第91部
「疲れたの?」
「ごめんなさい。少し、こうして居させて」
そう言うと亮子は康司の肩に頭を持たせかけ、じっと眼を閉じてしまった。ぐったりとして見るからに落ち込んでいるのがはっきり分かる。とてもキスなどする雰囲気ではないし、セックスなどとんでもないという感じた。康司は亮子のおかげで動くこともできず、ただじっとしているしかなかった。『このまま1時間か』と思うと気が重いが、亮子に少しでも安らぎを与えていると思えば、まだ我慢もできる。
亮子は何を考えているのかわからなかったが、そのまま20分以上動かなかった。
やがて亮子は静かに頭を上げると、
「康司さん・・・・、ありがとう。嬉しかった」
と言ってほっぺに軽くキスをしてくれた。
「アキちゃん、大丈夫?」
「うん」
「よかった。ちょっと心配しちゃったよ」
「ちょっとだけ?」
そう言うと亮子は小さく笑った。
「ううん、いっぱいだけど・・・・」
「康司さんが心配してくれてたの、わかってた。だから嬉しいの。私のそばにいてくれて」
「そうなんだ。それならおれも嬉しい」
康司がそう言うと、亮子は康司の手を自分の胸に当てていった。
「ありがとう。私のお礼・・・・」
しかし亮子の表情はとても寂しそうで、とても二人で盛り上がる雰囲気ではない。
「アキちゃん、俺、何かで読んだけど、気持ちが落ち込んでいる時は無理に明るくしようとしないで、じっと静かにしている方がいいらしいよ」
「そう・・・、いいの?」
「うん」
「ありがとう」
そう言うと亮子は再び康司の肩に頭を乗せた。
「肩を抱いてくれる?」
亮子がそう言うので康司は静かに亮子の肩を抱いた。そのまま少しの間静寂が流れたが、次に聞こえてきたのは亮子のすすり泣く声だった。
「アキちゃん?」
康司が優しく問いかけても亮子はしばらく泣き続けた。康司は何を言っていいのか分からずにしばらくじっとしているしかなかった。やがて、
「ごめんなさい・・・・・・だいじょうぶ・・・・」
と小さな声が聞こえた。
「アキちゃん、大丈夫?」
「あのね、正直に言うと、全然大丈夫じゃないの。逃げたいの」
「アキちゃん・・・・・」
「わかってる。康司さんが私の言うとおりにしてくれたって。それは分かってるの。でも・・・・もうすぐ私の裸が載るの。そしてたくさんの人が見ちゃう。私だってわからないかもしれないけど、みんなが見る。・・・・・私、やっぱり我慢できない。逃げ出したい」
「アキちゃん、どうする?このまま逃げちゃう?」
「いいの?????」
「でも、ネガはまだあそこにあるよ。写真を入れ替えるために渡してあるからね」
「それじゃ逃げたって何にもならないじゃない」
「そうだよ。どうしようもないね」
「ねぇ、どうして男の人は女の子の裸を見たいの?」
「そんなこと言われても・・・・、可愛い女の子は見たいし。たぶん、男ってそういうものなんだよ」
「女の子がこうやって陰で泣いてても?」
「そうだとみんなが知っていたら、だいぶ数は減ると思うけど、それでも見たい人はいるだろうね。あの雑誌だって結構高いのに売れてるんだから」
「私が見ないでって頼んでもだめ?」
「読者に?」
「誰でも良いから」
「きっと逆効果だよ。そんなことしたら、絶対みんなもっと見たくなるよ」
「それで、私の写真でいっぱい嫌らしいこと考えるのね」
「そりゃ、そういうものだから・・・・・」
その康司の言い方が、あまりに普通だったので亮子はついに我慢できなくなった。
「康司さん、私があの部屋でどんな気持ちでいたと思うの?わたしのベッドでのアップを男の人が寄ってたかってあーだこーだって好き勝手ばっかり。ちょっとは私の気持ちを考えてくれた?康司さんは褒められて嬉しいかもしれないけど、普通、あんなことされて黙っていられると思う?絶対許さない。私、もう我慢できない。ぜったい訴えてやる!」
そう言うと亮子は携帯を取り出した。
「こんな時のために弁護士の番号は調べてあるの」
そう言って亮子はどこかにかけようとした。
「アキちゃん、だめだ。待って」
そう言って康司は携帯を取り上げようとした。
「いやっ、絶対訴える!」
「だめだって、落ち着いて。落ち着かなきゃだめ」
「康司さんも一緒に訴えられたいの?ほっといて!」
「だめだって。そんなことしたらアキちゃんが面倒なことになるから」
「どうして?わたし、何をしたの?何か悪いことした?してないわ。絶対何もしてない」
「何言ってるんだ。俺からフィルム持っていって持ち込んだのは誰だよ。良く考えて。ね、落ち着いて」
康司がそう言うと、亮子の動作が止まった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、どうすればいいの?どうにもならないの?」
そう言うと亮子は康司に抱きついた。しばらく亮子は激しく泣き続けた。
「アキちゃん、落ち着いて。そうしたら話をしよう」
康司はそう言うと、優しく亮子の背中を撫で続けた。小さい背中は震えていた。
「康司さん、助けて・・・・・」
「アキちゃん・・・・・」
「もう、どうにもならないの?」
「・・・・・・・・・・・」
「康司さん、少しでも、ちょっとでも良いから、助けて・・・・」
「アキちゃん、話、できる?」
「うん」
亮子は康司の肩に顔をうずめたまま答えた。
「もう、できることは限られてるんだ。それでもいい?」
「うん。私、わかってるの、本当は。でも、気持ちが・・・・」
「よし、それじゃ、少しだけ何とかできないか聞いてみよう」
「何かできるの?」
「ちょっとくらいなら・・・・たぶん・・・・・、わかんないけど・・・」
「何をするの?」
「もう少し修正できないか頼んでみる」
「そんなこと、できる?」
「それじゃ、二人で戻ろう」
「康司さん、一緒にいてね。どこかに行っちゃいやよ」
「うん」
そう言うと二人は再び出版社に戻った。ふと見ると、奥野は出版社の中の机でパソコンに向かって何かしている。どうやら場所を借りて何か自分の仕事をしているようだ。
「奥野さん、ちょっとお願いがあるんですけど」
「お?戻ってきたのか?さっき、もうすぐ終わるって言ってたぞ」
「それで、少し提案なんですけど・・・・」
「何かこれ以上いじるのか?たぶん無理だと思うけどな」
奥野のその言葉を聞いた亮子は康司の裾をぎゅっと握った。
「担当の肩を読んでいただけませんか?きっと悪い話じゃないと思うんです」
「ああ、どの道もうすぐ終わるからな」
そう言うと奥野はどこかほかの部屋に行った。
「アキちゃん、あの部屋で待っていよう」
そう言うと康司は亮子を連れてさっきまでいた部屋に戻った。部屋の中は康司たちが出ていった時のまま、何も変わっていない。机の上には乱雑にいろいろなものが散らかっていた。
「何か聞いてほしいことがあるんだって?ほら、打ち合わせ通りにできたぜ」
担当者が奥野と部屋に戻ってきた。確かに、打ち合わせた通りにレイアウトが変更され、ページの真ん中に亮子の仰け反った身体がどーんと載っている。それを見た亮子はぎゅっと目をつぶって顔を逸らした。
「アキちゃん、ほら、ほとんど顔はわからなくなったよ」
「あぁ、よくできてるだろ?」
「それで、何を言いたいんだ?」
担当者に続いて奥野が聞いてきた。
「わかってるだろうが、これ以上の差し替えは無しだ。時間の無駄だからな」
「はい、写真はそのままで良いんです」
康司がそう言ったので亮子は目の前が真っ暗になった。そして、それまで掴んでいた康司の裾からぱっと手を離した。
「それじゃなんなんだ」
「この写真の周りにスクリーンをかけるのと、デコ文字を付けて欲しいんです」
「スクリーン?それじゃ、写真が小さくなっちゃう」
「お願いします」
「でもね・・・・・」
「アキちゃん、とっても精神的に不安定で、さっきは訴えるって言って電話までかけようとしたんです。わかってください。ごく普通の女の子なんです」
「そんな話は聞きたくないね。昨日話したことだろうが。いまさら何言ってんだ。この子は責任を取らなきゃいけないんだよ」
「わかってます。だからお願いしてるんです。ほんの少し周りにスクリーンをかけて、『見ないで』ってデコ文字をここからここに入れて欲しいんです。それならおへそは隠れるし、たぶん、『で』の字が口元を半分ほど隠すはずです。モデルのプロポーションは邪魔しないし、胸はそのままだし。お願いします。このままアキちゃんが納得しなくて、後で無理やり写真を決めたとか言って騒ぎだしたら、そっちだって迷惑でしょ?あと少し、それだけしてくれたら、もう何も言いません」
「本当か?」
奥野は亮子に直接聞いた。亮子は本当のところ康司の言っている意味がよくわからなかったが、康司が一生懸命頼んでいることは分かった。そして、康司の膝が震えていることも。
少し考えた亮子は、思いきるしかないと思った。康司に全てを任せるしかないのだ。
「はい、康司さんの言うとおりにしてくれたら、もう何も言いません」
その口調はかなり頼りなかったが、言葉ははっきりと伝わった。
「どうする?」
「おくのさんまで・・・・・・・・」
担当者は頭を抱え込んだ。しかし、奥野が再考を求めているということは、そういうことなのだ。
「わかりましたよ。このまま待っててください。15分ほどですから」
そう言うと担当者は少し不機嫌に席を立つと、どこかに行ってしまった。そして、直ぐに戻ってくるとネガを康司に返した。
「必要なこと以外、絶対何もしてないからな。いいな、返したぞ」
そう言うとあわてて戻って行く。その姿を見て奥野が言った。
「お前、自分の言ったことがわかってるんだろうな」
「はい、あの周りのレイアウトのやり直しですね」
「それと同時に周りにある写真載りサイズな。そうだろ?真ん中の写真が小さくなるんだから」
「はい」