第136部



時計を見ると6時半だ。もちろん、既にチェックインの時間は過ぎており、もともと連泊するつもりだった晃一にしてみれば、結佳をどれくらい遅くまで引き留められるかがこの高級ホテルに自腹で数時間だけのために1泊余計に泊まった成果を決めるのだが、相手が高校生なので夜遅くまでと言うのは元々諦めていた。だから、この時間なら納得するべきなのだろう。結佳を送っていったらまた戻ってきて飲み屋の少ない日本橋で一人で飲みむことになる。
晃一は地下の駐車場から出ると、少し走って首都高が分岐してから上がった。
「晃一さん、どれくらいかかります?」
「こればっかりは走ってみないと・・・でも、この雰囲気だと45分くらいで着くと思うよ」
「私の家まで?」
「うん」
「でも、私の家、知らないでしょ?」
「うん、学校までだったら真っ直ぐ行って30分くらいだから、たぶん45分位って言っただけさ。もう少し走ると首都高の案内板があるから、そこの混雑表示を見ればはっきりとわかるよ。ただ、土曜日の夕方だから少し混むかも知れないよ」
「そうなんだ。時間まで分かるんだ」
「何度も走ってればね」
晃一はそう言ったが、少し道路が混んでいた割にはほとんど45分で晃一の車は結佳の家の近くに着いた。元々結佳の家は学校よりも都心方向なので、都心からはさほど遠くない。晃一が結佳の指示する通りに車を止めると、結佳は、
「晃一さん、ありがとうございました」
と丁寧に頭を下げて車を出て行った。結佳らしい、あっさりとした別れ際だった。
結佳が去った後、晃一はなんとなく心の中の一角にぽっかりと穴が空いてしまったような気がした。結佳の様子からすると、晃一ほどもう一度会いたいとは思っていないようだ。しかし、晃一に取ってみれば、菜摘のことが気持ちのどこかに引っかかっていて、何とも身動きが取れない。
だから結佳の相談が終わってしまった今となっては、これからも結佳を抱いても良いのかどうか分からないのだが、菜摘は単にお守りになるようなものを欲しがっただけで他には何も言わなかったし、次にもう一度会えるかどうかすら分からない。そうなると、やはり結佳は魅力的だった。
しかし、同時に晃一はそう考える自分が身勝手でみっともないとも思う。菜摘が好きなら正直に自分で菜摘に確認すれば良いと思ったりもする。しかし、振られるのは怖い。そんな風にくよくよ考える自分が情けなかった。
一方、結佳の方は自宅に帰るともう一度しっかりとシャワーを浴びた。まだ少し怠かったが、シャワーを浴びてからはだいぶ良くなった。セックスがあれほど疲れるものだとは知らなかった。今までそんな疲れるほど情熱をぶつけ合ったことは無かった。だから晃一とのセックスは結佳の中で新しい世界を切り開いた。
しかしそれだけだ。結佳は別に晃一が好きなわけじゃ無いし、感謝はしているが自分の日常とは違う世界の人だと思っている。だからこそ、会いたいと思った時に会えるのがちょうど良い関係だと言えた。
勉強が終わって、結佳は菜摘にメールしてみようかと思った。勉強の間は頭の隅に押し込んでいたが、どうしても確認したい。でも結佳は勉強が終わるまで絶対にメールをしない。それは結佳の中のけじめだった。だから、ベッドに入ってから結佳は携帯を手に取った。
もし、自分が夕方まで晃一に抱かれていたと知ったら菜摘はどう思うだろうか?しかし、結佳は最初、菜摘の泣き顔をイメージしてみたが、どうもしっくり来なかった。それに、菜摘が何を知ったとしても、菜摘が意地悪をするとも思えない。せいぜいが結佳の周りから去って行く程度だと思えた。
『何だ、それじゃ面白くないじゃん・・・・・』結佳は自分で想像してがっかりした。何となく、自分がこんなに素晴らしい経験をしたことを誰かに話したかったから想像してみたのだが、一番インパクトがあると思える菜摘に話しても、きっと空振りに終わる。本来なら、最初にこの話を持ってきた麗華に報告するべきなのだが、麗華は放っておいても向こうから聞きに来るだろうし、こちらから話す気はしなかった。
『友紀に話してみようかな?????』そんなことを考えている内に深い眠りの中に落ちていった。
その菜摘の方は、晃一がそんなことになっているとは知らず、一心に勉強に打ち込んでいた。『ぐちゃぐちゃ考えるくらいならさっさと勉強しなよ!』自分で自分に何度も叫んでいた。ただ、布団に入った時にふと、『パパに会いたいな・・・』と思った。『私がこれだけ勉強してるって知ったら、パパは褒めてくれるかな?』とも思ったが、『褒めてもらいたいなら、明日も勉強しなくちゃね』と自分で戒めた。
もともと菜摘は晃一から離れて勉強が手に付かなくなってから、もっと勉強しなければ、とずっと思っていた。しかし、今まではなかなかそのきっかけがつかめなかっただけなのだ。もともと成績は良くない方だが、自分で精一杯やったことを晃一なら認めてくれる、そんな確信のようなものがあったからこそ、晃一には勉強していることを正直に話すことができたのだ。
『これを買って貰った時だって、パパは私のこと、ずっと大切に見つめてくれていたな。パパの目が取っても温かかった・・』そう思いながら熊のマスコットをコツンと指で弾いてみる。
『あのパパの視線を独占できたら・・・・・』という思いと『あんなことして、どの面下げてパパの目の前に出られるの?せいぜい、ちょっとだけ買い物に付き合ってもらうのが関の山よ』と言う思いが胸の中で交錯している。
『あーっ、もうっ、頭の中がぐちゃぐちゃになってるのにぃっ』菜摘はちょっと気を抜くと直ぐに頭の中が晃一で一杯になってしまうのを何とかしたかった。『そうだ、逆療法ってさ・・・』そう思うと、『よし、あと1時間半勉強したら友紀に電話してみよう』と自分で決めて更に参考書にかじりついた。
その頃、結局一人で街に出ても楽しくないと思った晃一は日本橋のホテルのバーで一人酒を飲みながら別の思いに囚われていた。どうしても結佳の身体が忘れられない。あの肉壁の感触、あの可愛らしい話し声、そして肉棒が結佳の中で扱かれる時の気持ち良さ、全て最高だった。スタイルなら菜摘の方がずっと良いが、セックスするなら結佳の方が晃一自身が絶対気持ち良い。
しかし、そんなことで結佳にアプローチしても上手く行くとは思えなかった。晃一はしばらく考え込んだ。
何と言っても、今はまだ日本橋のラグジュアリーホテルにいるのだ。部屋に戻ればまた結佳を思い出すことになる。『マンションに誘ってみたらどうだろう?』『もっと短い時間なら会ってくれるかも知れない』『それとも、二人でどこかに出かけられたら・・・・』そんなことを考えていると、自然に晃一は携帯を手にしてメールを打ち始めていた。
『結佳ちゃん、今日はありがとう。とっても楽しかった。ちょっと無理させちゃったみたいで疲れたかな?ごめんね。夢中になりすぎたかも知れないと思って反省しています。それで、もし、明日少しでも時間が取れるようなら、マンションに来て貰えませんか?結佳ちゃんの好きなものを用意しておくから  晃一』
すると、十分もしないうちに結佳から返事が来た。これだけ短時間で返事が来たと言うことは、きっと結佳も晃一に会いたいと思っているに違いない、と思って直ぐにメールを開いた。
『晃一さん、今日はありがとうございました。私、もともとこういうことに関しては全然自信が持てなくて、もしかしたら今まで一杯チャンスを潰してきたのかも知れないなって気が付きました。だって、晃一さんにあんなに優しくされたら、私なんて夢中になっちゃって・・・・・。ちょっと私にしては激しすぎたかも。反省です。これからは、もっと自分の回りをよく見てみなくちゃ。今までは避けていたことだって私自身でつかめるかも知れないから。ごめんなさい。今は晃一さんに会うつもりはありません。でも、私が晃一さんを必要とする時は、会いたい時は、連絡しても良いですか?わがままだと思いますが、晃一さんならきっと理解して受け止めてくれると思ってメールしました。 結佳』
読み終わった晃一は、頭をガツンとたたかれた気分だった。晃一に結佳が身体を許したのは、結佳なりの目論見があってのことなのだ。意味も無く女子高生が男の前で裸になるはずが無い。たぶん、結佳はギリギリまで考えてのことだったのだろう。
とにかく、もう結佳には会えないことははっきりした。
『それなら俺はどうすれば良いんだ?』
『友紀ちゃんには既に振られてるし、菜摘ちゃんは少し前みたいになってきてるけど、以前の関係に戻れるとは思えない。麗華ちゃんはどう見ても一回限りの関係だし・・・』
そう考えると、
『やっぱり結佳ちゃんしか居ない・・・』と思えるのだが、結佳本人からこうも明確に否定されてはこれ以上メールを送る気にはなれないし、どれだけ送っても結果は変わらないだろう。
そう思うと、今まで菜摘から立て続けに友紀、麗華、結佳、と関係を持ってきた自分が惨めになってきた。もちろん、最初はそれなりにしっかりとした理由があったのだが、だんだん相手が変わっていく内にそれが希薄になってきたのかも知れない。最後の結佳に至っては、結佳本人すら晃一に合うつもりは無いと言っているのだ。それならこれは単なる援交みたいなものでは無いのか?そう思うと一気に気分が沈んだ。晃一は一人でウィスキーのロックをあおった。
その頃、やっと勉強の終わった菜摘は友紀に連絡してみた。
『友紀、ねぇ、返事してよ』
『菜摘?どうしたの?』
『今日は何してたの?教えなさい』
『へへへ・・・・知りたい?』
『想像はつくけどね』
『じゃ、そう言うことで』
『それだけ?』
『だめなの?』
『ねぇ、田中と、どこに行って来たのよぉ』
『ううん、たいしたところじゃ無い。ちょっと映画を見てから』
『何の映画?』
『良く覚えてない。暖かくなる映画』
『なにそれ?それから、行ったの?』
『そうよ』
『で?どうだった?』
『それを私に聞くの?』
『うん、そうだよ』
『教えると思う?』
『うん、たぶん』
『どうしてそう思うの?』
『友紀は今、幸せだから』
『菜摘は幸せじゃ無いの?』
『うん、全然。辛いばっかり』
『良いの?そう言う子が私のことを聞いて』
『うん、今はその方が良い』
『それじゃ、教えてあげる』
『うん、どうだった?』
『最高だった』
『どんな風に?』
『だって、とっても優しくしてくれるし、何度も抱きしめてくれるし、それにね・・・菜摘だけだよ、いい?絶対誰にも言わないで、あのね、何回しても回復力がすごいし。本当に何回でもできるんだもん。ちょっと短いけど・・・・』
菜摘は予想通りの友紀の答えに納得した。もちろん、今それを聞くと、身動きの取れない状態の菜摘はとても辛いのだが、その辛さが今は勉強のバネになっているのだから辛さをたっぷりと味わわなければならない。辛さをしっかり味わう、それは菜摘の母親の昔からの教えだった。『いい?もっと辛さを芯まで味わいなさい。あなたのしたことを!』それが母が怒った時の口癖だった。そして、そう言う時は絶対に途中で甘やかしてはくれなかった。だから菜摘は友紀の幸せな声を聞くことで自分に辛さを取り戻した。このままだと晃一に甘えて流れてしまいそうだったから。
『それじゃ、何時間くらい居たの?』
『内緒よ、それは』
『そんなに長かったの?』
『んな分けないじゃん、映画の後だよ』
『そうよね、せいぜい3時間・・・・』
『もっと』
『4時間も?』
『もっとだよ・・・』
『だって、学校終わって映画見たら3時回るでしょう?』
『そうね』
『それからだと・・・・・もしかして、さっき帰ってきたばっかり?』
『うん、ちょっと怒られた』
『はぁ・・・友紀ぃ』
『ごめんね、でも、今は幸せなの』
『それを聞いて安心したわ。良い?私、絶対英語で友紀を抜いてみせる』
『あらぁ、菜摘、いきなり何よ。第一、英語って苦手だったはずじゃなかったぁ?』
『そうよ。でも、今は英語やってるから』
『菜摘って、私より下だったっけ?』
『そうよ、ずっとずっとずーっとね』
『それでも?』
『できないと思う?』
その言葉に、それまで有頂天だった友紀はぞっとした。舞い上がっていた気持ちが一気に冷める。菜摘が本気で思い込んだらどうなるか分かったものでは無い。今までは、それぞれの成績が上がったとか下がったとかを祝福したり残念がったことはあったが、直接上下を比べたことは無かった。それは友紀の方が成績が良かったこともあるが、お互いを比べて関係を悪くしたくない、と言う思いが働いていたことは間違いない。しかし、今菜摘はそれを破ってまで勉強する気になっている。
『たぶん、菜摘じゃ無理よ。たぶん・・・ね・・・・・。でも・・・』
『でも?』
『もしかしたら・・・・・・もしかして、私がずっと夢中になって舞い上がってて、菜摘が必死に何週間も勉強したら、ひっくり返る可能性はあるかも・・・』
『それじゃ、友紀は夢中になっててね。幸せで良かったね。何回でもして貰えてさ』
『ちょっとぉ、そう言うところでその話、出すぅ?』
『友紀、おかげでもっと勉強できそうだよ。ありがと。ふふふ』
『ちょっとぉ、そこでまとめる気?』
『そうよ、今ならすごく勉強できそう』
『待ってよぉ、私だって』
『友紀、田中にメールした方が良いんじゃない?』
『あっ、そ、それは・・・・・・』
『ほうら、したかったんでしょ?おっと、直接話した方が良かったかな?』
『何言ってんのよぉ、こんな時間にぃ』
『それじゃ、たっぷりメールしてね』
『んーもうっ、あったま来た。いくら自分がやる気を出したいからって、私にそう言うこと、言う?覚えてらっしゃい、次は前回より絶対引き離してやるから』
『無理よ。これからメールでしょ?私は英語やるから』
『そうよ私はメールする、私はたっぷりメールしたって問題無いもん』
『ふぅーん、そうなんだ』
『そうよ。何時間メールしたって、絶対菜摘になんて抜かれるもんですか』
『それじゃ、次の結果、ちゃんと見せる?』
『もちろん』
『約束よ』
『来週の日曜日、失敗したからって隠すのは無しよ』
『じゃあ教えてよ。この前の英語は何番だった?』
『136番。菜摘は?』
『211番』
『それじゃ、次の番の差が75番以上か未満かね?』
『そうね。一気に縮めてみせるからね』
『そう?無理しない方が良いわよ』
『友紀』
『なによ』
『ありがとう。それじゃね』
『あっ、菜摘っ、待ちなさいっ』
友紀は電話を切ると、ふぅーっと息を吐いた。でも、友紀だって菜摘には感謝しなくてはいけない。久しぶりにのめり込める恋を手にしたので今まで友紀は有頂天だった。それを菜摘は喜んでくれて、更に勉強も頑張ろうと言ってくれた。自分がどれだけ負けず嫌いなのかを良く知った上での挑発なのは明らかだ。
でも、そんな菜摘の心遣いが嬉しかった。正直に言えば、自分が菜摘に抜かれることなどあり得ないと思うが、間を詰められることならあるかも知れない。
『よし、まずメールから』
友紀は菜摘に宣言した手前、メールから始めることにした。身体は怠いのだが、気持ちの方は十分元気になった。友紀は長くなりすぎないように、心を込めてメールを送ると、続けて次のメールも書き始めた。まとめて書いておいて順に送っていけば勉強の時間を作りやすい。誰にも言っていない友紀だけの裏技だった。メールが終わって参考書を取り出すと友紀は深呼吸した。『菜摘、悪いけど、あんたには無理だよ』スタンドの明かりを浴びた友紀の口元が微笑んだ。
一方、友紀を挑発した菜摘はいよいよ逃げ場が無くなった。友紀が本気になれば頭の回転が速いだけに覚える速度は桁違いだ。以前一緒に英単語の勉強をした時に身に染みて分かっている。菜摘は友紀の3倍くらい繰り返さないと覚えられないのに、友紀はどんどん覚えて先に行ってしまう。
『友紀、私絶対、置いて行かれないから』
そう思うと菜摘は再び勉強机に向かった。もうとっくに隣の妹は寝てしまっていた。
その夜、菜摘が寝たのは何と4時だった。土曜日の午後からぶっ続けで勉強していたので最後は勉強しながら何度も居眠りをしそうになった。それでも、ちゃんと最後に確認問題を解いてから寝た。寝る時、頭の中では英単語が飛び回っていた。