとは言えない感じになっている。もしそう言えば、きっと昌代は康司が怒られたことを根に持って嫌がらせをしていると思いそうだった。いや、本気でそうは思わないにしても、嫌みの一つも言われそうだった。

ここまで来たら腹を据えて撮影するしかない。康司はそう思うと、

「昌代、良いかい、ちょっとこっちで靴を脱いでくれる?」

と言って昌代を渚の近くに誘った。これなら太陽の方位もバッチリだ。

「え?こっち?」

昌代は初めての屋外撮影なので、最初は康司の言いたいことが分からなかったが、次第に太陽の位置を気にしているのだと言うことが分かってきた。

「そうだよ。その辺りで、少し右の方を見ながら何か探してみて」

『難しいこと言うのね・・・』昌代は康司の注文に応じながらも言われたとおりにした。ただ、今日はパンツルックではないのでしゃがむには注意が必要だ。大切なスカートを泥水に浸けてしまっては泣くに泣けない。自然に昌代は中腰で屈み、手を伸ばして水辺を探し始めた。

ファインダーを覗いていた康司はドキッとした。無防備なサマーセーターは襟元が大きく広がっているので少し横から見ている康司にはブルーとオレンジのストライプが入ったブラジャーと、それに包まれている乳房が丸見えになっている。既に何度も味わい尽くした乳房の筈だが、ファインダーの中の昌代は康司にとって新鮮な少女になっていた。

『うわっ!まずっ!』康司は肉棒が急速に固くなってしまったことに戸惑った。しかし、カメラを構えている姿勢から急に何かすれば、それこそ昌代に白状している様なものだ。それでも康司はズームで胸元を一枚しっかりと撮ってから、昌代の姿をゆっくりと撮影していった。

この公園は海の直ぐ横ではあるが、汽水域にあるので余り目立つものはいない代わりに、結構いろんな生物がいる。昌代は簡単に貝をいくつかみつけると、

「これ、生きてる!」

と驚きの声を上げた。ふと康司を見たとき、康司のズボンが固く尖っていることに気が付いたが、高校生の男の子とはそう言うものだと思っていたし、自分を見て固くなっているのだから余り気にすることもなかった。それよりも、今目の前で自分が砂の中から探し出した貝の方が昌代には気になった。

「ねえ、これ、動いてるの」

そう言って昌代が貝を差し出すところを康司がシャッターを切る。風になびいた髪が少し顔にかかり、康司も驚くほど綺麗な写真が撮れた。その時、康司には一つのアイデアが浮かんだ。『よし、あそこに行こう』そう思った。きっと楽しい撮影になるはずだった。

「それじゃ、次は俺の方が位置を変えるからね」

康司はそう言うと、今度は横から太陽の光が当たる位置に移った。この位置では陰影がはっきりと写るので凹凸が強調される。だからまっすぐに立っているよりも身体の格好が複雑な方が面白い写真になる。

「ねえ、しゃがんでみて」

「しゃがむの?それはちょっと・・・でも、わかった、やってみるから」

昌代はスカートの裾を上手に膝の下に挟んでしゃがんでみた。こんなことなら裾の広がったスカートなど選ぶんじゃなかったと思った。

「うん、良いよ。可愛く写ってる」

次第に昌代も康司に写される楽しさに時間を忘れていった。

 

 

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