第70部
亮子は一人で部屋にうずくまっていた。『どうしてこんなことになったんだろう。こんなエッチ系の安い雑誌になんか載せるつもりじゃなかったのに。学校中に広まったらどうしよう?男子は、ううん、女子ははどんな目で見るんだろう?もしかして学校に知れたら停学とかになるのかな?』など等、とにかく落ち込むことばかり考えてしまう。
結局今日は落ち込んでしまって全く外に出なかった。『みんなに広まってから夏休みが終わったらどうしよう?』そんな想いばかりが心を走り抜けていく。
今まで小学校の頃から思い描いていた夢って何だったのか、自分は何を追い求めて頑張ってきたんだろう。こんな雑誌になら出ないほうが良かった、と今日だけでも百回くらい後悔した。明日はもっとこう後悔するかもしれなかった。今まで、写真さえ綺麗に撮れれば後は何とでもなる、みたいに甘く考えていた自分の愚かさが悲しかった。それに、亮子は自分の写真を載せてもらうために、人には言えない努力までしたのだ。それがこんな結果になり、つくづく自分が嫌になった。
もし康司がこの写真を見たら、きっと怒って電話をかけてくるかもしれない、そんな気がした。亮子だって、写真とネガを持って消えてしまうことが良い事か悪いことかぐらいは分かっていた。しかし、亮子はあくまで一人でこの夢を実現してみたかったのだ。康司がいれば、亮子より遥にこの世界に詳しいのだから、きっと康司の思うとおりに進んでしまう。それでは自分の夢を実現したことにならない、そんな想いから康司を途中で放り出してしまった。しかし、今になって見れば、康司の助言を貰いながら進めていったほうが良かったのかもしれなかった。
今から後悔しても遅いのだが、亮子はカメラに収められた写真がどのようにしてグラビアになっていくのか、全く気にしたことが無かった。
実際は、グラビアに載る写真とH系少女雑誌の写真とでは作家が違うのは当たり前だが、版を作っていく段階も違うし、印刷されたものが店頭に流れていく経路も全く違うのだ。
亮子は康司の撮った写真を実はとても気に入っていた。浜辺で笑いながらポーズを撮っている自分など、今までこんなに生き生きとしている自分があったのだろうか、と思うほど素晴らしかったし、康司に抱かれているときの写真も、自分の本来持っている心の中のHな部分が良く現れていて、恥ずかしいけれどもとても好きだった。一人で部屋の中でその写真を見ていると、あの時のことが思い出されて自分の身体が反応するのがよく分かる。康司と二人で旅行している間に、いつの間にか『濡れる』と言う感覚を覚えてしまった亮子だった。
こんな時は自分の近くに康司がいてくれたら、と思う。自分からネガと写真を取り上げておいて言うのも変なのだが、旅行に行くまでの間は二人とも常に相手を大切な目で見続けていた。康司を裏切るときは、今後二人の関係は元に戻る筈が無いと知っていて裏切ったのだが、いざ自分が困った時には『康司さんがそばにいてくれたら』と思ってしまう。亮子はどうしようもなくやるせない気持ちで胸がいっぱいになりながら、康司との写真を目に涙を浮かべながら何度も何度も見続けていた。
グァムへの旅行の間、亮子が康司に見せた好意は本物だった。もともと亮子は好きでもない人に好きな態度を取れるほど掏れてはいない。そして亮子が本気で康司を好きだったからこそ出来上がった写真が素晴らしかったのだと思っている。旅行の最中に亮子は何度も心が康司のほうに流れていきそうになり、必死に自分の心にブレーキをかけていた。本当にもう少しで自分の夢を諦めてまで康司の望んだ可愛い彼女になろうとするところだった。
今、亮子は携帯のディスプレイに表示されている康司の番号をじっと見つめていた。多分、ネガと写真を持ち出してから20回以上この番号が表示されたが一度も接続したことは無かった。しかし今は、心からこの番号が呼び出し音とともに表示されて欲しいと思う。底なし沼にはまり込んでしまった今、引き上げてくれるのは康司だけしかいないと思っていた。しかし、今更いくら待ち望んでみてもこの番号が鳴ることは無かった。
その頃康司は、昌代と一緒に写真を撮り続けていた。
「昌代、それじゃ次は少しだけ道路のほうを見ながらゆっくりと歩いてきて。自然な感じで背筋を伸ばすのを忘れないで」
「わかった」
「そう、それいい。うん、いい写真になった」
「ほんとう?」
「もちろんさ。日差しが傾いてきたから、ちょうどいい具合に日が当たってる。それじゃ今度はその並木の陰に隠れてみようか」
「こんな小さな木の?」
「そう、大きな木だと思ってごらん。きっと隠れられるから」
「こんな感じ?」
「そう、そんなもんかな」
「ねぇ、私、隠れてる?」
「少しだけ」
「少しなのぉ?」
「良いんだよ。雰囲気で隠れて見えるから。ま、任しておいて」
「ねぇ、何枚くらい撮ったの?」
「百枚ぐらいかな?」
「そんなに?ちょっと疲れちゃった」
「そうか、一休みしようか?」
「やった!」
「昌代、それじゃ、このカメラとバッグを見ていてよ。何か買ってくるから」
「うん」
康司が急ぎ足でスタバの方に消えていくのを眺めながら、昌代は緊張をほぐしてカメラバッグにちょこんと座って歩いていく人を眺めていた。写真を撮り始めてまだ1時間ほどなのに、どっと疲れが出てしまった。写真撮影がこんなに疲れるものだとは思わなかった。康司は昌代のポーズや仕草について事細かく注文をつけ、最初は同じことを何度も繰り返させられたこともあった。第一、注文を付けられた上に自然な笑顔でいることなんて、そんなに簡単にできることではない。康司に『楽しいことを思い出して』と言われるまで何度も硬い表情で駄目出しをされてしまったが、途中からは何とか自分で表情を作れるようになって来た。
『写真に写るって大変なんだなぁ』となんとなく思いながら歩く人を見ていると、ふと同じ年頃の男の子が手に持っていた雑誌が目に止まった。『あの本だ』そう、亮子が載っている本だった。昌代は思わず立ち上がって『ねえ、どうしてその本を買ったの?ねえ、この子、どう思う?好き?』とリサーチしてみたくなった。
その男の歩いてきた方向を見ると、確かにちょっと洒落た本屋がある。昌代は康司がアイスラテを買って戻ってくると、
「ちょっと本屋をのぞいてくるね。すぐに戻ってくるから」
と康司を置き去りにして本屋に向かった。
本屋の中は想像以上に混んでいた。そして昌代が目指す雑誌のコーナーはちょっと目立たないところにあったので、探し出すのに少し時間がかかった。横の方からよく見ていると、確かに亮子の載っている雑誌を手に取る人が多い。そして、亮子の載っているあたりのページまで見ると、たいてい本を片手にレジに向かっていくのが分かった。『きっと、あの本を読む人たちの間では人気が出るかもしれない』そう思うと不思議な気がしてくる。
昌代は最初、亮子が出ている雑誌を買う人は見るからにオタクっぽい普通とは全く違う人達だと思っていた。たとえば分厚いめがねを掛けていて人目を避けながら雑誌を盗むように買っていく人達、とか。ところが予想に反して亮子の載っている雑誌を手にする人達はごく普通の人ばかりだった。制服の高校生、暇そうな大学生、そして会社帰りのように見えるサラリーマン。
昌代はその人達を見ていると、なんだか亮子が普通のアイドルのようにどんどん有名になっていくような錯覚さえ覚えた。
「長かったな?本、見つかったのか?」
康司の所に戻ると待ちくたびれたように聞かれた。
「ううん、アキの雑誌はどんな人達が買っていくのか見ていたの」
「・・・・・・・そうか・・・・・。どうだった?」
「良く分かんないけど、ごく普通の人達ばっかりだった」
「そうか・・・」
「康司さんもあの雑誌、良く買うの?」
「俺は立ち読み専門だな。写真としてはレベル低いし」
「それでも毎回見るんでしょ?」
「あぁ」
「やっぱり可愛い女の子が載ってるから?」
「あの雑誌にはそんなに可愛い子なんて載らないんだ。でも、時々ハッとするような写真が載ってることがあって、それを見つけるのが楽しくて立ち読みしているようなもんだな」
「ハッとする写真?」
「うん、ごく普通の女の子のスナップだったり、水着の写真だったりするんだけど、時々凄く生き生きと写ってたり、弾けてたりする写真が載ってるんだ。それにはドキッとすることがあるよ」
「ふぅ〜ん・・・・でも・・?」
「え?」
「でも、やっぱり女の子の裸が載ってるから見るんでしょ?」
「えっ、ま、まぁ・・・・、そう言われれば・・・・・でもね、昌代だって見て分かったろうけど、女の子の裸の写真なんて殆ど載ってないんだ。裸は殆ど20歳以上のモデルだし」
「そうねぇ・・・・」
「あの雑誌を買う人は、裸を目当てに買う人なんてあんまりいないと思うな。それだったら他にいっぱい雑誌があるから」
「そうなの?」
「そう、女の子の生き生きとした写真が見たくて買うんじゃないかな」
「服を着ていても?」
「そう・・・だね・・・」
「そうかぁ、なんか分かったような気がする・・・・・・」
「女の子には男の気持ちなんて分からないだろ?」
「そうかも知れないけど・・・・」
「もう暗くなってきたからフラッシュが必要になってきたけど、周りの人の迷惑になるから帰ろうか?」
「そうね。家に行っても良い?」
昌代は直ぐに康司に聞いてみた。今日はどうしても康司に抱いて欲しい気分だった。
「う、うん・・・・・」
「ダメなの?」
「ダメじゃないけど、今日はなんか気分が乗らないって言うか・・・・」
「それじゃ一緒にいてもいい?」
「いいよ」
「今日撮った写真はどうする?」
「途中で直ぐに現像してもらおうか?」
「うん。見たいな」
康司はプライベートスタジオは使わずに街の写真屋で現像することにした。この方が時間が節約できるし、今日のは特別に大事なチャンスというわけではないからそうしたのだが、亮子の写真の時と比べて昌代に対して少し気が引けた。
二人は康司の家の近くまで来ると、写真を現像に出し、できあがりまでの間をスーパーのフードコートで過ごした。
「はい、カレーライスとチャーシュー麺」
「サンキュー。いくらだっけ?」
「私の奢りよ。でも、写真代は康司さんの奢り」
「・・そう来たか。分かったよ」
昌代は自分の中華丼を食べながら、康司にまたしても写真の話を聞きたがった。
「今日の写真のできはどうだった?」
「写真が上がってくれば分かるけど、たぶん、そんなに悪くない」
「よかった」
「え?どうして?」
「えっ、だって、ほら、綺麗に撮って貰えれば嬉しいでしょ?」
「そうだな」
実は昌代は康司が亮子のことをずっと気に掛けていて、それで写真が上手く撮れなかったのではないか、と心配していたのだ。しかし、できあがりがそれほど悪くなさそうなら、余り心配する必要はない。