第148部



帰りに菜摘が麗華と一緒になったので、
「麗華、結佳のこと、あれから何か知ってる?」
と聞いてみた。
「よくわかんないけど、あんまり学校にいないよ。直ぐに帰ってくから。何か楽しいこと見つけたんじゃ無いのか?」
と返ってきた。
「そうか・・・・・どこに行ってるんだろう?」
「結佳のことだから、きっと学校とは関係ないとこだと思うな。あのルックスだしさ。街でおじさん相手に遊んでんじゃ無いの?ははははは」
「ふぅん、そう言うことか」
「ま、また何か分かったら教えるよ」
「ねぇ、今日のこと、私の引き金でパーティーにしちゃって怒ってない?」
「まさか?却ってすっきりしてるよ」
「すっきり?」
「そう、うじうじお金を節約するより、ぱぁっとやった方がすっきりするって事。これで私もみんなに気兼ねなく話せるし。だから、三菜やみんなには感謝してるよ」
「お金、使わせちゃうね」
「良いんだお。お金はお金。天下の回り物ってね」
菜摘はそんな麗華を見ながら、みんながなんだかんだ言いながらも麗華に付いていく理由はこの潔さなんだと思った。
麗華と別れた菜摘が電車に乗ってからそっと携帯を覗いてみると、期待した通り晃一からのメールが入っていた。ドキドキしながら開いて見る。
『菜摘ちゃん、もう一回おめでとう。言った通りだったろう?努力した分、ちゃんと成績は上がるもんなんだよ。もしかしたらもっと上がるって思ってたかも知れないけど、これ位だと思うよ。期間が短いからね。でも、菜摘ちゃんが続ければこれからはもっとずっと成績が上がるようになるよ 晃一』
菜摘は旅行のことが書いてないのでちょこっとがっかりした。褒めてもらうのは嬉しいが、今は何より旅行のことが聞きたい。どこに行くのだろうか?どんな景色が見られるのだろうか?それに、母親に外泊の許しをもらわなくてはいけない関係から、できるだけ早く自分の気持ちを決めてしまいたい。
もともと菜摘が晃一に泊まりで遊びに連れて行ってもらいたいとねだったのは、友紀だけが泊まりに連れて行ってもらったというジェラシーがあったからだ。その原因を作ったのは他ならぬ自分なので友紀にどうこう言うつもりはないし、晃一が悪くないことも良く分かっている。しかし、それではいつまで経っても自分は友紀の後を追いかけているような気がするのだ。それでつい無理を言って晃一に泊まりに連れて行ってもらいたいとおねだりしたのだった。
だから、晃一には何も言っていないが、その旅行は友紀の体験したものと同等以上で無ければナツミにとって意味がない。もちろんそれはお金ではなく体験の価値としてだ。友紀に旅行の中身を話すつもりは無かったが、友紀が旅行の前と後とでどれだけ変わったかが分かっている以上、自分も同じかそれ以上の体験をしたいのだ。
友紀は明らかに旅行の前後で変わっていた。大人っぽくなったと言うより、周りに対する積極性が強くなったと思っている。どうして晃一と恋人関係になる気になったのかは分からないが、旅行の後の友紀は積極的に周りに自分をアピールしている、そんな気がするのだ。だからこそあのタイミングで告られたのだと思っている。
それに、以前の友紀だったら相手にひたすらのめり込むし、ギリギリまで粘るから恋愛中に自分から離れるなどは考えられない。相手との関係が悪くなってきたと思っても、じっと耐えている内に向こうから離れて行く、と言うのがパターンだったはずだ。それなのに友紀は晃一との関係に何の問題も無かったはずなのに、自分から離れて行った。きっとそれは友紀の中で新しい何かが生まれたからなのだろう、それなら自分にもそれが欲しい。
もちろん、今の菜摘には晃一から離れるつもりは毛頭無いが、自分だって成長したいのだ。
菜摘はそんな想いを抱え、どこに行くのか分からないまま家に帰った。しかし、まず母親に外泊の許可を取らなければどこであろうと行くことはできない。
「ねぇ・・・・・」
菜摘は台所で慌ただしく夕食の準備をしている母親の所で話し始めた。今日母親は夜勤に出るので夕食は早めに済ませなければならない。
「どうしたの?」
「あのね・・、成績、上がったの」
「そう」
母親はそう言ったきり次の言葉を続けなかった。もちろん母親は次に菜摘が何を言うのか察しくらいは付いている。仕方なく菜摘が更に言おうと思った時、
「それで、どれくらい上がったの?」
と母親が聞いてきた。
「うん、全部だと20番くらいだけど、英語も同じくらい上がったんだ」
菜摘が恐る恐るという感じで言った。母親は菜摘の顔色から、『予想よりは上がらなかったけど、ちゃんと上がったと言えるくらいは上がったって事だな』と思った。
「それで、どうしたいの?」
「え、あの・・・」
「しっかりと勉強したのは分かってる。どうしたいの?どこかに遊びに行きたいの?何かあるから来たんでしょ?」
母親は素っ気ないそぶりをしながらも、既にご褒美をあげる用意があるそぶりを暗に臭わせた。
「友紀の所に泊まりに行きたいの」
母親は『ふうん、見え透いたことを』と思ったが、敢えて口には出さなかった。たぶん、あの尋常では無い気合いの入れ方は恋している証拠だ。だから泊まりに行きたいと言えば相手と一緒だと考える方が自然だ。しかし、高校生の彼と泊まりに行きたいと言われれば立場上反対しなくてはいけなくなるので、敢えて深くは追求しないことにした。これはご褒美なのだから。
しばらく母親が考えている間、菜摘はドキドキしながらじっと待っていた。もしかしてバレてしまったのだろうか?どうしてだろうか?そんな想いがよぎっていく。
「良いわよ。いつ?」
突然母親が言った。
「え?良いの?今度の土曜」
「また急ねぇ。ま、友紀ちゃんならそれでも良いか」
母親はわざと菜摘の肩を持つような言い方をして余り気にしない風を装った。
「おねぇちゃん、どうしたの?」
妹が居間から何の話かと首を突っ込んできた。
「おねぇちゃん、土曜日に友紀ちゃんの所に泊まりに行くんだって」
「ええ?私も行ってもいい?」
妹がいきなりとんでもないことを言ったので菜摘はびっくりした。妹がいては身動きが取れない。ただ、友紀のことは妹も知っているので一緒に行きたいというのは不思議では無かった。これは菜摘の誤算だった。何と言おうとか迷っていると、母親が話し出した。
「だめよ、これはお姉ちゃんが勉強して成績が上がったご褒美なんだから。あんたも泊まりに行きたいなら、まず成績を上げなさい」
「そんなぁ・・・・成績なんてそんなに上がんないもん・・・・」
「それをお姉ちゃんは上げたんだから、あんただってやればできるはずよ。これはお姉ちゃんへのご褒美なの」
「良いなぁ、お泊まりにいけるなんて・・・・」
「成績を上げればいいのよ。簡単なことでしょ?」
「いじわるぅっ」
そう言うと妹はプイッとテレビの方を向いてしまった。どうやら母親の助け船のおかげで泊まりに行くことができるようだ。菜摘は心の奥からじわっと喜びが湧き上がってくるのを感じていた。ナツミは平静を装っているつもりだが、母親はチラッと横目で見ながら、
「まぁ、そんなに嬉しいの?」
と鍋の中味を盛りつけながら横顔で微笑んだ。
「うん、ぅ、嬉しいよ。もちろん。・・・成績が上がったんだから」
菜摘は余り見透かされないようにと頑張った。
「それで、お金はあるの?」
「うん、8千円くらいあるし、第一そんなにお金、使わないと思うの」
それを聞いて母親は、一瞬本当に友紀の所に泊まりに行くのかと思った。菜摘は普段そんなにお金を持たないので、纏まった出費が必要な時は通帳から下ろす必要があるか、親からもらうか、だからだ。
母親は手早く鍋を置いて手を拭くと、手提げから財布を取り出して菜摘に5千円渡した。
「え?」
「はい、軍資金。大切に使って楽しんできなさい。でも、無茶はしちゃだめよ。後先考えないその時だけなんて言うのはダメだからね」
母親は暗に、セックスをするならきっちりと避妊をするように、と言ったつもりだった。お金を大切に両手で受け取った菜摘にはどうやら伝わったようだ。真面目な顔をして頷いている。
「はい、ありがとう。きちんと使うね」
「よろしい」
喜びを堪えきれないという表情で居間に戻っていく菜摘の後ろから母親は切り札を投げつけた。
「私から友紀ちゃんの所にご挨拶の電話をした方が良い?」
すかさず菜摘が返してきた。何度もシミュレートしたから直ぐに答える。
「うん、お母さんに電話が入ると思う。どこかに出かけるかも知れないから、何時になるかわかんないし」
その返事を聞いて母親は彼氏と出かけるのだと確信した。しかし、あの子なら大丈夫だと思うことにする。
「土曜日の夜は夜勤だから電話もらってもいないかも知れないわよ。そう伝えといて。だから、お世話になってありがとうございます、って」
そう言うと母親は『まぁ仕方ないか、誰だって経験することなんだし』と思った。しっかりとした相手であることを願うのみ、と言うか、自分が育てた子を信じるしか無いことに、やはり不安は募った。
夕食が終わり、食器を片付けると菜摘は勉強する振りをして直ぐに部屋に篭もった。もちろん晃一にメールするためだ。あっと言う間にメールを書き終えて晃一に送る。
友紀には明日言うことになっているので後はじっと待つしか無い。じっとしていると不安になりそうなので仕方なく本当に勉強を始めることにした。
ただ、勉強していても心ここにあらずだ。仕方ないので数学の公式を覚えることにする。数式を展開し、またまとめるのを何度も繰り返す。すると、1時間くらいで晃一からメールが来た。一瞬でメールを開いて読み始めた。
『菜摘ちゃん、土曜日は12時30分には駅前からタクシーに乗ること。そして羽田空港に来てね。羽田空港はとても大きいけど、待ち合わせにはわかりやすいから。『第一旅客ターミナルの出発ロビー7番出入り口の前』で待ってるよ。間違えないでね。タクシーが羽田空港に入ったと思ったら電話を頂戴。大丈夫。必ず会えるから。心から楽しみに待ってるよ。 晃一』
嬉しい、と言えば間違いなく嬉しいのだが、一番気になっている行き先が書いてなかった。慌ててメールで聞こうとしたが、『行き先を書いてないって事は、秘密にしたいって事かな?それなら聞かない方が楽しいかな?』と思って聞くのを止めた。晃一がそれを望むのなら、菜摘も受け入れるつもりだった。
ただ、気になるのは止めようが無い。もしかしたら聞けば、単に書き忘れていただけだと言って笑って教えてくれそうな気もするだけに、菜摘は聞こうか聞くまいか、ずっと悩み続けることになった。『こんなとき、友紀だったらさっさと聞いてすっきりしちゃうんだろうな・・・』と思ったが、菜摘は晃一が何か菜摘を驚かせたいとか秘密にしておきたい理由があってわざと行き先を教えてくれないのだと思うことにした。ただ、その分気持ちは重かったが。
それに、今まで菜摘は飛行機に乗ったことがなかった。飛行機に乗って旅行に行く、というのは知識としては知っていたが、まさか自分がそれをするとは思ったことすらなかった。飛行機に乗っていく、とはどこに行くのだろうか?まさか外国ではないだろう・・・・、いや、もしかしたら・・・・。菜摘は自分がパスポートを持っていないので出国できないことや晃一が国内線ターミナルを指定していることにすら気が付かなかったし、国内だとしても、九州?沖縄?北海道?と自分の想いを遠くに飛ばしてみた。しかし、そんな遠くのことは良く分からない。正直に言えば不安も大きいのだ。
それに、もしかしたら羽田空港だからと言って飛行機に乗るとは限らないかも知れない。そう思うと、漠然とした不安ばかりが広がっていった。
そして、そんな気持ちを引きずったまま二日間が過ぎていよいよ当日になった。昨晩は緊張してゆっくり眠れなかった菜摘は、かなり早めに起きると荷物の支度を終えた。できれば駅のコインロッカーに荷物を預けるところを見られたくないので二つ向こうの駅に預けるつもりだった。だからわざといつもより30分以上早めに家を出たし、コインロッカーに荷物を入れて学校に着いた時間は普段通りだった。途中で誰かに声を掛けられないかドキドキしたが、幸い誰も気が付いていないようだった。
正直、菜摘は授業が上の空だった。予習をして於いたから良かったものの、予習をしなかったら欠席したのと同じくらい、まるで授業に身が入らなかった。そして、1分1分が過ぎていくのが楽しみでもあり、また緊張が高まっていくのだった。
休み時間に友紀にアリバイの念を押しに行った。菜摘がニュゥッと顔を教室に突っ込むと、直ぐに友紀が気付いて教室の外に出てきた。ただ、笑顔ではない。
「ちょっと・・・」
と言って友紀は菜摘を階段の下に連れ出した。ここなら二人だけで話ができる。
「分かってるわ。アリバイでしょ?兄貴に話を付けてあるから。大丈夫。8時に菜摘の家に電話してくれるから」
友紀は事務的にそう告げた。しかし、どう見ても元気がない。
「あのね、お母さんは今日、夜勤だから、もし電話しても出なかったらそれで良いからって」
「分かった。兄貴に言っとく」
「うん、ありがと。でも、どうしたの?」
「なにが?」
「だって、元気ないじゃないの。私のアリバイ作りを手伝わせられるんだから、面白くないのは分かるけど、でもなんか変」
菜摘がそう言うと、友紀は思わずため息をついた。
「はぁ・・・・・・・・・やっぱりそうか」
「やっぱりって何が?」
「ううん、菜摘には分かっちゃうんだね、ってこと」
「何がよ?」
「何でもない。ただ、今はそっとしておいて。それに話したくない。やらなきゃいけないことはちゃんとやるから心配しないで」
友紀の元気のない言い方に菜摘は戸惑った。もちろん友紀のことだから頼んだことは絶対にきちんとやってくれる、それに不安はなかった。ただ、当の友紀本人が元気をなくしていると言うのは頼み事をしている方としてはどうしても不安が残る。なんか、自分だけ楽しむのが申し訳ないようだ。
「でも・・・・友紀・・・・・」
菜摘が心配そうに覗き込んでくる様子を見て、友紀は正直に言えば少しだけ嬉しかった。ただ、同時に今は菜摘に話したくなかったし、触れて欲しくもなかった。有り体に言えば、放っておいて欲しい、鬱陶しいのだ。だから友紀は何も言わずに立ち去ろうとした。
「待ってよ、友紀」
慌てて菜摘が呼び止めた。仕方なく友紀も振り返る。
「こっちが心配してるのにその態度は何よ」
その言い方が友紀の勘に障った。思わず振り返った顔には怒りが浮かんでいる。
「なんですって?」
「だってそうでしょう?私、心配してるのよ?」
「だからなんだって言うのよ。私が心配してくれって頼んだ?」
「そんな言い方するの?それなら心配になるような顔を見せないでちゃんといつも通りにしてれば良いじゃないの」
「してるわよ。あんただけよ、そんなこと言うの」
「私だけ?」
菜摘は『えっ?』と思った。『私だけ?こんな友紀の顔を不思議に思うのは・・・??』菜摘がひるんだところに友紀が畳み掛けるように言葉を浴びせてきた。
「そうよ、あんただけよ。他の子には何も言われてないし、普通に話してるわよ。あんただけよ、こんなに詮索してくるのは。何でもおかしいと思ったら直ぐに詮索するわけ?そうされて楽しいとでも思ってるの?他の子はみんな大人なのに」
友紀は自分の口から次々に菜摘を攻撃する言葉が出てくるのを止めようがなかった。本当はそんなことなど言いたくない。自分のことなど横に置いて菜摘を無事に旅行に送り出してあげたいのだ。だからこそ、友紀は素っ気ない態度でアリバイの手配は心配ないことだけ伝えて終わりにしたかった。
それなのに菜摘に突っ込まれて、思わずカッとなってしまった。人の気も知らないで親切に話しかけてくるのが今はどうにも我慢できなかった。ただそんな友紀の気持ちは菜摘には分からない。
「子供で悪かったわね」
菜摘はむすっとして睨み付けた。
「そうよ、さっさと旅行でも何でも行ってくれば良いのよ。楽しみにしてたんだから」
菜摘は『?』と思った。友紀の言い方が何か菜摘の想像と違う。ぶっきらぼうではあるが、まるで優しく旅行に送り出してくれようとしているみたいだ。しかし、次の瞬間、
「さっさと行けば良いじゃないの。でもね、覚えておきなさい。次はもうないわよ。次は私の番。あんたは私のアリバイに協力するの、良いわね?あ、あんたには長女だから上に誰もいないんだったわね。それじゃぁアリバイ作るの大変ね?でも、容赦はしないわよ。きちんと作ってもらうから。いいわね?その分、今回は私、きっちりと協力するから」
そう言うと友紀は、
「さあて、次のテストが楽しみだわぁー」
と言って教室に帰っていった。
後には菜摘がぽつんと残された。一体、何だったのだろう?あの友紀の様子はただ事ではない。きっと彼との間で何か問題が起きたに違いない。菜摘はタクシーに乗る時間を晃一に指定されているのは覚えていたので、4時間目が終わってから余り時間がないのは知っていたが、その前にもう一度でも友紀と話ができないかと思った。それくらい心配だった。