第5部

 

しかし、結局その事は言い訳みたいになってしまって上手にメールに書けなかった。それでも菜摘は晃一とのデートが嬉しくて仕方なかった。自分でもどうしてこんなに嬉しいのか分からなかったが、気が付くといつもデートのことを考えていた。だから晃一には何通もメールを送ったが、晃一からの返事は少なかった。それでも菜摘は前日までドキドキしながら待っていた。ただ、一つ気になるのは、あの後、行き帰りの電車の中で晃一に会わなくなったことだった。だからほんの少しだけ『嫌われたかな?』と思ったが、『でも、大人なんだから約束は守るだろうし、都合が悪ければ連絡してくれるはず』と思って気にしないようにしていた。

そしてデートに行く前日、高校に行くと、授業前にいつもの友達の麗華が菜摘の前に座った。

「ん?なに?」

「あんた、恋してるね?」

「なん・・、何よ、いきなりなそのお言葉、何故に・・・」

いきなり核心を突かれて菜摘は動揺した。確かに恋と言われればそうかも知れないが、今の今までそれほど恋だとは思っていなかったからだ。でも、言われれば確かにそうかも知れない。

「ほほう、否定しないね。やっぱりね」

「そんな否定も肯定も・・・」

「なっち、あんた知ってる?そう言うのをね、『語るに落ちる』って言うんだよ」

「ええっ?あんた、鎌掛けたの?」

「どうだかね?でも、これで確定したわけだ。で、相手は?早くゲロって楽になりな」

麗華はいつもは優しいのだが、こう言う話にだけはとても鋭く突っ込んでくる。たぶん、もう少し大人しければ菜摘よりもスタイルが良いのだから、きっと男子は放っておかないと思うのだが、活発なおしゃべりなのでどの男子も近づけないのだ。それでも最近は一応彼氏と呼べそうな男子を捕まえていた。

「ごめん、後で言うから、今は勘弁して」

菜摘は完全に甲を脱いだ。麗華がそう言ってくると言うことは、菜摘の最近の様子が変わっていることに気が付いたのだろう。確かにデートのことを考えると楽しいので、学校でも何度も考えたことがある。迂闊だった。麗華の目に注意するべきだったのだ。こうなったら絶対に麗華の目をごまかすことなどできないのはよく知っている。

「ほう、もっとあがくかと思っていっぱい材料を持ってきたのに、こりゃ残念だわ。否定しないの?しても良いよ。どのネタから始めようかなぁ」

『やっぱりね』と菜摘は思った。無理に否定しても、きっと麗華は次々にいろんな情報を突きつけてくるだろう、きっと徐々に白状しなくてはいけなくなる状況に追い込んでいくのを楽しむつもりらしい。無駄なあがきはやるだけ無駄だ。菜摘だって他の友達に同じ事をしたことがあるのだから。

「ね?素直でしょ?だから・・・」

「12時45分に出るよ」

「えっ、いきなり」

それは友人たちと食事をしながら全て白状させられると言うことだった。次々に浴びせられる質問に全て答えていればあっという間に秘密なんか無くなってしまう。それをネタにおしゃべりに華を咲かせようというのだ。

「そ、それだけは、お願い」

「だめだね。あんた、受験生の分際で」

「あんただって受験生じゃないの」

「私は良いの。上手く行ってるんだから」

「私は上手く行かないって言うの?」

「ほう、乗ってきたね。それを確かめようって事さ。良いね、逃げるんじゃないよ」

そう言うと麗華は自分のクラスに帰って行った。菜摘はいきなり気が重くなった。麗華を中心とした仲間に、もっと早く言っておくべきだった。『抜け駆け』をしていると思われたようだ。こうなると徹底的に洗いざらい話さなくてはならない。

菜摘は麗華達に質問攻めにされてカラカラになってしまう自分を想像して暗澹たる気分になったが、それでも晃一とのデートのことを考えて何とか気分を盛り返した。

そしてその日の午後、菜摘は行きつけのカフェで麗華達にしっかりと事情聴取された。しかし、言ってみれば晃一とはまだ食事をしただけだし、それも成り行きみたいな物なのであまり突っ込まれることはなかった。ただ、思いっきり年上を菜摘が選んだのが意外だったようで、それについては少し言われたが、菜摘の話を聞いた後は晃一の大人のエスコートにどちらかと言うとうらやましがっているみたいで菜摘にとっては少し楽しかった。実は彼女達も年上にエスコートされてみたいと思っているのだ。だから菜摘は拍子抜けしたみたいに気楽に終えることができた。

昼食を彼女達と食べ終えて別れた後、菜摘に晃一から長いメールが届いた。グッドタイミングだ。

『菜摘ちゃん、ちゃんと返事を出さなくてごめんなさい。それに、あれから電車で会わなかったね。返事を出さないから嫌われたのかな?その明日だけど、まだ参加できる?もしその気があったら、二つのプランを考えたからどっちか選んで返事を下さい。1.午前中はアクアシティとデックス東京ビーチ、午後はジョイポリスと東京レジャーランド。2.午前中はデックス東京ビーチとビーナスフォート、午後はパレットタウン。昼食は菜摘ちゃんの希望の所に行きましょう。夕食まで時間が取れるならこちらで考えます。それと、待ち合わせは10:00に上野駅の中央改札でどうかな?』

メールを見た菜摘は一気に嬉しくなった。お台場はあまり知らないと言っていたのだから、きっと自分のために調べてくれてプランを作ってくれたのだ。慌ててメールを出した。

『メールをありがとうございます。嬉しくてびっくりです。直ぐに返事しますから、少しだけ待って下さいね』

それだけ返事をしておいてから、改めてじっくりとメールを読み返した。要するに、午前中は買い物をして、午後は遊ぼう、と言っているのだ。菜摘は家に帰るとネットでいろいろと調べてみた。確かに晃一のプランは二つとも合理的ではある。しかし、全ての予定をしっかりと決めてしまっては驚きも発見もないと思うのだ。だから返事には少し工夫してみた。

『お返事が遅くなりました。午前中は2のプランがいいと思います。お昼は近くのお店で食べればいいと思います。午後はパレットタウンの大観覧車に乗れれば、後はどこでもいいです。観覧車に乗ってから決めてもいいですか?。夕食は、できれば一緒に食べたいです。家には9時頃までに帰れば大丈夫です。どんな日になるのか、とても楽しみにしています。それでは上野駅で10時に待っています』

これで菜摘が少しフレキシブルな日程を望んでいることは伝わったはずだ。せっかく楽しんでいるのに次の時間を気にしなくてはいけないのでは楽しみが半減してしまう。だから菜摘はあまり時間に厳しい予定は好きではなかった。

当日まで、晃一はかなり忙しい日々を過ごした。普段はそれほどでもないのだが、月例の会議の前後は戦場のように忙しくなる。それで早めに会社に来たり、遅くまで残ったりして電車の時間は全然不規則だった。しかし、その中でも何とか日曜日の準備を整えなくてはいけない。幸い土曜日は休みなので、金曜の夜遅くまで仕事をした晃一は、土曜日に準備に取りかかった。しかし、菜摘にかこつけているが、実は晃一自身のリフレッシュという面も否定できない。何だかいろいろ考えて準備している内に楽しくなってきた。

一方の菜摘も日曜日を丸一日晃一とのデートに潰すので、その分の勉強は先にやっておかなくてはいけない。だから連日夜遅くまでがんばって勉強した。晃一のことを考えると自分がどんどん大人になっていくようで楽しくて仕方ない。それも相手がダンディな叔父さまとなれば、麗華達にだって恥ずかしくない、どころか自慢さえできそうだ。もちろん、菜摘は麗華達に事細かに報告するつもりなど全くなかった。これは菜摘自身の心の宝物、プライベートなのだ。菜摘は大切な宝物を大事に育てていこうと思った。

当日、晃一はいつもと同じ時間に起きると準備のために一度港区に向かい、それからお台場のホテルに寄ってから上野駅を目指した。だから、家を出た時間は平日と同じか、それよりも少し早いくらいだった。それでも菜摘が喜んでくれれば、と思い、眠い目を擦って早起きしたのだ。休日にこんな早い時間に起きるのは久しぶりだった。

そして準備を終えた晃一が上野駅に向かっていると、菜摘からメールが入ってきた。『三谷さん、今どこですか?私の快速は少し遅れてるみたいで、5,6分遅いみたいです。ちょっと着くのが遅れるかも知れません。ごめんなさい』晃一は、『遅れても大丈夫。ちゃんと待ってるからね。ゆっくりおいで』と返事を返し、程なく上野駅に着いた。

中央改札の近くで菜摘を待っていると、こんな気持ちになったのはどれだけぶりだろうと思う。嬉しいような不安なような、デートでの待ち合わせは本当に独特の気持ちだ。晃一はその気持ちを楽しみながら菜摘が現れるのを待っていた。

すると、10分ほど遅れて菜摘が遠くから小走りにやってきた。

「はぁ、はぁ、はぁ、ごめんなさい。だいぶ遅れちゃいました」

「そんなに急がなくても良いのに」

「だって、時間に遅れたから」

「菜摘ちゃんのそんなに疲れた顔を見るほうが辛いよ」

「ごめんなさい。あんまり運動は得意じゃなくて」

「何言ってるの。何か飲むかい?冷たいものか何か」

「いえ、だいじょうぶ・・・・・」

菜摘が遠慮するのも構わずに、晃一は小さい缶コーヒーを一つ買うと菜摘に勧めた。すると、菜摘は恐縮しながらもグイッと飲んでニッコリと笑った。その時になって初めて、晃一は菜摘の服装にドキッとした。今までは制服姿しか見ていなかったので、当然高校生にしか見えなかったが、薄手のブルーのサマーセーターからはからわずかに肌と下着が透けて見えており、はじけるような菜摘の笑顔とは対照的に艶かしく晃一の視線を奪ってしまう。目のやり場に困る、とはまさにこのことだと思った。

「今日はまた、えらく元気な格好だね」

と言うと、笑顔が急に心配そうな顔になったが、直ぐに、

「ちょっとがんばってみたんですけど、おかしいですか?」

とちょっと心配そうに首を傾げて聞いてきた。

「ううん、素敵なんだけど、可愛すぎて目のやり場に困っちゃうよ」

「うーん、それって、要するにOKってことですか?」

「もちろんそうなんだけど、今まで学校の姿しか見てなかったから」

すると菜摘はにっこり笑ってちょっと覗き込むようにして言った。

「高校生だって私服で外出しますよ。今日の服はいつもよりちょっとがんばったけど」

「そうだよね。ううん、女の子っていうより、女性っぽくて素敵だよ」

「よかった。そう言ってもらえると嬉しい・・・です」

「うん、なんか、デートしているみたいで緊張しちゃうけどね」

「え?そうじゃないんですか?」

「あ・・・・、まぁ、そう言ってみればそうなんだけど・・・・」

「もう、高校生の女の子をお台場に連れ出しといて、まさか勉強させようって言うんじゃ・・・」

「そんなことは考えてないさ」

「私、今日のためにちゃんと勉強は進めておきました。もう来週分の予習だってちゃんとしてあります。大変だったんですよ。この時間作るの。だって遊びに行ったから成績が落ちたなんていわれたくないですからね」

「それはそんなこと言わないよ。そう、菜摘ちゃんて学校の成績はどうなの?」

「いきなりそんなこと聞くんですか?」

「だめ?」

「ううん、三谷さんならいいですよ。こっそり教えてあげます。あのね、正直に言うと、真ん中より少し下なんです。でも、一応国立を目指してるんですよ」

「そうなんだ。真ん中より少し下って言うのが実際にはどうなのかよく分からないけど、ちゃんと勉強もがんばってるってことはよく分かったよ」

「それに・・・・・」

「ん?なんだい?」

「さっき、私のこと、名前で呼びましたよね?名字じゃなくて」

「そうだっけ?」

「そうです。『菜摘』って」

「そうだったかな?」

「そうです。上野駅でも」

「だめだった?」

「ううん、ぜんぜんOK。名前で呼んでくれたから成績を教えてあげたんですよ。いつもは他の人になんか教えませんから。もちろん友達にだって。私の大事なプライベートなんだから」

「そうだよね。ありがとう」

「それで、・・・・ね?」

「なにかな?」

「私はなんて呼べばいいですか?晃一さんかな?」

「うん、晃一でもいいけど・・・・」

「いいけど?だめ?」

「なんていうか、ちょっと恥ずかしいって言うか、何て言うのかなぁ・・・・、年も離れてるしね」

「私はぜんぜんかまわないのに」

「そうなんだけど、たぶん、菜摘ちゃんの親に近い年だよね。俺は」

「それなら『おじさん』とか?・・・・」

「なんか、それもオヤジっぽくていやだなぁ」

「うーーん、困ったなぁ・・・・どうしようかな・・・・」

「ごめんね。なんか俺のほうがはっきりしなくて」

「それなら、パパって言ってもいいですか?」

「え?パパ?」

「はい、実は私、父がいないんです。だから、一度パパって呼んでみたいなって思っただけで・・・」

「う〜ん、ぱぱかぁ」

「いやですか?」

「そんなことは無いよ。たぶん、傍から見ればそのほうが自然かもしれないし・・・」

「それじゃ、パパって呼んでもいいですか?」

「いいよ」

「本当に?呼んじゃいますよ。いいの?それじゃ決まりですよ」

菜摘は飛び上がらんばかりに喜んだ。本当に嬉しそうだ。

「うん、それじゃ、そうするか」

「はい」

「それじゃ、今日はパパに甘えてもらおうかな」

「我侭言っちゃいますよぉ〜」