第119部



麗華は、取り敢えず全てが自分の計画通りに進んでいるらしいことに一応安心していた。実は年下の彼氏が同級生の子に興味があると知っても、たぶん何とかなると思っていた。だから麗華は彼に正直に気持ちを伝えたし、甘えもしたし、さらに喜ぶように奉仕もした。すると案外簡単に彼は元に戻ることをOKしてくれた。実は年上にリードされることに慣れている男の子が同級生の子をどう扱って良いのかわからずに迷うことを麗華は見通していたのだ。ただ、今までは慢心があったことは今回良くわかったので、今後には十分注意する必要があると思っている。
そして、結佳を晃一に紹介して,もし二人が上手く行けば偶には麗華が晃一に甘えることもできるのでは無いかと思っていた。それが結佳を仕掛けた理由だった。
麗華としては、今後の彼との交際では好き勝手にやっていた以前とは違って、彼に対しても気を遣わなければならないとしたら、きっとそのストレスの捌け口がが必要になる。麗華は偶に晃一に甘えることでストレスを解消すれば彼との関係を保っていけるのでは無いかと考えたのだ。そこで結佳を持ち出すことにした。
もともと結佳と麗華は他人に対してのガードが堅い。しかし、一度壁を乗り越えると一気に心の中に受け入れるタイプなのも同じだった。晃一に甘えてみてわかったのだが、残念ながら自分は晃一のタイプというわけではなさそうだと言うことはおぼろげに理解していた。だからずっと付き合うというわけには行かないだろうと直感していた。しかし、もし自分がもう一度晃一に甘えたいと思った時に甘えられるようにしておくためには晃一が友紀か菜摘のどちらかと一緒では彼女たちどちらも麗華と会うことを許すはずが無いし、それをすれば自分で自分のグループの秩序を乱すことになってしまう。そこで結佳を仕向けることで自分のグループと晃一に距離を作ろうとしたのだ。そして結佳なら晃一の気持ちを掴むことができると踏んでいた。そして、その関係をセットアップした自分なら、時折こっそりと晃一に甘えることもできるのでは無いかと思ったのだ。
最初、結佳に納得させるのには少し冷や冷やしたが、結佳が案外簡単に乗ってきたところを見ると麗華の指摘は図星だったのだろう。それに、最近は彼と会う機会も減って居るみたいなので、何とかしなくてはいけないと思ったのかも知れないし、これを機会に縁遠くなった彼と別れておじさまにしてみようと思ったのかも知れなかった。麗華としてはどちらでも構わない。くっついてくれればそれで良いのだ。
ただ、純粋に思い続けている菜摘にだけは少し後ろめたい気持ちを持っていた。菜摘は既に友紀が別れたことを知っているはずなのに、どうしておじさまのところに行かないのかが不思議だったが、菜摘の別れ方が一方的だったので戻りにくいのかも知れなかった。
『ごめんねナツ、こういうことはものにしたもんの勝ちなんだよ。あんたには悪いけど、おじさまはこっちでキープさせてもらうからね』麗華は心の中でそう嘯くと家路を急いだ。
そしてついに土曜日がやってきた。結佳にとっては審判の日だ。昨日の夜はほとんどやけになって勉強したので少し寝不足ではあったが、そんなことを気にするほど心の余裕は無かった。そして授業の後のホームルームが終わって下校しようとした時、偶然友紀に出会った。友紀は結佳を見るとススッと寄ってきた。
「私、急ぐからちょっとだけ」
と言って結佳を下駄箱の横に誘うと、小声で、
「ねぇ、もしかして麗華におじさまを紹介された?」
と聞いてきた。結佳はどうしてバレているのかわからずに戸惑っていると、
「やっぱりね・・・・・」
と頷いた。そう言うからには何か裏を掴んでいるのだ。しかし、黙ってしまったことで暗に認めてしまった結佳はこれで逃げ道が無くなった。
「うん、だけどね・・・」
「わかってる。たぶん、麗華に『おじさまに相談したら』って持ちかけられたんでしょ?」
「・・・・そう・・・だけど・・・・」
「結佳には言っておかなきゃいけないな。私がおじさまと別れたのはね、菜摘がいたからなの。おじさまが好きなのは菜摘なのよ。それがわかったから別れたの。良い?ちゃんと聞いたよね?」
友紀が何度も念を押してくる。
「うん、一応聞いとくけど、それが何か・・・」
結佳は友紀がなぜそんなことを言うのかわからなかった。正直、今はそれどころでは無かったからだ。しかし、友紀はもう外に向かって歩き出していた。
「ちゃんと言ったからね」
そう言うと友紀は足早に校門に向かって歩いて行く。よほど急ぐ用事があるらしい。
結佳は晃一との待ち合わせ場所に行く前にコンビニで何か買って食事を済ませておこうと思ったが、緊張で全く食欲が無くてとても食べられそうに無い。無理に食べれば戻してしまいそうだった。どうにかお茶だけは買って飲みながら歩いたが、お茶でさえも飲み込むのが大変だった。こんなに緊張したのは初めてだ。高校の入試だってこうではなかった。このままだと晃一の部屋に入る前に気持ち悪くなってしまいそうだ。頭の隅を『だから勉強だけしてれば良かったのよ』と言うもう一人の自分の声がよぎった。
約束の待ち合わせ場所は隣の駅の駅前だった。結佳の今までの彼は全て同じ学校の同級生で、休みの日にも二人でデートに出かけたことは無かったので、別の場所での待ち合わせという経験がほとんど無かった。唯一、これから別れることになるんだろうと思っている彼とだけは二人で二度ほど出かけたことがあったが、それは電車の中での待ち合わせだったのでポツンと待ったという経験が無い。結佳は時計を何度も見ながら駅前をうろうろして時間を調整していた。
そして狭い路地を抜けて再び駅前に出ようとした時、後ろから来た車が突然結佳の横で止まったので思わず道ばたのビルの壁にくっついた。
「結佳ちゃん?」
晃一の声だった。見ると車の窓を開けて声を掛けている。
「あ、こ、こんにちは・・・・・」
「取り敢えず乗ってよ」
そう言って晃一が助手席を指さすので、おずおずと結佳は助手席に乗った。乗るのに時間がかかったので後ろから来た車がパッシングして怒っている。
結佳は後ろの車が怒っていることにさえ気がつかなかった。そんな結佳を載せて悠然と走り出した晃一は、
「急に声を掛けてごめんね」
と話し始めた。
「いえ、そんなことは・・・・・」
「車にしたんだけど、良かったかな?酔ったりしない?」
「大丈夫・・・・だと・・・・・思い・・・ます・・・」
結佳の様子からかなり緊張しているのは良くわかった。まず結佳の気持ちを解さないと話も何も始められそうな雰囲気では無い。
「結佳ちゃん、食事はした?」
「いえ・・・」
「それじゃ、まず何か食べようか?」
「いえ、別に・・・・」
「それじゃ、もし嫌なら食べなくても良いから食事に付き合ってくれる?」
「はい・・・」
晃一は高速に乗ると車を都心に向けた。結佳は晃一が車で来たことに少し意表を突かれたが、大人なんだから、とも思った。どこかに向かって走っているようだったが行き先は全然気にならなかった。それよりも、食事が終わるまでは服を脱ぐ必要が無い、と言うことだけは理解しており、少し死刑が先延ばしになったような気分になっていた。ただ、晃一に会ってしまってからは、会う前の胃がせり上がるような緊張は無くなっており、少しだけ気が楽になった。
一方晃一は、車が駐車場に入るまでの間に結佳の緊張をある程度解しておかないと食事もろくろくせずに部屋に入ることになるので、時間との勝負だと気合いを入れていた。
「結佳ちゃん?」
「はい」
「嫌じゃ無かった?」
「何のことですか?」
「今日のこと。嫌じゃ無かったの?」
「嫌なら来ません。どうしてそんなこと言うんですか?」
結佳はちょっと怒ったようだった。
「怒っちゃった?」
「怒ってないですけど、教えて下さい。どうしてですか?」
「凄く緊張してるみたいだからさ・・・」
「緊張しちゃいけないんですか?」
「そんなことは無いよ。緊張していてもそれを自分で受け入れているのなら問題ない。怒ったのなら謝るよ。ごめんなさい」
晃一はそう言って少しだが丁寧に頭を下げた。
結佳はおかしいと思った。なんか会話がかみ合っていない。まるで結佳の反応を予想して、敢えてわざとらしく聞いたような気がした。そして晃一の意図を理解した。
「・・・・・・・・・・」
急に結佳が黙り込んだ。
「どうしたの?」
「わざとですね」
「え?」
「わざと私を怒らせようとしたでしょ?私ががちがちに緊張してたから。怒れば緊張しなくなると思って」
「ははは、バレちゃったか・・」
「だめ・・・・・・」
「え?」
「いや・・・・・・」
「どうしたの?」
「だめです。緊張してないのが怖い・・・・」
結佳は自分の緊張がどこかに行ってしまったことに気がつき、まるで緊張という服を脱がされたような気持ちになった。
「バレたんなら仕方ないな。それも謝るよ。ごめんね」
「どうして謝るんですか?悪いことなんかしてないのに」
「うん、でも結佳ちゃんは嫌な気持ちになったんだろう?だから謝ったの」
「嫌なんじゃ無くて、緊張してたから・・・・・」
「それじゃ、取り敢えず緊張は解れたのかな?」
「はい・・・・」
「良かった良かった」
「良くありません」
「どうして?」
「あんなに緊張してたのに、一瞬で解されちゃって・・・・」
結佳は、服を脱がされないようにと抵抗しても、今のように一瞬で抵抗を奪われてしまうのでは無いかと思って却って怖くなった。その気持ちを何となく理解した晃一は、
「大丈夫。緊張を解そうとしたのは、後で後悔しないようにって思ったから。結佳ちゃんの気持ちに従うから、嫌なら無理しなくて良いんだよ」
「そんなこと言って、上手なんですね。女の子の扱いが」
結佳は精一杯に強がって見せたが、見え見えの強がりなのは自分でも良くわかっていた。
「それだけ元気に話せるなら心配ないけど、のどは渇いたんじゃ無いの?」
「あ・・・・はい・・・少し・・・・」
実は既にのどはカラカラだった。
「それじゃ、もう少しで食事場所に着くからね。もう少しだけ我慢してね」
その言葉は何気ないものだったが、自信に満ちた優しい言葉に結佳の心の中で何かが変わった。
「はい・・・・・・あの・・・・・」
「ん?どうしたの?」
「あの・・・・お茶でも何でも良いんですけど・・・・」
「もちろん、もし少しでも余裕があるならお茶だけじゃ無くても良いよ」
「良いんですか?」
その言葉に今度は晃一がびっくりした。ほんの今までお茶さえもめいっぱいという感じだったからだ。
「もちろんだよ。俺は簡単に食事しようと思ってるから、結佳ちゃんも良かったらどうぞ」
「はい・・・・・実は・・・・・」
「実は?」
「少しだけお腹が空いてます」
「そうか、それじゃ、一緒に食事ができるかも知れないね。それは楽しみだ」
「良いですか?」
「良いよ、楽しくなりそうだね。うん」
結佳は完全に晃一のペースで会話が進んでいくことに、怖くもあったが少しだけ安心もした。そして、それを受け入れている自分にも安心した。どうやら最悪の事態にだけはならずに済みそうだ。
二人の車は都心環状線には入らずに、その手前で降りると土曜日で比較的空いている都心の信号をいくつか通り抜けて日本橋の老舗デパートの横の大きなビルの横に車が止まった。
結佳はいきなり日本橋の街中で下ろされて不思議だったが、晃一がホテルマンらしき男に車を預けると結佳をそのまま建物の中に案内し、エレベーターで上に上がった。
結佳はエレベーターの時間が少し長めだな?とは思ったが、特に変にも思わずにエレベーターを降りたが、途端に目の前に摩天楼の世界が広がって驚いた。
「えっ、これって・・・」
「さぁ、お昼を食べようか。お腹減ったろ?」
そう言うと晃一は結佳を軽くリードして歩いて行く。しかし、目の前は大きな窓の一面に東京の景色が広がっており、どうみても高層ビルの中だ。
「ここ、上下がいっぱい見えてきれいだろ?」
そう良いながら晃一は結佳を階段で一つ下の階に連れて行き、レストランの中に入った。名前を告げると直ぐに席が用意され、連れて行かれたのも窓の近くの席で遙か下に道路が見えて目がくらみそうだ。
「あ、あの、ここって・・・・・・」
「あぁ、実は昨日海外のお客さんをここに泊めたんだけど、夜遅くまで一緒だったんで俺もここに泊まったんだよ。だから今俺は宿泊客」
そう言って晃一はニヤッと笑った。
「まずはご飯を食べよう」
そう言うと晃一はメニューを手にすると、ランチのコースを2人分注文した。結佳にもメニューが渡されたので中を見てはみたが、訳のわからない料理の説明もさることながら、昼食で5千円を超える値段の方に目が行ってしまった。
「足りなかったら追加で頼めば良いからね」
そう晃一は言ったが、結佳には何が何だか全然わからなかった。
「あの・・・・・・おじさん・・・・」
「ん?どうしたの?」
「どうしてこんなところに私を連れてきたんですか?」
「あぁ、それはね、さっきも言ったように昨日は結局ここに泊まっちゃったものだから、ついでに結佳ちゃんも連れてくれば良いかなった思っただけ。特に深い意味は無いよ」
「でも、ホテルのレストランなんて、来たこと無いから・・・・制服だし・・・・」
「ははぁん、女の子としては、こういうところに来る時にはおしゃれして来たいと思ったんだね。残念だったね」
晃一はいっこうに気にする気配が無い。しかし、ふと改めて結佳を見て、
「ここ、落ち着かない?」
と聞いてきた。
「落ち着かないと言えば・・・・そうです・・・・」
「それじゃ、出ようか?」
「ええっ?良いです。このままで良いです」
結佳はさらに晃一がもっと凄いことをするのかと思って思わず断ったが、落ち着かないのは事実だった。その結果、結佳は自分からここのままここに居ることを宣言する形になったが、考えてみれば単にビルの上にあるレストランと言うだけだ。良くはわからなかったが中学の時に新宿や池袋の高層ビルに行った時はもっと高いところで食事をしたことだってある。ただ、その時の食事というのは安いプレートのランチだったので、このレストランと一緒に食事としてまとめてしまって良いものかどうかはわからなかったが。
「あのね、結佳ちゃんをここに連れてきた理由のもう一つはね・・・・」
「なんなんですか?」
「非日常に連れてきたかったんだ」
「非日常?普通じゃ無いって事ですか?」
「そう」
「私、日常じゃだめなんですか?」
結佳は自分の言葉にとげがあることはわかっていたが、今はそう言う言い方しかできなかった。
「ううん、良いとかだめとかじゃ無くて、そうしてみたら良いんじゃ無いかなって思ったんだ」
「どうして?」
「結佳ちゃんと話をしていて一番思ったことは、とっても常識を心得ていて礼儀正しい子だなって事。で、その中でなかなか上手くいかないことがあるって話だったから、まず一度違う環境を経験してみると、もしかして周りに対する見方も変わるかなって思ったんだ。だから、嫌だったらいつでもここを出るし、帰りたければいつでも送っていくよ」
「そうなんだ・・・・・・・・」