第245部

「それじゃ、夕食までには運動してお腹を空かせないとね。散歩に行こうか?歩くけど、良い?」
晃一がそう言って席を立つと、詩織も静かに席を立った。
エレベーターの中ではたまたま二人になったので、晃一はこのタイミングで気になっていたことを言っておくことにした。
「詩織ちゃん、今日は相談したいことがあるって言ってたけど、まずは気分転換するのが一番だと思うんだ。一つのことしか考えていないと、どうしても思考の範囲が縛られちゃうから。気分転換するだけでも気持ちは楽になるものだし、考える幅も広がるから。それから話を聞かせてもらえないかな?今日は緊張しているだろうから、まず自分を楽にしてあげるのが一番だと思うんだ」
「はい・・・」
詩織は晃一の言葉を聞いて、ともすれば責任逃れとも取られかねない言葉なのに、親身に聞こえるのは何故だろうと思った。
それから晃一は詩織を東京駅の地下にあるキャラクターストリートに連れて行った。ここには有名なキャラクターや各テレビ局の有名番組のグッズを扱う店が十数軒並んでいる。晃一は本来はもっと子供向けの場所だと言う気がしていたので高校生を連れて行っても良いものかどうか不安だったが、心配をよそに詩織はあちこちを順番に回って結構楽しそうだった。
「詩織ちゃんはあんまり買い物しないんだね」
「いえ、今月はちょっとお金が・・・・、いろいろ使っちゃったから。でも見るだけで凄く楽しいから・・・」
「それなら、買って欲しいものがあれば言ってね。それくらいプレゼントするよ」
「うわ、さすが大人の発言・・・」
詩織はそう言ったが、買って欲しいものがあるのかどうかは言わなかった。そのままさらに20分くらいあちこちを見て、一通りの店を全てクリアした後、晃一は再び聞いてみた。
「詩織ちゃん、もし良かったら何かプレゼントするよ。買うのが俺でも良ければ、だけど」
すると今度は詩織が考え込んだ。そして、
「それじゃ、お願いしても良いですか?」
と言うと、晃一を一つの店に連れて行き、小さなマスコットグッズを指差した。
「これなんですけど・・・・・良いですか?」
それは人気番組名の入ったハンカチだった。
「うん、良いよ。いくつ?」
「できれば二つ・・・・。使うのと取っておくのと・・・・」
「了解」
晃一は二つを会計すると、詩織に渡した。
「ありがとうございます」
詩織はそれを鞄にしまうと、直ぐに店を出た。晃一は『あんまり嬉しそうじゃ無いけど・・・ま、ハンカチだからそんなに騒ぐほどじゃないか』と思い、詩織の後を追った。実は詩織はハンカチを受け取った後、複雑な気持ちになったのだ。買って貰ってもちろん嬉しいのだが、それを喜びたい自分と、晃一の雰囲気に慣れていく気持ちを警戒している自分と、どちらが本当の自分の気持ちなのか分からなくなっていたのだ。
次に晃一は地下鉄を乗り継いで詩織を六本木ヒルズに連れて行った。
「詩織ちゃんはここに来たことある?」
「無いです」
「そうか、それならここで良かったかな?ミッドタウンの方が良かった?」
「そう言われても、違いが良く分からなくて・・・・」
「そうか、ここに来たのは、ここには展望台があるから、なんだ」
「展望台?」
「そう、ショッピングならミッドタウンの方が良いと思うんだけどね。取り敢えず遠くを見渡せる場所って言うことでここに来ただけだから。もし、ミッドタウンが良ければ後で行こう」
「そうなんですか・・・・・」
詩織は展望台という発想自体が良く分からなかった。展望台と言えば混むだけで、並んで疲れて遠くをちょっと見てお終い、と言うのがイメージだったからだ。どうも晃一の行動パターンというか晃一の考え方自体が理解できない。しかし晃一はそんな詩織の気持ちにはお構いなしに更に話を続けている。しかし、晃一の話を聞くのは嫌では無かった。
「元々六本木ヒルズは会社がいろいろ入っているだけで、ショッピングエリアは横の方に商店街みたいなのがあるだけだしね。レストランはビルの中に入ってるけど。とにかく上に上がろうか?」
晃一はそう言って詩織を展望台に連れて行った。その日は一応遠くまで見えており、展望台に上がる価値はある、と言える眺望だったが、詩織には今一歩響かないようで、大人しく見てはいるが喜んではいない。
「あれが皇居だね。それと、あれはミッドタウン。近いだろ?」
「・・・・・・・・・・」
「それと、あのビル。あれがアークヒルズで、ヘリポートが分かるかな?あそこから成田空港行きのヘリコプターが発着するんだ。もの凄く高いから乗ったことは無いけどね。でもあっという間に着くらしいよ」
「はい・・・・・・・・・」
詩織は晃一の話を大人しく聞いていたが、聞きながら晃一が何をしたいのか分からずに戸惑っていた。最初はリラックスさせてくれるのかと思ったが、次々に説明してくるのでそういう訳でも無さそうだ。知識をひけらかしたい、所謂知ったかぶり野郎なのかとも思ったが、そういう感じでも無さそうだ。晃一の話を聞きながら、詩織はますます分からなくなっていった。
「それと、ここだと東京タワーとスカイツリーが一緒に見られるだろ?意外と同じアングルで見られる場所って少ないんだよ」
「・・・・・・・・・・・」
詩織が黙ったままなので、やっと晃一は何かが変だと気が付いた。
「詩織ちゃん?楽しくない?」
「ごめんなさい・・・・・。いろいろ説明して貰ってるけど、何が何だか混乱してて・・・・・・」
「そうか、いろいろしゃべっちゃってごめんね。気分転換になるかと思ったんだけど・・・」
「こんな景色、見たこと無いからきっと楽しいんだと思います。でも、なんか気持ちが・・・」
「・・・・・ごめん・・・・・」
「いいえ、そう言うことじゃ無くて・・・・」
「下に下りようか?お茶でもしよう」
「いえ、そうじゃ無くて・・・・・」
次々に気を遣ってくれる晃一に、詩織の気持ちはどんどん乱れていった。晃一の気遣いについて行けないのだ。何をして貰っても気持ちが乗らずに冷めている自分を思い知らされてしまう。それが悲しかった。
晃一も詩織に何をしてあげるべきか、とうとう分からなくなってしまった。何をしても、どこに連れて行っても、どうしても気持ちが近づかない。
「それじゃ、もう少し見たら下りて、取り敢えずお茶しよう」
それだけ言うと晃一は黙り込んだ。
詩織は申し訳ないと思う気持ちと、黙り込んでくれた安堵感と、自分から言い出しておいて拒否している自分が情けないのと、いろいろ入り交じった気持ちで自分が分からずに困り果てた。
二人はそのまましばらく展望台を見て回ってから、ほとんど無言で下に下りてアイスクリームカフェに入った。
「ここで良い?」
「はい・・・・・・・・」
詩織は店などどこでも良いと思っているのは明らかだった。それでも注文する時に、
「あ、テレビで見たことある」
と言ったのを見ると、嫌がっているわけではなさそうだし、ちゃんと自分で真剣に選んで注文した。席につくと、詩織の表情が少しだけ和らいでいる。
「さっきはごめんなさい・・・・」
詩織から晃一に話し始めた。
「ううん、こっちこそ次々にごめんね」
「良いんです。私から言い出したことだから。なんか、自分でも焦ってるみたいで。何かしなきゃって思って。それなのに、いろいろして貰ってるのに何にもできなくて」
「そうなんだ・・・・・・」
詩織が話し始めたので、晃一はしばらく聞いてみることにした。
「私、いつもこうなんです。何かしたいのに、自分からは何にもしなくて、それで自分に怒って黙り込んで・・・・・・・・。これって迷惑ですよね」
「話し続けて。今はまず心の中のものを吐き出してごらん」
「友紀が羨ましかったんです。私だったら絶対あんなことできない。だって悲しくなるのは自分だもの。呼び出して何を話したって自分が悲しくなるだけ、そんなの私にはできない」
「そうだよね。友紀ちゃんは頑張ったよ」
「どうしてあそこまでできるの?教えて下さい。あんな事したって何にもならないのに」
「それは、詩織ちゃんが分かってると思うよ。友紀ちゃんだって悲しくなるのは分かってたみたいだよ」
「それなのに・・・・・・・・あの子、凄い・・・わかんないんです。あんなことできるのが」
「それじゃ、一つだけ言おうか。友紀ちゃんは前に進みたかったんだろうね」
「そう・・・それはなんて言うか・・・・たぶんそう・・・あのままだと動けなかったから・・・・・」
「そうだよね。きっとね、友紀ちゃんは彼が好きな気持ちを否定できなくて、それであんな事したんだと思うんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
「わかるだろ?」
「はい・・・・・・ああすれば、田中君を好きな気持ちを整理できるから・・・・・・」
「そう、きっとね」
詩織は柔らかくなってきた生のイチゴがたくさん混ざっているアイスをなんとなく軽くかき混ぜながらそれをじっと見つめていた。
「あの・・・・・・・・・」
「どうしたの?」
「・・・・・・・・いいです・・・・・・」
「どうしたの?」
「ううん、ちょっと・・・・・・でも、いい」
「言いたいことがあるなら言ってごらん。それとも聞きたいこと、かな?」
「でも・・・・・・・」
「大丈夫。何でも、どうぞ」
「あの・・・・・・・友紀のこと、好きなんですか?」
詩織は思いきって聞いてみた。たぶん、それを聞かないと自分が納得しないと思ったからだ。
「うん、好きだよ」
「でも、彼女がいるんでしょ?」
「もちろん。菜摘ちゃんていうんだけど、菜摘ちゃんと友紀ちゃんは仲の良い友達だし、友紀ちゃんはいつも菜摘ちゃんに話してから会いに来るよ」
「公認てことか・・・・・。どうしてそんなこと・・・・」
詩織は不思議に思った、と言うか奇妙だと思った。あの店に現れた可愛い子が菜摘だとすれば、きっと彼女として心配だから来たのだ。菜摘は友紀に対して何か負い目か引け目があって友紀の言うことを断れない理由が何かあるのかと思った。
「その辺は良く分からないけど、いろいろなことがあってこうなってるんだ。正直に言うと、菜摘ちゃんが彼女だけどその前は友紀ちゃんだったし、その前は菜摘ちゃんだったんだ」
晃一はさすがに美菜のことは話せなかった。それを聞いて詩織はなんとなく少し分かったような気がした。どうやら友紀と菜摘の間では取り合いをしたというわけでは無く、何かの理由があって『交代』したのだと直感が教えている。そうだとすれば、菜摘と友紀の間になにがしかの合意があっても不思議では無い。もちろん、彼氏である以上独占するのが当たり前だが、そう言うことなら、たぶん二人で独占しているのだろう、と思った。
「どう?少しは納得してくれた?それとも、もっと分からなくなった?」
「・・・・なんとなく・・・・・・・」
詩織はぼんやりだが友紀と晃一の関係が少しだけ分かったような気がした。同時に、自分はその関係の中には入りたくないと思った。だからこの話はこれ以上する気にはならなかった。ただ、友紀の中では田中の存在だけでは無く、彼氏未満の存在として目の前の晃一が存在しているのだと言うことだけははっきりと分かった。そしてそれは詩織には無いものだった。
「それじゃ、今度は俺から聞いても良い?」
その言葉に詩織は緊張した。直感的に『来る』と思った。
「彼とはどんな関係なの?」
「それは・・・・彼・・・・・」
詩織は『だった』と言いそうになったが言わなかった。
「それで、どんなことに悩んでるの?」
「それは・・・・・」
「言えない?」
「・・・・・・・・・・・・」
「でも、何とかしたいんだ」
「・・・・・・はい」
「それじゃ、言い方を変えるね。どんな恋愛をしたいと思ってるの?」
「それは・・・・・・・なんて言うか・・・・・もっと普通の・・・・・」
晃一は詩織を見ていて、何かが違うと思った。今までは彼が二股をかけていたことを知って彼を信じられなくなったのだと思っていたが、そう言う雰囲気とは違うようだ。
「ねぇ、失礼なことかも知れないけど、聞いても良い?」
「はい」
詩織はそこだけは直ぐに返事ができた。
「友紀ちゃんが突然現れたから彼に幻滅したのかと思ってたけど、もしかしたらそうじゃ無くて、元々彼との関係に何か気になることとか迷っていたことがあるんじゃ無い?」
「それは・・・・・・・・・・」
詩織は晃一に言われてドキッとした。
「・・・はい、そうです・・・・」
「何が心配だったの?何に怯えてるの?」
晃一は聞いてからじっと詩織の返事を待った。これ以上は詩織が詩織の言葉で言わないと意味が無い。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
詩織はなかなか口を開かなかった。それでも晃一は待ち続けた。それから3分ほど詩織は黙っていたが、やがて小さく口を開いた。
「・・・・・・・・・・・あの・・・・」
言葉が止まってしまう。それでも晃一は待った。それが最大の援助だと思ったからだ。
「ゆっくりで良いから言ってごらん」
「・・・・・・一緒に居ても・・・・・・」
詩織はなかなか言えなかった。言いたいことははっきりと分かっていた。しかし、身近な人では無い晃一を相手にしてもとても言えなかった。それはたぶん、相手が女の子の友達でも同じことだったろう。実は詩織はデートで彼の部屋に行くと、いつも同じパターンの繰り返しなのだ。ちょっとキスをしてから軽く胸を探られると直ぐにパンツを脱がされていた。そして四つん這いになって後ろから指を入れられて中を弄られていた。詩織自身はそんなことよりももっとキスをしたり甘えたりしたいのだが、なかなかそう言う展開にはならず、直ぐに四つん這いにさせられてパンツを脱がされて指を入れられていたのだ。そして最大の問題は、詩織がそれで激しく感じてしまうと言うことだった。指で中を弄られるととにかく気持ちが良くてどうしても声を上げてしまう。そして身体は快感に流されてしまいながらも満たされない気持ちが大きくなるのだった。
晃一は静かに詩織の言葉を待っている。
「・・・・あの・・・・・なんて言うか・・・・・・気持ちが・・・・」
「うん」
「・・・・・・合わないって言うか・・・・・・・気持ちが・・・・違ってるって言うか・・・」
「うん」
「安心できない・・・・・のかも・・・・・知れない・・・・」
「そうなんだ。どんなことに?」
「それはちょっと・・・・」
「言えなければ良いよ。無理に聞かない。大切なのは詩織ちゃんの気持ちがどうか、であって彼がこうだ、とか、こんな事する、じゃないからね。それで、詩織ちゃんは彼といるとどんな気持ちなの?」
「だから、安心できない・・・・・・」
こんな言い方で良いのだろうか?と思ったが、今はそれしか言えない。
「そうか。もう少し聞いても良い?」
「・・・はい・・・・」
「詩織ちゃんが安心するためには、どうなれば良いんだと思う?」
「それは・・・・・もっと・・・・・・」
詩織はプライベートなことを言いそうになって言い淀んだ。
「あの・・・・・普通の・・・・・・」
「普通の?」
詩織は思いきって言った。
「普通の恋人同士になりたいんです」