第222部

菜摘はなんとなく自分の情報が間違っていたことを責められているのかも知れないと思った。菜摘が告白されるという情報は菜摘が晃一と離れていた間に知ったことなのだ。
「友紀、ごめん。私が最初に・・・・」
「ううん、菜摘は何にも悪くない。本当よ。何とも思ってない」
「・・・・・・・・・」
「それでね、今日これからきっちりと話を付けてくるの。それで、その前にお願いしたいことがあって・・・・・」
そこで初めて友紀はちょっとだけ下を向いた。言い難いことのようだ。菜摘にはピンと来た。
「パパ?」
菜摘は友紀が何を言いたいのか分かっていた。
「うん・・・・・ごめん・・・・・・いい?」
菜摘は仕方ないと思った。自分にも責任の一端はあるのだ。ただ、会うだけで済むかどうか、それが不安になる。
「良いよ。しっかり話をして相談に乗ってもらって」
「ありがとう・・・・・。うん、これでがんばれる・・・かな・・・」
友紀は最初、まだ迷っているようだった。だから菜摘は更に言葉を足した。
「友紀、がんばって。パパならきっと元気出せって言うよ」
「うん、・・・・そう・・・・だよね・・・・・」
まだ友紀は何となく元気が無さそうだ。
「だからがんばって。ね?」
「うん、だけど・・・・・元気になんてなれるのかな・・・・・・??」
いつもの友紀らしくない、まるで能面のような表情だ。菜摘は『かなりショックなんだ・・。それでも自分から終わらせるなんて強いな』と思った。
「なれるよ、もちろん。パパならきっとそうしてくれる。分かってるでしょ?」
「うん、ちょっと怖くてさ・・・・」
「誰だってそうなんじゃ無いの?」
「ねぇ、菜摘、元気になれるまで、おじさまと一緒に居ても良い?」
友紀の言っている意味が良く分からなかったが、菜摘は友紀を元気づけたくて思わず言ってしまった。
「もちろん」
「ありがと。これで修羅場に入っていける。うん、分かった、頑張る。何せこう言うの、久しぶりだから」
「がんばって」
「うん、ありがと。本当に」
そう言うと友紀は教室に戻っていった。菜摘は友紀の言ったことの意味が今一歩の見込めていなかったが、この時は余り気にしなかった。それよりも、友紀が本当に元気になれるかどうかの方が気になっていた。
一方、友紀は菜摘がOKしてくれたので本気で修羅場になる、と言うか修羅場を設定する気になっていた。友紀くらい顔が広ければ、その気になれば簡単なことだ。だから友紀が気にしていたのは別れたと言うことがどうやって友達の間で伝わるか、だった。友紀が自分から別れた、と言うのでは無く、別れるしか無かった、という感じで伝わるようにしなければ逆に友紀が悪者にされかねない。だからこそ別れの舞台の設定には十分気をつける必要があった。既に手配はしてある。友紀は慎重に設定した舞台の幕が開くまで、そのことばかり気にしていた。
この時の菜摘は、まだ晃一に愛された時の感覚がうっすらと身体に残っていたので友紀が晃一に会うことをそんなに気にしていなかった。しかし、後で授業中に一人で考えてみて何となく友紀の言いたいことが分かってきた。
『そうか、友紀はパパと会うのは一回じゃ嫌だって言ってるんだ。だから『元気になれるまで』なんて言ったんだ』そう気がついた菜摘は、そこで初めて友紀の本心に気が付いた。慌てて放課後、友紀を探したが、友紀は直ぐに帰ってしまったらしく見つけられず、携帯にも出なかった。どうやら『修羅場』が始まったと言うことなのだろう。菜摘は仕方なくとぼとぼと帰るしか無かった。
友紀のような明るくて気の利く子が甘えれば、きっと晃一などかんたんに落ちてしまうだろう。そう思うとだんだん心配になってくる。しかし、菜摘は晃一に成績を上げてご褒美に旅行に連れて行ってもらうと言ってしまったので、勉強に力を入れなくてはいけない。週末、晃一に抱かれている場合では無いのだ。
最近成績が上がり始めてやっと分かってきたのだが、成績を上げるのは本当に大変なのだ。あれだけやってもほんの少ししか成績が上がらない。それでも国立の大学に行かなければ妹が大学に行けなくなってしまう。だから姉としては全力で頑張るしかないのだ。
もちろん、菜摘が会いたいと言えば晃一は直ぐに会ってくれるだろうし、何度も愛してくれるだろう。しかし、それでは菜摘自身がどんどん恋に引きずられて行ってしまう。会えば時間ギリギリまで服を着る気にならないのは分かりきっていた。『私、どうすれば良いの?』菜摘はじっと考え込んだ。
翌日、菜摘が学校で友紀を探し当てた時、友紀は別人のようだった。なんと言うか、表情が無い感じで無愛想なのだ。
「友紀、どうだった?がんばれた?」
「うん・・・・まあね・・・・」
「ちゃんと話はできたの?」
「したよ」
「うまくいった?」
「そうね、菜摘には聞く権利があるわね」
「権利だなんて・・・・」
「教えてあげる。田中を呼び出して、彼女の居る前ではっきりさせてきたの。だからもうこれでお終い。会うことも無いわ。構内ですれ違っても無視するから」
「凄い、元カノまで呼び出したんだ・・・・」
「元カノじゃ無くてれっきとした彼女だけどね。だって、こういうのは一回限りにしたかったから。だから全部一度で終わるようにしたの。それだけ」
とにかく、今日の友紀は態度が素っ気ない。とりつく島が無いと言った感じだ。
「もう良いでしょ?分かったでしょ?そう言うこと」
そう言うと友紀はさっさと教室に戻っていった。
菜摘は友紀がいつ晃一に会いたいのか気になっていたが、あの様子からはどうやらそれどころでは無いらしい。あの明るい友紀があんな態度を取るのだからよほど辛かったのだろう。そう思うと、友紀が晃一に会いたがるのなら止める訳には行かないと思った。だから菜摘は昨日思いついたことを実行するしか無いと思った。
そして夜、菜摘が勉強していると友紀からメールが来た。やはり菜摘が想像した通り、明日の土曜日に晃一に会いたいという。菜摘は『やっぱり・・・・』とは思ったが『パパの都合も聞いてみないといけないけど』と返信するのが精一杯だった。
その日の夜、晃一は菜摘からのメールを受け取った。『パパ、友紀がとても落ち込んでいます。彼氏と別れたみたい。友紀は全然悪くないのに。だから土曜日、友紀に会って話を聞いてあげて。そして元気になれるようにしてあげて下さい。それと、一昨日帰る時、部屋にパンツを忘れました。来週の水曜日、取りに行きたいの。お昼に部屋で会えますか?菜摘』
晃一はそれを読むまで忘れていたが、確かに菜摘のパンツを洗濯乾燥機に入れたまま取り出すのを忘れていた。菜摘もシャワーを浴びた時、替えに着替えてしまったので持って帰るのを忘れたのだろう。ただ、それなら日曜日にでも遊びに来れば良いものを、わざわざ平日の昼休みに部屋に来なくても良いものを、と思った。しかし、菜摘には彼女なりの考えがあるのだろうから、それをどうこう言っても仕方ない。晃一は返事を送ると地図を調べてタクシーの予約をした。
菜摘は晃一に久しぶりに抱かれた余韻で水曜日は心から満たされて安心して勉強もできたしぐっすりと寝ることもできた。しかし、木曜に友紀と話をして金曜日に晃一に会いに行きたいと言われて居る間にまたどんどん不安が広がってきた。まだ勉強に支障が出るほどでは無いが、やはり気になる。しかし、同時に友紀なら安心していられるという気持ちがあるのも事実だった。そして、こうやって晃一に近づく女の子が見えているからこそ、友紀のように修羅場を経験する必要も無いのだと自分を納得させた。
一方の友紀は、菜摘から許可をもらったとは言え、正直に言えば晃一に会う気力も無くなりかけていた。心配してくれている菜摘の顔を見てから学校を出ようかとも思ったが、気力が萎えていてそんな気分では無い。この時、菜摘の方でも友紀を探していたのだが、偶然すれ違ってしまって話をする機会は無かった。自分で設定したとは言え、やはり別れ話は心の奥底まで堪える辛い時間だったのだ。だから晃一と約束はしたものの、学校から晃一の部屋に向かう足取りは重かった。だから、このまま晃一に抱かれたとしても自分が元気になれるとは思えなかった。
隣の駅で下りて改札を出た友紀は、ぼうっとした頭で『体調が悪いからって断っちゃおうかな?・・・・』と思ったりもした。それが今の辛い気持ちの解決になるとは思えなかったが、少なくとも元気の無い自分を晃一に見せる必要は無くなるのだから、その方が良いのでは、と思えたのだ。
しかし、友紀にその時間は与えられなかった。改札を出て歩き始めると直ぐ、友紀の目の前に晃一が現れたのだ。
「あ、友紀ちゃん。こんにちわ」
いきなり声を掛けられて友紀は驚いた。
「おじさま?」
「偶然だね。こんな所で会うなんて」
「おじさまこそ・・・・・」
友紀はどう対応して良いのか、頭の中がパニクって何も言えなかった。
「お昼は食べた?」
「ううん・・・・・」
「それじゃ、まずどこかでお昼を食べようか?」
晃一に誘われて友紀はその方が良いと思った。それなら直ぐに部屋に行かずに済む。今部屋に連れて行かれれば自分からは何もできないし、もし晃一に求められても嫌がるかも知れないと思った。
「はい・・・・・」
「どこに行きたい?」
「特には・・・・おじさまに・・・・任せてもいい?」
「もちろん。それじゃ、教えて欲しいんだけど、直ぐに食べたい?それとも少し離れてもいい?時間、ある?」
「時間は・・・・あります・・・・」
友紀としてはお腹は減っているが、直ぐに食べたい雰囲気では無い。と言うか、お腹は減っていても食欲など無い。
「それじゃ、行こうか」
そう言うと晃一は友紀をタクシーに乗せ、運転手に何事かを言った。どうやら近くでは無いようだ。友紀はふと時計を見た。学校が終わってから何も考えずにそのまま出てきたのでまだ1時前だ。
晃一は友紀に会った時、余りに様子が変なので驚いた。いつもの快活で陽気な友紀とは思えないくらい暗い感じだったのだ。だから、隣町のレストランに連れて行くことにしたのだ。
友紀は車の中でぼうっとしていた。その様子を見て晃一は、よほど辛いことがあったのだろうと思った。
「友紀ちゃん、元気にしてた?」
「うん・・・・・まぁ・・・・・」
「洋食で良いかな?」
「え?」
「お昼は洋食で良い?」
「はい・・・・・」
「お腹、減ってる?」
「まぁ・・・・・・そう・・・・かな・・・・」
友紀は自分でも変な言い方だと思ったが、どうしても会話に乗ることができない。『きっとおじさま、変な子だと思ってるだろうな・・・・』と思った。そして『やっぱりこのまま帰ろうかな?』と思った。
そして、
「おじさま・・・・・・やっぱり・・」
と言いかけたが、晃一の方から、
「近くの洋食のお店にしたんだ。ちょっとお腹減ってたものだから」
と言われ、出鼻をくじかれて何も言えずに黙ってしまった。
そしてタクシーは10分ちょっと走って止まった。下りた友紀はちょっと驚いた。
「おじさま、これ・・・・」
この駅なら友紀の学校のある駅から快速で晃一のマンションとは反対方向に一駅だった。
「ははは、電車で来た方が早かったかな?」
晃一は笑っている。
「でも、あの駅からだと快速には乗れないから・・・・・、乗り換えたりしてれば・・・」
「ま、気にしないで行こうよ」
そう言うと晃一は友紀を駅前のデパートの上にあるレストランに連れて行った。それなりに高級な雰囲気の店らしく、土曜の昼だというのにそれほど混んではいない。ただ、普通と違うのは二人が個室に通されたことだった。二人なので席に着いても何となくガランとした感じがある。
「お昼のランチコースで良いかな?」
「はい・・・・なんでも・・・・・・」
友紀はあくまで元気が無い。晃一はコースの中のセレクトが必要なものを手早く選ぶと、飲み物を注文した。
「さて、友紀ちゃん、話してくれる?」
「え?なにを?」
「言いたいことがあるでしょ?」
「そんなのは何も・・・・・」
「友紀ちゃん・・・・・」
晃一は友紀をしっかり見つめて話し始めた。
「いくら俺が鈍感でも、今の友紀ちゃんを見れば何かあったことくらい分かるよ。辛いことがあったのなら話してごらん。俺は友紀ちゃんの状況を変えることはできないけど、辛いことは話すだけでも楽になるものだよ」
「そう・・・・ね・・・・・・」
友紀は黙り込んだ。話しても良いのだろうか?話したらもっと辛くなるかも知れない。晃一は心配するかも知れない。話したって何も代わらないのに・・・・。そんな思いが心の中で渦巻く。
「ゆっくりでいいから」
そう言うと晃一は友紀が話すのを待った。友紀はそれからもしばらく考え込んでいた。
「あの・・・・・・・」
友紀は何かを話そうとしたようだが、直ぐに止まってしまった。またしばらく時間が空く。その間にサラダが届いた。晃一がフォークを手にとって友紀に渡すと、友紀は何も言わずにゆっくりと食べ始めた。
「やっぱり元気ないね」
「うん、さすがにね・・・・・」
うつむき加減のまま、友紀は小さな声で答えた。
「何があったのか、話す気になったら話してね」
「うん・・・・・・でも、ここじゃちょっと・・・・」
「それはそうだね。まずお腹を膨らませようか」
「そうね」
素っ気ない会話だが、それでも会話が成立するようになってきたので晃一は一安心した。そして次に出てきたライスコロッケもぺろりと平らげた辺りから友紀の表情にも少し余裕が出てきた。
「いつも友紀ちゃんは土曜のお昼って何を食べてるの?」
「いろいろ・・・・・、ハンバーガーだったり、パンだったり・・・・・、たまにはスパゲティも食べたりするけど・・・・・・多いのはやっぱりパンかな・・・・・こんなの食べたこと無い」
「それはお小遣いを大切にするから?」
「そう、おじさまみたいにお金持ちじゃ無いから」
「高校生ってそう言うもんだよね」
「そう、パンだっていろいろあるから飽きることは無いし・・・・」
「これからスープが来て、ちっちゃいステーキがメインになって、後はデザートだけど、もう少し食べられる?」
「食べられるけど・・・・・」
「食べたくなければ良いよ。もちろん。でも、高校生にはあんまりにも少ないかなって思っただけだから」
「それはもちろん・・・・・・・」
「どうする?もうちょっと食べてみる?」
「おじさまは?」
「友紀ちゃんが食べるなら俺も何か食べるかな?」
「それなら・・・・・・食べる」
「何が良いの?」
「おじさまに任せる」
「そうだな・・・・・・・」
晃一はメニューをもらうと、友紀には夏野菜のトマトピッツァと和風サラダ、自分には生ハムとビールを頼んだ。サーバーはメインコースを後にずらすか聞いてきたが、そうすると待つ時間が長引くのでそのままデザートの前まで出してもらうことにした。