第112部



夜になって、菜摘に友紀から電話がかかってきた。昨日の友紀にひっぱたかれた頬の腫れがやっと収まったばかりの菜摘は、また怒られるのかと怖かったが、電話に出ないわけにもいかない。いつもより2回ほど長いコールの後、菜摘は怖々と通話ボタンを押した。
『もしもし・・????』
『菜摘・・・・ごめんね、ちょっと遅かったかな?』
『ううん、良いけど・・・・・』
菜摘は友紀の様子が変なので携帯を握り直した。怒っているという感じでは無く、どちらかと言うと落ち込んでいるような感じだ。
『ごめんね。昨日のこと・・・・。痛かったでしょ?』
『うん、もちろん。・・・でも自分でしたことだから仕方ないよね』
『怒ってる?』
『ううん、全然。昨日はさすがに思いっきり落ち込んで、今日もまだ続いているけど・・・・』
『家の人にバレなかった?』
『うん、何とかごまかせたと思う・・・・・・。どうしたの?』
『昨日言ったでしょ?おじさまを返すって・・・・・』
『うん、でもアレは・・』
『私ね、気持ちが鈍らない内にと思ってメールを書いたの。そしたら・・・・・・そしたらね・・・・・・・ごめん・・・・ちょっと待って・・・・・・』
友紀の声が擦れ、涙を拭いているような気配がした。
『へへへ、鼻水も出ちゃった』
『友紀、大丈夫?』
『ううん、ダメ。だから菜摘の声が聞きたくて・・・・。こんなこと麗華には話せないし・・・』
『私で良いの?』
菜摘は友紀が声を掛けてきたことが少し不思議だった。本当なら他の子に聞いて貰うべきでは無いだろうか?
『うん、こんなこと他の子には話せないもん。菜摘の悪口になっちゃうし、おじさまのことだってきっと誤解されちゃうから・・・でも菜摘なら・・・』
その言葉で菜摘は納得した。菜摘のことは自分でも仕方ないとは思うが、もし友紀が本当に別れることを決意したのなら、晃一のことまで悪く言わないと筋が通らない。友紀はそれが嫌で、本当は話したくないに違いない菜摘に電話してきたのだ。話を聞いて貰えて晃一のことを悪く言う必要の無い相手は菜摘しかいない。
『あのね、メールをちょっと書いてて・・・、さっきからいっぱい泣いたの。辛くて悲しくて。止まっちゃいそうだったから・・・電話しちゃった』
『泣いたの?』
『うん、わんわん泣いた。でもね、止まらないの。普通あれだけ泣いたら収まるのに・・・』
そう言う友紀の声は明らかに涙を想像させた。
『友紀、本当に好きなんだね・・・・・・』
『好き・・・・・だった・・・・だよ・・・』
『過去形で良いの?』
『うん、もう決めたことだから』
『でも、辛くて、悲しくて・・・・・ごめん。私があんなこと・・・・』
菜摘の声も擦れてきた。目がうるうるして涙が溢れそうだ。
『ううん、関係ない。菜摘がしなくても、きっと同じになってた。だって、おじさまの心の中には菜摘がずっといるんだもん』
『そうなのかな・・・・』
『そうよ。私にしか分からないかも知れないけどね・・・・・。きっと菜摘には分からないだろうな・・・・』
『本気で好きだからこそ分かる・・・か・・・』
『もちろん』
『そこは自信あるんだ』
『そうよ。どうしてだろうね?あんなに年が離れてるのに。今まで同級生とか一つ上しか付き合ったこと無かったのに・・・』
『そうだよね。友紀にしては珍しいよね。だから、私、年上に甘えてるんだなって思ってたの』
『もちろん甘えてたわ。神戸の旅行なんて最高だった。まるでお姫様みたいな感じでさ』
菜摘はちょっと胸がずきっとしたが、友紀のことを考えるとそんなことは言ってられない。
『そうなんだ・・・・楽しかったんだ・・・・』
『うん、ポートタワーの直ぐ近くのスイートルームでね、凄く広くてジャグジーとかあって・・』
『そんなに凄かったんだ・・・・』
『元々は菜摘のために予約したんだけどね・・・・』
『そんなこと無いと思う。きっと直前に予約したんだよ。だって、具体的な話なんてしなかったもん』
『そうか、そうかもね・・・・。行きの新幹線で部屋の予約がどうとか言ってたから』
『そうでしょ?』
『そう言えば、確か、直前の予約で安くて良い部屋が見つかったって言ってたんだ・・・』
『ほら、やっぱりそうでしょ?』
『そうだった。ごめん。今思い出した』
『友紀のために予約したんだね、素敵な部屋を』
菜摘はそう言いながらも、胸が痛くなるのはどうしようも無かった。
『でもね、やっぱり分かるんだなぁ・・・』
『何が?』
『ごめんね、あのね、おじさまにして貰ってた時、ふっと視線が変わる時があるの』
『視線が?』
『うん、でね?その時はふっと感じるんだ。おじさまは私以外の人を重ねてるって』
『そうなの?』
『うん、菜摘にはわかんないと思う。私だって意外だったもの』
『そうね・・・わかんない・・・・ごめん・・・・』
『私以外の人って言えば菜摘しかいないでしょ?』
『そうかなぁ・・????』
『心当たり、ある?』
『・・・・無い・・・・』
『ほらやっぱり』
『でも、私、特に連絡なんて取ってなかったし、あの頃は・・・』
『そう、高木に夢中だった頃でしょ?』
『夢中だった・・・か・・・・・そうかな、やっぱり』
『そう言うことじゃないのよ。菜摘がどうとかじゃ無くて、おじさまの心の中できっと菜摘のことを考えていたんだと思う』
友紀の声は少しかすれが収まってきたらしく、比較的はっきりと聞こえるようになってきた。どちらかと言うと、菜摘の声の方が落ち込んで暗い感じになっている。
『そうか・・・・あんなことしたんだものね・・・・私ってどうして・・・・・』
『菜摘?』
『なあに?』
『私を励ましてくれるんじゃ無いの?』
『え?』
『あんたが落ち込んでどうするのよ』
『ぅ、うん・・・・・・でも・・・・』
『そうよね、菜摘が最初におじさまを振らなきゃ、こんなことなんて起きなかったんだから』
『ごめんなさい・・・・』
『泣いてるの?』
『ううん、泣いてない』
『でもね、私、今考えてもとっても素敵な時間だったと思うの。きっと何年かすれば、もしかしたらもっと豪華なホテルに泊まることだってあるかも知れないけど、それでもあの日は絶対に忘れないわ。断言できる』
『どうして?』
『どうしてかなぁ???きっと、普段と全然違う世界に連れて行ってくれて、私の心も身体もたくさんたくさん愛してくれたから・・・かな・・』
『・・・・・そう・・・なんだ・・・・・』
『何落ち込んでんのよ』
『落ち込んでないよ』
『菜摘はその頃、凄く幸せいっぱいで甘えてたんでしょ?』
『・・・それがね・・・・・そうもいかなかったんだ・・・・』
『どう言うこと?』
『あのね、友紀だから言うね。あの土曜日、部屋に行ったのね。その時はもうお互いに何となく分かってたから、何にも確かめる必要だって無くて、直ぐに始めたの』
『そうでしょ?やっぱり・・・』
『でもね、最初、全然感じ無くて・・・・・ちょっとびっくりして・・・・』
『どうして?好きだったんでしょ?』
『うん、好きだった。でも、キスした途端に服を脱がされて、裸にされて、胸を触られて、で、気持ちが追いつかなくて・・・・・、ちょっと待ってって言ったの。そしたらちょっと変な雰囲気になっちゃって・・・・・。でも、少ししてキスからやり直して、それで今度はだいぶ良くなったんだけどね』
『ねぇ、何回いったの?』
『もう、やだぁ、そんなこと聞くの?』
『だって知りたいじゃ無い?』
『一回だけ。でも、とっても幸せだった。あ、友紀は言わなくて良いわよ。分かってるから』
『そう?言いたいのに・・・』
『分かってる。いっぱい、でしょ?』
『大正解。数えられなかった』
『それはそうよね。友紀みたいに可愛い子が本気で教えて貰えば、そうなるわよね』
『何言ってんの。菜摘の方がよっぽどスタイル良いじゃ無いの』
『私、おっぱい小さいもん。友紀が羨ましいもん』
『私はこんな体型だから菜摘が羨ましいな。菜摘みたいに更衣室で平気で下着姿で話し込んでみたい』
『え?そうなの?』
『気が付かなかったの?信じられない・・・・。あんただけだよ。下着姿で平気なのは』
『だって、下着を着替えたら安心だから・・・・』
『だからね、他の子はみんな下着姿が恥ずかしいの。自信が無いから』
『そんな・・・女の子同士なのに・・・・』
『だからでしょ?もう、あんたってどう言う神経してるのよ。自信が無いのに他の子に見られるのって辛いのよ』
『そう・・・・ごめん・・・・』
『ねぇ、そろそろ白状したら?』
『何を?』
『本当の理由よ。高木と別れた』
いきなり友紀に意外なことを言われ、菜摘は戸惑った。
『だから、あれは・・気持ちが合わなくて・・・・忘れられないって事が分かって・・・』
『おじさまとのエッチが?』
『!!!!!!』
菜摘はずばりと言われて言葉を失った。もしかしたらそうなのかも知れないとうすうす思っていたのだ。しかし、自分はそんな子じゃ無い、と自分に言い聞かせていたのに、友紀にはバレていたのかも知れないと思った。
『答えが無いわね。やっぱりね・・・・・・』
『ううん、そんなんじゃ無くて』
『分かってるわよ。安心して。菜摘は身体だけで動くような子じゃ無い。それは分かってる。だけど、原因の一つかも知れないとは思うでしょ?』
『うん・・・それは・・・・』
『もう、あっけないくらい簡単に白状するのね』
『だって・・・・・友紀には何にも隠せないから・・・・・辛い気持ちは私よりずっとなのに・・・』
『分かってるわよ。気を遣ってくれてるって事』
『え?』
『さっきから一度も『パパ』って呼んでないでしょ?私がそう言われるのが嫌だって知ってるから』
『・・・・・うん・・』
『ありがとう。これ、本心よ』
『うん、分かってる』
『何か、私の方が相談に乗ってるみたいになってきたわね』
『そうかな??・・・へへへ・・・・ごめん』
『もう、しっかりしてよ。私を励ましてくれないの?』
『うん・・・・頑張って・・・・』
『何それ?それで励ましてるつもりなの?』
『うん』
『あのね、励ますって言うのはね・・・。こう言うのを言うのよ。それじゃあ、頑張るんだよ。私も頑張る。きっと新しい恋を見つけてみせる。ありがと。止まっちゃいそうで怖くて電話したけど、おかげで送信できるわ。菜摘もいつまでもめそめそしてないで元気になるんだよ。ばいばい』
そう言うと友紀は勝手に切ってしまった。菜摘は最後は何のことか分からなかったが、それから直ぐに友紀からメールが来た。それは晃一に宛てたものだったからBCCで送ってきたようだ。菜摘はそれを読んで胸が熱くなった。友紀は思い切って一歩前に踏み出した。それは菜摘にはできそうも無い強力な一歩だ。菜摘は友紀の強さが羨ましくなった。
そして、友紀がその一歩を踏み出したからには、自分は友紀が幸せになるまで応援し続けなくてはいけないと心に誓った。そして、それまで晃一には会わないと心に決めた。
その日の夜、晃一に友紀からメールが来た。それは書き出しから何となくよそよそしいメールで、長かった。
『おじさま、昨日、菜摘が部屋に入ってきたことに気が付きましたね?いつから気が付いていたのかな。私は部屋を出る時に目の前でロックがかかった時の音で気が付きました。でも、おじさまはその前から気が付いていたのね?そしてカードキーは菜摘が返したって言って菜摘をかばった。まだ菜摘が持ってるのに。それは昨日菜摘から直接聞きました。実は、私、帰る時に音のことに気が付いて、直ぐに菜摘に部屋に来たことを確認に行きました。菜摘は謝っていましたが、許すなんて無理です。そして、その菜摘をかばったおじさまも同じです。今でもおじさまを好きです。でも、許せません。例え友達とその彼氏でも。私の彼氏が友達を私に内緒で部屋に内緒で入った子をかばうなんて信じられない。それも私に嘘をついてまで。私にはこれ以上は無理です。短いけど楽しかった。昨日までありがとう。そしてさようなら』
晃一はがっくりと力を落としてしばらく何もする気が起きなかった。菜摘を咄嗟にかばったことは事実だが、それはこんなにも友紀の信頼を失うとは考えていなかった。そして、友紀を失ったことと同時に友紀に失望させてしまったことが悲しかった。そして、友紀と菜摘の間を引き裂いてしまったと心から後悔した。
そして、菜摘は今どうしているだろうかと思った。きっと彼と一緒に楽しい時間を過ごしているのだろう、もしかしたらベッドに居るかも知れない、そんな風に思うとがっかりしてしまう。高校生の恋愛はサイクルが早い。あっと言う間にくっつくがたいていは上手くいっても数ヶ月で別れるし、数週間というのも珍しくない。数ヶ月という単位でゆっくりと気持ちを確認していく大人の恋愛とはだいぶ違う。晃一はそれを目の当たりにして何もすることのできない自分を呪った。
新しい週が始まった。まず変化が起きたの麗華の回りだった。何と麗華は昼休みに彼を連れ出して帰ってしまったのだ。それを聞いた友紀は直ぐに菜摘を呼び出した。
「ねぇ、あれってもしかしたら・・・」
驚いて菜摘が聞くと、友紀は、
「もちろんそうよ。二人でホテルにでも行くんじゃない?」
「でも、何も学校を休んでまで・・・・。一応進学校だよ」
「麗華は成績も良い方だし、どのみち私立に推薦で入るんだから関係ないわよ」
「それはそうだけど・・・・・でもね・・・・・良く彼だって一緒に行ったわね」
「それだけやっぱり麗華のことが好きだって事よ」
「でも、彼の方には女の影があったんでしょ?」
「菜摘、良く知ってるわね。そうよ、そんなこと私も聞いた」
「だから急いだのかな?」
「それもあるんでしょうね。でも、何か気になるわよね」
「何が?」
「麗華が急いだ理由」
「だからそれは今・・・・」
「そうだけど、どうしてそこまで急ぐ必要があったのかなって?放課後だって良かったわけでしょ?」
「放課後?ま、時間は短くなるけどね」
「それよ、どうして長い時間を取りたかったんだろう?」
「それはいっぱい甘えたかったからじゃ無いの?」
「そうか・・・・・・そう言うことか・・・・」