第8部

 

しかし、菜摘にとっては精一杯のキスらしく、唇を押し付けたままじっと静止している。晃一が少し唇を動かすと、それに合わせて少しずつ唇を絡め合わせてきた。ただ、それはかなり控えめな感じだ。晃一は、菜摘の様子から菜摘はまだバージンではないかと思った。ただ、今はあまり愛を確かめ合うという雰囲気ではないので本当のところは分からない。

やがて菜摘は唇を離すと、再び晃一の首に抱きついて来た。ただ、今度はさっきほどきつくは無く、緩やかな感じだ。菜摘に首にしがみつかれた晃一は、自然に菜摘の胸に顔を押し付けられる。ゴンドラは頂上を通り越してゆっくりと下がり始めた。

「ねぇ、パパ」

「なんだい?」

「変だと思う?」

「何が?」

「急にこんなことして」

「変かもしれないけど、いやじゃないよ」

「それだけ?」

「正直に言えば、ちょっとうれしいかな?」

「ちょっとだけ?」

「そう。ちょっとだけ。だって、今は菜摘ちゃんが見えないし、さっきのキスも簡単だったし」

「そう、あれは簡単だったんだ・・・・・」

「ごめんね。菜摘ちゃんよりずっと長く生きてるからね」

「私の胸を押し付けてても?」

「うん、サマーセーターの向こうに下着があるらしい事は分かるけど・・・・。それなら・・」

晃一は菜摘の胸に手を伸ばし、セーターの上から胸を確かめようとした。

「ちょっと、それはダメ」

そう言って菜摘は晃一の手を制した。

「そうなの?」

「こんなところじゃダメよ」

晃一には膝の上に座ってキスするのは良くて、そのまま胸を触られるのはダメだという菜摘の理屈が理解できなかった。

「それじゃ、とにかく頭を起こしてくれる?このままじゃ菜摘ちゃんが近すぎて何にも見えないんだから」

「うん」

菜摘は頭を起こし、晃一を見下ろすように覗き込んできた。晃一はやっと菜摘が少し離れてくれた事で菜摘の身体でさえぎられていた視界が確保できた。改めて目の前の菜摘をしげしげと眺めてしまう。

「ダメ、そんなに見ちゃ恥ずかしいから」

「菜摘ちゃん、可愛いね」

「ダメ、それはダメって言ったでしょ」

「まだ何にもしてないよ」

「でもしたいんでしょ?だからダメ」

「なんなんだよ・・・・・」

「おこった?」

「まさか、ただちょっと分からなくてね」

「パパ、私のわがまま聞いて?」

「うん」

「パパは私のパパで恋人で相談役、なの・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「いや?」

「・・・・・・・・・」

晃一は考え込んでしまった。菜摘の言っている意味が今一歩分からない。どうすれば良いのか見当もつかない。第一、相談役はまだしも、恋人と父親では役目がぜんぜん違うではないか。

「だめ?」

菜摘はもう一度念を押してきた。黙ったままでは菜摘がかわいそうだ。

「ダメじゃないよ。でも、どうしていいのか分からないんだ」

「私も・・・・・・・」

「それでもいい?」

「え・・・・・・・・」

「まだどうして良いか分からないけど、菜摘ちゃんのことは好きだし、できる限りの事はしてあげたいと思うし、喜んでほしいし、笑顔を見たいし、パパって言われても好きだし・・・・・、それでダメ?」

「ううん、良い。・・・・・・絶対良い、ぜんぜん良い」

菜摘は心から安心した。菜摘自身、晃一のことをどう考えていいのかわからないのだ。しかし、晃一にもっともっと近づきたいと思うし、晃一の言葉を聴いて安心した事だけは確かで、急に何かが心の奥からこみ上げてきた。

「ううっ・・・・・ごめんなさい・・・・なんか急に涙が・・・変なの・・・悲しくなんてないのに・・・・・安心したのかな・・・・へへへ、ごめん・・・・・すぐに収まるから・・・・・」

そう言うと菜摘は晃一に軽くしがみついたまま泣き始めた。晃一の首筋に熱い液体が触れた。

「菜摘ちゃん」

晃一が菜摘の背中を優しくなでてやると、少しだけ菜摘の嗚咽が大きくなった。

しかし、それもほんの少しの間だけだ。菜摘が泣き止んだらしいのでそっと起こしてみると、菜摘の頬には明らかに涙の筋がついていた。

「目を閉じて」

そう言うと晃一は菜摘にやさしいキスをした。それは唇が軽く触れ合う程度のキスで、菜摘はこのまま晃一の腕の中で眠ってしまいたいと思うような落ち着いた優しいキスだった。菜摘はほんの小さい時、父親が眠るときにしてくれた優しいキスを思い出した。

「菜摘ちゃん・・・・」

「パパ・・・・・」

菜摘は夢うつつという感じでぼうっとしたまま目を閉じていた。『このままもう一回触られたらどうしよう。手に力が入らないかも。でも、それならそれでいいかな。パパだし』と思っていると、

「菜摘ちゃん」

と晃一が優しい声をかけてきた。『来たかも?どうしよう』と思ったが、

「もうすぐ着くよ。降りてね」

と言って菜摘を膝の上から下ろしてしまった。

『もう、いいところだったのに』菜摘は一人でがっかりして怒ったが、どうしようもない。『本当の家族なら家の中でいくらでも甘えられるのになぁ。どうして私はパパに甘えられないのよぉ』と観覧車を降りたときはちょっと機嫌が悪かった。しかし、晃一に話しかけられるとそんな事はきれいに忘れてしまう。

「ねぇ、菜摘ちゃん、次はどこに行こうか?」

「パパが行きたいところは無いの?」

「菜摘ちゃんこそないの?」

「私は、このお台場には無いな」

「どこならいいの?」

「ディズニーシー」

「へ?ディズニーシー?だって、もう3時だよ」

「だからいいの。忘れて」

「じゃあ、もしディズニーシーに行ったらどうする?」

「きっと喜んで走ったりするかも」

「そうか、それじゃ、大はしゃぎする菜摘ちゃんを見せてもらうかな」

「え?でも、結構時間かかるよ。1時間以上はかかるんじゃない?そしたら直ぐに5時だよ。5時からは安くなるけど、食事に行くなら無理だよ。いいよ。パパがそう言ってくれるだけで嬉しいから」

「さすがに良く調べてあるね。もしかして、日程の中に入れようとした?」

「ううん、往復の方法を調べただけ。でもね、ここから京葉線て意外に時間かかるんだよね」

「うん、分かった。それじゃ、行こうか」

晃一はそう言うと、不思議がる菜摘の肩を押して歩き出した。そしてちょっと離れたところまでゆりかもめで移動して、とあるホテルの中に入った。

「パパ、お茶するの?時間、大丈夫?」

菜摘は晃一がディズニーシーを諦めて休憩のためにホテルに寄ったと思ったらしい。もともと菜摘にしてみれば、ホテルと言うところに泊まった経験どころか、入った経験だってほとんど無いのだ。せいぜいちょっとだけロビーラウンジでお茶して高級感を味わうくらい。それも精一杯背伸びしての話だ。

しかし、晃一はロビーラウンジを通り越すとエレベーターホールへと向かった。『まさかパパ、ここの部屋に私と入るつもり?まさか、まだそんなつもりになってないのに・・・』と思って晃一に聞いてみようとしたが、晃一は下に降りるボタンを押した。『あれ???』菜摘が不思議がっていると、晃一は菜摘を駐車場に連れて行き、どんどん中を歩いていった。『どういうこと?パパは今日、私と一緒にここに来たはずなのに。誰かと待ち合わせかな?でも、誰?』そう思っておずおずと歩いていると、晃一は一台の車の前で止まった。

「さぁ、乗って」

そう言うとポケットの中で何かをしたらしく、ピッと音がしてドアのロックが外れて車内にライトがついた。

「それじゃ、出かけようか」

そう言うと晃一はナビにディズニーシーを設定し、車を出した。

「ほら、ドアのところに椅子の形をしたスイッチがあるだろ?それを動かすと座りやすく調整できるよ。わかるかな?」

「はい、あ、これかな・・・わっ、動いた。あ、はい、わかります。大丈夫です。すごーい、こんなことできるなんて」

菜摘は初めて乗る高級車にワクワクで、いろいろ椅子のポジションを変えて試していたようだが、やがてベストポジションが見つかったらしく落ち着いて外を見始めた。