第92部

 「それじゃ、原稿が出来上がったら一筆書いてもらおうか」

そう言うと奥野は机の上のペンを指差した。

「アキちゃんがもう何も言わないって?」

「そうだ。これ以上迷惑かけられたらかなわん。いいな」

奥野は亮子にそう言った。

「あの・・・・、なんて書けば・・・・・」

「そうだな、原稿のゲラが来たら、その裏に、『これを載せるのなら今後一切何も要求しません』とでもかいてもらおうか。それくらい、あんただってしてもいいだろ?要求するばかりじゃ問題を起こすぞ」

亮子はさすがにしばらく考え込んでいたが、

「はい・・・・・・書きます」

と言った。

しばらくして担当者が修正した原稿を持って戻ってきた。

「どうだ?」

確かに康司の言ったとおりに直っている。ちゃんと『で』の字で口元を半分隠してあった。全体としては、明らかに亮子らしさが薄れている。

「アキちゃん、どう?」

康司が聞くと、亮子はまた黙りこんだ。確かに自分だと分からないかも知れないが、堂々と乳首まで見えた裸がアップで出ている。ここでOKすればこの写真が何千枚も何万枚も街に流れるのだ。亮子はしばらく黙りこんだままだった。

「どうなんだ。いいのかだめなのか」

奥野はいい加減嫌になってきたようだ。担当者は黙ったまま亮子を見つめている。

「アキちゃん、返事をして。アキちゃんが決めるんだよ」

康司はなるべく心を込めてそう言った。その言葉で亮子は心を決めたらしい。

「はい、それでいいです」

「よし、それじゃここにさっき言ったように書け」

そう言うと奥野はゲラを裏返して亮子に渡した。亮子はちょっとためらったようだったが、直ぐに奥野に言われたとおりの言葉を書いた。

「日付と名前を入れるんだ。言っておくが法律的にちゃんと有効だぞ」

担当者がすかさず横から指示を出す。亮子が言われたとおりにすると、康司が言った。

「そこにあなたの名前を入れてアキちゃんに両面コピーを渡してください。日付も」

その言葉に担当者は少し驚いたようだったが、言われたとおりにして亮子にカラーコピーを渡してくれた。

「よし、今度こそ、これでお終いだな?」

奥野が担当者と康司たちを見渡して宣言した。

「納得したな?」

「はい」

康司と亮子はそろって声を出した。ただ、亮子には明らかに元気がない。

「よし、それじゃこれでお終いだ。迷惑掛けて悪かったな」

奥野は担当者にそう言うと、康司たちを連れて外に出た。

「それじゃ、飯に行くか。どうせ、さっきの様子じゃ何も食べてないんだろ?」

「どう?アキちゃんは?」

「はい」

「それじゃ、近くの店のランチでいいな」

そう言うと奥野は慣れた感じで一軒のイタリアンレストランに入り、席にも座らないうちから日替わりランチを3つ頼んだ。席に着くと、

「ここは久しぶりだけど、ランチはなかなかいけるぞ。おごりだから遠慮なく食べていけよ。話もあるし」

そう言うと、奥野は亮子に向かっていった。

「慰めにもならないかも知れないけどな、嫌なことは忘れるしかない場合だってあるんだ。それは仕方のないことだよ。もう、何を後悔しても仕方がない。できるだけのことはやったんだ。後は忘れる努力をした方が良いと思うけどな」

と言った。亮子は奥野の言葉が少し心に響いたようで、ほんの少し顔が明るくなった。

「さぁ、入ろう」

そう言って3人は店の中に入った。席に着くと康司から話し出した。

「ありがとうございます。で、話って何ですか?」

「あぁ、今野さんの方にだけどな」

「え?私?」

亮子はこれ以上何か言われるのかと思って身構えた。表情に不安が広がる。

「心配しなくていいよ。もうあの件は形がついたんだから」

「・・・・・・・」

亮子はじっと黙っている。不安なのが良くわかった。

「あのな、フリーペーパーって知ってるか?」

「・・・・・・はい、街に良く置いてあるやつ・・・・」

「そうだ。よく見るのか?」

「いいえ、たまにだけど、新しいお店とか載ってるときがあるから・・・。アキちゃんは?」

「私はあんまり見ないけど、好きで毎号集めてる子もいるみたい」

「どうして只だか知ってるか?」

「・・・・いいえ・・・・・」

「あれは、雑誌の形をしているけど、実際は全部が広告なんだ。記事も全部。読み易くして手にとってもらうのが目的だから、あんまり広告らしくないけどな。部数とかにもよるけど、ちょっとしたものに載せてもらうだけで1ページ50万とかかかるんだ。一流のフリーペーパーなら百万以上だな」

「はい・・・・・・・・知らなかった・・・・・」

「まぁ、それはそれとして、要するに、フリーペーパーの記事って言うのはお金をかけられないんだ。発行料が高いからな」

「はい・・・・」

亮子は奥野が何を言いたいのかまるでわからなかった。怪訝な表情で聞いている。

「で、だ。俺が頼まれてる仕事のひとつにそのフリーペーパーの仕事があってな、商店街の宣伝なんだが、只で商店街の店を覗いたり商品を手に取ったりしてくれるモデルが必要なんだ。さっきも言ったけどお金は出せないんだ。でも、やってみないか?」

「私?」

「そうだ。あんたなら上手くできるかもしれないと思ってな。商店街は気合を入れてお金を出すんだから絶対に失敗できない。だから、今まで手付かずだったんだが、あんたさえその気になってくれれば、きっと良いのができると思うんだ。もちろん、今度は顔もバッチリ出るけどな。どうだ?」

「ええ・・・・・・」

亮子はあいまいに言葉を濁した。本音を言えば興味はある。しかし、さっき自分の裸を散々あーだこーだと言われたばかりなので気持ちの切り替えが上手くできない。

「アキちゃん、凄いよ。やってみたら?」

「ええ・・・・まぁ・・・・・」

「奥野さん、アキちゃんがやるって言ったら、俺、付いて行っても良いですか?プロの仕事を見たくて」

「だめだよ。やるんなら俺と彼女の二人だけだ。余計なおまけがいると邪魔で気が散るからな。それに、自分の仕事を簡単に見せるほどプロは甘くないよ」

「そうか・・・残念だなぁ。でも、アキちゃん、やったほうが良いよ。奥野さん、何部くらいのフリーペーパーなんですか?」

「あんまりしゃべっちゃいけないんだが、この際仕方ないだろう。取り敢えず5千部から始める事になってる。一箇所に50部として百ヶ所だな。好評なら商店街が買うページをシリーズ化して部数も増やせるらしい」

「どうしてアキちゃんなんですか?」

「私も聞きたい」

「商店街って言うのは、いつも来る人は決まってるんだよ。大抵は30歳以上の女性だ。時間も同じだ。だから店もそういう人をメインに品揃えしてる。だけど、フリーペーパーのモデルにはその年齢層の人は使えないんだ。好感度の高い人だとモデル料が高くて出せないし、普通のおばさんを使うと、ありきたりすぎてまず手に取っても貰えないからな。それに、商店街としては客の年齢層を広げたいんだ。いつも来る人には別に宣伝する必要ないからな。その点、高校生の女の子なら好感度は高いし、30代から見ても人目を引くから手に取って見てもらいやすくなる。写真の力で記事まで引っ張っていけるんじゃないかと思うんだ」

「どんなことするんですか?」

亮子は少し興味が出てきたみたいで、自分から質問を始めた。

「商店街が決めた紹介する予定の店に行って、指定されたものを手にとって見たり、食べてみたり、試着してみたりってとこだな」

「私服で良いんですか?制服はちょっと・・・・・」

「もちろん私服じゃないと困る。身近にいる女の子ってイメージじゃないと。その点、あんたは結構いける気がするんだ」

「何着も持っていかないとだめですか?」

「いいや、2着もあれば良いだろう。もともと着替える場所だって店の隅っこを借りてだったりするから、たくさんあっても大変なだけだよ」

「商店街の場所はどこですか?」

「東十条の近くだよ」

それを聞いて亮子は安心した。自分の住んでいるエリアや学校とは遥かに離れている。

「フリーペーパーを置くのもその近くですか?」

「いや、フリーペーパー一冊丸ごと借り切るわけじゃなくて4ページだけだから、あとはほかの企画のページなんだ。だから、場所としては上野界隈から赤羽あたりまでだな」

亮子は自分のエリアに置かないことを聞いて安心したが、ちょっと残念でもあった。ちょうどランチが来たので食べ始めることにする。ポークピカタをメインにしたランチだったが、美味しいサラダやサイドがたくさんあって、ご飯もボリューム満点だった。

「でな、表紙にもちっこく写真が載ることになってる。その小さいスペースはあんたの笑顔だけで行こうと思うんだ。そのほうがきっと目に留まる」

「奥野さんが全部決めるんですか?」

「いいや、俺は写真を撮るだけさ。その中で編集者が良いと思ったやつだけ載るんだ。それはさっきの雑誌と基本的に同じだよ。ただ、広告だから紙面を買ってくれる人の意向は十分に汲んでもらえるけどな」

「どう?アキちゃん、凄いね。はいって言わないの?」

「言いたい気持ちもあるんだけど・・・・・、すぐに返事しないとだめですか?」

「いいや、今で無くても良いよ。今週中にここに返事をくれ」

そう言うと奥野は亮子に名刺を渡した。そのとき、康司はあることに気が付いた。

「奥野さん、もしかして、このフリーペーパーの話があったから俺が電話した時に雑誌社に掛け合ってアキちゃんを助けてくれたんですか?」

「ん?そう言うのって、高校生だとずるいって言うのかな?俺たちなら当然だけどな」

奥野はさらりと言ってのけた。しかし、康司にとってはショックだった。信頼できる人だと思って頼んだのに、かなり打算が入っていたのだ。

「ただな、この話があって良かったと思わないか?俺は頼まれてた仕事に目処が付きそうだし、あんたらは雑誌に嫌な写真が出るのをかなり防げたんだから。あの写真を見て本人がわかる人なんてまず居ないぞ。まぁ、レイアウトのマジックもあったけどな」

「それはそうだけど・・・・・・」

「女の子にとっては辛いことだと思うけど、早くあんなことは忘れるこった。もう悩んでも仕方が無い。時間の無駄だ。それより、あんたにとってはチャンスだと思うな。堂々と写真が載るんだから。こう言うので友達同士の話題になるんだったら良いだろう?」

「はい、考えます」

亮子はそう言うとランチをパクパク食べ始めた。康司は亮子の顔をじっと見たが、その表情は何を考えているのか良くわからなかった。

食事が終わると、二人は奥野と分かれて家路に着いた。

 

 

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