第244部

「気楽に食べよう。これだけじゃ足りないと思うから、何か追加しようね」
「いえ・・・そんなには・・・・・」
詩織は明らかに緊張しており、表情も硬い。
「あんまり食べないの?小柄だからかな・・・・。それとも、お腹、減ってないの?」
「そんなことはないけど、どうも雰囲気が・・・・」
「ごめんね。ファミレスの方が良かったかな?ちょっとこの辺りは詳しくなくて」
「あの・・・・三谷さんは・・・」
「ん?」
「三谷さんはこういうとこ、良く来るんですか?」
「良くって言うのがどれくらいの頻度かにもよるけど、こう言うタイプの店って言うのなら月に数回、それも下のほうって感じかな?」
「やっぱり大人なんですね・・・・」
「夕食にお酒を飲むのなら、どっちかって言うとそれより居酒屋の方が多いけどね」
「お酒を飲むんですか?」
「そうだね、好きだよ。詩織ちゃんは居酒屋って行ったことある?」
「はい、両親と一緒に・・・・。楽しかったです。いろんなメニューがあって、賑やかだし」
「そうだよね。居酒屋は楽しいから俺も好きだよ。どんなメニューが好きなの?」
「魚・・・・が好きです」
「魚か、刺身とか?」
「それもそうですけど、ハマグリとか、ホッキ貝とか」
「貝類が好きなんだ」
「はい、家では食べないから」
「そうか。あんまり家で貝を食べるって無いかも知れないね。せいぜいハマグリのお吸い物とか、かな?」
「そんなの、食べたことないです」
「そうなんだ。お母さんがあんまり好きじゃないのかな?」
「そうかも知れないけど、よくわかんない・・・・。聞いたことないから」
「居酒屋ではお父さんが貝類とか注文したの?それを一緒に食べたの?」
「そうじゃなくて、見たこと無くて珍しいから頼んでみただけで・・・・でも美味しかったから」
「冒険してみたんだ」
「どんなものなのかなって思って。おっきく写真が出てたし」
「ねぇ、良かったら、今日夕方、居酒屋に行ってみようか?時間、ある?」
「今日ですか?」
「そう、貝類の美味しい店とか、行ってみない?」
「それは・・・・・・」
詩織はかなり驚いた。もともと考えていたのは、喫茶店とかでちょっと深刻な話をして、それで相談に乗って貰って夕方前にお終い、と言うストーリーだった。もちろん今から連絡しておけば夕食を晃一と一緒に食べることはできる。しかし、ほとんど初対面の男性と食事に行く、と言うシチュエーション自体、今まで想像すらしたことは無かった。
「少し早めに始めれば、帰る時間はそれほど遅くならないし、やっぱり食事しながらの方が話をするのにも雰囲気が良いかな?って思ったから・・・だめかな?」
「三谷さんは、良いんですか?」
そう言いながら詩織は、食事をしながら相談する、と言う考え方自体が分からなかった。『普通、こういうことって、静かな場所で二人だけで話すものじゃ無い?それを居酒屋なんかで・・・』そんな思いがぬぐいきれない。
「もちろん。俺はその方が良いんだ」
詩織は考え込んだが、どうして良いのか頭の中がまとまらない。どうも晃一の考えていることを受け入れて良いのかどうか、自分では判断できないようだ。正直に言ってしまえば、今どうするかを選択しなければならないとしたら、『そんなのは嫌』と言ってしまいそうだ。しかし、それでは今日、ここに出てきた意味が無い。このまま帰っても、待っているのはいつもと同じ日しか無いのは分かっている。そこで、友紀に相談してみることにした。
「あの、ちょっと・・・・待っててもらって良いですか?」
「もちろん」
詩織は席を立つと、トイレに立つ振りをして晃一から離れ、ホールで友紀に電話してみた。友紀は直ぐに出た。
「今どこにいるの?」
「レインボーブリッジの見えるところ。ねぇ、おじさまと一緒に居るんだけど・・・・」
「分かってるわよ。予定なんだから。それでどうなの?」
「それが、このまま夕食に誘われてて」
「行けば良いじゃ無いの。嫌なの?」
「そ、そういうわけじゃないけど」
「おじさまと一緒に居ると、美味しいもの食べられるわよ」
「そんな、食べるものなんてどうでも・・・・」
「分かる分かる。それが目的じゃ無いってことくらい。でも、カチコチになってたって問題は解決しないわよ。不安は分かるけど、思い切っておじさまに任せてみたら?たしかにちょっと不安かも知れないけど、おじさまなら任せても間違いないから、安心して良いよ」
詩織は友紀が何故そこまで晃一を信用しているのか理解できなかった。しかし、これ以上話しても仕方の無いことだというのは何となく分かってきた。後は思い切るかどうかなのだ。そこで話題を変えてみた。
「ねぇ、昨日来てた子、誰?」
「あ、気が付いてたんだ。あの子ね。おじさまの彼女」
「えっ、高校生の彼女、いるの?友紀じゃ無いの?」
「そう言うこと。ま、その話は長くなるからまたね。とにかく、あの子のOKも貰ってあるんだから大丈夫ってこと」
「OKって・・・・・、その子に私のこと言ったの?」
「うん、ごめんね。でも、相談に乗って欲しい子がいるからおじさまを貸して、って言っただけだし、大丈夫だから。安心して。本当よ」
「でも・・・・・・・」
「ねぇ詩織、私だけじゃ無くて、その子もおじさまも詩織のこと、応援してるんだよ。頑張ってごらんよ。絶対に安心だから。そうじゃなきゃこんなこと詩織に言わないよ」
その言葉には何となくだが説得力があった。そして詩織にはまだ良く関係が分からなかったが、友紀の言葉からはどうやら何となくだが安心して任せてみても良さそうだと言うことだけは分かってきた。晃一に友紀以外の高校生の彼女がいたのは驚きだが、その子のOKも貰ってあるということなら余計な心配はしなくても良さそうだ。友紀との出会い自身が不思議なのだから、こう言う不思議な展開もあって良いのかも知れない。それに、少なくとも、彼女がいるのだし了解もあると言うことは、晃一に何かされる心配は無さそうだ。
黙っている詩織に友紀が畳み掛けてきた。
「だから詩織は安心して相談して良いんだよ。わかった?面倒なことになる心配は絶対無いから。詩織はまだ安心してないかも知れないけど、本当に回りは全部整えてあるのよ。詩織が真剣に相談できるようにって。私、本気で応援してるんだから。分かってくれてるかな?」
「うん、なんとなく・・・・」
しかし、詩織には今一歩納得いかないことがあった。晃一に別の彼女がいるというのなら、友紀と晃一の関係は何なのだろうか?詩織は友紀が晃一の彼女だと思っていたし、その友紀の気持ちを晃一が支えていると思ったからこそ晃一に相談してみたいと思ったのだ。友紀のようにはっきりと相手と対決できる勇気が欲しいと思ったのだ。しかし、友紀が晃一の彼女の単なる友達だとすれば、友紀を支えているものは何なのだろう?詩織は友紀に自分と似たところがあると直感したからこそ、自分も友紀のようになりたいと思ったのに、そうではないとすれば相談すること自体が無駄になるかも知れない。詩織が黙り込んでいると、友紀が話し始めた。
「ははぁん、私とおじさまのこと、どう言う関係なのか心配してる?」
「・・・ちょっとだけ・・・」
「私の元気の源、って感じかな?とっても信用できる大人よ。本当に今度ゆっくり全部話すから、取り敢えず今日は無理の無い範囲で頑張ってみなよ。それに、嫌なら直ぐに帰れば良いんだし。誰も止めないよ」
「そう・・・ねぇ・・・・・うん・・・・なんとか・・・・うん・・・・」
まだ少し詩織は迷っていた。確かにそうなのだ。不安があるからと言って逃げてばかりでは何にもならない。
「ねぇ、だいじょうぶ?」
友紀が再び聞いてきた?
「うん、だいじょうぶよ」
「とにかく、しばらくおじさまと一緒に居てご覧なさい。余計なことは考えずに。そうすれば何となく分かってくるから。安心して良いよ。ううん、安心できるかどうか、自分で確かめてごらんよ。おじさまから詩織をどうこうしようなんて絶対に起こらないし、嫌がる話なんてしないし。その点は信用して良いからね。私、いくら知り合ったばかりの彼氏の本当の彼女だって、私、おじさまを使って詩織を何かしようなんて絶対思ってないし、そんなことしても何にも良いこと無いし。後は詩織が私を信用できるかどうかだね」
全くその通りだと詩織は思った。結局不安の源は詩織が友紀をどこまで信用できるかどうかなのだ。
「それで、どうなの?今のところはさ」
「え、今のところ?そう・・・・普通・・・・」
「それなら良いじゃ無いの。もう少し普通にしていなさい。それが一番よ」
「でも、相談・・・・しなきゃ・・・・」
「そう言う雰囲気になればね。でも、雰囲気ができてないのにするわけにも行かないでしょ?」
「そう・・・だけど・・・・・」
「だから、普通にしていてそういう感じになればすれば良いし、ならなければそのまま帰れば良いでしょ?別にそれだって良いじゃないの」
「そうね・・・・・」
「大丈夫。何度も言うけど、私はおじさまは安心していい人だと思ってる。詩織に紹介したのは詩織の力になってくれるって思ったから。本当よ。私、変なことなんて考えてないよ」
「うん、それは何となく分かってる・・・・」
「もし、あんまり相談する雰囲気にならなかったらそのまま別れて帰れば良いんだから。詩織にだって気持ちが動く時とそうじゃ無い時だってあるだろうし。もし、また次に会いたければそう言ってくれれば都合付けるし、嫌ならそのままにすれば良い。あんまり考え込まないことね」
詩織は友紀の言葉を聞いていて、少しずつ気持ちが楽になってきた。さっきまでは『相談しなきゃいけない』という強迫観念に縛られていて、見ず知らずの晃一に気持ちを打ち明けるのを躊躇っている自分との間に挟まれて気持ちが苦しかったのだが、だんだん気持ちが楽になってきた。
「そうよね、それでいいんだから・・・・」
詩織がそう言うのを聞いて、友紀にも詩織の気持ちの変化が通じた。
「そう、いきなりで気持ち的にしんどいと思うよ。それは分かる。でも、おじさまって一緒に居て楽でしょ?」
「うん、それはそうかも・・・・、気を遣ってくれるから」
「それなら、もう少し気を遣わせてあげたら?おじさまって人に優しくしたり気を遣ったりするのが好きな人だから、詩織がそれを受け入れてくれるだけでもきっとおじさまだって嬉しいから。たぶん、それで十分だと思うよ」
「そうなんだ・・・・」
詩織はちょっと驚いた。世の中にそんな人がいるとは思っていなかったからだ。正直に言えば、人に親切にするのは何らかの対価を期待していると思っていたからだ。
「ま、自分の感覚を信じることね」
「うん、ありがと」
「気を楽にしなさい。ま、頑張って」
「じゃ、ばいばい。後で電話する」
詩織はそう言って電話を切ると、晃一の所に戻った。だいぶ長く電話していたので晃一に何か聞かれるかと思ったが、晃一は何も言わなかった。すでにテーブルには注文したランチコースが並んでいる。
「さぁ、お腹空いたろ?食べよう」
「はい」
そう言って二人はナイフとフォークを手にした。晃一が何も聞いてこないのも大人の優しさのような気がした。
「詩織ちゃんは好き嫌いはあるの?」
「はい・・・・・実は・・・・」
「このコースは大丈夫だった?食べられないものとか、あるの?」
「いえ、なんとか・・・・」
「それは良かった」
そこで詩織は初めて自分から話をしてみた。
「たぶん、食べず嫌いなんだと思います。食べ慣れていないものに抵抗があるだけで・・・、食べてみれば美味しいのかも・・・・・美味しさを知らないだけなんだろうって思います」
「へぇ、偉いね。自分でそう思うなんて」
「家で食べるものが少し偏ってるような気がするから」
「そうなんだ。お母さんの好き嫌いが影響してるのかな?」
「多分そう・・・・だと思います・・・・」
「好き嫌いは移るって言うからね」
「そうなのかも・・・・・・・でも・・・・」
「でも?どうしたの?」
「だとしたら、悲しいこと・・・・ですね・・・」
「悲しい?」
晃一は面白いことを言う子だなと思った。
「だって、親は意識してないのかも知れないけど、子供にその気が無いのに好き嫌いを移しちゃうなんて・・・・」
「なかなか鋭い観察だね。それじゃぁ聞いても良い?詩織ちゃんが一応嫌いなものだけど、もしかしたら美味しいのかも知れないって思ってるものはある?」
「それは・・・・・・・たぶん、ナス」
「ナス?野菜の?」
「そう。だって、麻婆ナスとかあるくらいだからきっと美味しい野菜なんだと思うけど、うちではまず出てこないもの」
「だから詩織ちゃんは嫌いなの?」
「嫌いというか・・・・食べたこと無いから・・・・・給食で少し出たことがあるけど、好きとか嫌いとか考えるほどの量じゃ無かったし」
「給食に出た時は食べたんだ」
「少しは食べたけどほとんど残したし・・・・・たいてい他の野菜と一緒だったし・・・」
「外食はあんまりしないの?」
「両親と出た時だけ・・・・・・たぶん・・・・他の子がどうなのか分からないから比べられないけど・・・」
「ふうん、ナスねぇ・・・・」
「それと、鶏肉かな?」
「ええっ?鶏肉も?」
「臭いが嫌なの」
「それは詩織ちゃんが自分で嫌いになったの?」
「それはそう・・・なんですけど・・・・良く考えてみると、『臭いが気になる』って言われたのをそのまま覚えてるだけなのかも知れなくて・・・・・・」
「鶏肉の臭いが気になる、ねぇ・・・あんまり聞いたこと無いかなぁ。まぁ、そう言う人も確かにいるだろうけど・・・・」
「だって、家で鶏肉食べることって、あんまり無いでしょ?」
「そう?」
「だって、唐揚げやフライドチキンは買ってくるものだし、焼き鳥とかはお父さんがお店で食べるものだし、チキンカツはマイナーだから」
「そう言われてみると、とんかつやすき焼きみたいに鶏肉を使わないとできないものって言うと、意外に少ないかも・・・、フライドチキンや鶏の唐揚げなんかは作る人も多いと思うけど詩織ちゃんの家は買ってくるんだね。それじゃ、チキンソテーとかは?」
「食べない・・・・・」
そう言う詩織は目の前のランチをほとんど綺麗に食べていた。もうほとんど残っていない。
「でもさ、詩織ちゃんはもうほとんど全部食べちゃったよね。付け合わせの野菜も」
「はい、魚は好きだし、野菜も基本的には好きなんです」
「もう少し食べる?」
「いえ・・・・・・」
詩織は言葉を濁した。食べたくないわけは無いのだろうが、店の雰囲気が窮屈なのかも知れない。
「それじゃぁさ、良かったら夕食も付き合ってくれないかな?今日聞いたナスと鶏肉に挑戦してみようよ。詩織ちゃんが好きだって言った貝類も合わせてさ。早めの夕食にするから」
「良いですけど・・・・・・・でも三谷さん、本当に美味しいんですか?」
そう言って詩織はまじまじと晃一を見つめた。くるんとした目が可愛らしい。小柄なことも手伝って子供っぽく見えてしまう。菜摘や美菜とかと違ってどきっとすると言うよりはほのぼのとする雰囲気だ。
「俺は美味しいと思うよ。俺が美味しいと思うものを出すから、自分で確かめてみたら?どう?」
晃一が訪ねると、詩織は迷いながらも小さく頷いた。