優子は食事の間、久しぶりにゆっくりと会話を楽しんだ。考えてみれば、このところずっと急いで食事をすると直ぐに部屋に入り込んで勉強していたのだから当たり前だ。そして、そろそろ食事が終わる頃になった。

ピンポ〜ン、チャイムが鳴った。

「あ、クリーニング屋さんが来たのかな?」

大祐はそう言って立ち上がると玄関に行き、少しして優子の制服を持って戻ってきた。

「優子ちゃんの制服が戻ってきたよ。他はもう乾燥まで終わってるからね」

優子は服が戻ってきたことで安心した。今は全裸の上にバスローブを着ているだけなので、何となく安心できない。

「あの、着替えても良いですか?」

「あぁ、あそこがバスルームだから。洗濯機の蓋を開ければ全部入ってるよ」

そう言って大祐は制服を渡してくれた。

優子は制服を持って脱衣所に入り、洗濯機の中を見ると確かに全て綺麗に乾いていた。まだ乾いてから時間が経ってないと見えて少し暖かい。良い臭いのする下着を付け、改めて制服を着ると安心感が出てきた。

キッチンに戻り、席について残りのサラダを食べて、ちょっとだけ残りのワインを飲む。

「ワインが制服に付くと沁みになるから気をつけてね」

「はい」

「それで、優子ちゃん、何時までに帰ればいいの?送っていくけど?」

大祐がそう言うと、優子は考え込んだ。今日は家に帰っても一人きりなので急ぐ必要はない。でも、偶然出会った家に夜まで居るのもどうかと思った。しかし、今の優子は大祐との出会いをもっと大切にしたかった。それほどこの部屋と食事、大祐との出会いが新鮮で優子を引きつけていたのだ。

「あの・・・、今日は両親が居ないから一人なんです。だから・・・そんなに急がなくても・・・・」

「そう、それじゃ、もう少し居てくれる?」

「はい」

優子は喜んで言った。

「それじゃ、リビングに行こうか?」

大祐はそう言うと、優子の皿を持ってキッチンの流しに入れた。

「あ、私がします」

優子は慌てて立ち上がった。洗い物くらいはしないと申し訳ないと思ったのだ。

「ははは、ありがとう。でも、機械が洗ってくれるから心配ないよ」

そう言うと大祐は流しの横のスイッチを入れてからお湯を出し、軽く皿をお湯で流してから流しの下の扉を開けて食器を入れた。

「あの、そのブーンて音がするのは何ですか?」

「あぁ、これ?ディスポーザーって言うんだ。残りをそのまま流すとパイプが詰まったりするから、流しの下に機械があって、細かく分解してから流すんだ。このマンションは全部の部屋に付いているはずだよ」

そう言うと大祐は洗剤を食器洗い機に入れてスイッチを押した。

「そうそう、冷蔵庫にプリンがあるけど、優子ちゃん、食べない?」

「あ、はい。食べます」

「それじゃ、これね」

大祐が渡してくれたのは、コンビニで売っているようなものではなく、どこかのお店の名前の入ったガラス容器のプリンだった。

「これ、どこのですか?」

「う〜ん、良く分かんないんだ。俺が出ているイブニングサテライトって言う番組に一緒に出てる人がみんなに一箱ずつ配ってくれたんだよ。知り合いの店の改装記念とかで。でも、一応美味しいよ」

「そうなんですか・・・・、私はお店のプリンなんて食べたこと無いな。コンビニのしか知らないから」

「まぁ、味以外はあんまりに気にしないで」

大祐は皿とスプーンを渡すとそう言った。

「これでOK。さぁ、リビングに行こう」

大祐は優子を促して、自分はワインのボトルとグラスを持って暖炉の火が踊っているリビングへと向かった。

「少し、薪を足すかな」

大祐は、薪が減って火が小さくなった暖炉に、横に積み上げてある薪を何本か足した。確かに、優子がこの部屋で最初に目を覚ました時よりもだいぶ火が小さくなっている。

「直ぐに暖かくなるからね」

そう言うと大祐は暖炉の横のスイッチを入れた。

「あの、そのスイッチは?」

「あぁ、暖炉の中に空気を送るスイッチ。早く燃えるように」

「そうなんですか・・・・」

「優子ちゃんは何でも興味があるんだね」

「いえ、あの・・・、珍しくて、ごめんなさい、暖炉なんて見たこと無いから・・・」

「あ、優子ちゃんには紅茶でも出さないとね」

そう言って大祐は立ち上がると、キッチンに向かった。

「あ、いいです」

「直ぐに出すから。お湯を沸かすだけなんだから」

大祐がキッチンからそう言った。

「そうそう、火が大きくなってきたら、暖炉の横のスイッチ、切ってくれる?火が見えるくらいになれば良いから」

「はい」

優子は暖炉をじっと見つめながら、言われたことをしっかりとやろうと思った。

ただ、ほんの数分だが、優子には何も言葉を話すことのない時間が訪れた。確かに暖炉を眺めていると、少しずつ火が大きくなってきたのが分かる。『もう少しで切った方が良いな』と思ったが、その頃から先程飲んだワインが回ってきたのか、目がトロンとしてきた。『もう少し・・・、もう少しだから・・・・』そう思っている間に意識に少しずつ霞がかかっていく。

「さぁ、お茶が入ったよ」

その声にハッとすると、大祐が紅茶ポットとティーカップを目の前に置き、既に赤々と燃えている暖炉のスイッチをパチンと切った。

「ごめんなさい。なんか、ぼうっとしちゃって」

「良いよ。疲れているのかな?」

「ごめんなさい。そんなこと、無いんだけど」

「さぁ、紅茶をどうぞ。紅茶にはちょっと自信があるんだ」

「はい・・・・」

「どう?」

「美味しい。凄く美味しい。砂糖も何にも入れてないのに、とっても良い香りで、苦くないし」

「良かった。まだポットに入ってるからね」

大祐は冷めないようにポットカバーを被った紅茶を優子の方に押しながらそう言った。

『素敵、暖かい暖炉、美味しい紅茶、素敵な部屋、プリン、スロージャズ・・・夢みたい』優子はそう思った。

大祐はワインを軽く飲みながら、

「でも、今日はあんな土砂降りの中、どうして自転車で走ってたの?どこかで雨宿りすればまだ良かったのに。いや、怒ってるんじゃないよ。ただ、ちょっと不思議だっただけ。だって、女の子がびしょびしょで自転車押して歩いてるなんて」

「あぁ、それはですね・・・・・ちょっと恥ずかしいんですけど・・・・」

優子は今日のいきさつを朝から順に話し始めた。目の前で踊っている暖炉の火を眺めながら話していると、心まで落ち着いてくるから不思議だ。

「そうか、それで落ち込んでて、天気まで気が回らなかったんだ」

「はい、誰かが学校を出る時に止めてくれたような気がするんだけど、気にしなかったから・・・」

「でもね、優子ちゃん」

「はい?」

「勉強はすれば必ず成績は上がる物なんだ」

「そうかしら・・・・」

「でもね、成績、つまりテストに結果として出るまでは、少し時間がかかるんだ。そこで諦めちゃうとダメなんだけど、たぶん、もう少しがんばればきっと成績も上がるよ」

「そうならいいけど・・・・・・私なんて・・・」

「疑い深いなぁ・・・、ちょっと待ってて」

大祐はノートパソコンを持ってくると、あっという間にインターネットから高校2年生の地理の問題を引っ張り出した。そして、紙とボールペンを取り出して、

「20分で、できる所までやってごらん」

と言った。優子は行きがかり上、ペンを取るとやってみることになった。

『あれ?できる。解ける。どうして???』優子は驚いた。今日は全然解けなかったのに、同じような問題がどんどん解けていく。

「はい、時間だよ」

そう言って大祐は回答も見ずに採点を始めた。

「50分でやる問題を20分で6割解いて、正解が7割ならまぁまぁじゃないの?どのレベルを狙うかにも寄るけど」

「でも、この問題、簡単だったから・・・・」

「これが???これでも?」

大祐が問題の画面の右下の小さな文字を指差すと、有名な大学の入試問題であることを示していた。

「うそ!」

優子は驚いた。そこは自分の狙っているレベルより少しだけ高いのだ。

「ほら、解けるだろう?」

「どうして・・・・」

「がんばった時はテストになると自然に気負いが生まれて、誰でも『絶対に解けるはずだから。解ける筈なんだから』って必要以上に緊張する物なんだ。だから、がんばった後のテストって結構失敗する物なんだよ。でも、学力はやっただけ必ず身に付くんだから、あんまり心配しなくて良いよ。今は食事の後、リラックスした気分で『できなくてもいいや』って思ってやったから、還って解けたんだよ」

「そうなんだ・・・・」

「だから、あんまり気にしないで。どうせまたテストはあるからね」

「はい」

優子は大祐の言葉が優しく心に響いてくるのを心地良く感じていた。『大祐さんにもっと早く会っていたら、きっとテストも良かったのにな』と思った。

「さぁ、プリンがまだ残ってるよ」

「はい」

優子は心配の種が一つ無くなったので、一気に心が軽くなった。それに、麻里に彼ができたことだって、偶然とは言え、今は同じになったようなものだ。そして、麻里が知らない大人の世界に今、自分は居る。こっちの方が内緒にしておく価値があるのではないか?これを麻里が知ったら?と思うとちょっと嬉しくなった。

「大祐さん」

「なあに?」

「大祐さんに出会えて嬉しい。どうして今、ここにいるのか分かんないけど、でも、大祐さんの横にこうして座っているのが不思議で、ちょっと幸せ・・・」

「良かった。まだ、紅茶、あるよ」

「うん、でも、もうお腹いっぱいかな・・・」

そう言うと、優子は少しだけ身体を大祐に寄せた。それを大祐がごく自然に引き寄せる。

『あ、このパターンはもしかして・・・・・』優子はこのままだとどうなっていくかが分かったが、敢えてそのままにしておいた。もう、今日は何も心配することなど無いのだから。