第149部



しかし、4時間目が終わってホームルームに入り、いらいらしながら待っている菜摘の気持ちをあざ笑うかのように終わるのが少し長引いてしまった。やっと終わったので慌てて友紀の所に飛んでいくと、友紀はちょうど6組の田中と下駄箱に向かって歩き始めたところだった。その様子からは特に不思議な感じはしない。周りの中に二人が自然に溶け込んでいるので、たぶんいつも最近はそうやって歩いているのだろう。
『なあんだ・・・普通の恋の悩みか』菜摘はそう思って気が抜けた。そのまま距離をあけて付いていくと、そのまま二人で下駄箱から校庭へと出て行く。菜摘は後を付ける風でもなかったが、晃一に言われた通りにしなくてはいけないので行く先はたぶん二人と同じ駅だ。そこで菜摘はそのまま距離を置いて二人の後を歩いて行った。
すると、二人は駅に着いてそのまま改札に入って行った。『ははぁん、友紀の家とは反対だから田中の家に行くんだ。ご飯も食べずに。仲良いじゃん』と想い、取り敢えず友紀のことを気にするのは止めることにした。そうなれば晃一との旅行だ。菜摘は慌ててタクシーに乗ると、まず荷物を置いてあるコインロッカーのある駅に行ってもらうことにした。
そして、駅前で待ってもらっている間に荷物を取り出し、そして羽田に向かってもらう。運転手は少し怪訝な顔をしたので、晃一にもらったお金を見せたら納得したようだった。
タクシーは順調に走り、運転手が少し心配していた湾岸線への入り口も順調に通り過ぎた。そしてタクシーが長いトンネルを抜けてからしばらく走った後に羽田空港へと入っていく時、菜摘は少しだけ良心の呵責を覚えた。『お母さん、ごめんね。心配掛けたくなかったの。きっと元気に帰ってくるからね』菜摘は母親が菜摘の心を見透かして許可を出してくれたことなど知らず、そう心の中でつぶやくと晃一に空港内に入ったことをメールした。そして羽田空港の第一旅客ターミナルに入って行くと、
「7番ドアなんです。ここは何番?2番、あっちが3番だからもっと先です。えーと、バスに隠れてて見えないなぁ、あ、あそこが5番だからその先だと思います」
とキョロキョロしながら7番ドアを見つけた。すると、その横に晃一が立っているのが見えた。一気に嬉しくなって胸が高まる。
高速代も含めて2万円少々のお金を払ってタクシーを降りると、晃一が運転手と荷物を下ろすのを手伝ってくれた。もっとも菜摘の荷物は通学に使っている鞄の他はボストンバッグ一個だけだが。
「お疲れ様。順調だった?」
「はい、とっても早かった」
「それじゃ、行こうか?」
「はい・・・」
菜摘は晃一がターミナルの中に入っていく後を着いていきながら、どうやら『本当に』飛行機に乗るらしいとわくわくした。晃一はずらっと並んでいるカウンターには行かず、その手前のロッピーみたいな機械の前でカードを取り出してなにやら始めた。
「確認か何かしてるの?」
「ん?あぁ、搭乗券を取り出してるんだ」
「飛行機に乗るの?あそこのカウンターには行かないの?」
菜摘はテレビで見るのと違うやり方に違和感を覚えた。こう言う時はカウンターに行って手続きをしてもらうものなのではないだろうか?
「行っても良いけど、こっちの方が簡単だからね。それに、二人とも荷物を預ける必要ないしね」
「そうなんだ・・・・・」
菜摘は何のことか良く分からなかったが、取り敢えず晃一に従うことにする。
「それじゃ、行こうか?さっさとセキュリティチェックを通っちゃおう」
晃一は菜摘をリードしてセキュリティチェックへと向かった。菜摘はセキュリティの入り口が近づいてくると、何も悪いことはしていないのに何となく不安になった。『もしかしたら、高校生は親の承諾を得ているかどうか確認されるかも知れない。そうしたらどうしよう?』そんな風に不安になる。そして、思わず手前で立ち止まってしまった。
「どうしたの?」
「パパ、私、お母さんに言ってないから・・・・」
「大丈夫だよ。安心して。あ、それとこれは菜摘ちゃんの搭乗券」
晃一は菜摘に一枚の紙切れを渡した。
「これが?搭乗券?」
渡されたものはぺらぺらの紙で、電車の特急券の方が高級に思える程安物の紙に印刷されていた。ただ、ちゃんと『東京(羽田)→千歳』と書いてある。
「そうだよ?」
「千歳って、北海道?」
「そうだね」
「私たち、北海道に行くの?」
「うん」
晃一はさらっと言ったが、菜摘は心底驚いた。第一、菜摘の知識では北海道とは2泊とか3泊で行くところであり、1泊で行くなど聞いたことがない。そんなに近かったのだろうか?
「これから行って、明日帰ってこれるの?」
「うん、天気も良いみたいだから心配ないよ」
「天気が?関係あるの?」
「そりゃ天気が悪いと飛行機は飛ばないからね。そうなったら行けたとしても帰って来れなくなっちゃうから」
「そうか・・・・・天気って大切なんだ」
「ま、そう言うわけだから、楽しんでこようね」
そう言うと晃一はセキュリティの前を通り過ぎて横へと回り込んだ。菜摘は『そう言うわけ』がなんなのかさっぱり分からなかったが、これで初めての飛行機と北海道が確定したわけだ。そう思うと気持ちが弾んできた。心の中では、友紀が連れて行ってもらった神戸よりは絶対良いのは明らかだし、グループにどう報告するかにも寄るが、みんなを驚かせることになりそうだと思った。しかし、言い方に気を付けないと、また報告する内容が増えてしまう。しかし、そんなことを差し引いても未知の世界への旅行は菜摘の心を強烈に引きつけた。
「こっちだよ」
そう言うと、セキュリティチェックの横というか裏というか、とにかく小さな入り口を入って行く。
「パパ、こっちじゃないの?」
菜摘は思わずそう言ってみんなが入って行く方を指さしたが、
「こっちで良いんだよ。おいで」
と晃一は中に入って行ってしまった。菜摘も仕方なく入って行く。
すると、狭いドアを通り抜けた中はテレビで見たことのある金属探知機が置いてあり、何人かが荷物を載せたりポケットの中を探ったりしていた。『これって、さっきのセキュリティチェックの別の入り口?』と思ったが、何となくだが係員が丁寧に応対しているし、第一係員の方が客よりも多いくらいでとても空いている。『この場所を知ってる人だけが使えるのかな?あそこに並んでた人たちはここを知らないんだ、たぶん・・・』菜摘はそう思ったが、それくらい人ごみとは無縁な感じだった。
しかし、それでもセキュリティチェックであることには変わりない。
「ポケットのものを全部と例に出してね」
晃一はそう言うと自分も同じ事をした。
菜摘もそれにならってポケットのものをトレイに出し、自分の荷物を機械に載せると、係員が丁寧に扱ってくれた。
そして、金属探知機というものを初めて通る。なんだか不思議な気がしたが、菜摘は髪飾りも付けないし、アクセサリーも身に付けていないので機械は何の反応もしなかった。そこを通り抜けると、やたらと広いところに出た。学校よりも3倍も広い廊下が延々と見渡す限り続いている感じだ。よく見ると、自分たちの出てきたところの横からぞろぞろと人が出てくるので、あそこがさっき見たたくさんの人がちが並んでいたセキュリティチェックの出口なのだろう。
「パパ、さっきの所、どうしてあんなに空いてたの?さっきいっぱい並んでた人、どこにもいなかったよ?」
「あぁ、あれは会員専用のセキュリティだからね」
「会員・・か・・・・」
『会員』というものに縁のない菜摘はなんだか晃一が不思議な人に思えてきた。
「さて、まだ少し時間があるからラウンジに行こうか?ゆっくりはできないけど」
「ラウンジって何?」
「待合室だよ」
「うん・・・・」
菜摘は何のことか分からないが、取り敢えず待合室に行くことにして晃一の後を着いていくと、直ぐに航空会社のロゴを掲示してあるドアの中へと入っていった。
菜摘は驚いた。何というか、重厚とでも言うのだろうか?とにかく普通の待合室ではない。第一、広いホテルみたいな受付がある。駅の待合室とは大違いだ。晃一はそこで搭乗券を見せている。受付の女性は丁寧に挨拶し、素晴らしい笑顔で中に進むように言ってくれた。
「パパ、ここって待合室?」
「そうだよ、会員制だけどね」
「パパ、さっきもだったけど、会員なの?」
「マイレージクラブのね。たくさん飛行機に乗る人は大切にしてくれるんだ。会員になるのにお金を払ってるわけじゃないよ」
「そうなんだ・・・・・」
度肝を抜かれた菜摘が晃一の後を着いてラウンジの中に入ると、待合室と言うよりは巨大な会議室、といった感じの大きな部屋に出た。待合室にあるイスと言えばプラスチックと相場が決まっているが、ここのイスは全て革張りのゆったりとした安楽イスだ。
「ここに荷物を置いて」
「はい・・・・」
「それじゃ、何か飲み物を取りに行こう」
晃一はそう言うと、荷物を置いて菜摘をドリンクバーへと連れて行った。
「無料だから好きなのを飲んで良いんだよ。あ、食べ物も少しはあるから」
晃一はそう言うと、生ビールサーバーからビールを入れている。
「ここにあるのは何でも無料なの?」
「そうだよ?どうして?」
「それじゃ、これも食べて良いの?」
菜摘はそう言うと、スープ春雨を指さした。
「もちろん。もしかして菜摘ちゃん、お昼、食べてないの?」
「時間がなくて・・・・・」
正直、本当に腹ぺこでお腹が痛いくらいだった。
「ごめんね、無理に急がせちゃったね。それならここで少し食べていくと良いよ。何回でもお替わりできるから」
晃一がそう言った時、既に菜摘はスープカップに並々と注ぎ始めていた。
「美味しい」
席に戻った菜摘は一口食べてそう言うと、黙々と食べ始めた。晃一はそれを横で見ながらビールを飲んでいたが、残念ながら菜摘は1回しかお替わりしなかった。2杯目を食べていた途中で晃一が、
「菜摘ちゃん、ごめんね、そろそろ行かなきゃいけないんだ」
と言ったからだ。菜摘は慌てて残りを速攻で食べ終わると口をまだもぐもぐさせながら晃一の後に続いた。
結局、ラウンジには20分もいなかった。たぶん、あれだけ飲み物だけでなく食べ物もあってゆったりとできるイスが揃っていれば1時間や2時間は簡単に過ごせるだろうと想いながら、菜摘はこれから行く初めての北海道に思いを馳せていた。
ゲートに着くと、ちょうど搭乗が始まっていた。たくさん人が並んでいたが、晃一は菜摘を連れてさっさとゲートへ進んでいく。菜摘は並ばないのが不思議だったが、また会員か何かなのだろうと思いながら晃一の後に付いていった。
すると、並んでいる人たちの隣のラインにチケットを通すと飛行機へと進んでいった。ボーディングブリッジに入る時、菜摘は初めて間近でこれから乗る飛行機を見た。それは菜摘の想像よりも遙かに大きく、まるで船のようだと思った。『これが・・飛ぶんだ・・・・』菜摘は不思議な感じがした。
飛行機に入ると、二人の席は一番前の方にあった。そして座席はさっきのラウンジにあったようなゆったりとした大きな座席だ。晃一は菜摘の荷物と自分の荷物をハットラックに入れると、
「ふぅ、間に合った」
とイスにどっかりと座り込んだ。実は晃一は先程、ラウンジに行こうかどうか少し迷ったのだ。ただ、菜摘の喉が渇いているかも知れないと思ったので寄っただけだった。しかし、菜摘が食事を始めたので少し慌てた。だから少し可愛そうだったが途中で切り上げてもらうことになったのだ。
「ねぇ、パパ、これから私、どうなるの?」
「このまま新千歳に行って、そこからがまた少し長いんだ。電車を乗り継いで、着いた駅で迎えの車に乗って、ホテルに着いたら7時なんだよ」
「そんなに遠いんだ・・・」
「ごめんね。ちょっと遠いなって思ったんだけど、大切な思い出になるって思ったから、できるだけ菜摘ちゃんの心に残る旅行にしたかったんだ」
「うん、残る残る。絶対。だって、飛行機も北海道も初めてだもの」
「良かった。本当はもっと近くにすれば、直ぐに菜摘ちゃんを膝の上に乗せられたんだけどね」
晃一はそう言って菜摘と二人だけでいる時間が減ったことを詫びたつもりだったが、
「ううん、絶対こっちの方が良い。パパ、ありがとう」
と菜摘はそっちの方にはまるで関心がないみたいに軽快に笑った。
「そうか・・・・」
晃一が少し複雑な表情をしたので、慌てて菜摘は何か気に障ったことをいったかもしれないと思って慌てて、
「ううん、一緒に居られるなら私、とってもうれしいから。だって二人だけだもの」
とフォローを入れた。しかし、晃一は少し微笑んだだけで『これが男と女の違いなんだよな』と思った。しかし、菜摘が喜んでいるならそれで良しとするべきだ。晃一も思い切って気持ちを切り替えると、
「それならいっぱい綺麗な景色を見てね」
と笑顔で言った。それで菜摘も安心したらしく、
「うん、すっごく楽しみ」
と可愛らしく微笑んだ。この菜摘の素晴らしい笑顔を見せられたら何も言えなくなってしまう。
やがて飛行機はゆっくりと動き始めた。窓際に座っている菜摘は、飛行機がバックするのを不思議に感じたが、考えてみればさっき見た飛行機の位置だと前に進めば建物にぶつかってしまう。晃一は菜摘が食い入るように窓の外を眺めている横顔を見ながら『綺麗だし、可愛いな。今までこんな風に横顔をじっくり見た事なんてなかったな』と思った。
飛行機が離陸する時はさすがに菜摘の顔は緊張感でいっぱいになり、大きい目がもっと大きくなったが、一度空に上がってしまえばあとは落ち着いたもので、あちこちシートのボタンに触ってみたりシートポケットから雑誌を取り出して眺めたりしていた。しばらくして飲み物がサービスされた時、菜摘はこっそりと晃一に聞いてきた。
「パパ、これ、グリーン席とか・・・・なんて言うの?」
「この席?これはファースクラスだよ」
「これが・・・・。そうなんだ。これがファーストクラス・・・なんだ。やっぱり豪華だものね」
「こんなときじゃないとファーストなんて乗ることないからね」
「パパはいつもファーストじゃないの?」
「いつもはビジネスか、エコノミーか、ま、そんなとこだね。エコノミーしかないフライトもあるからね」
「あの、それと・・・・・・・・」
「ん?」
「聞いて良いのかな・・・・・・あの・・・高かった?」
「安くはないけど・・・、エコノミーだと往復3万円。ファーストだと4万円ちょっと。後で後ろの席を覗いてごらん。どれくらい席が違うか分かるから」
「ってことは、お金をたくさん出す価値はあるって事ね?」
「もちろん。とにかく今回の旅は最初から最後まで往復も宿泊も菜摘ちゃんを最高にするのが目的だからね」
そう言って晃一はウィンクした。
『え?』菜摘は一瞬何のことか分からなかったが、『宿泊も菜摘ちゃんを最高にする』というフレーズに気が付くと顔を真っ赤にした。
「もう、そんな言い方。パパったらぁ」
「分かってくれて嬉しいよ。疲れたろ?イスを倒したら?」
「ううん、見てたいの。良いでしょ?」
「うん、いいよ。もちろん」
「でも・・・・ちょっとだけ不満なの」
「なにが?」
「だって、この席、パパと離れすぎててパパに寄りかかれないもの」
そう言って菜摘は二人の席の間の20センチ以上も幅があるセンターアームレストを叩いた。
「そうだね、それはもう少し我慢だね」
「はあぁい・・・・」
そんな会話を楽しんだ後、菜摘は外を見ながらいつの間にか少し眠ってしまった。その後、軽食が出される時に目を覚ました菜摘は、サンドウィッチをぱくぱくと食べ、晃一の分も平らげてしまった。
「どう?美味しい?」
「うん」
「今日は夕食が7時半だから、ちゃんと食べておかないとお腹減っちゃうからね」
「やっぱり北海道って遠いんだね」