第78部

「良いかい、8ページの大特集だった予定を見開き2ページにまで減らして、この写真なんだから納得して貰わないと先に進まないんだ」

「その次の号にはまだ載るんですか?」

亮子が消えそうな声で聞いてきた。

「いいや、ネガは明日帰ってくる。それでお終いだ」

「明日?今持ってないんですか?」

「あぁ、今頃はネガを使って版を起こしているはずだ。だから明日だ」

「まだネガは戻ってきていないのね・・・・」

亮子は更に涙を流した。

「今野さん、俺がどれだけ交渉したか分かる?」

亮子はコックリと頷いた。たぶん、かなり厳しい交渉をしてくれたはずだ。そうでなければ8ページの大特集がこんなに減るはずがない。たぶん、奥野が物凄くがんばってくれたはずなのだ。それは分かった。しかし、心は打ちのめされたままだった。

そこに奥野が更に言葉を被せた。

「このどうしようもない女の子に言っておかなくちゃいけないことがある。良いか、良く聞くんだぞ」

涙を幾筋も流しながら亮子が奥野を見た。

「あのネガを見て良く分かったよ。これは大好きな女の子を想いの全てを込めて撮った写真だ。自分の持ってるテクニックの全てを使って全力で写してる。まだ未熟だけどな。それをあんたは利用した。そうだろ?」

「奥野さん、それはもう良いんです」

「良くない。そこが一番の問題なんだ。あんたはそれを利用した挙げ句にネガを持って逃げた。違うか?」

「・・・・違いません・・・・」

「本来なら、その段階で犯罪だぞ」

「・・・・はい・・・・・・」

「奥野さん、止めてください」

「いいや、止めない。ちょっと可愛いからって、そんなことが許されるはずがないだろう?俺はカメラマンとして言ってるんだ」

「奥野さん!」

「最後まで聞いて貰う。嫌ならこの話は無しだ。だから聞け」

「・・・・・・」

「その自分が利用したカメラマンが真剣になってあんたを守ろうとしてる。かばおうとしてる。それをあんたはもっと真剣に受け止めるべきだ」

「はい・・・・・・・」

亮子は心の中に剣を突き立てられたような気がした。自分でも分かってはいたが、自分が康司を好きだという部分を使って、どこか自分のしたことを曖昧にしようとしていた部分があった。それを奥野がはっきりと言葉で指摘したのだ。しかし、その奥野の厳しい言葉の中に、どこか優しい部分があることにも気付いていた。

「だから、あんたは感謝しなきゃいけない。騙されてこけにされてもなお守ろうとしてくれている人に。そうだろう?」

「はい・・・・」

「このアマチュアカメラマンに感謝するんだな。こいつが居なけりゃ、あんたはとんでもないことになってたぞ。もしこいつがそっぽを向いてたらどうなってたと思うんだ?」

「はい・・」

亮子は更に幾筋も涙を流した。何となく気が付いていたが、自分が何年も前から計画して実行した計画が、実は自分自身を破滅に追い込むことになるとは想いもしなかった。今までの自分は何だったのだろう?それが大失敗に終わった今、これから先は何を楽しみにしていけばいいのだろう?巨大な挫折感に打ちのめされた亮子は、奥野の言うことさえ幻のように感じていた。もう、これから先、自分は自分でなくなってしまうのかも知れないと思った。ただ、康司に守って貰ってこそ生きてゆけるのかも知れないと思った。康司にその気があれば、だが。

「分かればいいよ。良いか、明日、3人で出版社に行ってネガを返して貰う。その時に次号に載る版も見ることになってる。それに問題がなければ、この件はお終いになる。良いな?」

「はい・・・・、アキちゃん、良いよね?」

「はい・・康司さんが良いなら・・・・」

「その時、ベタ焼きを見せないと自分のネガだって信じて貰えないぞ」

「はい、それについては問題ないです」

「ほう、言い切るじゃないか」

「これを見てくださいよ」

そう言って康司はネガのベタ焼きを見せた。

「ほら、ベタ焼きの中にアキちゃんがネガをぶら下げた中で写ってるのがあるでしょ?そのぶら下がってるネガも何枚かは何が写っているのか、少しは分かるんです。これを拡大してみれば、俺のネガだって言う証拠になりませんか?」

「そうか、それなら問題ないな。そのネガが写ってるなんてな」

「これは旅行の時のネガじゃないから、ネガそのものだって家にありますよ」

「良し、決まりだ。それで行こう」

「良かった。アキちゃん、問題なく行きそうだよ」

亮子は最初、何のことか分からなかったが、康司に説明されて思い出した。確かに、ネガの現像の時に自分を映してくれと頼んだ覚えがある。その時に亮子とグァムのネガを同時に写した物を康司が持っているのだ。これなら文句の付けようがない。

「今野さん、良かったな。こういう奴に好きになって貰って。しっかり捕まえとくんだぞ。ちょっと重荷かも知れないけどな。なんたって、いつでもあんたの人生を左右できるほどのパワーを持ってるだから」

「奥野さん、そんなこと言わなくても・・・・」

「いいや、写真て言うのはそれほどのパワーを持ってるんだよ。俺は今まで一枚のネガで人生を変えちまった奴を何人も見てきてる。慎重に扱うんだぞ」

「はい」

二人はほぼ同時に答えた。

この頃になってやっとトンカツ定食が届き、3人で出来立てを食べ始めたが、さすがに亮子だけは食事が喉を通らなかった。確かに亮子にとって、奥野の言うことは身に染みた。そして、康司が居てくれなかったら、こんなに早く解決までの道筋が決まるとは思えなかった。考えてみれば、康司と町で出会ってからまだ10時間ほどしか経っていない。そして、康司の電話を受けただけの奥野が直ぐに動き出してくれた。先程曙橋の出口で会うまでの間に、この奥野はどれだけの交渉をしてくれたんだろう?詳細は知りようもなかったが、かなり真剣に交渉してくれたことだけは確信できた。

ただ、奥野と康司が雑談をしている間に、亮子にもほんの少しずつ心に余裕が出てきた。後は明日、次号の版を見てみるだけだ。それが気に入ればお終いになるし、気に入らなければもう一度交渉となるだろう。それならそれで良いや、と思った。『私のこれから先は康司さんが握ってるんだわ。康司さんがその気になれば、私を破滅させることさえできる。そんなこと、今まで考えても見なかった。こんなに優しくて力強い人が・・・・』

亮子はチラッと康司を見て不思議に思った。ただ、康司をそう言う立場においたのは自分なのだ。『これも出会いの一つなんだよね』亮子はそう思った。

それでも、高校生の食欲はなんとかトンカツ定食を亮子の胃の中に押し込んだ。ただ、最後は機械的に食べているだけで、美味しいのかどうかも分からなかったが。

「良し、それじゃ、明日は10時に出版社前に集合だ。良いな?」

「はい」

二人はほぼ同時に答えた。

「それじゃ、私は先にお勘定してるね」

そう言って亮子が先に席を立つと、奥野は康司にグッと顔を寄せて言った。

「良いか、これからしばらくはきちんとあの子を守るんだぞ」

「はい」

「嫌われるかも知れないけど、それでも守ってやらないとな」

「はい、わかってます」

「それと、この件が終わるまではできるだけあの子の側にいてやれ。物凄く不安になってるみたいだ。ちょっと言い過ぎたかも知れない」

「はい、やります」

康司は、自分で亮子を不安にさせるようなことを言っておいて良く言うと思った。

「それとな、それが終わってからだけど、一つ提案があるんだ。次の昼飯は俺が奢るよ」

「奥野さん、良いですよ。これはこっちから頼んだんだから」

「いや、そう言う話じゃなくてな。ま、お楽しみという所だ。それじゃ、トンカツ、ごちそうさま」

そう言うと奥野は康司と席を立った。

やがて亮子が勘定を済ませて店の外に出ると、既に奥野は帰った後だった。

「アキちゃん、それじゃ、帰ろうか?」

「うん・・・・」

「どうしたの?まだ心配なの?」

「ううん、それはもう良いの。でもね・・・・・・」

そう言うと、亮子はとぼとぼと歩き始めた。

「どうしたの?何が心配なの?」

「ううん・・・・」

亮子は地下鉄に乗っても、殆ど口を利かなかった。康司はだんだん心配になってきた。奥野の言うことももっともだと思ったが、それにしてもかなり厳しい言葉で亮子を打ちのめしたはずだ。

地下鉄から私鉄に乗り換えるために渋谷で降りた時、突然亮子が言った。

「ねぇ、ちょっと、お願い」

「どうしたの?」

「いいから」

そう言うと亮子は人が流れる地下道を離れ、康司をハチ公広場のほうに誘った。

「なあに?どうしたの?」

康司が聞くと、亮子は康司の首に手を回し、耳元で囁いた。

「今日は私と泊まって」

「えっ?」

「一人で居たくないの。お願い、明日の10時まで一緒に居て」

「だって、それって・・・・・」

「だめ?」

「そんなことはないと思うけど・・・・・・」

「それじゃ、直ぐに大丈夫かどうか決めて」

「わかったよ・・・・・」

そう言うと康司は両親の店に電話した。ただ、ちょうど焼き鳥屋は忙しい時間帯なのでまともに話ができず、とにかくちゃんとしろと言われただけだった。

「どうだった?」

「たぶん・・・・だいじょうぶみたい・・・・」

「本当?良かった・・・」

「でも、アキちゃんこそ大丈夫なの?」

「これから電話する」

そう言うと亮子は康司を連れて三軒茶屋まで行き、駅を降りると近くの住宅街の入り口まで歩いて行った。かなり人気の無いところだ。するとそこから亮子は家に電話して、このまま友達の家に泊まりたいと言った。ただ、さすがに高校生の女の子が突然外泊できるはずはなく、泊まり先をはっきりさせるように言っているようだ。

「分かった。今連絡するから」

そう言って電話を切ると、直ぐに再び電話した。相手は何と昌代だった。

「ねぇ、サヨ。頼まれて。お願い」

『どうしたの?いきなり?』

「今日、外泊したいの。アリバイ作って」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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