第138部



「ふぅん、そうなんだ。って・・・結佳、あんたはもしかして・・・・・」
「隠すのは嫌いだから」
結佳ははっきりそう言った。
「そうか・・・やっぱりね・・・・・・・。菜摘が心配した通りだ」
「何で菜摘が心配するのよ。彼と上手く行ってないの?」
「別れたんだって」
「そうなんだ。でも、こっちだってもう会うことも無いと思うけどね」
「そう?」
「もちろん。向こうがよほど追いかけてこない限りはね」
結佳は涼しい顔をしてそう言ったが、友紀は納得しないらしく、
「・・・・・・でも、あんなに優しくて大人で、・・・・すごかったでしょ?」
と囁いた。しかし、結佳は気にしていないといった風で、
「まあね。でも、夢中になったのはどっちかって言うと向こうだよ」
結佳は自分のことは棚に上げてそう言った。
「そうなの?」
友紀は意外といった感じだ。
「そう言うこと。そう言えば日曜日にも誘うメールが来たけど、取り敢えずすっぱりと断っといたから。会う気無いって」
「ふぅん・・・・・」
友紀は少し不思議な気がしたが、結佳の性格も分かっているので納得することにした。さっぱりしてのめり込まない結佳の性格からすれば、その方が自然なのかも知れない。
「でもさ、ちょっと不思議なんだよね」
友紀は結佳の顔を覗き込んで言った。
「何が?」
「だって、いつもプライベートを大切にする結佳が、どうして麗華の話に乗ったの?グループを抜けたのだって、自由が良いからって事でしょ?例えもし悩んでいたとしたって、誰かに相談するなんて何か結佳のイメージじゃ無いなって思って。別に詮索するつもりはないけど」
友紀はそれだけが納得できないようだ。
「詮索するつもりは無いって言って、それで詮索するの?」
結佳はさらっと言ってのけた。
「そうじゃないけどさ、結佳ってきっちりマイペースでしょ?嫌じゃ無かったのかなって思って。麗華に相談を持ちかけられたとして」
「そりゃ、最初は良い気はしなかったけどね・・・・。ちょっと考えを変えてみたの」
「考えを?」
「そう、今までのやり方でやってきて上手く行かないんなら別の方法を試してみるのも良いかなって。麗華からおじさんを紹介しようかって言われたときはカッとなったけど、別に後を引く話じゃないし、麗華にだけ後でこっそり上手く行ったかどうかだけ報告すれば良いって思ってたから。まさか、ミーティングに呼び出されるとは思ってなかったわ」
「あぁ、それね。ま、菜摘がそれだけおじさまのことを思ってるって事よ。気にしない方が良いよ。菜摘だって分かってるんだから。言わないと気が済まなかったって感じだったもん」
「うん、でも今日の菜摘、すごい迫力だったじゃない?」
「そうね、私もちょっとびっくりした」
「そんなに好きならさっさと行けば良いのに」
「それが菜摘の面倒なところなのよ。自分なりにきちんとしないといけないって決めてる見たい」
「きちんとねぇ・・・、ま、菜摘らしいけどね」
「ちょっと嫌な気がしたかも知れないけど、許してあげて」
「私は構わないわよ。別にこれからおじさんと付き合うつもりなんて無いんだしさ。それよりあんたはどうなのよ」
「私?」
「そう、彼、できたんでしょ?仲良いって評判よ」
「まぁね・・・・・そう言うことになってるみたいね」
「違うの?」
「よく分かんない。私は上手く行ったかなって思ってたけど」
「あんたがそう言う程度なら、失敗しちゃうよ?」
「そう言われても・・・・・・もう少し様子を見ることにしたの」
「ふうん、田中って一つ気に入らないことがあるとガラって変わるらしいからね」
「そんなこと言わないでよぉ。せっかく見つけた恋なのにぃ」
「悪い悪い。忘れてくれて構わないよ。これでも陰ながら応援してるんだから」
「ありがと。結佳も頑張ってよね。役には立ったんでしょ?」
「うん、それは間違いない。何か、今までの私がばからしく思えてきてね。だからこれからはちょっと視野を広げてみようかって思ってるの」
「そうなんだ」
「うん、前からサークルに誘われててね。今まで行こうとも思わなかったんだけど、一度くらい顔を出してみようかなって思ってる」
「サークル?大学?」
「そう、大学生って遊んでばっかりってイメージだったから放っておいたんだけど、いずれ私だって大学生になるんだから、一度くらい・・・ね・・・」
「大学って言ってもいろいろあるけど、その辺りは大丈夫なの?」
「うん、一応国立だから」
「一応って・・・。ま、結佳ならそう言うことになるのかも知れないけど・・・。でも、国立なら遊んでばっかりってわけでもないでしょう?」
「そうなのかな?」
「私のいとこが国立行ってるけど、結構大変だって言ってたよ。マジ勉強しないと留年するって」
「そんなもんかね。ま、ありがと。おかげで行ってみる気持ちになれたから」
「よかったね」
「あ、もう一度言っとくよ。田中のことでトラブったら相談に乗るよ」
「うん、ありがと。覚えておく」
二人はそんな話をしながら駅に着き、そこで方向が違う二人は別れた。
一方、麗華と菜摘はまだ店に残って話をしていた。菜摘が呼び止めたのだ。麗華は腹をくくって付き合うことにした。これ以上菜摘が攻めてくるなら決断が必要かも知れないと思っていた。
「どうだい?あれでよかったろ?」
「うん、後はみんなが納得する罰ってやつを何か探してくるだけだけだね」
「それだけどさ、私が何をするかはこれから考えるけど、何であんなこと言ったんだい?」
「あんなことって?」
菜摘は麗華の気持ちが分からなかった。
「結佳をミーティングに呼び出した事さ、決まってるだろ?」
麗華は不機嫌と言うよりは興味津々といった感じで菜摘に聞いてきた。麗華の中では菜摘があんなことをするとは思えなかったのだ。バレたことは仕方ないから何か考えるとして、それよりも菜摘がどうして結佳を呼び出したのかが知りたかった。
「あぁ、そのことね」
「そのことって・・・・・最初に私に一言言ってくれれば」
「一言言ったら結佳と口裏合わせられてお終いになってたでしょ?」
菜摘は平然と言った。確かにそうだ。
「それは・・・まぁ、そうかもしれないけど・・・・・・でも」
言いかけた麗華を菜摘の言葉が遮った。
「ねぇ、結佳をパパにくっつけたのは麗華がパパに会いたい時に会いに行けるようにしておくため?」
麗華はいきなり核心を突かれて動揺した。菜摘は遠回しな言い方が嫌いな子だから、言う時は核心を突くのだが、それにしてもきついところを突かれてしまった。
「それは・・・・その・・・・・私が・・・・・」
麗華が言い淀んだと言うことは、ほぼ間違いないと言うことだ。
「やっぱりね・・・・・・」
麗華は菜摘の目を見て、もう逃れられないことを悟った。
「お願い、それだけはみんなに言わないで」
麗華は自分でもみっともないと思ったが、本気になった菜摘相手に逃げられるとは思っていなかったので火消しに走った。
「麗華・・・・・」
「お願い。今、ちょっと彼とちょっとだけ問題があってさ。みんなには絶対内緒でお願い」
「・・・・・もう・・・・・・」
菜摘は少し呆れてしまった。
「ナツ・・・・・」
「・・・・ふぅ・・・・良いわよ」
「ありがと」
「元々言う気なんて無かったけどね」
「でも、どうして・・・・分かったんだい?」
「そりゃ分かるわよ。考えてもご覧なさいよ。昼で学校をふけた理由を考えてみれば誰だって思いつくわよ」
「・・・・後学のために聞かせて貰って良いかい?」
麗華はおかしいと思った。菜摘は思い込むとどこまでも突き進むが、あちこちから情報を集めて新しい情報を組み立てるキャラではない。いや、そんな子はこのグループにいないのだ。だからこそ麗華がリーダーとして成り立っているのに、麗華でも思いつかないような解析を菜摘がしたとなれば麗華の立場さえ危うくなる。きっと黒幕がいる。
菜摘は直ぐに答えそうになってから、一歩止まってみた。ここで麗華に『実は友紀がね・・・』と話をするのが良いことなのだろうか?しかし、話さないのも今後を考えると不味い気がする。隠し事は絶対後を引く。そこで菜摘は言い方を変えることにした。
「あのね、私と友紀で考えたの。お互いに見たことを持ち寄って、二人で考えたらそうなったの」
と言った。それでも麗華は釈然としなかった。友紀は確かに菜摘よりは噂話が好きだし交際範囲も広い。しかし、友紀と菜摘が話をしただけでこれほどズバリと本質を突けるものだろうか?
「二人だけで話したのかい?」
「うん、そう。電話だったけど」
「そうか・・・・・・。ちょっとまだ引っかかってるけど、そう言うことなら仕方ない。あんたが嘘を言うはずないし。わかったよ。とにかくあんた達にはおじさまのことじゃかなわないね。大人しく引き下がるよ」
その言葉には、麗華が何を目論んでいたかがはっきりと含まれていたが、菜摘は敢えて無視することにした。今大切なのは麗華がちゃんと離れていくことだ。
「それじゃ、もうパパには連絡しない?」
「一つだけ除いてね」
「何よ。一つだけって」
「そんな怖い顔するなよ。可愛い顔が醜くなるぞ。良いかい、これは元々私の恋愛相談が発端なんだ。だから、これが上手く行かないことがあったら、また相談することになるだろうさ。それについては文句はないよな?元々それで私を引き合わせてくれたんだから」
「それは・・・・そう・・・だけど・・・・」
菜摘はそう言われてしまっては何も言えなかった。もともと麗華に相談を持ちかけたのは菜摘だからだ。
「良し決まった。ありがと。感謝してるよ」
「そうね、麗華のほうが上手く行ったから余計なことまで始まっちゃったけど、麗華が彼とよりを戻して上手くやり直せたって言うのは良いことだもんね」
「そうさ。ナツのおかげだよ」
「取り敢えず良かった、って事にしとこうね」
「それじゃ、ばいばい」
そう言うと麗華は改札に消えていった。そして、麗華も菜摘も、お互いが見えなくなると真剣に今後のお互いの付き合い方について考え直す必要があると考え始めていた。しかし、二人とも考え始めたのは同じだったが、麗華はそこから友紀と菜摘の取り合わせまで考えを進めたのに対し、菜摘は直ぐに考えをまとめると単語カードを取り出して勉強を始めた。それが今の二人の違いだった。
菜摘は家に帰ると直ぐに夕食を食べて妹と片付けをし、そのまま勉強を始めた。妹は菜摘が勉強の鬼になってから最初はテレビのチャンネルを心配しなくて良いと喜んでいたが、自然に今では菜摘の気迫に押される形で食事や片付けやお風呂などを率先して済ませていくようになっていた。菜摘は気合いが入っているので片付けだっていつもよりずっと手早い。手伝いも少なくて済むのだ。それなら手伝っておいた方があとあとが楽になるし点数も稼げる。それくらいは妹でも計算できた。
だから菜摘が勉強を始めた時間はまだ9時前で、家の事を全てやってしまってから勉強を始めたにしてはずいぶんと早い時間だった。
菜摘は律儀に母から渡されたノートを文字で埋めていった。もともと無理だと思ったので放っておいても良かったのだが、もし全部文字で埋めたノートを母に見せられたらきっと喜ぶ、と思うと無理だと思っても頑張ってみようと思ったのだ。だから今の菜摘には晃一と母親という二つの全然違う目標ができていた。
しかし、実際にノートを文字で埋めるというのは簡単なことではない。普通のノートでも60ページ以上あるので、仮に1時間に1ページずつ埋めていくと全て文字で埋めるのに60時間、二日以上もかかってしまう。もちろん、文章を書いていれば比較的早くページが埋まるが、それでも1日でノート1冊を埋めるのは至難の業だった。でも菜摘は手を抜かなかった。文字で埋めたノートを母親に見せるという目標ができたので、手を抜いてしまっては母親にノートを見せた時に笑われてしまう。そこで菜摘は覚えたい文章を何度も何度も書き続けた。1分間に3行書ければ10分ほどで1ページが埋まるので1冊は12から15時間で埋まることになるし、関係図などを何度も書けば早くページが埋まる。もちろん途中で指が痛くなったがバンドエイドを指に巻いて頑張った。そして、どうにか夜中を遙かに過ぎた頃には1冊のノートを1日で埋めることができていた。
すると、金曜日になって少し異変が起こった。菜摘は書きに書いて覚えたのだが、金曜日にはほぼ参考書が1冊丸ごと頭の中に入っていた。だからかも知れないが、学校の勉強が遅く感じられたのだ。『もう、そこは分かってるんだから早く先に行ってよ』と自分で思ってふと気が付いたのだ。こんなことを考えたことが今まであったろうか?と。
そして土曜日、ミーティングがないことを祈っていた菜摘だったが、どうやら麗華はミーティングを開かないようだった。自分でペナルティを考えているから、と言うのが周りの推測だった。
だから菜摘は明日の外部実力テストの仕上げに、まず本屋に寄って新しい参考書を買ってからさっさと家に帰って勉強を始めた。人によっては参考書を途中で変えるのは良くないという人も居るけれど、覚えてしまった参考書とにらめっこしていても仕方が無い。菜摘は母からもらったお小遣いを吐き出して新しい参考書を買った。
土曜日は母親が夕食を作ってくれた。今週は何度も夜勤があったので今日は母親の存在自体が台所で光っている。するとしばらくして台所から良い揚げ物の臭いがしてきた。どうやら今日は菜摘の好物らしい。妹は夕方からべったりとテレビに張り付いたままだ。母親が何度も音量を下げるように言っているところを見ると、かなり気を使ってくれているらしい。今の菜摘にはそれだけで十分嬉しかった。
そして夕食の時、母親が声を掛けると菜摘は素直に勉強を止めて居間に出てきた。
「お姉ちゃん、どうなの?勉強のほうは」
「やるだけはやったよ。そう、見せなきゃ」
そう言うと菜摘は机に戻り、きっちりと全部文字で埋めたノートを5冊、母親に見せた。日曜日の夜からちょうど6日間で埋めたのだ。一日1冊と言う自分の目標よりは少し遅れたが、ちょっとドキドキしながら反応を待つ。
「お姉ちゃん、頑張ってるね」
ノートをパラパラめくりながら母親がポツリと言った言葉が菜摘の心に温かく染み込んだ。ただ、妹のほうは飛び火しないかビクビクしてじっとしているのが滑稽だ。
「さ、いただきましょう」
そう言うと3人で食事を始めた。
「ねぇ、今日のご飯、ちょっと豪華じゃない?」
猛烈な勢いでコロッケとご飯を交互に口に運びながら菜摘が言うと、
「毎日頑張ってる誰かさんに、ちょっとはご褒美をあげようかなって思ってさ」
「ありがとう、お母さん」
「おや、今日は殊勝だね。今日も頑張るの?」
「うん」
「お腹空いたら、戸棚に夜食分が入ってるからね」
「ありがと。ダブルで」
「だぶる?」
「私、ちょっと気が緩んでたみたい。もしお母さんに『今まで頑張ったんだから今日くらいは休みなさい』って言われたら『はい』って言っちゃいそうだった。だから、今日も頑張るの?って言われて良かった。それと、夜食もね」
「おやおや、こう言う日もあるんだねぇ。もっとも、お姉ちゃんがこれほど勉強すること自体が珍しいけどね」
「ねぇ、お母さんも一生懸命勉強したこと、ある?」
「もちろん」
「どれくらいした?」
「毎日ノート1冊、2週間」
「ええっ・・・・・・・・・・。負けた・・・・・」
「まだ負けてないでしょ?」
「だって、明日試験が終わったら、絶対私、無理。気持ちが持たない。こんなに辛い思いをして勉強を続けたの、初めてだもん。もう限界」
「それはそうだね。試験が終わっちゃうんじゃね」
「お母さんのは試験の時?」
「もちろん、国家試験の模試でね」
「成績、上がった?」
「それがね、少しだけだったの」
「そんなに勉強して?」
「そう、その程度じゃ足りないって事。いくらがんばっても短い追い込みは毎日の勉強には敵わないってよく分かったよ」
「そうなんだ・・・・やっぱり・・・・」
「何落ち込んでるのよ。あれだけ頑張ったんだもん。絶対明日は大丈夫。自信もって頑張っておいで」
「うん。それでね・・・・????」
「なに?」
「もし、上手く成績が上がったら、ご褒美が欲しいんだけど???」
「ご褒美ねぇ・・・・・・。考えとくわ。高いの?」
「お小遣いや物とかを買って欲しいわけじゃないからね。成績が出たらお願いに来るから」
それを聞いて母親はピーンと来た。年頃の女の子が物を欲しがらずにお願いしたいことと言えば、たぶん門限とか友人宅へのお泊まりとか、どこかに遊びに行くとか、そう言うことだ。母親は自分にも経験があるだけに、もし良い結果が出るようなら目をつぶって送り出してやろうと思った。心配なのはもちろんだが、自分にも覚えがあるだけに、きっとそれが菜摘の大人の階段になるのだから。