第223部

「おじさま、お酒飲むの?こんなお昼から?」
「ごめんね。ちょっと冷えたビールを飲みたくてね」
「女の子と一緒に居て昼からお酒?」
「ごめん。でも、そんなに酔ったりしないから。覚えてる?神戸に行った時もお酒飲んだでしょ?」
「もちろん覚えてる」
「あの時もそんなに酔ってなかっただろ?」
「そうねぇ・・・・・でも、やっぱりお酒臭かったかな?」
「ごめん、やっぱりビール止めようか・・・・」
「ううん、良いの。飲んで」
「ありがと。それじゃ一杯だけね」
「うん」
「友紀ちゃんはお肉の方が好きなんだっけ?」
「うん。そう」
「神戸ではお肉、いっぱい食べたっけね」
「ううん、伊勢エビを食べたしアワビもあったし・・・もちろんお肉だって。凄く楽しかったし美味しかった。それに肝臓・・・・なんだったっけ・・・・・えーと・・・・食べたのは・・・???」
「もしかしてフォアグラ?」
「そう、フォアグラ」
「美味しかった?」
「・・・・・・あんまり・・・・・でも楽しかった」
「そうか、フォアグラは脂っこいからお酒と一緒に食べるのは良いかもしれないけど、それだけ食べても美味しくないかもね」
「でもフォアグラなんて初めてだったから、とっても楽しかった。美味しかったと思うし・・・」
「うん、喜んでもらえて良かった。今まで感想なんて聞かなかったからね」
それからしばらく、友紀は神戸話で盛り上がった。だんだん元気が出てきたようだ。
「それに、あの泊まった部屋だってとっても素敵だった」
「それは神戸で男の人と外泊したからじゃ無いの?」
「それは・・・・・・・・・」
それまで明るく友紀が話していたので晃一はちょっと茶目っ気を出してそう言ったのだが、途端に友紀の表情は暗くなった。
「ごめん・・・・・・。余計なこと言ったみたいだね」
「もう、楽しく話してたのに・・・・」
友紀が落ち込んだところでピッツァとサラダとミニステーキが、晃一にもミニステーキと生ハムとビールが出てきた。しかし今度の友紀は前ほど元気の無い感じでは無く、黙々と食べていく。食べることだけに集中しているので、まるでピッツァとサラダが友紀の口に飛び込んで行くみたいだった。
「あのね、神戸のこと、本当に楽しかったの。ありがとう」
突然友紀がそう言った。
「ん?どうしたの?」
「ううん、今日の私ってこんなでしょ?とっても扱いにくいのに気を遣ってくれて、ありがとう、って」
「ううん、早く元気になって欲しいからね」
「これでも私、頑張ってるんだ。分かってるの、早く元気にならなきゃって。元気になって・・・・」
そこまで言いかけて友紀の口は止まった。顔から表情がなくなっている。晃一が不思議そうに、
「どうしたの?」
と言うと、友紀はちょっと考え込んでいたが、
「ううん、何でも無い。・・・・・変よね、言いかけて途中で止まったりして。よぉし、分かった、心配してくれてるのにはっきりしない女だな。ええい、言っちゃう。私は彼とのおつきあいを自分から止めましたっ」
「!!・・・・・・・・・」
晃一は驚いた。友紀に彼ができたことくらいは知っていたが、それを友紀の方から止めたという。もちろん理由を聞きたいのだが、友紀が自分から言うまでは聞く訳にはいかないだろう。
「そうか・・・・・分かったよ。後は部屋に行ってからだね?」
「うん・・・・・」
「それじゃ、残りをしっかり食べてお腹をいっぱいにしていこう」
晃一がそう言うと、胸の支えが下りたのか友紀も元気に返事をした。
「うんっ」
「ほう、元気な声が出たね。安心したよ」
「おじさまったら、食べ物で女の子を釣るなんて」
そう言って友紀はケタケタ笑った。
しかし、友紀はそれ以上、自分からは話さない。晃一もしばらくは黙っていたが、そうは言っても何も話さない訳にはいかない。
「そう言えばこの前、栄養士に興味あるって言ってたよね?今でも?」
「うん、あの時よりもっと・・・かな」
「それは偉いね、高校生で大学を出た後の職業に興味を持つなんてさ」
「でも栄養学科に行くって言うのはそういうのに興味がある人が行く訳だし・・・」
「そうか、友紀ちゃんは料理が好きなの?」
「ううん、全然しない。でも、なんか栄養の成分とかに興味があるし、何となく役に立てる仕事だなぁって思えるから・・・・」
「そうか、栄養士って料理できなくてもなれるんだっけ」
「おじさまは調理師と一緒にしてない?」
「そういう訳じゃ無いけど・・・・でも、してたかも・・・」
「栄養士は学校給食とかの栄養を計算して献立を考える人よ」
「そう・・・だったね・・・・・ごめん」
「何も謝らなくたって良いのに」
「それで、献立を考えるって言うのはメニューって事?」
「そうね、ほら、学校なんかで今月の献立、みたいなの貼ってあるでしょ?あれよ」
「あれって言われても・・・・・」
「だから・・・・・」
そんな話をしている間に友紀の目の前に並んでいたステーキもサラダもピッツァも全部無くなってしまった。
「ごめんなさい。全部一人で食べちゃった」
「友紀ちゃんが食べてるのを見るだけで十分だよ。俺にはこれがあるし。もともと友紀ちゃんに食べて欲しくて頼んだんだから」
晃一はそう言って生ハムを片付けた。晃一は友紀の食欲が戻ってきたことに安心した。どうやら少しだけ元気になったようだ。
「それで友紀ちゃん、今日はどうしようか?このまま俺の所に来る?それとも気晴らしにどこかに遊びに行く?」
「・・・・・・・・」
友紀はちょっと考え込んだ。このまま気晴らしに行けば、それなりに楽しいだろう。それでも良いような気がした。
「そうねぇ・・・・・・」
「水族館とかでもお台場でも良いし・・・・」
「おじさまは?」
「俺は友紀ちゃんが元気になるのならどっちでも良いよ」
友紀は更に迷ってしまった。本当のことを言えば晃一の部屋に行きたいのだが、晃一がそう言うと言うことは、自分は菜摘のように部屋に来ることを求められていないと言われているようで、部屋に行きたいとは言い難い。しかし、友紀が言い淀んでいると晃一の方から、
「特に行きたいところが無いのなら部屋においでよ」
と言ってくれた。友紀は少しホッとしながら小さく頷いた。
結局友紀は晃一の分のデザートまで食べてから晃一の部屋に向かった。タクシーに乗ると、自然に友紀は晃一に少しだけ寄りかかってきた。何となく感じただけだが、それが今の友紀にとってささやかな幸せだったのだ。ただ、友紀は下を向いたまま一言も口をきかなかった。
晃一のマンションに着くと友紀は突然、
「汗を流して来るぅ」
と言ってバスルームに入っていった。晃一はその行動に少し違和感を感じた。シャワーを浴びに行ったとすれば抱かれる準備とも取れるが、どう見ても今日の友紀はそう言う雰囲気では無い。どちらかと言えばリビングで紅茶を入れてゆっくり話をするという方が似合いそうな雰囲気だ。晃一は友紀の気持ちが良く分からなかったが、取り敢えず友紀が戻ってくるまでにできることをすることにした。
リビングのエアコンはタクシーの中からメールで起動しておいたので部屋は涼しくなっていた。しかし、廊下や洗面所などは暑いままだ。そこで晃一は、ベッドルームのエアコンを入れてドアを開けておいて廊下や洗面所を涼しくすることにした。もちろん洗面所のドアは閉まっているが、シャワーを浴びているはずの友紀に気づかれないように少し開けておく。ベッドルームはリビングよりだいぶ小さいのでエアコンは直ぐに効くはずだった。
そして今度はキッチンでお湯を沸かし、氷をティーサーバーに入れてアイスティーを作る。濃く入れても渋みの出にくいアールグレイだからできることだった。お湯が沸くまでの間に服を着替え、汗臭くないように身体を拭いてからいつものガウン姿に着替えた。しかし、このガウンを脱ぐことがあるかどうか分からなかった。
その友紀は、シャワーを浴びながら涙を堪えるので必死だった。タクシーに乗った途端、安心したのか急に涙が流れそうになったのだ。だから涙声を聞かれたくなくて一言もしゃべらなかったし、ずっと俯いていた。晃一に寄りかかっているだけ、それだけで泣きたくて仕方なかったのだ。だから部屋に付いた途端にバスルームに飛び込み、一気にシャワーを浴びた。汗を流していると少し気が紛れたのか、ちょっとだけ涙が引っ込んだが、バスルームを出て身体を拭いているとドアが少し開いていて洗面所が涼しくなっていることに気が付いた。そこでこれが晃一の配慮だと気が付き、また涙が出そうになった。『おじさまったら、こう言う事するから・・・・』
もう、泣かずにいることなど無理だと思った。友紀は晃一の胸をしばらく借りることにした。
やがて友紀がリビングに入ってきた。
その姿を見て晃一はびっくりした。友紀はブラジャーとパンツだけの下着姿のまま制服を持っていたのだ。予想外の展開にどうして良いのか分からず、なんとか一言だけ言った。
「友紀ちゃん、こっちへおいで」
晃一がそう言うと、友紀は制服をコーヒーテーブルにそっと置いて晃一の横に座ってきた。しかし、友紀の表情は沈んだ感じでどう見ても愛して欲しいという感じでは無い。少なくとも、下着姿とこの表情は全く似合わない。晃一は取り敢えず様子を見てみようと思った。
「そこじゃなくて、よいしょ」
そう言うと晃一は隣に座った友紀を抱き上げ、膝の上に横座りにした。しかし友紀は膝の上に抱き上げられても全く何も言わないし反応しない。ただ、晃一の肩の上に頭を持たれ掛けてきた。
「だいじょうぶ?」
晃一が話しかけても友紀は何も言わず俯いているだけだ。優しく髪を撫でながら更に言った。
「友紀ちゃん?」
更に問いかけると、友紀の口が少し動いた。
「おじさま・・・・・少し・・・・泣いてもいい?」
そう言って寄りかかってきた。その声は既に少し掠れている。
「もちろん」
友紀の頭を引き寄せてそっと髪を撫でてやる。すると友紀は、
「おじさま・・・・・・・・」
とだけ言ってから静かにすすり泣き始めた。
晃一はその時、友紀をベッドルームに連れて行こうと思い立った。幸い、さっきエアコンを入れてあるので部屋は涼しくなっているし、静かに泣きたいのならリビングよりも落ち着いて良いだろう。
「友紀ちゃん、あっちに行こうか。そのままで良いよ」
そう言うとそのまま友紀をお姫様だっこにしてベッドルームに向かった。
ふわっと身体が抱き上げられると友紀は晃一の心遣いに気が付いた。今までこの部屋に何度も来たが、友紀がベッドルームに入ったことはあまり無い。だから友紀はベッドルームは菜摘のための部屋なのだと思っていた。その部屋に晃一が連れて行ってくれるのだ。それもお姫様だっこで。友紀の目からとうとう涙がポロポロと流れ始めた。
晃一は友紀をベッドルームのベッドに下ろすと、目を真っ赤にしている友紀を一度だけ上から眺めた。綺麗だった。もちろん細身の菜摘や美菜と比べれば少しふっくらしているが、友紀だって太っていると言うほどでは無いし、胸がある分だけ横になった時に膨らみがはっきりと分かる。それに腰のラインも絶妙なカーブを描いており、晃一の目を引きつけるのに十分だった。それに、考えてみれば友紀の裸は何度も見たが、下着姿のままの全身を見た記憶はほとんど無かった。
「菜摘みたいに綺麗じゃ無いでしょ・・・」
目をつぶったまま横を向いている友紀は小さな声で言った。
「何言ってるの。友紀ちゃんだって凄く綺麗だよ」
晃一はそう言って友紀の横に添い寝し、ガウンをはだけて友紀を引き寄せ、ガウンの中に軽く包んだ。
「友紀ちゃん、頑張ったんだね。偉いよ。よく頑張った。辛かったろう?よく頑張った。偉い偉い」
晃一がそう言って友紀の頭を優しく撫でて背中をそっとさする。今は理屈ではなく友紀を受け入れてあげるべきだと思った。普段なら白々しいほどの言葉だったが、友紀はすすり泣きを始めた。
次第にそれが大きくなっていく。晃一はただ、
「頑張ったね、偉いよ。友紀ちゃんは偉い」
それだけを時折繰り返していた。
友紀は晃一のガウンに身体が包まれ、抱きしめられて頭を撫でられるともう我慢できなかった。抑えていた感情がどんどん溢れてくる。さっきシャワーを浴びて髪を乾かしていた時に、思い切って制服を着なかったので服の皺を気にする必要が無い。友紀は心置きなく泣ける状況でやっと安心して甘えられた。
「ううう・・・・ううっ・・・うっ・・・うう・・・うぁぁ・・・くぅっ・・・ううっ・・・」
友紀は晃一の胸に顔を沈め、やっと安心できたと思った。そして心の中で、今自分はやっと安心して泣いているが本当に泣きたかった時はもう過ぎてしまっていると思っていた。しかし、タクシーの中では泣けなかったのだ。そして今、こうして晃一の腕の中にいると、ここに戻ってこられて本当に良かったと思う。菜摘には悪いがこの腕の中に戻ってこられると分かっていたからこそ自分から終わりにすることができたのだ。
友紀は泣いている自分を冷静に見つめているもう一人の自分を感じながら、つらさ、後悔、先の見えない不安と彼を失った絶望、晃一の暖かさ、成績など、いろんな思いが渦巻く心の中で揺れていた。
そのまま友紀は晃一の腕の中で十分近く泣いていた。晃一は友紀の身体を優しく撫でながら、よほど辛いことがあったのだろうと思っていた。最初に友紀に会った時から友紀は晃一の前ではいつも元気いっぱいでとても明るい女の子だった。あの時は晃一の方が菜摘に振られて落ち込んでおり、慰めてもらって相談に乗ってもらったのは晃一の方だった。だから今はその時のお返しをしなければと思った。胸に顔を埋めて泣いている友紀が涙を流しているのは胸に暖かいものが流れているので分かっていた。
少しして友紀が落ち着いてくると、友紀の方から話しかけてきた。
「おじさま・・・」
「うん?なんだい?」
「キスして」
そう言うと友紀は晃一の首にゆっくりと手を回してきた。胸に埋めていた顔を上げた友紀の顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。そのままそっとキスをすると、一瞬友紀の腕がぎゅっと晃一を抱きしめた。
そのまま晃一はキスをしたが、友紀の反応は鈍かった。少し口を開けてはいるが、舌を入れても全然反応しない。しかし、晃一の頭をそっと撫でたりしているので友紀が晃一を受け入れているのは明らかだった。だから晃一はゆっくりとだが唇や舌で友紀を慰め続けた。
友紀は晃一にキスをされながら、心が洗われていくような不思議な感覚に包まれていた。そして今までの緊張から解き放たれた安心感で全身の力が抜けていくのを感じ、このままずっとこうしていたいと思った。
晃一はそのまましばらくキスをしていたが、ふと気が付くと友紀が口を開けたまま全く反応していないことに気が付いた。『寝ちゃったのか・・????』晃一はそう思ったが、キスを止めると友紀が少し反応する。何となくだが何かを求めているように唇を少しだけ動かすのだ。しかしキスを再開するとまた反応が無くなる。『寝てる?起きてる?????』晃一は良く分からなかったが、友紀の全身から力が抜けているのは確かだ。晃一はゆっくりと唇で友紀の唇を包んだりちょっとだけ舌を入れたりを繰り返しながら、どうすれば良いのか迷った。
それでも、キスを止めると何となく友紀が反応するので、どうやらキスされていると友紀は安心するのだと気が付いた。だからそれからしばらくの間、晃一は反応しない友紀にキスを続けた。
しかし、このままいつまでこんな事を続けていれば良いのだろうと不安になってきた頃、やっと友紀がはっきりと反応した。舌が動いて晃一の舌に絡んで来たのだ。そして友紀から口を離した。
「おじさま?」
「どうしたの?」
「私、寝てた?」
「うん、少し寝てたみたいだね」
「ずっとキスしてくれてたの?」
「うん」
「寝てたのに?」
「そう、キスを止めるとなんか寂しそうだったから」
「寝てたのにキスしてくれてたの?」
「うん」
友紀は驚いた。短い間だったが、確かに自分は寝てしまっていた。緊張から解放されて最高の安心感に包まれたため、ふっと寝てしまったのだ。しかし、寝ている間も晃一はキスを続けてくれていた。それは友紀の心に晃一が心から自分のことを心配してくれている明確な証として刻み込まれた。友紀の心の中で何かが弾けた。