第196部

だから菜摘は土曜日、学校が終わるとまっすぐに家に帰った。本当は『お昼くらい、パパと食べても良いかな?』と思ったのだが離れたくなくてずるずると時間を無駄にするのが怖かった。それに、時間を無駄にすれば、同時に気持ちも引きずってしまいそうだ。だから晃一に褒められる自分を想像して我慢した。
菜摘は、自分でもこんなにも晃一に会いたいのに、今のところ我慢できている自分が不思議だったし、偉いと思っていた。それに最近は友紀や美菜が晃一の周りに出没しているし、たぶんどちらも晃一に抱かれるだろうと分かっていた。それでも自分の気持ちが揺るがないのだ。それは、友紀にしても美菜にしても、どちらも結局は菜摘がOKを出していること、あくまで晃一は菜摘の頼みを聞く立場でいてくれることが大きいのだが、一番は北海道に旅行に行った時に全てを愛し合ったという揺るぎない実感を得られたことだった。ほんの短い間だったが、菜摘は晃一の気持ちが本物だと確信できたのだ。
しかし、友紀と美菜のことが心配な気持ちは変わらない。二人とも友達だから確率的には低いことが分かってはいても、『もし美菜がパパを好きになってパパも本気で美菜のことを好きになったら?』とか『もし友紀が本気でパパを好きになったら?』、更に『もし美菜がパパの膝の上に乗って「こうやって会ってるって事は菜摘はもうおじさまを諦めかけてるって事でしょ?」なんて言ったらどうしよう?美菜が本気になって落とせなかったことは無いんだから・・・。釣り師・・・』などと考えてしまう。晃一を信用していないのか?と問われれば答えに困ってしまうのだが、それなら自分に相談などせずに晃一の方から美菜や友紀を最初から明確に拒絶してくれればと思ったりもする。そうすればこんな心配などせずに済むのだ。
自分に負い目があるだけに美菜や友紀に強くでれないのが恨めしかった。だから帰ってきてから寝る前にそっと晃一との旅行を思い出しながら軽く一人上手をするのが日課になっていた。
その日、晃一は宛ても無く出かけていた。会社や菜摘たちの高校のある街をを通り越した向こう側の街の駅ビルに行った。ここは前に菜摘とハンバーガーを食べたところだ。そしてあの時と同じご当地バーガーの店に入って同じものを頼んだ。あの時の味が口の中に広がるとちょっと切ない感じがするが、同時に今菜摘に会いたいという気持ちも確認できる。
「あ、おじさま?」
ふと記憶にある声がしたのでハンバーガーにかぶりつきながら振り向くと麗華とその友達が立っていた。
「麗華、おじさまって・・・・もしかして?????」
連れの子が麗華に聞いた。
「そうだよ」
麗華が答えると、二人の女の子が小さな声でキャーと言って飛び上がった。そして麗華に小声で何事か立て続けに質問している。
「はいはい、偶然おじさまに会ったんだ。奢って貰おうかね?おじさま、良い?」
あけすけな麗華のおねだりに晃一は苦笑した。まだ挨拶もしていないのだ。
「うん、良いよ。注文しておいで」
そう言って晃一は五千円札を渡すと、麗華が優雅な動きでさっと受け取って直ぐにレジに行った。そしてワイワイ言いながらあれもこれもと注文しているようだ。さすがに食べ盛りだ。
そして注文が終わると晃一は一気に3人の女子高生に囲まれた。
「おじさま、紹介するね。これはみずえ、こっちがのん」
「こんにちは」
「こんにちは」
「おじさま、どうしたんだい?こんなところでさ」
挨拶が終わると麗華が口火を切ってきた。まぁ、食事の暇つぶしには良いだろうと思って晃一も付き合うことにする。
「いや、別にすることが無いから、ここのバーガーが美味しかったなって思って来てみただけだよ。・・・、ま、とにかく座れば?」
3人は晃一のテーブルに座った。
「それってナツと来た?それとも友紀と?」
麗華の質問は遠慮が無い。
「・・・菜摘ちゃんと・・・・」
うわぁっと再び声が上がる。
「それで今はナツが会ってくれないからここって訳か・・・・ロマンチストだね。思い出の場所で一人ランチなんてさ」
「麗華ちゃん、そんな言い方しなくたって・・・・。何か、寂しくなってお昼からビールでも飲みたくなっちゃうじゃ無いか。それに、麗華ちゃんたちがいればどう見ても一人ランチじゃ無いだろ?」
「おや、私達が居なくなった方が良い?他の席に行こうか?」
「勘弁してよ。それじゃランチ代、なんのために出したんだよ」
「ほら、私達に横にいて欲しいって事は、寂しいって事だろ?良いよ、少しだけ付き合ってあげる。ランチ分だけね」
麗華はちゃっかり自分たちが奢られているのでは無く、付き合ってあげているのだと明言した。
「それじゃ、頼んだものが来て、それを食べたらお終いって事かな?」
「誰がそんなこと言いました?この後、デザートだって頼むかも知れないよ?だってまだお金はあるんだし。な、そうだろ?」
麗華が同意を求めると、女の子二人はうんうんとしっかり麗華を応援している。
「そんなに食べられないだろうに・・・・・」
晃一がそう言うと、麗華はニヤッと笑った。
「ほう、それって言うのは食べ盛りの女の子に対する挑戦と受け取った。そうだよな?」
麗華は連れの子に同意を求めてから、
「おじさま、それじゃ、全部食べられれば何をどれだけ食べても良いって事?」
麗華は強引に話をねじ曲げて食べ放題状態を作ろうとした。晃一も気がついたがそのままにした。
「それは・・・・まぁ・・・・そう・・・・・」
3人は大喜びだった。
「でもさ、女の子だからダイエットとか気をつけてるんだろ?良いの?」
晃一がおもしろ半分でからかうように言うと、
「はい、この中で今から3時までの間ダイエットしてる奴は手を上げな。・・・・・ゼロだね。そう言うこと。おじさま、覚悟は良い?」
「いいけどさ・・・・・まぁ・・・・・」
晃一は不思議な流れにちょっと戸惑っていたが、麗華のおかげで時間つぶしは間違いなくできそうだと思った。
「それじゃ、追加のお金、もらっても良い?」
「へ?足りないの?」
「そうだね、たぶん。な?」
麗華がニヤッと笑って同意を求めるとのんもみずえも力強く頷いた。
「はいはい。それじゃ、食べられるだけどうぞ。但し、余った分は返してね」
そう言って晃一は一万円を渡した。もちろん女の子は大騒ぎだ。高校生が昼食に一万円を使うことなど絶対にあり得ない。第一、使おうと思ってランチで一度に使い切れる額じゃ無い。
3人は早速作戦会議を開いた。その間にバーガーができあがったが、3人は直ぐにかぶりつきながら話を続けている。まるでバーガーは作戦会議用のつなぎの昼食みたいだ。
横で話を聞いていると、どうやら麗華たちは『値段の高いもの』をわざと選んでいるようだ。
「ねぇ、なんか聞いてると美味しいものを頼む方が良いんじゃ無いの?なんか、高いものを頼んでいるみたいだけどさ」
「おじさま、何を頼むかは私達の自由だろ?」
「それはそうだけど・・・・・・」
「ま、見ててちょうだい。私達が本気になるとどうなるか」
そう言うと麗華は再び3人での作戦会議に没頭した。『ねぇ、これって高すぎるよね』『良いさ、値段は今関係ないんだから』『でもこれってコスパ悪くない?』『だから何度も言わせるなよ』『それじゃ、思い切ってさ・・・・』『本気か?それ、食べきれる?』『残したら負けだぞ』『それって単に量が多いだけじゃん』『でもトッピングでさ・・・・』『炭水化物はお腹が膨れるから後回しにしてさ・・・・』『頼む順としては、まず時間のかかるこれ、それからこっちを頼んで・・・』
女の子たちは真剣だ。そして話の間に何度か席を立ってフードコートの店の値段を確認している。どうやら他の店のメニューにも手を伸ばすらしい。晃一はクレームを付けようかと思ったが、止めにした。もし付けたところで麗華に言い負かされるのがオチだ。
作戦会議は結構長かった。そして話がまとまったらしい。
「よし、思い切りやってみよう。これはアタシらのプライドの問題だ。頑張ってるアタシらへのご褒美だと思って楽しもう」
麗華がそう言うと、3人はそれぞれが注文に向かった。まるで運動会みたいな雰囲気だった。そして注文するとのんと呼ばれた子が順にお金を払っていく。
麗華は席に戻ってくると、
「さぁ、いよいよショーの始まり。しっかり見ておいて欲しいな」
と晃一に自信満々で宣言した。高校生とは言え、麗華ほどの美人がニヤッと笑うとすごい迫力だ。
やがて一つの店からのんがお好み焼きの店のトレイを持ってきた。見ると全部焼き物で、それも違ったものが並んでいる。それを3人とも同時に手を伸ばして、あっという間に平らげてしまった。
「ほい、2320円クリア」
麗華がこともなげに言った。
「ええっ、今のが2300円なの?」
「そうだよ。イベリコ豚焼きに牛焼き、それと牛タン焼き。滅多に焼きものなんて食べないからね。ほら、もう次が来た」
今度はラーメンが二つだ。ただトッピングが凄くて麺がほとんど見えない。
「そら来た。全部入りデラックスラーメンも泣いて身を引くみずえ特製豚骨ラーメントッピングの限界大盛り、かっこ大盛りは麺じゃ無いよ、できあがりぃっ」
「はい、これで分けてね」
みずえが取り皿を渡すと、さっさと3人で一つを分け、それを5分もしないうちに食べてから次のを分けた。
「もしかして、できあがるタイミングを計って注文したの?」
「当たり前。それって基本だよな?」
「そうそう。できたてを食べたいもの」
「だから順番決めるの、大変だったんだものね」
「おじさま、おかげで夢のラーメン、ごちそうになってます。麺よりトッピングの方が高いなんて高校生にはあり得ないから」
「でも、ちゃんと麺と一緒に食べてますよ。分けると麺は少しだけど。トッピングが凄すぎて・・」
「おやおや・・・・・・・」
「これで2680円クリア」
「えぇ?フードコートのラーメン二つで?」
「そう、トッピングだけでそれぞれ700円くらいあるからね」
「ふぇぇ・・・・・・」
既に最初のバーガーを入れると5000円は超えている。たった3人でフードコートで5000円も食べられるというのはちょっとした驚きだった。
「そろそろみんなお腹がいっぱいになってきたんじゃ無いの?」
「まだまだいけるよ。次もほら、来たよ」
「はい、おまちどぉ」
のんが持ってきたのはカレーだった。ただ、ご飯では無くナンが付いている。
「カシミールカレーとコルマカレーね」
「ねぇ、どうして3人なのに二つずつ注文してるの?」
「そうすれば必ず分けて食べることになるでしょ?そうすれば素早く片付くから次を頼みやすいの」
みずえが楽しそうに言った。
「そう言うことか・・・・・。で、これにはトッピングは乗ってないの?」
「これは、揚げ卵とナンくらいかな、ここはトッピングが少ないから・・・・」
「それじゃ、これは安いんだね」
「そう、二つで1850円」
3人はワイワイ言いながら、あっという間にカレーも平らげてしまった。
「よし、それじゃ、デザート行くか」
「まだ食べるんだ・・・・・凄いね・・・・」
「こんなチャンス、滅多に無いから。握ったチャンスは逃さない主義だし」
「そうそう、でも、デザートは一人一つだよ。シェアするのもあるけど」
「やっぱりデザートはじっくり楽しみたいものね」
そう言っている間にデザートができたようだ。どうやら、取りに行くたびに次を注文しているらしく、とてもタイミング良く次が出てくる。
デザートはチョコレートパフェ、バナナスプリット、抹茶白玉フルーツに大判焼きが10個ほど付いてきた。
「へぇぇ・・・・・・」
「どう?おじさま、私達の実力は?」
「恐れ入りました」
「全部でいくらになったと思う?」
「教えて欲しいね」
「最初のバーガーが3つで1820円で、次が2320円、2680円に1850円。そしてこれが全部で2780円だから・・・・・みずえ?」
「うん、11450円」
「と言うわけでめでたく1万円超えって訳」
「はい、これがおつりです」
みずえが晃一におつりを渡した。
「すごい・・・食べ盛りの女の子って、やっぱり凄いんだ。参りました」
「さぁさ、デザートタイムは女子会。おじさま、ごちそうさま。ほら、ちゃんとお礼を言いな」
「ごちそうさまでした」
そう言うと晃一を残して3人は別の席に移った。もう晃一に用は無いと言うことだろう。もっとも、これ以上たかられても困るので晃一は早々に席を立った。なんか見ていただけの晃一の方がお腹いっぱいになったみたいだった。
フードコートを出た晃一は、しばらくあちこちを歩き回った。そして、仕事に使う靴を買わなくてはいけないことに気がつき、メンズのシューズショップに寄った。メンズシューズはよく似たデザインになりがちなので晃一のように時々宴席に出なくてはいけない場合、下駄箱に入っているのは似たような靴ばかりで自分の靴がなかなか見つからないことがある。このため、見つけやすいことと履き心地が良いこと、そしてデザインが良いことが条件だった。
晃一が何足か試してみてやっと見つけて買った後、帰ろうとエスカレーターで下りていくと麗華が一人で歩いていた。直ぐに晃一を見つけて走ってくる。
「あ、麗華ちゃん、友達は?」
「今別れたところ。一人は図書館でもう一人は友達の所」
「お腹いっぱいで歩くのも大変だろ?」
「まぁね、でも少しすれば直ぐにお腹減るから」
「麗華ちゃんは明日の準備とかしなくて良いの?テストなんでしょ?」
「あぁ、あれか。申し込んだ人だけだから」
「麗華ちゃんは申し込まなかったの?」
「うん、全員じゃ無いんだ。どっちかって言うと国公立系かな?」
「麗華ちゃんは私立?」
「そうね、このまま行くと私立文系だろうね。家から出してもらえそうにないし」
「あぁ、東大かお茶の水か外大辺りにでも行かないとこの辺りの女の子は国立って言っても無いんだったね。だから家から通うとなると私立の確立が高いって事か」
「そう言うこと。土曜日に学校があるのは午後にこうやって遊ぶときでも家から出る口実が要らない分便利な面もあるけど、日曜日まで学校だとね・・・・。私にはちょっときついんだ」
「そうだよね、リーダーだといろんな事に気を遣うだろうしね」
「もちろん。でも、がんばってるし」
「そうか、それなら良いけど、それで麗華ちゃんはどうなったの?彼とは?」
「私のこと、上手くいってるか心配してくれてるのかな?」
「それはそうさ、ちょっとどこか散歩してからお茶でもする?」
「ちょっとだけね。私も後でデートだから」
「デート前にあんなに食べたの?」
「おじさま、私にけんか売りたい訳?」
「滅相も無い。失言撤回」
「よろしい」
「それじゃ、ちょっと歩こうか?食後の散歩って事で」
「そうね、少しくらい歩くのも良いかもね」
二人は駅ビルを出ると、駅の近くの商店街を通り抜け、少し静かなところに出た。ちょうど小さな公園がある。二人は何となくその3角形の公園に入った。
「おじさま、本当に私のこと心配してくれてた?」
「上手くいってる?」
「おかげさまで。・・・・・・だいぶ賢くなった気がするの」
「賢く?」
「おじさまのおかげで相手のことも考えられるようになったから」
「うん、えらい」
「それに、近づきすぎないようにするのも大切だって、最近分かったの」
「そうか」
「結局、どんなに好きだって全部なんて理解できないもの」
「そうだね、さすが麗華ちゃんだ。でも、そう言うって事は、抑えるところはしっかり抑えてるわけだ」
「当然。彼の好きにはさせないけど、不自由もさせてないから」
さすがに麗華は前回のことが堪えたらしく、だいぶ前よりも相手のことをよく観察しているようだ。