第247部

「ここ、三谷さんはよく来るんですか?」
「いや、そんなに何回も来たわけじゃ無いさ。ほんの3回くらいかな?でも、炭火で焼くのが美味しいから覚えていたんだ」
「そんなの、危なくないんですか?」
「そうだね。注意しないとね」
晃一は涼しい顔でそう言うと、店員に今日のお勧めを聞いてから次々に注文していった。詩織は最初、居酒屋特有の猥雑さに緊張していたようだが、少しすると次第に慣れてきたようで少しずつ興味深く店内を見回している。
「どうしたの?何か気になることでもあった?」
「いえ、あの、そういう訳じゃ・・・・、でも、大人ばっかりだなって・・・・」
「そうだね。居酒屋は基本的にお酒を楽しむところだから、ハンバーガーチェーンみたいに学生と家族連ればっかりって訳じゃ無いからね。どう?居心地悪い?」
「いえ、大丈夫です」
詩織はいつの間にか、一緒に居る晃一が心の支えになっていることに気が付いた。そして、晃一と一緒だから安心だと思っている自分がちょっと不思議だった。
「次々に出てくるからね。どんどん食べないとカウンターがいっぱいになっちゃうよ」
「はい、それは大丈夫だと、きっと」
「よかった」
「ここは元々鮮魚系のチェーン店の居酒屋だけど、詩織ちゃんは魚ってあんまり食べないんだよね。良かったかな?」
「はい、こう言う時じゃ無いときっと来ないから」
「それじゃ、やっぱり肉が良いとか思ったら言ってね。無理強いなんてしたくないから」
「無理だなんて思っていません」
二人がそんな話をしている間に炭火の七輪が届いたので晃一はそれを自分の前に置いた。
「炭火で焼くと美味しいけど、時々跳ねることがあって危ないからここに置いておくね。その代わり、これから届く貝なんかは詩織ちゃんの前に置かして」
「・・・・・・・・」
晃一は優しくそう言ったのだが、詩織は突然真っ赤な顔をして下を向いてしまった。
「どうしたの?」
「いえ、なんでもありません」
「前に置かれるのが嫌なら・・・・」
「大丈夫です。何でも無いです」
詩織は真っ赤な顔をして慌てて必死に打ち消した。実は晃一が言った「置かして」という言葉が「犯して」と同じ音だったのでちょっと想像してしまったのだった。もちろん、そんなこと言えるはずが無いので必死に打ち消したのだ。
「それなら良いけど、なるべく前は空けて置くからね」
「・・・・・・・・はい」
晃一は生ビールを飲みながら『いろいろな雰囲気を持つ女の子だなぁ』と思った。朝よりはだいぶ雰囲気が柔らかくなってきたが、警戒しているのがありありだったりするかと思えば急に心の中を打ち明けたり、今のように女の子っぽく恥ずかしがったり、とにかく良く雰囲気が変わる。
それは更にその後の詩織の様子にも現れていた。焼き物が来て店員が手際良く目の前の七輪に並べて焼いてくれたのだが、その様子にしおりは目を見張り、ハマグリもアサリもあっという間に平らげてしまったし、合わせてその後に届いた焼きナスや鳥の柚子焼きも直ぐに食べてしまった。慌てて晃一がいくつか追加の注文をしたが、晃一が食べる暇が無いほど簡単に食べてしまったのだ。
「詩織ちゃん、感想を聞かせてよ」
「ええと・・・・・、どれもとっても美味しいです」
「貝なんかは新鮮だったから美味しいのは当たり前だと思うけど、焼きナスや鶏肉なんかは普通だと思うけどなぁ」
「そうかも知れないけど、他のが美味しかったからか、簡単に食べちゃったみたいで。私も最初はどうかな?って思っていたんですけど」
「そうか、ナスは?」
「ナスはちょっと微妙だったかも・・・・・苦いって言うか・・・、でも、なんとなく美味しかったですよ」
「家では食べないから?」
「そう・・・・家ではこんなの食べたこと無いからかな」
「でも、気に入ってくれて良かったよ」
「三谷さん、実は・・・・・・・・」
「なんだい?」
「お昼のレストランで、私、友紀に電話していたんです」
「そうなんだ」
「その時友紀が、三谷さんとなら美味しいものが食べられるって言ったんです。それが本当だったんだなって思って・・・・・」
「友紀ちゃんがそんなこと言ったんだ」
「そう、友紀とはどんなものを食べたんですか?」
「えーと・・・・。あ、それは友紀ちゃんから聞いてよ。俺が言っても良いんだけど、友紀ちゃんから聞いた方がきっと楽しいと思うし、二人が話すネタにもなるだろ?でも、実はそれほどいろいろ食べたわけじゃぁないんだよ。秘密にするほどでも無いけどね」
それを聞いた詩織は、きっと晃一にこれ以上友紀や晃一の彼女のことを聞いても話さないだろうと思った。しかし、詩織にとってはそれがきちんとプライバシーを守ってくれる、と言う意味で印象がプラスになった。そして、たぶんこのまま食事を終えて店を出ればそのまま家に帰ることになるだろうな、と思った。そして、今日はそれで十分だと思った。
食事がほとんど終わり、晃一がお茶を頼んでくれたので詩織はそれを飲み始めた。
「三谷さん、一つだけ聞きたいんです。良いですか?」
「もちろん」
「どうしてこんなに良くしてくれるんですか?私は知らない子なのに」
「それは友紀ちゃんの頼みだから、だね」
「それって、友紀のことを好きだから、ですか?」
「うーん、そう言えばそうなのかも知れないけど、あのさ、友紀ちゃんて友達を大切にする子で、友達のために自分も一生懸命になる子なんだよ。それは分かってる?」
「はい」
「それは逆に言うと、友紀ちゃんはその子のことを大切にしてるし、友紀ちゃんにとってそれが大切だってことだと思うんだ。だから、その友紀ちゃんからの頼みを大切にするってことは、友紀ちゃんを大切にすることと同じだろう?わかるかな?」
「はい」
それを聞いた詩織は、きっと晃一と友紀の中はかなり深いものだと思った。そして、思い切り年が離れているが、こういう人が傍にいてくれるからこそ、友紀はあんな大胆なことができたのだろうと思い、ちょっと羨ましくなった。
「私、友紀が羨ましいです」
「羨ましい?どうして?」
「だって、私の回りには三谷さんみたいに人間関係を大切にしてくれる人なんていないから」
「え?だって、今、ここに、詩織ちゃんの前に、俺、いるんだけど・・????」
「だってそれは三谷さんが友紀の頼みだからって・・・」
「もちろんそうだけど、その友紀ちゃんだって菜摘ちゃんがいたから知り合ったわけだし。いきなり友紀ちゃんが街で俺に声を掛けてきたわけじゃ無いよ。人の繋がりってそう言うもんだろ?」
「・・・・・・・・・」
「だから、詩織ちゃんに対してだって一対一で人として話をしてるつもりだけど」
そう言われて詩織はポッと心の中が温かくなったような気がした。しかし、晃一はそう言ってくれるが、実は詩織には制限が掛けられていた。友紀から念を押されているのは、決して晃一に詩織から直接連絡しないこと、だった。必ず友紀を通せというのだ。最初、それは晃一が友紀の彼女なのだから当然だ、と思っていたが、どうやらそうでは無いらしい。だから今、その理由は分からなかったが、晃一に心を開き始めた詩織にとって、もしかしたら今後は煩わしくなるかも知れないと感じていた。
そして、そこまで晃一に心を開こうとしている自分に驚いた。
「どうしたの?」
「三谷さん、私、本当はこんな子じゃ無いんです」
「え?こんな子じゃ無い?」
「ほとんど初対面の人にこんな話をする子じゃ無いんです。そんな勇気なんて無い子なんです。三谷さんは特別です。たぶん、初めて」
「女の子の友達には相談しないの?友紀ちゃんには相談したんだろ?」
「したって言えばしたけど、それは相談て言うか、友紀は友達って言うか知り合いの中では別だし、話の最初の部分だけだから」
「他の女の子の友達には?」
「しません。そんなこと」
「そんなこと?」
「だって、女の子って、いつでもあの子はどうだとかばっかりで、全然責任なんて無いんです。だから怖くて」
「そうかなぁ・・・・・・」
「だから、相談できるとしたら男の子って言うか、彼しかいないと思ったんです」
「それで彼に相談したんだ」
「してません」
「どうして?聞いてくれないの?」
「聞いてくれないって言うか、そう言う雰囲気じゃ無いって言うか・・・」
さすがに言いすぎたと思ったのか、詩織はそこで口を閉じた。その雰囲気は直ちに晃一に伝わった。
「詩織ちゃん、それ以上は、今日は止めておこうか」
「はい・・・・・・・」
そう言われて詩織は、逆に今自分の中に言いたい気持ちがあることを認めた。しかし、ここで言えばきっと後悔するとも思った。今は雰囲気に呑まれている部分があると警戒する気持ちもあるのだ。
「今度、詩織ちゃんが相談したいって思ったら、俺の部屋においでよ。そうしたらじっくり話を聞くし、相談にも乗るよ」
「はい、お願いします」
「うん、いつでも良いよ。それじゃ、連絡先を聞いても良い?」
「それは・・・」
詩織は急に戸惑ったように視線を逸らせた。
「え?だめ?」
「そうじゃ無くて、友紀に言われてるから。連絡は友紀がするからって」
「そうなんだ。どうしてそんなことを・・・・・・。ま、今それを詩織ちゃんに言っても仕方ないね。どう?お腹いっぱいになった?」
「はい、たくさん食べました」
「良かった。それじゃ、帰ろうか?」
晃一は詩織を伴って店を出ると、神田から山手線に乗り、途中で乗り換えて詩織の家の方へと向かった。途中、休日にしては電車が少し混んでいたが、詩織と晃一の身体の間隔は朝よりもずっと小さく、何度か電車揺れると身体が触れあうほどだった。
詩織が最寄りの駅で降りていくと、晃一にはどっと疲れが出た。そして、詩織と別れたことで、ほんの今まで自分の横にいた女の子がどれだけ可愛らしかったか思いだし、あの子を抱けたらどんなに素晴らしいか、と思った。小柄で痩せてはいないが腰のくびれが綺麗に出ているし、胸も程良くある。あの子がベッドで喘ぐ姿を見てみたいと想像するのは男なら仕方の無いことだ。そう思うと、晃一の中で全裸の詩織が声を上げる姿が浮かび、肉棒に悶える様子が脳裏に焼き付いた。大人しそうな外見の詩織だけに全裸で声を上げさせたらどんなに素晴らしい反応を見せるのか興味は尽きない。
もちろん詩織が今まで目の前にいたときは意識してそう言う目で見るのを抑えていた。もしそんな目で一瞬でも女の子を見れば、敏感な年頃の子には立ち所に見破られてしまう。だから絶対にそんな目で見なかったし、そう思う事自体も意識的に抑え込んでいた。
だが、詩織が離れた後になってやっと詩織のプロポーションや顔立ちなどを思い出しながら、この詩織の彼というのはどんな男の子なんだろうと思った。
一方詩織は、晃一を意外にも心の中に受け入れた自分に驚きながらもそれを喜んでいる自分を褒めていた。そして、この先どうなるか分からないが、恋愛抜きなのに心の中を打ち明けられる人という自分にとって未経験な存在に興味が深まっていった。
晃一についても、視線が一瞬気になることもあるにはあるが、気にしすぎなのかも知れないというレベルだし、知らない女の子の悩みだがどうやら真剣に受け止めてくれていると考えて間違いなさそうだ。もちろん友紀や菜摘という彼女の存在も気にはなったが、もともと詩織にとっては晃一のことが好きとか嫌いとか言う話では無いし、それよりも今は自分のことの方が気になっていたから取り敢えずそちらの方は様子見のつもりだ。そして、やんわりとではあるが晃一が自分にとって安心して相談できる相手で会って欲しいという願いが気持ちの中に生まれていることが少し嬉しかった。
その翌日の日曜日の午前中、深夜までネットで映画を見て朝寝坊した晃一に友紀からメールが入った。詩織のことで会いたいから四時にマンションの部屋に行くという。晃一は元々買い物に出るつもりだったが、ここで断るのは詩織の相談を引き受けておいて無責任だと思ったので友紀にOKの返事を送った。
そこで、早めに街に出ることで買い物を済ませた晃一は、ケーキを買って友紀を待っていた。美菜のことも気になってはいたが、あれから全く連絡が来ないし、美菜を抱いているときに何となく自分から離れる気になっているのでは無いかと感じていたから深追いはしないことに決めていた。
その頃菜摘は、図書館で大量の本と格闘していた。家で勉強していると、どうしても妹が邪魔をしたり母から用事を言いつけられたりするので図書館の方が勉強が捗るのだ。しかし、午前中にかかってきた友紀からの電話が気になって早めに勉強を切り上げることにしたので、今は気合いを入れて今日の分を片付けていたのだ。
『あ、菜摘?ごめん、ちょっと急いでてごめんね。詩織のことなんだけど、どうやらおじさまに話を聞いてもらえたみたい。まだ少しだけどね。東京でご飯食べてきたって言ってた。でも、詩織自身迷ってたりしてはっきりと相談するところまで行ってないみたいなのよ。だからちょっとおじさまのところに相談に行ってくる。良いでしょ?』『今日?これから?いつ?』『ちょっと先にやることがあるから、4時頃だと思う。どうしても寄るところがあるから。ね?良いでしょ?それじゃ』
そう言うと友紀は菜摘の返事もほとんど聞かずに電話を切ってしまったのだ。もちろん菜摘には友紀が晃一に会いたいためにそう言っているのは分かっていた。きっと会いたくなって我慢できなくなったので急に予定を入れたのだろう。友紀が彼氏と別れたから辛い時期なのは分かっている。しかし、先週も晃一のところに行ったみたいだし、それに今週も、ではほとんど毎週だ。カードキーは返して貰ってあるが、菜摘は友紀にはっきりさせておく必要があると思い、それで切りの良いところで勉強を切り上げることにしたのだ。
それからしばらくして4時を少し回った頃、晃一のマンションのチャイムが鳴って友紀が現れた。
「さぁ、はいって」
晃一は友紀を迎え入れると、友紀が滑り込んできた。
「おじゃましまぁーす。もちろん菜摘には言ってありまーす」
友紀はいつものように明るい雰囲気だ。リビングに入った途端、まだ座ってもいないうちから友紀の方から晃一に話しかけた。
「おじさま、それで詩織はどうだった?」
「詩織ちゃんから連絡はあったんだろう?」
「もちろん、それが詩織との約束だから。でも、おじさまの口からも聞きたいの」
「うん、それはそうだよね」
晃一がそう言いながらソファに座ると、友紀はちゃっかり晃一の膝の上に乗ってきた。自分から横向きに座り、晃一の肩の上に自分の顎をちょこんとのっけて耳元で囁いてくる。
「え?」
「良いの良いの、ここで。で、詩織は?」
「でも、いきなりこんな所に座って・・・・」
「いけない?」
「そんなことはないけど」
「じゃあ聞かせて。詩織は?」
友紀は両手を晃一の首に回し、まるでその気になって晃一を誘っているようだ。今日は日曜日だが、今の友紀は何故かきちんと制服を着ている。
「うん、最初はね、かなり緊張していたみたいで話もあんまり弾まなかったんだ。お昼過ぎに友紀ちゃんに電話したんだろ?お昼頃。でも、それからだんだん話をするうちに打ち解けてきて、夕ご飯を食べた頃にはだいぶ気持ちの壁は取れたんじゃ無いかと思うんだ」
「ふう〜ん、おじさまとしてはそう思うんだ」
「えっ、違うの?」
「まぁ、詩織から聞いた雰囲気もそんなところだけどね」
「なんだ、脅かさないでくれよ」
「それで、詩織の相談事ってなんだったの?」
「それはまだ聞いてない。それに、聞いたとしても友紀ちゃんに言って良いかどうかは詩織ちゃんが決めることだし」
「それは良いの。詩織はOKしてるんだから」
「そうか。それじゃ、今度会った時に確認させて。こういうのはとても微妙なことだから、言葉の勘違いってこともあるからね。友紀ちゃんがそう言うんだからそんなことは無いとは思うけど、確認することで気持ちの覚悟が決まるってこともあるから」
「分かってるって。おじさまが疑ったりしてるなんて思ってないから」
「ただ、どうもかなり根深いって言うか、単に好きとか嫌いとか言う話じゃ無さそうだね」
「おじさまもそう思うんだ」
「うん、友紀ちゃんも?」
「そう、あの子、大人しいからあんまり気持ちが出せないけど、かなり悩んでるみたいなのよ。だからおじさまって思ったの。私じゃ手に負えないわ」
「それでも力になってあげたかったの?」
「うん・・・・・、なんかほっとけなくて・・・・」
友紀は更に晃一の首に手を回して甘えるように身体を擦り寄せ、晃一の耳元で囁くような感じになってきた。これはどう見ても友達の相談という雰囲気では無い。晃一はちょっと困った感じになった。