第120部



「でももし、あと少しだけ俺の考え方に付き合ってくれるのなら、一緒に食事をしてから二人でゆっくり話をしようよ」
「それって・・・・・・」
「うん、昨日泊まった部屋はそのままキープしてあるからまだ入れるよ」
「・・・・・・・・・・・」
結佳は考え込んでしまった。ホテルの部屋の持つ意味はわかりすぎるほどはっきりしていた。ただ、自分が決めたというのも事実なのだ。それがたまたま東京のホテルの部屋と言うだけで、それがもし晃一の部屋でも、どこかの街中の小さなホテルの部屋でも、結局は結佳の気持ちが固まっているかどうかが問題なのであって、場所は関係ないのかも知れない。しかし、もし気持ちがはっきりしていれば、場所としては晃一の言う『非日常』を経験してみるのも良いのかも知れないな、と思った。
結佳がそれ以上何も話さないのでしばらく静かな時間が二人の間を流れていった。
そして皿が運ばれてくると、
「取り敢えず食べようよ」
と晃一が声を掛け、二人は静かに食事を始めた。
「美味しい・・・・」
結佳がそれだけを言った。
「良かった。ここは一応ミシュランの一つ星だからね」
「星って、あの三つ星とか何とかって・・・」
「そうだよ。連続して取ってるらしいからね」
「なんか、きれいに盛りつけてあるけど・・・・・・でも・・食べにくい・・・いえ、食べると崩れちゃうから・・・ごめんなさい・・」
「ま、そう言うものさ。ここはそういうところ。ちょっと我慢して食べてね。箸をもらおうか?」
「いえ、このままで。我慢なんて、そんなこと・・・・」
結佳は『きっとこういうところでは驚いたり喜んだりしなきゃいけないんだ』と思ったが、場違いな感は拭えず変なことを言ってしまいそうで気が張って食事の味どころでは無いと思った。確かに美味しいと言えばそうだが、どれくらい美味しいのかは全くわからない。とりあえず学校の周りにある高校生が良く行くところよりは美味しいとだけは言えた。ただ、見た目が綺麗だし美味しいと言えばそうなのだが、自分たちの食べているものとあまりにかけ離れているので正直、何と言っていいかわからない。もしかしたら味自体はそんなに違わないのかも知れない。本当は美味しいと言って喜ばなくてはいけないのだろうが・・・・。ただ、晃一が言っていたように非日常であることだけは確かだった。でも、やっぱり美味しいと言えば確かに美味しい。
「あの・・・・・・やっぱり美味しいです・・・・」
「そう?それは良かった」
結佳は少し無理をしてお礼のつもりで言ったのだが、晃一は一切気にする感じでも無い。
「ねぇ結佳ちゃん」
「なんですか?」
「どう思う?」
「どうって?」
「こういうところで、綺麗でそこそこ美味しいものを食べてさ、ビルの高いところで食事するって言うのは・・・」
「よくわかんない・・・・・・」
結佳は何と返事をして良いのか迷った。ただ、これ以上無理をしてもしょうがないので思ったままを言うことにした。
「たぶん、大人の人だったらきっと楽しいんだと思います。綺麗な景色だし、お店も綺麗だし、お店の人も丁寧だし・・・。でも、高校生にはちょっと無駄かも」
そう言って結佳は晃一の様子を伺った。怒るか、がっかりするか、だと思ったのだ。
「うん、正直で良いね」
「え?怒らないんですか?」
「怒る?どうして?」
「だって、せっかく連れてきてもらったのに、こんな事しか言えなくて」
「良いんだよ。結佳ちゃんは性格に自分を客観的に見てる。それって大人でもなかなかできないことだし、正直な意見を言うのは勇気がいるけど、ちゃんとそれができてるからね」
「はい・・・・・・ありがとう・・・・・ごさいます・・・・」
「あのね、俺がここに結佳ちゃんを連れてきたのは、確かに非日常の中に連れてきたかったんだけど、もう一つ目的があって、結佳ちゃんが素直に話をしてくれるかなって言うのがちょっと心配だったんだ。なんたってまだそんなにたくさん話をしてないからね。だから、正直に言ってくれて嬉しいよ。無理に俺に会わせようとして喜んだふりをしてくれても、俺は嬉しくないから。特に今日みたいな日はね」
それを聞いて結佳は気がついた。晃一は結佳が本気で晃一に身体の相談をする気があるのかどうかを、正直に意見を言うかどうかで調べようとしたのだ。本当は、結佳は人に試されるのは好きでは無い。しかし、今自分がしようとしていることは、まさに人に試してもらうことなのだと気がついてちょっと気が楽になった。今、自分は心配したほど緊張していない。ちゃんとリラックスしている。
「どうしたの?今、笑った?」
晃一が結佳の表情に気が付いたようだ。
「あ、何でも無いです。気にしないで下さい」
そういった結佳の表情には明らかに笑みが窺えた。
「なんだか良く分かんないけど、ちょっとこっちも食べてみる?」
晃一は自分の選んだかにを少し結佳に分けた。
「あ、それならこっちも、どうぞ」
結佳がカチャカチャと不器用にナイフとフォークで鴨を分けてくれた。
「そうそう、どう?その鴨の味は?」
「美味しいです。鴨って食べたことあんまり無いと思うけど、でも美味しいですよ」
「良かった。この蟹はサラダみたいな感じに仕上がっててちょっと変わってるけど、これも美味しかったよ」
「うん、美味しい。ちょっと慣れないから最初は食べにくいって思ったけど、ナイフとフォークって言うのも良いかも?」
「ははぁん、ナイフとフォークか。でも、ファミレスだってナイフとフォークだろ?」
「家族と一緒に行く時は箸を使うことが多いから」
「それじゃ、デートは?」
結佳はいきなりの質問に面食らったが、直ぐに気持ちを切り替えた。
「おじさん、そんなこと、言うわけ無いでしょ?女の子が」
ちょっとわざとツンとしてみる。晃一はその仕草が優等生っぽい見かけと対照的でとても可愛く思えた。
「そうだね。一言言わせてもらうと、金属で刺したり切ったりって言うのは食事には似合わないような気もするよ。その証拠に高級な食器は銀でできてるんだ。銀で作ったナイフやフォークは柔らかい金属だから直ぐに曲がっちゃって手入れが大変だけど、銀だと金属の味がしないからね。そこまでするなら箸の方がスマートな気がするけどね」
「ふうん・・・・そうか・・・・箸・・・ねぇ・・・」
結佳は箸のことをそう考えたことなど無かったので、ちょっと新鮮な情報だった。
メインコースが終わってデザートになると、数種類の中から選ぶ形式だった。結佳はちょっと遠慮しながらもチョコレートケーキを選び、晃一は結佳が迷っていたストロベリームースを選んだ。そして黙々と食べる結佳に自分の分をそのまま渡した。
「あ・・・・済みません・・・・・」
結佳はそう言ったが、ケーキが小さかったこともあって簡単に二つ食べてしまった。
「良かった。食欲が戻ったんだね」
「なんか、だんだん分かってきました」
「ん?なにが?」
「最初は菜摘でしょ?それから結佳。そして麗華。みんな、どうしてそんなにおじさんのことを褒めるんだろうってさっきまで不思議だったんです。でも、やっとわかりました」
「良かったら教えてくれる?」
「上手くは言えませんけど・・・・・、とっても丁寧で真剣で優しくて・・・・んー,なんか上手に言えない・・・・・けど、そう言うことです」
「褒められると嬉しいもんだね」
「ところで、私のこと、覚えてます?」
「え?」
「前に一回会ってるんですよ?」
「え?どこで?」
「どこだか覚えてませんか?」
結佳はちょっと秘密めいた笑みを浮かべながら晃一をのぞき込んだ。
「う〜ん、どこだろう??????」
「もうだいぶ前かな・・・・・」
「だいぶ前?って事は菜摘ちゃんと付き合ってた頃か・・・」
「その前・・・・」
「その前って言うと、付き合う前?ん?どういうことだ?」
「降参しますか?」
「ちょっと待って、その前に菜摘ちゃん以外の女の子に会ったって事は・・・・」
その言葉で結佳は晃一が本当に菜摘以外の女の子を見ていなかったことに気が付いた。
「分かりませんか?」
「ごめん、降参するよ」
「菜摘と一緒に居たんです。私、傘を返した時」
「あ!そうだったんだ。あの時の子が結佳ちゃんか」
「思い出しました?」
「・・・ごめん。傘を返してもらった時、菜摘ちゃんの隣にもう一人いたのは覚えてるけど、顔は全然覚えてないや・・・・・。ごめんね」
「ううん、良いです。だいぶ前だし。それに、今は私が一緒に居るんだし」
「え?ん?どういうこと?」
「ううん、何でも無いです」
結佳は慌てて打ち消した。そして、いつの間にか晃一と一緒に居ることを楽しんでいる自分に気が付いた。『私、楽しんでる。どうして?さっきまであんなにがちがちだったのに・・・。今は目の前に居る人と一緒に居て楽しいって思ってる』結佳は自分で自分の気持ちが不思議だった。
「それで、結佳ちゃん、こんなところで言うのも何だけど、これからどうする?」
「え?・・・・・・・それって、女の子に聞かなきゃいけないことですか?大人の人ならそれくらいちゃんと考えてくれてて良いのに・・・・」
「うん、さっきも言ったように、まだ宿泊客だからこのホテルに部屋はあるよ。部屋に入る勇気、ある?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「一度はちゃんと面と向かって本人の口から確かめないとね。大切なことだから」
「はい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
結佳はさすがに黙り込んだ。どうしようかと頭の中がぐるぐる回っている。今なら帰ると言えば晃一はそのまま帰してくれるのは分かり切っていた。ただ、せっかくここまで気持ちが和らいだのに、帰ってしまって良いものかとも思う。『どうするの?決めなきゃいけない時って突然来るのよ。分かってるでしょ?帰った方が良くない?きっと後悔するよ?』そうもう一人の自分が言っている。
そして結佳は口を開いた。
「行きます」
「い,行くって・・・????」
「連れてって下さい」
結佳は突然喉がカラカラになり、それだけを言うのが精一杯だった。
「いいんだね?」
後は頷くだけだったが、はっきりと頷いた。
「うん、それじゃ、コーヒーを飲んだら行こうね?」
晃一は優しい口調でそう言うとコーヒーをオーダーした。その様子から結佳は、『いよいよ行くんだ。この人だったら,どんな結果になっても後悔することは無いだろうな』と思った。
晃一は精算を済ませると結佳をエレベーターに誘った。結佳は自然に付いてくる。しかし、実際の結佳の心の中は嵐のように乱れていた。だんだんと逃げ場が無くなっていくような閉塞感だった。そして晃一が結佳をエレベーターに誘い、降下を始めると結佳はちょっと意外な顔をした。一瞬、このまま帰るのかと思ったのだ。
「ここのホテルはフロントやレストランが一番上にあって、客室はその下にあるんだ」
と言う間も無く、二人を乗せたエレベーターは止まった。ドアが開くと結佳の緊張は一気に高まった。
晃一は何も言わずに歩いて行く。結佳は少し離れて後を付いていった。そして一つの部屋の前で止まるとカードキーで部屋を開けた。
一瞬、足が止まるかと思ったが、少し遅れて結佳は部屋の中に入った。廊下に比べて部屋の中は明るく、レースのカーテンが掛かっていたが開放的な雰囲気だった。真っ先に目に飛び込んできたのはツインベッドだ。
「おじさん、二人用の部屋に一人で泊まったの?」
「うん、ツインのシングルユースでね。こう言うホテルにはシングルって無いから」
「そうなんだ・・・・・」
部屋の入り口に立ったまま結佳はどこに座って良いか分からずに迷っていた。ベッドの向こう、窓際には2,3人用のソファらしきものもあるが、晃一と二人で座る勇気などあるはずが無い。結佳が経ったまま迷っていると、
「取り敢えずそこのソファに座ったら?」
とデスクチェアに座った晃一が言った。
「はい・・・」
結佳は大人しく座ったが、どうしても晃一から離れた位置、ソファの横に座ってしまう。結佳は何か言われるかと思ったが、晃一は気にしていないようだった。
『これからどうやって私をベッドに連れて行くつもりなんだろう?私、素直に『はい』って言えるかな?』結佳は晃一が次に何を言うのか、固唾をのんで待った。
「緊張してる?」
晃一はいきなり聞いてきた。
「はい・・・・・・」
「ほら、外を見てごらんよ。スカイツリーがよく見えるでしょ?」
「はい・・」
「このホテルは窓が大きいのが特徴なんだ。ほら、ちょっと窓際で見てごらん?下まで見えるから」
そう言うので結佳はソファを立って少し窓の近くに行った。しかし、あまり窓の側には行かないように一段高くなっているのと、恐怖感もあって結佳はソファの横に立っているだけだ。
それで十分だった。一瞬の間に晃一は結佳の横に立つと、
「肩に手を回すよ?」
と言って結佳の少し後ろから肩に手を回して結佳を自分の方に向かせる。結佳は身体を硬くして少し抵抗したが、そのまま晃一に抱きしめられた。
「怖いだろ?ごめんね」
「・・・・・あの・・・・いや・・・・」
「かちかちになってるね。でもね、今の結佳ちゃんはそれだけ怖いのに、ちゃんと逃げ出さずにここに居てくれる。それは偉いなって思うよ」
「そんなこと・・・・あの・・・・いや・・・・ちょっと・・・・」
結佳は抵抗して良いものかどうか迷っていたが、その気持ちとは裏腹に身体の方ははっきりと嫌がっている。ただ、抱きしめられていること自体、本当はそれほど嫌では無かった。だから、晃一がそれ以上何もしないので少しずつ結佳の身体から力が抜けていった。
「抱きしめられてると暑い?」
「いいえ・・・・・」
「それじゃ、もう少しこのままで居るよ」
「はい・・・・・・」
しかし、晃一が結佳の耳元でささやくので、結佳は自然に身体が熱くなってきた。ただ、今は暑いとか何とか言っている場合では無い。結佳は何か言わなくてはいけないと必死に言葉を探した。このままなし崩しにベッドに押し倒されるのは絶対嫌だった。
「一つ・・・・教えて下さい・・・・・・」
「なんだい?」
「私のこと・・・・・好きですか?」
晃一は突然の質問にちょっと驚いたが、考えてみればこんなシチュエーションになったのだから確認は当然かも知れない。
「正直に言うと、好きになるかも知れない、だね」
「今は?」
「結佳ちゃんに興味がある、ってところかな?」
「そうですか・・・・・」
明らかに結佳の声には落胆が感じられた。好きでも無い人に身体を触られなければいけないのかと思うと悲しくなってくる。
「でもね、好きになりたいなって思うし、好きになれたらすてきだなって思うし、結佳ちゃんには好きになって欲しいな、とも思うよ」
「本当ですか?」
「もちろん。正直に言うと、今は友紀ちゃんに振られて落ち込んでるからね」
「私は友紀の代わり?」
「そう言われると困っちゃうけど、振られた以上、追いかけたくないしね」
「そうなんだ・・・・・」