第11部

 

「模試に失敗したら部屋に入れないからね」

「絶対大丈夫。真剣にがんばるから」

菜摘のその気持ちが晃一の心を動かした。ちょっと改まった感じで晃一は言った。

「良い子だ。そんな菜摘ちゃん、本当に大好きだよ」

「うわぁ、告られたぁ」

素直に菜摘が受けてくれたので晃一は気が軽くなった。ちょっと軽口で返す。

「その前に勝手にキスしたのは誰だい?」

「それは良いの。パパだから」

「そうなの?」

「良いの。パパは恋人でもあるんだから」

「それじゃ、今はパパは恋人?」

「そうねぇ、どっちかって言うとそうかも」

「うれしいな。菜摘ちゃんみたいな可愛い恋人がいて」

「ねぇ・・・、パパはどうなの?」

菜摘は急に声の調子を落とすと、ゆっくりと聞いてきた。菜摘自身、恥ずかしくてなかなか言えない言葉なのだ。

「え?」

「私のこと、どっちなの?恋人?それとも・・・・」

「それは恋人だよ」

「そう?そう?恋人で良いの?」

「よく言うだろ。父親にとって娘は永遠の恋人だって」

「もうっ、そんな風にはぐらかすぅっ」

「ははは、ごめんごめん。でも、まじめに言うと・・・・・」

「言うと?????」

菜摘はぐっと真剣に晃一の次の言葉に神経を集中させた。

「恋人に近いかな?俺には娘がいないから娘って分からないんだ。それで良い?」

「うんっ、絶対良い」

「良いの?本当?」

「もちろん」

「恋人って事は、菜摘ちゃんとキスしたくなるかもしれないし、もっとしたくなるかもしれないよ」

「そう露骨に言われると・・・・・・・・・」

「そうだね。やっぱり無理があるね・・・・・・」

「でも、そのままでいてね。恋人でいて、お願い」

「え?あ、うん。いいのかなぁ・・・・・」

「パパ、大好きよ」

「ありがと。でも、こんなこと、車に乗って二人とも前を向いてて言う言葉じゃないよね」

「そんなこと無いよ。素敵な車の中だし。二人だけだし」

菜摘にそう言われて、晃一は初めてここが二人だけの空間と時間であることに気づいた。確かに静かな車内で軽い音楽が流れていて、二人が過ごす時間と言えば言えなくもない。

晃一は横羽線に入るために湾岸線からベイブリッジに向かった。

「ほら菜摘ちゃん、ベイブリッジが見えてきたよ」

「うわぁ、おっきい。あそこを通るの?」

「そうだよ。もうすぐね」

「初めてなの。ベイブリッジを通るのは」

「どう?大きいと思う?」

「うん、すっごく大きい。こんなに大きいなんて思わなかった」

菜摘はパチッと大きな目をしっかり開けてベイブリッジを眺めていた。

「うわぁ、こんなに高いところを通るんだ。ビルが下に見えるよ」

「そうだね。クイーンエリザベスが入れるように高さを決めたんだから」

「ふうん、それってなあに?」

「そうか、菜摘ちゃんは有名な客船を知らないんだね」

「そうよ。全然関係無いもん」

「そりゃそうだけどね」

「ああん、もう通り抜けちゃった。残念だな」

「帰りにもう一回通れると思うよ。少し回り道になるけどね」

「もう一回お願い。しっかり見られなかったから」

「うん、わかったよ」

それから二人は止めどなく会話を弾ませ、横羽線の渋滞もさほどではなかったために、予定より少し早く横浜に入った。

「パパ、もう横浜まで来たの?」

菜摘が高速の標識を見ながら晃一に聞いてきた。

「うん、そうだね。ちょっと早めに着いたかな。その分、食事に時間がとれるよ」

「パパ、どこに行くの?」

「もちろん、横浜で中華料理と言えば・・・・」

「中華料理?と言えば?????」

「中華街だよね」

「中華街に行くの?一回行ってみたかったんだ」

「菜摘ちゃんは初めてなの?」

「そう、友達では行った子もいるんだけど、やっぱりちょっと遠いでしょ?」

「そうだね。ちょっと東京の反対側からじゃね」

「ねぇパパ、どんなものを食べるの?」

「うん、本当はコース料理にしようかと思ったんだけど、菜摘ちゃんの食べたいものを聞いてから決めればいいと思って席だけしか予約してないんだ」

「パパ・・・・それって、結構プレッシャーかけてる?」

「プレッシャー?なんで?」

「だって私、中華料理なんてラーメンとチャーハンじゃないけど、簡単なものしか知らないよ。パパが予約したんだから、きっとすごいところなんでしょ?」

「そんなすごいところじゃないよ。普通のところだよ」

「その『普通のところ』がすごいのよ、パパの場合」

「そんなこと無いって。行ってみれば分かるよ」

「うん、でも、素敵なところが良いな」

「菜摘ちゃん、どっちなんだい。凄いところが良いの?それとも普通のところが良いの?」

「もちろん、凄いところ。だって、行ってみたいじゃない?そんなところ。17年生きてきて、初めてのチャンスなんだもん」

「17年か・・・・・ほんの少しだね」

「パパ、そんなこと言っていいの?そのほんのちょっとの子に目のやり場に困ったのは誰?」

「菜摘ちゃん、結構根に持つタイプだね?」

「私が?全然、絶対そんなこと無いよ。言われたことないもん」

「そうか、ごめんね、変なこと言って」

「気にしてないから大丈夫」

車は横浜に入ったが、あと少しで高速を降りると言う時になって車は渋滞にはまってしまった。

「ああん、渋滞してるぅ。全然動かないぃ」

「菜摘ちゃん、良い声出すね」

「パパ?今の何?それって絶対考えてたでしょ」

「はい、正直に言います。そうです。考えてました」

「正直でよろしい、ってなる訳ないっしょ。パパ、私にそんなこと言うの?」

菜摘はちょっと気分を害したようだ。

「ごめんね。でも、俺だって男だからきれいな人を見ればいいなって思うし、女の人だって大好きだよ。電車で横になった人のスタイルを想像したり・・・・・」

「そんな事してたの?正直に言って。私にどんな想像したの?」

「菜摘ちゃんにはあんまり考えたこと無いけど、・・・スタイルが良くて足がきれいだなぁ、くらいかな」

「それって余計に傷つくし。それに、それ以上に何を考えることあるのよ」

「それは内緒だね」

「私には理解できないこと?」

「そんなことはないと思うけど・・・・、きっともう少し付き合ってたら分かってくると思うな」

「うわぁ、さりげなく更に告るし」

「え?だって、菜摘ちゃん、付き合ってくれるんじゃなかったの?」

「ちょっと考え直そうかなぁ」

「そんな。菜摘ちゃんが気持ちを決めたと思って正直に話してるのに」

「だって、パパがそんな人だなんて思ってなかったから」

「そんなこと言うんだ・・・・・・・・・・・菜摘ちゃん・・・・・・・」

晃一の声は明らかにがっかりしているようで、完全に声が沈んでいた。

「パパ、元気出して」

菜摘はちょっといじめたかな?と思って慌てて取りなした。

「私だって年の離れた人と付き合った事なんて無いんだか。知らないことばっかりなんだから」

「そうなんだ。菜摘ちゃんみたいに可愛かったら、ボーイフレンドには苦労しないと思うけどな」

「それが、そんなに簡単にいかないのよ。言い寄ってくる子にろくなのはいないし、思い切って告った相手には振られるし」

「それって、理想が高い時の典型的なパターンじゃない?」

「そうかなぁ、もしかしたらそうなのかもね。覚えとく」

「でも、その理想の高い中に俺も入ってるの?」

「さっきの話を聞かなければ・・・ね」

「じゃぁ、俺は『ろくでもない』って方に入るの?」

「それはどうかな?今日はパパにいっぱい楽しくさせてもらってるから、それくらいじゃポイントは下がらないから安心して」

「良かった。菜摘ちゃんに嫌われたらどうしようかと思ってはらはらしたよ」

「パパって意外に意気地なしなのね」

「きついこと平気で言うね」

「ごめんね。パパだと何でも言えちゃうみたいで、私も不思議なの」

そんなことを話している間に車はいつの間にか渋滞を抜け、高速を降りて中華街に近づいていた。

「ええっと、あそこの駐車場に入れようか。天気は良いみたいだから、店に入る前にちょっと中華街を散歩しても良いね」

「うん、賛成。お散歩お散歩」

菜摘が賛成したので晃一は車を入れると菜摘を連れてわざと中華街の中を遠回りして目的の店に向かった。菜摘は初めての中華街に目をキョロキョロしており、晃一の見るところ、ディズニーよりも興味津々のようだった。

「菜摘ちゃん、行列のある店と無い店とはっきり分かれてるだろ?」

「うん、行列の長いのは何十人も並んでる。きっと行列の店は美味しくて評判なんだね」

「そう思うだろ?」

「違うの?」

「そう、違うんだな、これが」

「じゃぁ、どうしてみんな行列してるの?」

「たいていの人はネットで調べてくると思うんだ。ネットで評判になれば美味しいと思うだろ?」

「うん」

「でも、ネットで評判のお店が必ず美味しい訳じゃないんだよ」

「どうして?口コミとかで評判が良ければ人は集まるのに。私の行く店だってそうだよ」

「良くわかんないんだけど、今日これから行く店の人に以前聞いたら、ネットでの宣伝に力を入れている店とそうでない店があるからって言ってたよ」

「宣伝て、広告とか?」

「広告もそうだけど、口コミって言うのも立派な宣伝道具なんだよ」

「ええ?そうなんだ・・・・」

「口コミに書いたことならみんな信じるだろ?」

「そりゃそうよ。私だって書き込むもん」

「それじゃ、お店の人が頼んだ人が書いたとしたら?そうじゃなくても、一部の人にだけ同じ値段でもぐっと手のかかった美味しいものを出したとしたら?」

「そんなのがあるの?」

「どうかな?それはわかんないけど、少なくとも口コミで評判の店が美味しいかどうかって言うのには疑問が多いし、実際外れも多い。逆にネットでは全然評判になって無くても美味しい店はいっぱいあるよ」

「今日行く店もその一つなのね」

「せいかーい」

「それじゃ、ネットの口コミを信じてああやって並んでる人たちはなんなのよ。馬鹿みたいじゃない」

「うん、それはそうなんだけど、言ってみれば自分で美味しい店を探そうとしないで人に頼った結果がああなんだって思った方が良いんじゃないかな?」

「そうかぁ・・・」

「さんざんネットの口コミを信じてた本人が言うんだから間違いないよ」

「ねぇ、あのお肉屋さん、豚の顔がかかってるよ」

「ああ、中華風の酢の物やサラダなんかに使うと美味しいんだよ」

「パパ、あの中華まん、すっごく大きいよ」

「あんなの菜摘ちゃんに買ったらお店に着く前にお腹いっぱいになっちゃうね」

「わかんないわよぉ?簡単に食べちゃうかもしれないし」

「試してみる?」

「ううん、今日は止めとく。パパのお店に着いてからにする」

「それじゃ、そろそろ向かおうか。そんなに遠くないけど」

「うん」

二人はメインストリートから少し横に入った黄色い看板の店に入った。そこは行列など全然できていない、ちょっと入り口の薄暗い感じの店だった。菜摘の素直な印象で言えば中が分からない店は入りにくい。しかし、入り口はちょっと凝った作りになっていて中に入るときれいな内装と明るい部屋が出迎えてくれる。

「やぁ、三谷さん、久しぶり」

店では晃一と顔見知りらしい主人が元気な声で出迎えてくれた。

「こんばんわ。久しぶりだね」

「しばらく顔出さないから心配してました。元気ですか?」

「うん、元気にしてます」

「こんな可愛い女の子いたの、知らなかったよ」

「そうだね、菜摘、ご挨拶なさい」

「こんにちは、菜摘です」

「ははは、凄い美人になるよ。今から楽しみだね。心配かな?」

主人はそう言って晃一をからかうと、

「今日はどんな風にすればいい?」

と二人を席に案内してメニューを差し出して聞いてきた。二人の席は小さめのテーブルだがきれいな白いクロスがかかっており、大人数用の大きなテーブルとは離れているのでゆっくりと静かに食事が楽しめそうだ。菜摘は差し出されたメニューを食い入るように眺め始めたが、慣れていないのでどんな料理なのか想像するのがとても大変だ。

「菜摘ちゃん、食べたいものを言ってごらん。きっと上手にアレンジして出してくれるから」

「アレンジ?」

「そう、菜摘ちゃんは食べたいものだけ言えばいい。私が後は上手にやるから」

店の主人はそう言って胸を張った。

「だけど、値段が書いてないよ」

「それはゲスト用のメニューだからだよ。俺の持ってるやつには書いてあるから大丈夫」

「そんなこと言ってもなんか不安で。ちゃんとお店がちょうど良くしてくれるの?」

「うん、だから食べたいものだけ言っておけば、ちょうどお腹がいっぱいになるように作ってくれるよ」

「それって、料理の大きさを加減するって事?」

「そうだね。それだけじゃなくて、取り合わせてくれることもあるよ」

「私、味が分からなくて値段だけ言う客には来て欲しくない。疲れるだけだよ。それよりも美味しいものをちゃんと味わってくれる客にきちんとした料理を出したい」

主人はそう言ってから、

「でも、うちは絶対高くないよ。凄く美味しくてちょっと安い、それが一番」

と言って笑った。

「なるほどね。そう言うことか」

菜摘は先ほどネットの口コミについて晃一の言いたかったことがちょっと分かった気がした。

「菜摘ちゃん、食べたいもの、決まった?」

「良いのかなぁ、食べたいものを言っても」

「良いよ。遠慮したら次の機会は永遠に来ないかもしれないよ」

「うわぁ、そんなこと言われると、考えちゃうなぁ」

「考えないで早く言ってよ」

店の主人がせかした。