第6部
「ははは、いいさ、菜摘ちゃんの我侭なんてかわいいもんだよ」
「そうかどうかは、わかんないですよ。高校生って微妙なんだから」
そう言うと菜摘は晃一の顔をじっと見つめた。かわいい顔のおっきな目に見つめられて、また晃一はドキッとした。でも、菜摘は明らかに嬉しそうで、楽しくて仕方ないらしい。晃一はこれから二人の関係がどうなるのか分からなかったが、とりあえず成り行きに任せてみることにした。
新橋からゆりかもめに乗り換えるとき、菜摘は思い切って最初の我侭を言ってみた。
「ねぇパパ?」
「ん?」
「腕を組んでもいい?」
「え・・・あ・・・いいよ。もちろん」
「うわぁ、一回してみたかったんだ。こういうこと」
そう言うと菜摘は晃一の腕にしっかりとくっついてきた。身長が160センチも無い菜摘は長身の晃一と腕を組むと腕の位置が少し高くなるので、晃一の肘が少し胸のふくらみに当たってしまう。晃一は気にしたのだが、本人はそんなこと、まったく気にしていないようで、しっかりと胸を押し付けてきた。ポニョッとした小さ目の膨らみが晃一に不思議な感覚を与えている。
「うわぁ、パパって長身だから、こんなことすると素敵。たぁのし〜い」
「喜んでくれるのは嬉しいけど、ちょっと会話としては変だよね」
「なにが?」
「だって、『パパ』って呼んでるのに、まるで知らない人みたいだろ?」
「そうかなぁ・・・・・」
「でも、喜んでくれて嬉しいよ」
「よかった、パパ」
菜摘にぱっと笑顔が輝いた。まったく、今日は菜摘のペースでしか進んでいかないようだ。しかし、晃一としても自然に笑顔がこぼれるくらい、菜摘と一緒にいるのは楽しかった。
「でも菜摘ちゃん、こういうことは彼氏とするんじゃないの?」
「高校生とか同じくらいの年の彼ってこと?しないよぉ。絶対」
「そういうものかなぁ」
「本人が言ってるんだから間違いないでしょ?」
「まぁ、それはそうだね」
「パパと腕を組んで歩くのが夢だったの」
「それなら仕方ないか」
「そんな言い方ぁ、私じゃいやなのぉ?」
「まさか、うれしいのは本当だよ。絶対本当。でも、ちょっと申し訳なくて」
「パパ、もっと自信持ってよ。素敵なパパなんだから」
「うん、・・・そうだね、がんばるよ」
それから菜摘は晃一の腕にくっついてあちこちを見て回ったが、菜摘が店の中に入るとすぐに出てきてまた晃一の腕にくっついて来るので、どちらかと言うと、晃一の腕にくっついているほうが楽しいみたいだった。もともと11時過ぎにここに入ったので、何件か店を見て回るともうお昼を回ってしまう。
「ねぇ、菜摘ちゃん」
「なぁに、パパ?」
「そろそろお昼だよね。おなか減らない?
「そうね。減ってきたかも」
「何を食べようか?」
「お昼は私が探すんだったよね?パパの好きなもの、教えて?」
「菜摘ちゃんの好きなものが知りたいのに。だから何を食べさせてくれるのかなって思ってさ」
「でも私、そんなにお金、無いから・・・・」
「お金の心配は要らないよ。お金は出すから」
「ほんとう?それなら任せといて。・・・・・・っとは言ったものの、どうしようかな・・・・????」
「調べてなかったの?」
「そんなことは無いの。受験生を甘く見ないでよ。調べ物は得意中の得意なんだから」
「それなら・・・・・」
「ちょっと待って。・・・・・よし、決めた」
菜摘はちょっと首を傾げてから天井を見上げ、すぐに晃一に向き直った。
「決まった?それじゃ、出かけよう!」
そう言うと二人は菜摘の案内で食事に出かけた。菜摘はデックス東京ビーチの7Fにある中華料理の店に向かったが、人気の店と見えてかなり列が長くなっている。菜摘自身は晃一の腕にぶら下がっていれば1時間やそこらは何の苦も無く並んで過ごせそうだったが、列の長さを見た晃一の表情が暗くなったのを見逃さなかった。
「ねぇパパ、少し待つみたいだけど、だめ?」
「だめじゃないけど・・・・、ねぇ菜摘ちゃん、中華料理が好きなの?」
「うん、だって、不思議な外国みたいでしょ?」
晃一にとって菜摘の『中国が不思議な外国』と言う感覚は良く分からなかったが、それでも何か言いたそうだった。
「あのね・・・・・・」
「どうしたの、パパ?」
「あのね、正直に言うと、今日の夕食は俺が探すことになってたでしょ?」
「うん」
「それで、俺も中華料理にしようかと思ってたんだ」
「うわぁ、素敵な偶然。ラッキー」
「だから、それならお昼は違うものが良いかなって思ってね。だから、菜摘ちゃんがそれでも良ければここでも構わないよ」
「ううん、そんなこと無い。実は、ここともうひとつ、すっごく悩んだの。だからもうひとつに行く」
そう言うと菜摘は晃一を別の階のインド料理屋に連れて行った。こちらは列もそれほど長くは無く、それもどんどん短くなっているので程なく二人は席に着くことができた。どうやらランチバイキングが人気らしく、ほとんどの人が皿を持って行ったり来たりしている。そこで二人もバイキングを注文した。
正直に言えば、晃一にとってはいかにも『日本風』なインド料理だったが、菜摘に言わせると『おしゃれなお店』が気に入ったみたいで、『店員さんもインド人』なのがプラスポイントで、さらに『スパイシーなのに辛くない』のが決め手になったそうだ。直ぐに食べ終わると次から次に料理を取って来る。そして、菜摘の細い身体のどこにこれだけの料理が入るのか、と思うくらいパクパクと料理を平らげていった。晃一がじっと見ていると、
「やだぁ、パパぁ、そんなに見ないでよぉ、ハズカシイィ」
と口を隠したが、そうやって笑いながらも菜摘は美味しそうに次から次に食べている。どちらかと言うと晃一は、皿いっぱいにいろいろ取ってきてゆっくり席で食べるほうだが、菜摘は一回の量はそれほど取ってこないが、何度も何度も取りに行く。周りを見ても女性は大体そう言う感じなので、たぶん人目を気にしてのことだろうと思った。結局菜摘は数種類のカレーやタンドリーチキンなどデザートまで入れて十回近く料理を取りに行った。
「菜摘ちゃん、一番美味しいのはどれだった?」
「うーん、タンドリーチキンが美味しかったな。それと、豆のカレーとナンも美味しいし。うーんと、でも、一番良いのはチキンカレーかな」
「菜摘ちゃんはチキンカレーが一番美味しいと思ったんだね」
「うん、間違いない」
「ごうかーく」
「え?試験だったの?」
「いいや、そう言う訳じゃなかったけど、菜摘ちゃんの味覚はどんなものかなって思ってね」
「味覚?でもそれって、試験て言わない?」
「ごめんね。でも、チキンカレーが一番おいしいって言ったから安心したよ」
「パパと同じだった?」
「うん、そうだね」
「それって、パパと感覚がおんなじってこと?凄ーい」
「うん、いい舌を持ってるね。お母さんに感謝しなきゃね」
「うんっ」
「でもね、チキンカレーが美味しいのは理由があるんだ」
「え?知ってるの?」
「たぶんだけど、ここのバイキングは一人1050円だろ?」
「うん」
「それだと、どんなにがんばっても材料費は一人300円ちょっと。もちろんこの店は若い人が多いからそれなりの量を食べるだろ?だから、このお店の料理の中で鶏肉は一番高い材料なんだ。一番高い材料で美味しいものを作らなきゃ、他の安い材料じゃ美味しいものなんて作れない。だからお店としては一番気を使って料理するだろ?だから美味しいんだよ」
「なあんだ。そんなことか」
「そんな風に言ったらお店の人がかわいそうだよ。少しでも安く美味しくしてみんなに喜んでもらおうと思ってがんばってるんだから」
「それじゃ、ほかのは全部冷凍品とか?」
「そうは思わないな。ナンとかだって、これだけ数が出る店なら釜を用意して焼いたほうが安くなるし、タンドリーチキンだってそうだよ。ただ、調理する前の鳥は冷凍かもしれないけどね」
「凄ーい、パパ、何でも知ってるのね」
「ははは、俺くらいの年になればみんなある程度は知ってるよ」
「そうなの?」
「たぶんね」
「ねぇ、パパのこと知りたいな。聞いていい?お仕事ってどんなこと?この前は販売と製造の調整って聞いたけど、よくわからなくて」
「そうだね。まだちゃんと言ったこと無かったっけ?」
「うん、聞きたい」
「あのね、農薬の仕事だよ」
「農薬?あの畑にまくやつ?」
「そう」
「毒じゃないの?だいじょうぶ?」
「もちろん、袋を開けて無理に食べたら身体には良くないけど、ちょっとくらい口に入ったって死んだりしないよ。だって工場で作ってる人はしょっちゅう粉がちょっと口に入ったりするけどなんともないもの」
「そうなの?ちょっとでも口に入ったら病院に行かなくちゃ行けないんじゃないの?」
「もちろんそのほうが良いね。作ってる工場ではちゃんと間違って口に入ったときにどうすればいいか決まってるからね。農薬はあくまでも『薬』なんだ。ちゃんと使い方を守っていれば問題ないよ。そうじゃなきゃ農家の人が使わないよ」
「ふうん」
「まぁ、世の中には猛毒の農薬もあるけどね。うちの会社じゃ作ったり売ったりしてないけど」
「そうなんだ。それでパパはその毒じゃない農薬を売ってるの?」
「売ってるんじゃなくて、売る人と作る人の調整役って感じかな?」
「それって偉い人ってこと?」
「偉くなんか無いよ。そりゃこの年だからちょっとは偉いけど、農家で使おうと思ったら袋が破けていたとか、工場から販売店に運んだら箱が潰れていたとか、工場で原料が足りなくなったとか、そんな相談ばっかり聞いてるんだから」
「相談役なの?」
「まぁ、そんな感じだね」
「ふうん・・・・大切な役目なのね・・・・」
「そうとも言えるね」
「いろんな人から相談を受けるから、いろんな事知ってるのね」
「いろんな相談を受けるから、いろんなことを知ってないと、と思ってるけどね」
「ふうん・・・・それって、やっぱり勉強してるんだ」
「そうだね。勉強はずっとだよ」
「あんまり受験生としては聞きたくないなぁ。大学に受かったら遊べると思ってるのに」
「遊ぶのも大切だけど、新しく会社に入った人に聞くと、みんな大学生のときにもっと勉強しておけばよかった、って言うよ」
「そうなんだ。でも、そう言うってことは、みんな大学生のときは遊んでたのね」
「そうだろうね。程度の差はあるだろうけど」
「ねぇ、なんか、受験生に『いい話』って無いの?いっぱい勉強できるような」
「『いい話』?そんな事急に言われても・・・・・、うーん・・・・うーんと、それじゃ、一つだけ教えてあげるから退屈だったら言ってね」
「なになに?」
「がむしゃらにやる奴にはかなわない」
「なんのこと、それ?」
「勉強でも何でも、一心不乱に全力でやってる人には、どんな理屈を付けてごまかしてみても敵わないってこと。言ってみれば、勉強はたくさんした人の勝ちだね」
「でも、学校の勉強は社会で役に立たない事のほうが多いって聞いたけど」
「そうだね。実際そう思うよ。社会に出て微分や積分を使う人はごく少数だけだから。たぶん1%もいないとおもうよ」
「それじゃ、高校の勉強を一生懸命やっても意味無いんじゃない?」
「その代わり、いっぱい勉強をしている人は、覚える事が苦にならない、教科書を読んで覚える努力ができる、自分で分からない事を調べる癖がついてる、自分を管理して目的まで進んでいける、なんてことに慣れてるんだ。それって、会社ではとても大切なことだよ」
「でも、それは勉強をしなくてもできるんじゃない?」
「そうかも知れないけど、勉強って楽しくないだろ?だから、少なくとも勉強をいっぱいした人は、楽しくないことでもちゃんと成果を出せるってことで、他の人と同じ土俵だと『私はこれだけのことをやりました』って証明できる事は確かだね」
「そうかぁ」