第73部
しばらくの間、じっと離れて見つめ合った二人だったが、それを破ったのは亮子の方だった。小走りに康司の方に駆けてきた。そして、康司は亮子が目の前に来るまでじっと動かなかった。
「あの・・・・・・」
まるで初対面かのように遠慮がちに亮子が声を掛けた。
「康司さん・・・・ちょっと・・・・・」
亮子は相変わらず可愛らしかった。しかし、その可愛らしさが今の康司にとっては重荷だった。今、この瞬間でも亮子に優しい声を掛けたくなる。そして、言われるがままに写真を取り、現像して、全てを持ち去られて目の前から消えていくことさえ苦痛ではないように思える。しかし、今の康司はほんの数日で少し変わっていた。
「アキちゃん、どうしたの?」
その声を聞いた途端、亮子の表情が硬くなった。今までのように可愛らしく振る舞っていれば納まるという雰囲気ではないと感づいたのだ。今までの康司の言動は、明らかに亮子に媚びる所があった。しかし、今の康司の口調はごく普通の知り合いとしてしか見ていないかのようだ。
「康司さん、あの・・・聞いて欲しいって言うか、相談て言うか、お願いって言うか・・・・」
「あの雑誌のこと?」
その言葉を聞いて亮子は真っ暗になった。『もう康司さんは知ってる・・・・。って事は、クラスのみんなも知ってるかも知れない・・・』
亮子が返事に困っていると、今度は康司の方から声を掛けた。
「話を聞かせてくれる?」
亮子は頷いた。更に康司は言葉を重ねた。
「ちょっと、じゃないけどね」
亮子はビクッとしたが、もう康司しか頼れる人はいない。自分で蒔いた種とは言いながら、被告になったような気持ちで亮子は康司の後を付いていった。
康司は亮子をマックに連れて行った。そして一番奥の席を取り、アップルパイとコーヒーを並べた。
「さぁ、順番に話してみてよ」
その声はどこか挑戦的で、亮子を問い詰めるような感じだ。
「あの、順番てどこから・・・・・」
「俺に最初に声を掛けようと思った所から」
「最初に?」
「そう」
「それは・・・・、康司さんなら写真を撮ってくれると思ったから」
「どんな?」
「それは・・・・・あの・・・グァムで撮ったような・・・・」
さすがにそれは言い難いらしく、かなり声が小さくなった。
「どうしてあの時、声を掛けたの?俺のことはいつ知ったの?」
「それは・・・・・康司さんの写真を見て・・・良いなって思って・・・」
亮子は言葉を濁そうとした。まさか、声を掛ける時期まで決めてあったなどと言って良いものだろうか?
「俺の写真て、何の?」
「球技大会の・・・・・・」
「そうなんだ・・」
亮子は康司が納得してくれたと思ってホッと胸をなで下ろした。その途端、
「じゃあ、球技大会の写真を見て、直ぐに俺を翌日のワンダーランドに誘ったんだ。それって、急すぎないか?」
と切り返してきた。
「でも・・・・・」
「学校で俺を誘った時から翌日に俺と二人だけでいくつもりだったんだろう?」
亮子は渋々頷いた。
「球技大会の写真を見て、いきなり俺を翌日誘う気になったって言うのは不自然じゃないかって言ってるんだけど・・・。それも二人きりだなんて」
亮子は答えに窮した。まさか、康司がそんな前のことを持ち出してくるとは思わなかったのだ。
「康司さん、私を問い詰めてるの?」
「俺はアキちゃんの本当のことが知りたいだけだよ」
「そんな前の事なんて・・・・良く覚えてないし・・・」
亮子は何とかこの場を切り抜けようとした。そうすれば、また康司は自分に夢中になってくれるかも知れない。
「アキちゃん」
康司は一旦言葉を切ると、じっと亮子を見つめた。亮子はまともに康司の目を見られない。
「アキちゃんが正直に全部話してくれるんならアキちゃんの話を聞いても良いけど、そうじゃないなら・・・・・・」
そこで康司はもう一度言葉を切った。そこから先は康司さえ言いたくない言葉だった。そんなことをしたら、二度と亮子に親しげに話ができなくなるかも知れない。心の中でもう一人の自分が必死に止めようとしている。『アキちゃんと話ができるだけでも良いじゃないか、もしかしたらまた抱けるかも知れないぞ。あのおっぱいを楽しめるかも知れないんだ。二度と話さえできなくなっても良いのか?』
亮子はじっと康司の声に耳を傾けている。身動き一つしない。しかし、康司は思いきって言うべきだと思った。中途半端な関係を続けていても辛いだけだ。
「もし、アキちゃんが全部正直に話してくれないなら、これ以上二人でここにいても仕方ないと思う」
そう言った瞬間、康司の心に衝撃が走った。『とうとう言ったな。謝れよ。今なら間に合う。謝れよ』しかし、康司は必死に口を閉じた。もし、何か言い始めたら亮子のご機嫌を取ろうとしてしまいそうだった。『だめだ。絶対にだめだ。アキちゃんのためにならない』
もう一人の自分が声を限りに叫んでいる。『アキちゃんの心を教えて貰わないと表面だけの付き合いで終わっちゃう。あれだけ抱いても変わらなかった心だぞ。利用されるだけだ』
「・・・・・助けてくれる???」
小さな声で亮子が言った。
「え?何て言ったの?」
「全部正直に話せば助けてくれる?嫌いにならない?」
そう言う亮子は明らかに怯えていた。身体を小刻みに震わせ、何かに必死にすがりつきたくて仕方ない、逃げ出したい、そんな感じだった。
「それは・・・・」
『話次第だ』と言いそうになって康司は言葉を詰まらせた。明らかに亮子は怯えている。きっと、康司に話したくない内容なのだ。つまり、良いことではないって事だ。しかし、心の中をさらけ出すからには受け入れて欲しいと誰でも思うはずだ。それはここ数日の昌代との付き合いで分かっているではないか。今度は康司の誠意が試される番だった。
「分かったよ。話してくれればできる限りのことはする。本当だよ。話だけ聞いて放り出したりしない。約束するよ。その代わり・・・」
「全部決めてあったの」
いきなり亮子がはっきりした声で話し出した。
「え?」
「球技大会の後で康司さんに声を掛けることもワンダーランドに誘うことも。そして、サンプルの写真を撮ってもらってグァムに誘うかどうか決めることも」
「そうか・・・・」
「だって、私の夢を叶えるためにはそうするしかなかったんだもの」
「夢って?」
「前にも話したでしょう?私の夢・・・」
「ああ、綺麗な写真を撮るって言う・・・・」
「写真を撮るだけじゃないの。写真とか出して有名になりたかったの」
「有名に?」
「有名って言っても、テレビに出るグラドルとかじゃないの。ミニコミ誌とかタウン誌みたいな、もっとささやかなものでよかった。でも、『今野亮子って可愛いよな』ってみんなに言って欲しかったの」
「今でも充分可愛いのに」
「それじゃ、学校の何人が私のこと知ってる?注目してくれる?私の写真、持っててくれる?」
「それは・・・・・」
「サヨなんて、あれだけ人気があるのに」
「橘昌代か・・・・」
「私、サヨとは中学からずっと一緒だった。一緒の高校に行こうねって約束して二人とも入学したのよ」
「そうだってね」
「サヨから聞いたのね」
「ああ・・・・」
「やっぱりサヨには敵わないの?康司さんには私の・・・最初の・・・・どうしてみんなサヨばっかりに・・・・・」
いつの間にか亮子の目には涙が浮かんでいた。今回の件は亮子が昌代に対して持っていた競争心から出たことなんだろうか?康司の心の中に疑問が渦巻いた。しかし、女の子が泣き始めたらマックにいるわけにはいかない。それくらいは康司にも常識があった。
「分かった。続きは後でね。泣いてちゃ話もできないよ」
康司がそう言うと、亮子はコクンと頷いた。そこで亮子を連れて外に出た。しかし、込み入った話をするには秋葉原界隈は人出が多すぎる。仕方ないので康司はカラオケルームに亮子を連れ込んだ。
「さぁ、アキちゃん、まずお昼を食べようよ」
そう言うと康司は適当にうどんとどんぶりを注文した。それが終われば話の続きだ。亮子の心の中を全て吐き出させることが亮子への誠意だと思った。
「アキちゃん、それで、橘昌代に張り合うために写真を出したかったの?」
「ううん、違うの・・・・・そうじゃないの・・・・」
「見返したかったの?」
「違うって。そんなんじゃなくて、どっちかって言うと一緒に居たかった、からかな?」
亮子は時間をおいたことで少し冷静になったようで、静かに話を続けた。
「サヨは中学から人気があったの。でもサヨはそんなことは気にせずに私のことを大切にしてくれた。いつも私に相談してくれたの。サヨは中学から生徒会にいたけど、いつも私と一緒だった」
「でもね、サヨの人気を気にしていたのは私の方。頭も良くないし、サヨみたいに目立たないし、友達だって少ないし・・・」
「だから、せめて昌代さんみたいに人気が欲しかったのか・・・・」
「だって、私、子供みたいなスタイルだけど、それしかないから・・・・」
亮子は康司の昌代に対する呼び方が変わったことに気付いたが、もはや気にしても仕方ないと思った。
「そして、それが小学生の時からの夢と一緒になって・・・・」
亮子はそこで言葉が詰まった。言いたくない言葉なのだ。
「俺を利用しようと思ったんだろ?」
康司がそう言うと、コクンと頷いた。
「それじゃ、最初から写真を撮ったら俺を放り出すつもりだったの?」
亮子はじっとテーブルを見つめていたが、コクンと頷いた。
「どうして?」
「どうしてって・・・・必要ないじゃない」
「必要ないって?」
「だって康司さんは写真を撮る人なんだから」
「そうか・・・・・・・そう言うことか・・・」
「ごめんなさい」