第168部



友紀とのやりとりが終わって直ぐ、今度は美菜からメールが来た。菜摘にメアドを聞いたのだろう。内容は簡単な挨拶だけで、自己紹介と言うほどのものでも無かった。
その日、菜摘は意図的に友紀に遭うのを避けていた。なぜだかは分からないが今は会いたくないと感じるのだ。だから、友紀の方から会いに来た場合に備えて休憩時間は自発的に他のクラスに避難したりもした。どうしてこんなことをするのか自分でも分からないが、とにかく会いたくないのだ。
案の定、菜摘が3時間目の後、避難先のクラスから戻ると、クラスメートが友紀が探しに来たことを教えてくれた。普通は菜摘の方から友紀に会いに行くことがほとんどなので珍しいと思ったらしい。しかし菜摘はそれを聞いても友紀に会いに行こうとは思わなかった。
友紀が嫌いなのでは無い。なんというか、今友紀に会って話をしたくないのだ。本当なら友紀に会って話をして、晃一に相談する内容の打ち合わせくらいするべきなのかも知れないが、菜摘としては晃一に会うことを許したのだから、それ以上関わりたくない、という感じだった。
その友紀の方は、何度言っても菜摘がいないので、どうやら菜摘の方から避けているらしいと言うことがうすうす分かり始めていた。『それなら仕方ないか・・・・。自信ないんだけどなぁ・・・』そうは思ったが、菜摘から避けているのでは会いたくても会えないし、無理に会っても直ぐに逃げられてしまうだろう。
友紀は家に帰ると、明日の夜に会うまでに晃一に読んで貰おうと、心を込めて今の自分の気持ちを書き綴った。彼を好きになったこと、最初は上手くいっていたこと、だんだん気持ちがすれ違ってきたこと、長いメールだった。
ただ、友紀にとっては残念なことに、晃一がそのメールを読んだのは翌日だった。夜遅く帰ってきた晃一は友紀のメールを一目見て、時間をかけてちゃんと読んだ方が良いと思って翌日まで読まなかったのだ。しかし今日は友紀と会う日なのでもう後は無い。晃一は通勤の電車の中と会社のお昼休みを使って友紀のメールを何度か読んだ。友紀の気持ちを正直に表したメールで返事を送りたいと思った。
ただ、その日は接待が入っていた。幸いにも晃一が接待される方だったので短めに切り上げて貰うことにして友紀と会う時間を作ったのだが、この業者とは最近付き合いが深くなってきたので、本来ならもう一件くらい飲みに行くべきところだった。だから時間を作ることはできたが、菜摘たちに付き合えるのも良し悪しだと思った。
友紀は晃一に会うためにあちこちで時間をつぶし、やっと9時近くになった。お金があれば漫画喫茶で時間をつぶすのだが、このところ彼と遊びに行く時間を積極的に作っているのでお金が無かった。友紀はいつも彼と割り勘なので友紀にお金が無いと言うことは彼にも無いと言うことだ。友紀は彼にお金を使わせているのも最近遠ざけられている理由の一つだと思っていた。
晃一との待ち合わせはファミレスだったので、友紀は入り口でぶらぶらしながら待っていた。すると、時間よりも少しだけ早く晃一が現れた。
「友紀ちゃん」
「おじさま、こんばんは」
二人は中に入った。その時、友紀は晃一が禁煙席を希望したので少し意外だった。
「おじさま、禁煙で良いの?」
「うん、今日は友紀ちゃんの話を聞く方に集中したいからね。たばこはリラックスしたときに吸うから今は良いよ」
晃一はそう言って席に着くと、
「お腹、減ってるだろう?まず何か注文しようよ」
と言った。友紀は久しぶりの晃一に変わらない安心感のような雰囲気を感じてホッとすると同時に気持ちが楽になった。
「おじさまは?」
「今日は接待だったから軽く食べてきたんだ。だから友紀ちゃんとおつきあい程度には食べるけど、まずは友紀ちゃんが好きなものを頼んでね。何でも良いよ」
晃一がそう言ってくれたので、友紀は普段は食べないものを頼んでみることにした。たぶん、ファミレスでの支払い程度は晃一にとって大したことでは無いのかも知れないが、友紀にとっては多額の出費を伴う贅沢だ。
「サラダも頼んで良い?」
「もちろん。女の子はお肌に気をつけないとね」
「それと・・・デザートも良い?」
「うん。お好きなものをどうぞ」
そう言うと晃一は自分自身にサンドイッチとサラダと紅茶を頼んだ。そして友紀の方に向かうとゆっくりと話し始めた。
「メール、読ませて貰ったよ」
「はい」
「今でもまだ心配?」
友紀はこっくりと頷いた。
「今週は彼と会った?」
「学校の行き帰りには・・・・・・・。駅で待ち合わせて学校まではいつも一緒なの。それと帰りも駅まで・・・」
「何か話した?」
「簡単なことは・・・・・でも、学校の行き帰りって二人っきりって雰囲気じゃないし、彼もあんまり話したがらないの」
友紀の『彼』という言い方に、改めて友紀は遠くに行ってしまったと感じた。
「話したがらないのは最初から?」
「ううん、最初はそんなこと無かったの。でも、どっちかって言うともともと大人しい感じかな?」
「最初はどんな雰囲気だったの?」
「普通だと思う。告られて、ちょっと待って貰ったけどOKしてからは仲良くなったし・・・」
友紀は正直に言えば、最初に幸せだった頃のことを晃一に話したくなかった。だからこそ最初に長いメールを打ったのだ。それを晃一に言うと言うことは、晃一から離れて良かったと言うことを宣言するに等しい。さすがに本人を目の前にしてそんなことは言いたくなかった。
しかし、聞かれれば答えるしか無い。友紀は覚悟を決めた。
「ごめんなさい。こんなこと、おじさまに言える義理じゃ無いのはよく分かってるの」
「え?なんのこと?」
「だって、おじさまから離れて直ぐだったもの。ごめんなさい。辛かったでしょう?」
「あ、そうか。でも、気にしてないよ。今は菜摘ちゃんがいてくれるから」
そう言われると今度は友紀の方が複雑な感じになる。
「それなら良いけど・・・・。あのね、私がおじさまから離れたのは、おじさまが菜摘を好きだって言うのが分かったし、菜摘だってずっとおじさまのことを思っていたからなの。本当はもっと前から分かっていたんだ。でも、私がおじさまを好きだったから・・・・。ごめんなさい」
友紀はもう一度頭を下げて謝った。
「だから良いって。そんなことより、今は友紀ちゃんのことだろ?」
そう言ってくれる晃一の気持ちが嬉しくて、友紀は心を決めた。
「うん」
「だから、最初はどうだったの?熱々って感じ?」
「うーん、そうでも無かったかな?」
「普通の恋人?」
「普通って言うか・・・・・元々そんなにべたべたしないし・・・。でも、話したりするのは楽しかった。毎日駅から学校まで一緒だけど、いっぱい話したもん」
「それは今でも?」
「そう・・・・だけど、もうあんまり話さないな」
「一通り自分のことを話してしまうと話すのが少なくなるのは当然だけど、それだけじゃ無いんだね?」
「うん、話が減ったのもそうだけど、なんか遠ざけられてるみたいな気がする・・・かな?」
「それで友紀ちゃんは嫌われたんじゃ無いかと思ったんだよね?」
「そう、だってそうでしょ?」
「それは分からないよ。彼には彼の付き合うスタイルって言うのがあって、それが物静かに一緒にいるだけなのかも知れないだろ?」
「そんなこと・・・・・・・」
友紀はそう言ったが、もしかしたらそうなのかもとは思った。
「冷たいわけじゃ無いんだよね?」
「うん、意地悪されたり冷たくされたりって言うのとは違う」
「なんか気持ちがすれ違ってる見たいって言ってたけど・・・」
「そう、考えてることが違うみたいな気がするの」
「ふぅん、きっとそうなんだね」
「え?」
「友紀ちゃんがそう感じるなら、それが真実、だよ」
「どういうこと?」
「好きな人のことは言葉だけじゃ無くて全身で感じるものなんだ。だから話し方とか、話しかけてから答えてくれるまでのタイミングとか、そんなもの全部で印象が決まるんだけど、友紀ちゃんがそう感じるってことは、彼の方はそうしてるってことだよ。彼は友紀ちゃんと違うことを考えてる。間違いない。それが何かは分からないけど」
「そう・・・・なの・・・・・・」
友紀は晃一に指摘されて悲しくなった。そう言われてしまうとなんと言って良いのか分からない。もっと自分を見て欲しいのに、見てくれないと言うことなのだから。
「ま、まず食べようよ。お腹が減ってると悲しいことばっかり考えちゃうよ」
ちょうど注文したものが来たので晃一は友紀に食事を勧めた。
「今日は家に帰って食べなくて良いの?」
「うん、断ってきたから。私、信用あるもん」
「そうか、それじゃ、足りなかったらもっと食べて良いよ」
「ありがとう」
友紀は晃一の前ではあったが、かなりハイペースでどんどん平らげていった。今まで我慢していたからお腹がぺこぺこだったというのもあるし、やけ食い的な要素があったのも確かだ。それに、晃一と一緒だと緊張しない。もしかしたら、心のどこかにまだ甘えられるという気持ちがあるのかも知れない。
「ねぇ友紀ちゃん、信用あるってどういうこと?」
「え?あぁ、ちょっとくらい夜、出歩いても親は何も言わないってこと」
「気にしないって事じゃ無くて?」
「違う、結構厳しいよ。でも、ちゃんと成績キープしてるから」
「そうか、友紀ちゃんは勉強できるんだったね」
「できるってほどじゃ無いけど・・・・・・。でも、菜摘よりは上よ」
友紀はなるべく自慢にならないように言ったつもりだった。
「そうだよね。それは前に聞いたっけね」
「でもね、この前、菜摘は成績上がったのに、私はかなり下がっちゃったの」
「そうか、菜摘ちゃん、一生懸命勉強したみたいだね」
「もう、今日は私のこと聞いてよ。菜摘じゃ無くて。今おじさまの目の前にいるのは私よ」
「ごめんごめん」
「私のおかげでおじさまは菜摘と旅行に行けたんだからね」
「あぁ、友紀ちゃんとの差が縮まったらアリバイを頼めるって言ってた、あれだね?」
「知ってたんだ。そう、そうなの。私、菜摘のためにがんばったんだからね」
「偉いね。友紀ちゃんらしいや」
それを聞いて友紀は心が温かくなった。もし、『ありがとう』と言われたとしたら、友紀はきっと悲しい気持ちになっただろう。それは晃一が友紀の厚意を受ける側だと宣言することに等しいからだ。しかし、友紀の気持ちを慮って褒めてくれたことで気持ちがスッと楽になった。
「ありがとう。おじさまにそう言ってもらえて気持ちが楽になった」
「友紀ちゃんはいつも菜摘ちゃんや友達のことを大切に考えるんだね」
「もちろん。でも普通でしょ?」
「そうかなぁ?友紀ちゃんは偉いと思うけどなぁ」
「おじさま、ありがとう」
晃一は、こうやって素直に感謝の言葉を言えるのが友紀の良いところだと思った。食事の間、晃一は話題を菜摘と友紀の間のことに限定した。相談事を話しながら食事をすれば食欲が無くなってしまいそうだ。ファミレスとは言え、できれば食事は楽しみたい。相談事がシリアスであればあるほどそう思うのだ。
「ねぇ、友紀ちゃんは菜摘ちゃんのこと、どんな子だと思ってるの?良かったら聞かせてくれない?二人は仲が良い理由が分かるかも知れないなって思ったから聞くんだけど」
「そうねぇ、たぶん、おじさまが思ってるのとあんまり変わらないと思うけど、良い子よ」
「うん、それで?」
「それでって言われるとねぇ・・・・、グループの中では一番まじめかな?良い意味でも悪い意味でも」
「悪い意味で真面目ってどういうこと?」
「うーん、何て言うか、融通が利かないとこ、あるから」
「それはそうかも知れないね」
「そうよ。だから友達思い出しみんなに優しいのに時々グループで苦労してるもん」
「そうか、それは俺にも分かるよ」
「でしょ?おじさまだって、菜摘がもっと融通が聞いたら、もっと早く元に戻ってたのに。テストの成績がどうこうなんて言うから・・・・」
「そうか・・・・・・だよね・・・・・」
そこまで言って友紀は言葉に詰まった。これ以上このことを言えば、菜摘に晃一とのことを覗かれてぶったことまで言わなくてはいけなくなる。慌てて友紀は話題を変えた。
「それにね、菜摘は本当は結構リーダーっぽいとこ、あるんだよ。でも、生真面目って言うか、思い込むと突っ走るって言うか、ちょっと着いて行けないとこ、あるから。でも、その分信用もあるけどね」
「かなり褒めるんだね」
「それはそうよ。菜摘だもん」
「菜摘ちゃんと友達でいると楽しい?」
「楽しいって言うか・・・・・うん、楽しいかな・・・やっぱり・・・」
「きっと菜摘ちゃんも同じで楽しいって思ってるみたいだよ」
「そう?」
「菜摘ちゃんが一番に気にする友達っていったら友紀ちゃんだものね」
「でも、親友って訳じゃ無いのよ。ちょっと仲が良い友達って感じ」
「それで十分なんじゃ無いの?仲の良い友達って大切だから」
「そうね」
友紀は素知らぬ顔でそう言ったが、言葉にして貰うと嬉しいものだ。そして、この何気ない会話から、友紀は自分の頭の中でモヤモヤしていたことが何となく分かってきたような気がした。菜摘との間には確かに絆のようなものがあるのに、彼との間にはそれが無い。絆を感じられない。本当なら友達よりももっと強い絆を感じるはずなのに。
そして、友紀がデザートを食べ終わってコーヒーを飲んでいるとき、晃一は再び話を始めた。
「それで友紀ちゃん、さっきの相談の続きなんだけど」
「うん、なんかさっきの会話で少し分かってきたような気がするの」
「相談のことが?」
「そう・・・・・・。あのね・・・、おじさまだから言うね」
「うん」
「彼としちゃったの。それでも、なんていうか気持ちが通じてるって感じがしないの。おかしいでしょ?」
「え?どうして?」
「だって・・・・・したのに・・・・・・」
そのロジックに晃一は違和感を覚えた。友紀が当然のごとく言うと言うことは、きっと女の子の間では当たり前の理屈なのだろう。
「友紀ちゃんだから、ずばっと聞くけど、彼としたって事は、心が通じてるって事なの?」
「それは・・そうよ・・・・」
「それじゃ、したときは心が通じていたんだね?」
「もちろん・・・・・・」
そう言った友紀の様子からは、とても肯定しているとは思えなかった。
「良かったら、その辺からもう少し詳しく聞かせてもらえる?」
「でも、こんなとこで・・・・」
友紀は戸惑った。ファミレスなので喫茶店などよりもずっとテーブルが大きいから、向かい合って話をするときは小声で話すのが難しい。
「こっちにおいでよ」
晃一も気がついたらしく、友紀を隣の席に誘った。一瞬考えた友紀だったが、相手が晃一なので隣に移った。
「ねぇ、気持ちが通じたって思ったんだよね?」
「う・・・ん・・・・」
「その時は楽しかった?」
「うん」
「どんなこと話したの?」
「学校のこととか、かな・・・。それに、私のことも話してくれた」
「友紀ちゃんのこと?」
「私にどうして告ったのか、とか」
「話してくれた?」
「前から気になってはいたんだって。でも、気持ちが落ち込んだりしたから告るまで時間がかかったって。でも、その間もずっと見てたって」
「それは友紀ちゃんにとっては嬉しいよね。その上に告られてるんだから」
「そうでしょ?それに、告られてからOKするまでにもちょっと時間かかったから」