第13部
「へぇ、妹さんはいくつなの?」
「中3。やかましくて」
「はははは、それじゃ、こうやってデートしている時は特別な時間なんだね」
「そう、妹から離れて一人になれるって言うか、自分のための時間ていうか・・・」
二人はそうやって話を弾ませながら湾岸線から中央環状線に入り、さらに自宅への高速と乗り継いでいつもの街へと戻っていった。
「菜摘ちゃん、どこまで送ればいいの?」
「それって、家まで送ってくれるって事?」
「もちろん」
「この車、返さなくちゃいけないんでしょ?大丈夫。私、電車で帰るよ」
「心配しなくて良いよ。菜摘ちゃんを送ってからこの車はそのまま乗って社宅まで乗っていって、明日返すんだから」
「うれしい。ちょっと間に合わないかなって心配してたんだ」
「家の前まで乗っていって大丈夫?妹さんとかに見られたらまたうるさくない?」
「そうね・・・・・、それじゃ、近くまで送ってもらおうかな?・・・ふふふ、車で送ってもらうなんて初めて。うれしい」
菜摘は本当に大人の女性のように扱ってくれて、おまけに家への送り方まで心配してくれる晃一の配慮がうれしくて仕方なかった。そして、晃一と二人で過ごす時間が菜摘の中で優先順位一番になりつつあった。『こういう時、恋人同士だったら車を降りる時に・・・・・・』などと思うと恥ずかしいようなうれしいような甘い気持ちがこみ上げてきて、『きゃっ、やって見ちゃおうかなっ・・・・』とか思ってしまう。
一方、晃一は菜摘を無事に送り届けた後、社宅の中の駐車場に止めておくのも変だと思い、近くの時間貸しの駐車場に車を止めようかどうしようか考えていた。
「菜摘ちゃん、この辺りで良いの?」
「うん、あの一旦停止を左に曲がって、そこで止めて」
そう言うと菜摘は、車をわざと2ブロック離れた公園の近くに誘導した。
「菜摘ちゃん、今日はありがとうね。楽しかったよ。また今度ね」
「うん、またメールする。今度は遊びに行くからね」
「おいで。待ってるよ。来週の日曜日だね」
そう言うと晃一は車を寄せて道路脇に止めた。住宅地の中、9時近いので他の車はいない。
「約束だからね。絶対だよ」
「もちろん、待ってるよ」
「ねぇ、パパ」
「ん?」
菜摘は晃一に耳打ちするような格好で顔を近づけてきたので晃一が耳を寄せると、菜摘はすかさず両手を伸ばして晃一の首に手を回すと、ほっぺたにチュッとキスをした。晃一は驚いたが、すかさず左手を菜摘に回して更に引き寄せると、今度は菜摘の方が驚いて目をぱっちりと開けている。そのまま晃一は菜摘に唇を重ねて小さな柔らかい唇を楽しんだ。
「んんんっ・・・・・んん・・」
菜摘は抵抗こそしなかったが、明らかに予想外のことに戸惑っている。更に晃一は菜摘の口の中に舌を差し込んでいった。
「んんーーっ、んーーーーっ!」
菜摘は驚いて身体を離そうとしたが、晃一の手ががっしりと菜摘の首を引き寄せているので離れることができない。そして菜摘の口の中に晃一の力強い舌が差し込まれ、逃げ回る菜摘の舌を追いかけ回し、とうとう菜摘の舌に晃一の舌が絡み始めた。
「んんーーー、んんっ、んんんん・・・・・」
舌を絡め合うディープなキスを施された菜摘は次第に抵抗が弱くなり、徐々に晃一の舌を受け入れ始めた。菜摘の口の中に差し込まれた舌に少しずつ菜摘の舌が絡み始める。すると、菜摘の身体からも力が抜けて晃一のリードに任せるように菜摘の身体がぐにゃっとなってきた。
実は晃一は、とっさに菜摘にキスをしたのだが、それには、来週、晃一の部屋に来たら何が待っているのか分からせておこうと思ったのだ。もし、菜摘がこのまま親子のつもりで付き合いたいのであれば、晃一にとってはどんどん我慢ばかりしなくてはいけなくなる。晃一はいつまでも二人きりでいて紳士を通せる自信はなかった。それほど今の晃一にとって菜摘は、菜摘の態度も含めて魅力的過ぎたのだ。
そのまま十秒ほど二人は舌を絡め続け、やっと晃一が菜摘を解放すると菜摘は無言で下を向いてしまった。
「どうしたの?菜摘ちゃん、怒ったの?」
「・・・・・・・・・・」
「菜摘ちゃん?」
「ううん、・・・・・ちょっとびっくりしちゃって頭の中が・・・・・」
「だいじょうぶ???」
「え・・たぶん・・・・でも、OKOK。パパ、お休みなさい」
「うん、お休み」
晃一がそう言ってもう一度顔を近づけようとすると、菜摘は素早くドアを開けると外へ出た。そして、ドアを閉める時にもう一度、
「お休みなさい」
と言うと車を離れて歩き出した。晃一はちょっと菜摘の気持ちを測りかねたが、これ以上ここに止まっていても仕方ないので車を出すと社宅に向かった。
菜摘はまだ心臓がドキドキしていて頭の中が混乱していた。しかし、菜摘だって子供ではないのだから晃一がしたことについては納得していた。ただ、自分がそれに上手く対応できなかったことが自分の子供っぽさを自覚させられることになり、『やっぱりまだ子供なんだなぁ』と思わずにはいられなかった。
その夜、菜摘はお風呂の中で晃一のことを考えていたが、晃一の目論んだとおりに、このまま晃一の部屋に行けば親子の関係ではなく男と女の関係になってしまうことに気づいていた。『パパは私とそう言う関係になりたいのかな・・・・、私だって嫌じゃないけど・・・・・』なんとなく、そう言う関係になっても良いと思っていても、いざとなるとやはり考え込んでしまう。ただ、菜摘にとって晃一は単なる父親役だけではないことも確かだった。菜摘にとっては晃一に優しく大人への世界を教えてもらいたいという気持ちもかなりある。しかし、晃一の前で服を脱いでベッドに入れるか?と言うと、それは別の問題なのだ。
『ああん、私ってどうしてここで引っかかるのよぅ。しゃんとしなさいよ』と自分でも思うのだが、なかなか気持ちは決まらなかった。
その夜、車を近くの駐車場に入れた晃一がメールを送ったが、菜摘から返事はなかった。翌日、会社の帰りに車を返した時にもメールしたが、やはり返事は来なかった。『振られたかな?』と思ったが、晃一に後悔はなかった。あのまま親子ごっこだけでは絶対に我慢できなくなるのがわかりきっていたからだ。
すると、その日の夜遅くになって菜摘からメールが来た。直ぐに開けてみると、『パパ、返事が遅くなってごめんなさい。ちょっと考え込んじゃって・・・・。でも、約束は忘れないでね。またメールするからね。菜摘』とだけ書いてある。どうやら悪い印象ではないらしいが、菜摘自身も迷っているようだ。
それなら菜摘の迷いに付き合うくらいはするのが当然だと思い、『菜摘ちゃん、とにかく遊びに来てくれるんだね。菜摘ちゃんが喜ぶケーキを買って待ってるからね。大切な菜摘ちゃんへ』とメールを返しておいた。
菜摘はその週、晃一との約束した通りにとにかく勉強だけは一生懸命がんばった。とりあえず土曜日の模試をちゃんと終えないと、遊びに行くどころではないからだ。そして、もし晃一の部屋で上手に対応できなくても、晃一は怒ったりしないだろうし、きっと菜摘の気持ちを理解した上で二人がどうなっていくのかを相談できると思った。
その週、菜摘は麗華とも話をしたが、あまり菜摘の様子が浮き浮きしていないので麗華はあまり突っ込んだ話はしてこなかった。麗華にも菜摘が迷っているのが何となく伝わったようで、相談に乗っても良いようなことをほのめかしてきたが、さすがにそれは断った。菜摘にとってこれは自分で決めるべき事なのだ。
ただ、菜摘にとって救いだったのは、勉強に集中したことで模試が以前よりも良く書けたことだ。だから菜摘は少しだけ気持ちを楽にして晃一の部屋に向かうことができた。そのおかげで、最初は日曜日の午後に遊びに行くつもりが、試験が上手くいったので午前中から遊びに行く気になった。
晃一にしてみれば、丸一日空けているので何時でも替わりはないのだが、どうやら菜摘に嫌われたわけではないことが救いだった。菜摘も当日になると、あれほど悩んでいた『抱きしめられたら』という思いもほとんど消えていて、『パパなら上手にしてくれる』という楽観的な思いに変わっていた。
そして、あんまり家でごろごろしていると何か用事を言いつけられそうなので、当日は10時過ぎに家を出て、電車に乗って晃一から来たメールを頼りに歩いて行くと、意外に簡単に晃一の会社の社宅を見つけることができた。ドキドキしてチャイムを押すと、直ぐにドアが開いて晃一が迎え入れてくれた。
「やぁ、いらっしゃい。暑かった?」
「うん、ちょっと暑かった」
「さぁ、上がって。気楽にして良いからね」
「うわぁ、涼しい。あー気持ちいい」
「まずはちょっと冷やさないとね。クーラーを強めにしてあるから、涼しくなったら言ってね」
「うん」
そう言って菜摘はリビングに入っていった。リビングには応接セットと仕事用と思われる机、それに大画面テレビが置いてある。
「ふうん、パパ、こういう部屋に住んでるんだ」
「一人暮らしだから殺風景だろ?」
「ううん、結構良い趣味してる。ほんとだよ」
「なつみちゃんに嫌われなくて良かったよ」
「そう?いつもはもっと汚いの?」
「そんなことないよ。一応掃除はしたけど、たぶんそんなに変わらないから」
「でも、パパはちゃんと気を遣ってくれるのね」
そう言うと菜摘はロングソファにちょこんと座った。
「今、ケーキを出すからね」
「買ってきてくれたんだ。パパ、何を買ってくれたの?」
「うん、モンブランなんだけど、ちょっと美味しいやつ」
そう言って晃一はオレンジジュースとモンブランを出し、自分には冷蔵庫からアイスコーヒーを出して菜摘の斜め前の一人用のソファに座った。
しかし、菜摘にしてみれば初めての部屋でくつろげと言われてもできるわけもない。
「ねぇ、パパはずっとここにいるの?」
と聞いてきた。
「ううん、まだ2年だけど、何年いるかは会社の偉い人が決めるだけだからわからないよ」
「そうなの?パパは偉くないの?」
「少しは偉いけど、もっと偉い人はいっぱいいるから」
「そうなんだ。中間管理職なんだ」」
「菜摘ちゃん、よく知ってるね」
「それくらいは私だって知ってるよ。常識だもん」
「ごめんね。菜摘ちゃんと話してると世代感覚がよく分からなくて」
「早くつかんでよね。私、そんなに子供っぽい?」
「そんなことないけど、俺は子供がいないから」
「そうなんだ」
菜摘は聞きたいのに聞けないことがまた一つ分かって嬉しかった。どうしてなのか分からない。しかし、肝心の事についてはまだ聞けないままだ。
「それじゃ、パパはずっとここに一人なの?」
「うん、そうだよ。女の人なんて来たことないから、きっと殺風景だよね」
「そんなことないよ。インテリアの趣味だって良いし、私は好きだよ」
「良かった。とにかく、菜摘ちゃんに気に入ってもらえれば」
「私以外の人は来たことないの?」
「うん、菜摘ちゃんが初めてだね」
「そうなの?ほんとう?」
「もちろんだよ。女の人が出入りしてる部屋に見える?」
「そう言われてもよく分からないけど」
菜摘は改めて部屋を見渡してみたが、確かに実用一辺倒というか、飾り気のない部屋なのは間違いない。女の人が出入りしていればもっと細やかな気遣いがあっても良いはずだった。
「まぁ、とにかく座ってよ。いつまでも立ち話も失礼だし、まだ時間はあるから」
そう言って晃一がソファを勧めるので、菜摘は素直にソファに座った。しかし、ソファに座った途端、何かまずいことをしてしまったような気がした。
「菜摘ちゃん、試験はどうだった?」
晃一が話題を変えてきた。それは菜摘にとっても望むところだった。
「うん、結構良く書けたよ」
「へぇ、それなら成績は上がるかな?」
「うん、たぶんね・・・・・、パパのおかげだね」
「どうして?俺は何もしてないよ?」
「でも、パパがいてくれたおかげで一生懸命勉強できたんだもん」
「うん。でもそれはママの前では黙っているんだよ。ママが聞いたら悲しむから」
「パパって、本当のパパみたいな事言うのね」
「菜摘ちゃんにとっては違うかもしれないけど、俺は菜摘ちゃんが本当に大切だって思ってるから。俺が家族のことを心配したら変かな?」
「そんなことないよ。ごめんなさい。私、意地悪したみたい」
「ううん、素直な菜摘ちゃんは大好きだよ」
「テストはだいぶ勉強したの?」
「うん、結構がんばったんだよ」
「毎日遅くまで?」
「あたりまえでしょ、先週もそうだったけど。毎日2時過ぎまで」
「そうなんだ。菜摘ちゃんは何が苦手なの?」
「やっぱり英語かな?」
「そうか、英語かぁ。やっぱり使わないからね」
「パパは英語、得意なんだよね」
「得意ってほどじゃ無いけど、一応通じるからね」
「それって凄いことじゃない?」
「菜摘ちゃんの英語は通じないの?」
「試したことないからわかんないけど、たぶんね。でも、通じれば楽しいと思うけど」
「語学留学とかしたくないの?」
「お母さんに頼めばしてくれるかもしれないけど、きっと大変だと思うから」
「お金がかかるから?」
「そう。無理させたくないもん」
「偉いね」
「そう?普通でしょ?」
「俺も、元々は英語は全然話せなかったんだ。会社でアメリカに駐在させられて、否が応でも覚えちゃったんだ。だから、英語の勉強とかはほとんどしたこと無いんだよ。向こうに駐在する前は全然話せなかったんだ」
「パパもそうだったんだ」
「誰だって最初はそうだよ。俺は向こうで生活しなくちゃいけなかったから自然に覚えたけど、そうじゃなければなかなか覚える機会はないよね」
二人はそんな話をしているうちに、自然と会話が弾んでしまった。菜摘にしてみれば、いつ晃一に抱きしめられるかとハラハラしていたのに、あっという間に過ぎていくのでちょっと拍子抜けだった。菜摘の聞いていた知識では、男の子は二人きりになった瞬間に抱きしめてくるはずだった。その知識は晃一にはまるで通用しない。もしかしたら晃一は、脅かすだけ脅かしておいて結局は手を出してこないのではないかと思ったりした。
晃一にしても気持ちがはっきりしないのは同じ事だった。今日の菜摘は制服を着ており、晃一にとってはいつも出会う菜摘と同じ姿だ。それがちょっと心に引っかかっていた。
「菜摘ちゃん、今日は制服だよね?」
「うん、初めての街だから制服にしたの」
「学校から言われてるの?」
「そう、知らない場所を歩く時は制服が一番安全だって」
「そんなことまで学校で教えてくれるんだ」
「そうよ。通学の電車での場所とか、歩道の歩く位置とか」
「電車の場所?」
「そう、毎日同じ場所に立っていると、目をつけられやすいから場所は毎日変えるようにって」
「そんな事言われてるんだ」
「知らなかったの?」
「うん、ぜんぜん」
「パパってそう言うところは世間知らずなんだ」
「俺にだって知らないことはいっぱいあるよ。たぶん、菜摘ちゃんの方が詳しいことだっていっぱいあるよ」
「そう?パパにいっぱい教えてもらいたいのに」
そう言うと菜摘は晃一をじっと見つめた。しかし、
「そんなにたくさん無いよ」
と晃一が気軽に言ったので、
「もう、鈍感」
と菜摘はがっかりした。