第58部

 

 「・・そ、そうなんだ・・・・」
「たぶん、高木と上手くいかなかった時には三谷さんに戻るつもりなんだと思う」
「・・・そうかもね」
「それって、とっても三谷さんに失礼じゃない?冷静に考えてみて。今は自分の心の中に菜摘への気持ちがあるから嫌に聞こえないかもしれないけど」
そう言われれば確かにそうだった。もし菜摘に最初に言われていれば、きっと嫌な気がしただろう。
「そうだね。確かにそう思うよ。正直、今は友紀ちゃんの言う通り、確かにあんまり嫌な気はしないけど」
「そうでしょ?でも、それって引きずってるだけなの、分かるでしょ?」
「そう言われてみれば・・・・・確かにそうだよね」
「それが分かれば良いの。後は時間の問題よね。辛くても乗り越えなきゃね」
そう友紀は、かんで含めるように晃一に言った。
「ふぅ、そうだね、全く」
言われてみれば確かにそうだ。友紀の言う通り、あの菜摘からのメールはスペアを確保しておくためのものと言うよりは、別れを宣言したものと取るべきだ。それは分かるのだが、内心は菜摘に惹かれている自分を認めないわけにはいかない。菜摘を忘れることなどできるのだろうか、と思う。あの時間を、菜摘の笑顔を、声を、身体を忘れることなど、今はまだ、とうてい無理なような気がして仕方がない。
そこで晃一は、無理にでも目の前の少女に目を移してみることにした。
「ねぇ、友紀ちゃん」
「はい」
「どうしてそこまで親身になってくれるの?」
「そう言われると・・・・・・気にしないで、って言っても無理よね」
「無理だよ」
「それじゃ、正直に言います。この前、駅で挨拶したでしょ?あれって偶然じゃないんです。菜摘に幸せを分けてっていったの」
「幸せを分ける?」
「私、彼と別れたばっかりで、菜摘の幸せな話を聞いていたら、二人が幸せそうにしているのを見るだけでも良いかな、近くにいるだけでも気持ちが安らぐだろうな、って思ったの。ちょっと気持ちが落ち込んでたから。それで、菜摘に頼んであそこにいたの」
「名刺を欲しがったのも?」
「そう、菜摘の顔を見ていたらよく分かったの。どれだけ菜摘が夢中になってるかって。だから、その幸せを分けて貰おうと思って」
「それで、少しは幸せになれた?」
「確かに。あの名刺は今でもお財布に入ってますよ。今の私の小さな宝物。だから、三谷さんには早く立ち直って欲しいの。だって、過ぎたことばかり見てても良いこと無いもの」
そう言うと友紀は自分の財布から名刺を取り出して見せた。そして、晃一の注意が自分に向かってきたことがちょっと嬉しかった。今までは菜摘みを羨ましがるばかりで、絶対晃一が自分を見ることなどないと思っていただけに、菜摘の意外な行動は友紀にとってチャンスだと思った。しかし、今の友紀には菜摘のように晃一に身体を預ける気はなかった。晃一に惹かれている気持ちがあるのは事実だが、それではあまりに露骨だし、友達も無くしそうな気がしたからだ。しかし、晃一が自分に興味を持ってくれるのは嬉しい。
「大切に持ってくれてるんだね。嬉しいな」
「それじゃ三谷さん、お願いしても良いですか?」
「うん、良いよ。もう菜摘ちゃんとは会えないんだから俺はフリーだしね」
晃一はちょっと無理して強がって言った。
「それって私を菜摘の代わりに狙ってるって事?」
「まさか」
「最初に言っておきますけど、私、菜摘みたいに簡単には落ちませんよ」
「うん、わかった。肝に銘じておくよ」
「それなら良いけど。それでお願いなの。簡単に食事しません?おなか減っちゃって」
「あぁ、もちろん良いよ。ここで食べちゃって良いの?」
「ここでなんて食べません」
「え・・それじゃどこで・・・・・???」
友紀は改めて、という感じで言った。
「ちょっと行ってみたいお店が近くにあるんですけど・・・良いですか?」
「あぁ、もちろんいいよ。知ってるかもしれないけど、俺は後は帰って寝るだけだから。それじゃ、行こうか」
「あ、はい」
友紀は食べかけの杏仁あんみつを恨めしそうに眺めながらも席を立った。晃一が店を出ると、友紀は晃一を駅の反対側へと連れて行った。
「このあたり、家からはそんなに遠くないけど、なかなか来る機会が無いんです」
そう言って友紀は小さなカフェへと入っていった。
席に座ると、友紀は真っ先にメニューを見始めた。
「友紀ちゃん、それじゃ注文は任せても良い?」
「私が決めるの?まぁ、良いわ。今日は私が決めてあげる」
「ごめんね」
「三谷さん、お酒とか飲みたい?」
「うん、そうだな。お願い」
「ビール?」
「うん。友紀ちゃんも好きなのを頼んでね。お勘定は気にしないで」
「そうか・・・・・まぁ、私はいつもウーロン茶だけど・・・・」
そう言うと友紀は自分の分と晃一の分を注文した。
「友紀ちゃんは何時までに帰れば良いの?」
「門限?そんなもの無いわ」
「へぇ、高校生なのに?」
「私の家は自由だから。自営業で家族が一緒に食べるわけじゃないし」
「信用されてるんだね。どんな仕事してるの?」
「父は食品の卸をしてる小さな会社をやってるの。母もその手伝いとかしているから、二人とも遅いこともあるし」
「そんなときは一人で夕食を食べるの?」
「そう、自分で作ったり、買ってきたり・・・」
「兄弟は?」
「いないの」
「それじゃ、一人で食べたりするの?」
「そうよ・・・・・」
友紀はあまり触れられたくない部分だったのか、少し機嫌が悪くなった。
「一人で食べたって良いでしょ」
「あ、ごめん。そんなつもりじゃ・・・」
「良いの、だから今日は三谷さんと一緒で良いでしょ」
「うん、俺も一人で食事することが多いから嬉しいよ」
「私、中学の時からずっとこうだから、家族みんなでの食事って少ないの」
「それじゃ、週末とかが楽しみ?」
「週末?ううん、週末の方が一緒のこと、無いの」
「お父さんの仕事で?」
「出張とかも多いし、ゴルフとかよく行くし」
「大変なんだね。やっぱり商売をしてる人は。俺なんか、週末は必ず休みだよ。あ、必ず、じゃないけどほとんどはね」
「出張とかも多いの?」
「うん、多い方かな。最近は無かったけど、あちこち行くよ」
「良いなぁ、いろんな所に行けて」
「友紀ちゃんだって仕事して、責任を持つようになればきっとそうなるよ。ま、仕事で行く時は行って仕事して帰ってくるだけだから、どこに行ってもあんまり変わらないけどね。せいぜい夕食に名物を食べられるくらいだよ」
「良いなぁ、ねえ、どこに行った時が一番楽しかった?」
「そうだな、九州とか四国とか北海道とか、やっぱり東京からずっと離れたところに行くといろんな事が新鮮でおもしろいかな」
「飛行機で行くの?」
「遠いところはね。新幹線だと時間がもったいないから」
「新幹線て遅いの?」
「飛行機よりはね。たとえば九州の博多まで行くとすると、飛行機なら2時間かからないけど、新幹線だと5時間だよ。移動だけで半日以上つぶれちゃうと仕事してる時間がなくなっちゃうよ」
「仕事してた方が楽しいの?」
それは友紀の正直な気持ちだった。大人が仕事仕事という意味がよく分からない。
「なんて言ったら良いかな・・・・たぶん、友紀ちゃんたちの生活の中で言えば、勉強とクラブ活動の中間みたいなものなんだろうね」
「私、部に入ってないからわかんない。クラブなら入ってるけど」
「そうか、クラブ活動って、自分たちでやることを決めて自分たちでやるでしょ?」
「そうね・・・・」
「会社の仕事って、自分で責任を持ってやってるから、入社した手の若い人は違うけど、自分でやることを上司と相談して決めるんだ。そして、年を取ってくると自分の仕事は自分で決めることが多くなってくるから、どれくらい仕事をするかは自分次第になってくるんだよ。だから、だんだん時間がもったいなくなってくるんだ」
「なんか、分かったようなわかんないような・・・・・。でも、分かったことはあるわ」
「なに?」
「自分で決めて自分でするから偉くなる人とそうで無い人が決まるのね」
「そう言う部分はあるね。でも、よくそこに気がついたね」
「だって、パパはいつも会社の人とそんな話ばっかりしてるもん」
「そうか、社長さんだものね」
その時友紀は、晃一が『パパ』という言葉に微妙に反応したのを見逃さなかった。
「私は両親そろってるから、パパって言えば自分の親の事よ。菜摘はいないからね」
「厳しいなぁ、分かってるよ。わざわざ注釈を付けなくても・・・・」
「ごめんなさい。私にとって三谷さんは、やっぱり『オジサマ』だな」
「おじさま、ねぇ・・・・まぁ、いいけど」
そんな話をしているうちに、目の前に料理が出てきた。友紀はドリアとスープ、晃一にはビーフシチューとビールとチーズの盛り合わせだ。ただ、ビーフシチューと言ってもスープ皿では無く平皿に入っている。友紀のドリアには卵黄が載っているし、晃一のビーフシチューはステーキのように大きくて平らな肉が載っている。ボリュームもかなりある。友紀がどうやってこの店を知ったのかは知らないが、やはり評判が良いのだろう。
「わぁ、美味しそう。食べましょうよ」
「うん、そうしよう」
「いっただきまぁす」
そう言うと友紀はドリアをフーフーしながら食べ始めた。上に載った卵黄は焦げ目が付いているのに中はとろっとしている。きっとオーブンで最後に高温で短時間焼いたのだろう。友紀は夢中で食べている。
「友紀ちゃんは外で食べること、結構あるの?」
「そんなでも無い。友達はみんな家で食べるから。でも、食べようと思えば結構できるかな」
「自分で作ったりはしないの?」
「あんまりしない。面倒だもの。冷凍食品くらいかな・・・・」
「そうか・・・」
「三谷さんは?」
「実は俺もそう。自分でやろうと思えばできるけど、一人だけの食事じゃぁね。一人分だけ作るのは大変だし」
「そうよね。一人分なんて・・・。あ、そうそう」
そう言うと友紀はビールを注いでくれた。
「ありがとう」
晃一は注いでくれたビールを美味しそうに飲んだ。
「私が注いだビール、美味しい?」
「そうだね。一人で飲むよりずっと美味しいよ」
「ビーフシチューの味はどう?」
「食べてみる?」
晃一が少し切り分けて友紀のドリアに載せてやった。早速友紀は食べてみるが、美味しいとは言わなかった。
「なんか、ちょっと物足りない味だよね」
「そうね・・・・・ドリアは美味しいけど」
「良かったね。きっと、ドリアは力を入れて作ってあるんだろうけど、たぶんこっちは冷凍を暖めただけだね。冷凍保存するからこういう味にしてあるんだと思うよ」
「そうなんだ。ごめんなさい」
「友紀ちゃんが謝らなくても良いよ。知らなかったんだろうし」
「うん、友達に聞いたの。ドリアが美味しかったって。それと、ビーフシチューが美味しそうだったって」
「ま、仕方ないさ。友紀ちゃんのドリアが美味しかっただけでもOKだよね。初めて来た店ならこんなもんさ。友紀ちゃんが聞いた友達だって、全部食べたわけじゃ無いんだろうから」
「うーん、ちょっと残念。そうね・・・、良かったら、明日、また食事してもらえますか?」
「明日も?」
「毎日じゃ嫌、ですか?」
晃一が直ぐにOKしなかったので友紀はちょっと残念そうだ。その顔を見ると可愛そうになってくる。
「ううん。友紀ちゃんにはお世話になってるから、それくらいしないとだめだよね」
「本当?いいんですか?」
「うん、それじゃ、明日は俺がセッティングしておくよ。友紀ちゃん、でも良いの?外で食事して・・・・」
「全然。どうせ明日家に帰っても一人だし」
「それなら任せておいて。どんな食事が良い?」
「それは・・・・任せても良いですか?」
「うん、もちろん良いけど、できれば好きなものとか教えてもらえると嬉しいな」
「好きなのは・・・・・お寿司・・・焼き肉・・イタリアン・・・・何でも良いかな?」
「OK。わかったよ。それと・・」
晃一は腕時計を見てから言った。
「もう直ぐ8時だけど、門限とかはないって言ったっけ?でも、だいたいの時間はあるでしょ?」
「三谷さん、私を何時まで連れ回す気なの?」
友紀はちょっと笑った。
「そんなことは無いけど、一応聞いておこうと思って」
「そう・・・だいたい10時前かな?両親が帰ってくる前までだと」
「分かった。それじゃ、待ち合わせは駅前で良い?」
「はい」
「それじゃ、時間は明日連絡するよ」
「私、少し変ですか?」
「変?何が?」
「急に電話してきて何度も食事に誘ったりして・・・・」
「自分で変だと思うの?」
「ううん・・・・でも、ちょっとだけ気にしてみたりして・・・・・」
「正直に言うと、とっても助かってるよ。だって、あのメールが突然来てたら、何も友紀ちゃんに聞かずにあのメールを読むことになってたら、きっとすごく落ち込むし、それより何が何だから分からなかったと思うから。自分の気持ちに整理を付けようと思っていられるのも友紀ちゃんのおかげだよ」
「それって、もしかして・・・・・」
「すごく感謝してるけど?」
「よかった」
友紀はほっとしたように微笑んだ。
「友紀ちゃん、あんまりこんなことは言いたくないけど、友紀ちゃんも菜摘ちゃんのこと、まだ気にしてるんじゃ無い?」
「・・・・・そうかも・・・・」
「俺だって忘れようとしてるんだから、友紀ちゃんだって協力して欲しいな」
「そうよね・・・・・・そうよね」
「うん」
「一度だけ言わせて貰って良いですか?あのね、菜摘とは友達だから、私、普通は毎日いろんな事話すの。でも、三谷さんのことは別。菜摘の方から突然変わっちゃったんだから。だから、菜摘に聞かれれば正直に答えるし、もう気にしないようにする」
「うん、ありがとう」
そう言ってる間に二人の皿はきれいに食べ尽くされた。