第90部

 

 晃一がメールをチェックすると、確かに麗華からメールが届いている。そのメールはどこかの地図が送られてきたようだ。ルート案内に繋ぐと二つほど離れた駅の近くのドトールコーヒーを指している。
『麗華ちゃんの行きつけの店かな?場所を変えたいってどうしてかな?』晃一は不思議に思ったが、取り敢えず勘定を済ませて店を出ると、道案内が示す通りに歩いて行った。
晃一が店について席に座る頃、直ぐ後から麗華も入ってきた。
「あれ?どこかに寄ってきたんじゃ???」
「ううん、まっすぐこっちに来たわよ」
「そうなの?でも、麗華ちゃんは駅と反対に歩いて行かなかった?」
「うん、バスで来たの」
「へぇ、バスで来れるんだ」
「そう、一応、人目があるから」
「人目?」
「うん、おじさまが気にすることじゃないけど、女の子って大変なのよ、結構」
「それじゃ、何にする?コーヒーセットで良い?」
「うん、お任せ」
「分かったよ。ちょっと待ってて」
そう言うと晃一は自分と麗華の分のケーキとコーヒーを注文して持ってきた。
「お待たせ」
「ありがとう。何か、こんなの久しぶり」
「奢って貰うのが?」
「ううん、なんて言うか、いつも緊張してるからかな、こうやってるのがちょっと嬉しいの」
麗華の言葉の意味はよく分からなかったが、晃一は麗華の表情が少し柔らかくなったような気がした。
「それじゃ、私たちのこと、もう少し話すね」
そう言うと麗華は自分のグループのことを話した。晃一は少女たちの中に明確に役割分断のある一つのコミュニティができあがっていることに少し驚いた。
「そうなんだ。それじゃ、麗華ちゃんはグループの中をまとめるのに大変なんだね」
「好きでやってることだけどね。時々自分でも疲れるかな」
「そうだよね。ちゃんと息抜きしてる?彼とデートとか?」
「そうも行かないの、彼とは今、ちょっとトラブってて。私が毎日いろいろ頼むもんだから、疲れてきたみたい」
「そうか、彼にしてみればそうかもしれないね」
「やっぱりそう思う?その分大切にしてるつもりなんだけどな」
「もしかしたら、彼の方はそう思ってないのかも知れないね」
いきなり晃一に核心を突かれて麗華は戸惑った。
「どうして?」
実は麗華も、もしかしたらそうなのかも知れないと思っていたのだ。ただ、自分ではこれだけ気を遣っているのに、と言う思いもある。実は、元々麗華はセックスに熱心な方では無かった。だから彼が求めてきても最初は服の中に手を入れさせて乳房を触らせたりする程度だったが、だんだんエスカレートしてセックスするようになってからは逆に麗華から甘えたり、抱きしめたり抱きしめられたりするのを全身の肌で感じる方が好きだった。
最初は頼んだことを彼がいろいろ調べてくれることへのお礼のつもりもあったから好きな彼の前で服を脱ぐことに抵抗はなかったし、麗華も彼が喜ぶのが嬉しかった。だから、彼と夢中になって愛情を確認している時、自分でも夢中になったので求められれば挿入を許していたのだが、だんだん最近はそれが取引のようになってきていると感じていた。そして彼が情報を持ってくる度に服を脱ぐようになっていた。自分では好きなのだからそれで良いと思っているのだが、何となく彼の方は情報を持ってくれば麗華は服を脱ぐと思っているような気がして悩んでいたのだ。
「その言い方さ。『その分大切にしているつもり』って言ったろ?麗華ちゃん自身でも『つもり』になってるんじゃないの?『つもり』はあくまで『つもり』だよ。本心じゃ無い」
「・・・・・・・・いきなりひどいこと言うのね・・・・」
麗華はカッとした。そうっと自分の本心を少しだけ話したつもりなのに、言い方が余りに酷いと思った。
「怒ったのならごめん・・・」
「もう良い、私、帰る」
そう言うと麗華は席を立とうとした。
「ごめんね。でも、もう一言だけ言わせて。結局、自分の気持ちに嘘はつけないんだから、最後には自分の想像する通りになると思うよ」
そう言う晃一の言葉も届いたのかどうか分からないくらい麗華はさっさと席を立った。まだ店に入って数分しか経っていない。
「おじさま、ありがとう。それじゃ・・・・」
そう言うと麗華は去って行った。
その麗華の後ろ姿を見送りながら、晃一は後悔していた。麗華との間にはまだ信頼関係ができていないのに、いきなり思い切ったことを言って怒らせてしまった。これでは菜摘と友紀に対して申し訳ない。報告はいらないと言っていたが、怒らせてしまったことを報告しておくべきかも知れない。
しかし、その夜、どう二人に報告しようか悩んでいる晃一の携帯に麗華からメールが入った。
『さっきは急に帰ったりしてごめんなさい。いきなり言われたからびっくりしたみたい。私って、驚くと相手から逃げたくなるみたいなの。だから、気にしないで下さい。おじさまの言葉、きっと当たってます。少し考えてみます。教えてくれてありがとう。本心よ』
どうやら麗華は晃一が心配したほど怒っていなかったようだ。晃一は一安心した。
翌日、晃一は麗華に呼び出された。また同じ店に来て欲しいと言う。ただ、自分を見つけても知らない顔をしていて欲しい、そして離れた場所に座っていて欲しい、それだけで良い、と言う少し不思議な呼び出しだった。
取り敢えず会社を早めに出て、再び同じ店に入って待っていると、麗華が入ってきた。言われた通り何もせずにいると、麗華は晃一に気がつかないのか、そのまま通り過ぎて行く。その時晃一は、麗華が彼を連れていることに気がついた。離れたところに座った二人の話の様子からは、明らかに重大な話をしているのがよく分かる。じっと黙り込み、少しだけ話してまた黙り込む、それの繰り返しだった。
やがて、彼が席を立つと静かに帰って行った。それを見送った後、麗華は晃一の所に来た。
「だめだね、ありぁ」
「・・・・どうしたの?って聞いても良い?」
「気持ちを確かめたの。何か、逃げられたみたいだね」
少しぞんざいな言葉遣いから、麗華の寂しがっている様子が垣間見えた。
「聞かせて欲しいんだけど?なんて言われたの?」
「わかんなくなったって。好きなんだかどうか分からないって」
「でも、分からないって言われたのなら、彼にも分からないってことでだろ?」
「そんなこと無い。おじさまは雰囲気を知らないもの。あれは絶対ダメってこと」
「そうなのかなぁ?そうとも限らないと思うけど」
「もうそんなこと言わないで。必死に気持ちの整理を付けてるんだから」
そう言う麗華は下を向いたまま、涙を堪えているようだ。
「後悔してる?」
そう言うと麗華はぎゅっと手を握りしめた。
「馬鹿、そんなこと言わないで。悲しいじゃない・・・。それだけは・・・言って欲しくなかったのに・・・」
ふと見ると、どうやら涙を流しているようだ。
「麗華ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫じゃ無い。・・・・・どうしてくれるの?・・・泣き顔のままなんて帰れなくなっちゃったじゃ無いの・・・・」
そう言いながらも、まだ涙が止まらないようで、どうやら少し待つ以外になさそうだ。晃一は少しの間、麗華が落ち着くのを待つことにした。目の前で俯いている麗華を見つめながら『いきなり呼び出されて何でこんなことになるんだ』とは思ったが、今さらどうしようも無い。
やがて麗華が少し落ち着いてきたようなので、
「ちょっとは落ち着いた?」
と聞いてみた。すると麗華は俯いたまま、
「どっかに連れてって」
と小さな声で言った。
「どこかって・・????」
「こんな顔じゃ帰れないでしょ。どっかに連れてって。このままじゃ・・・おじさまの顔だって見れない」
「そうか・・・・・でも、どこに・・・・」
と言いかけたが、一カ所思いついたので、
「分かった。出ようか」
と言って席を立った。麗華は下を向いたままついてくる。晃一はそのまま店を出たところでタクシーを拾うと麗華を別のカフェに連れて行った。ここはホテルの1階にあるカフェで、植え込みのパーティでょんが多めに入っているので比較的プライバシーが保てる。晃一がたまに会社で使うところだった。店で席についても、相変わらず麗華は下を向いている。
「ここならゆっくり話せるよ」
「おじさま・・・・・」
「どうしたの?」
晃一は麗華から話しかけてきたので、麗華から事情を聞けるものと思ったが、そうでは無かった。
「ここ、ホテルの喫茶店でしょ?」
「そうだよ」
「いきなり?ちょっと急すぎるんじゃ無い?私、その気ないよ」
その口調は少し強い。明らかに怒っている。
「いきなりって・・・???」
「だから私、まだその気になってないのよ。別れたばっかりで。部屋になんて行く気になれない」
「ええっ?部屋?」
「連れ込むつもりなんでしょ?私、その気ないから」
麗華は本気で心配しているらしかったが、晃一にとっては笑うしか無かった。
「何言ってるの。ここは席と席の間に植え込みがあるから周りの人にもそんなに見えないし、適度にうるさいから話を他に聞かれることもないよ。それに、ホテルだからパウダールームだって広くて綺麗らしいよ。だからここに来たの。安心して良いよ。こっちにもそんな気は無いから。第一、泣き顔の女の子を部屋に連れ込んだってどうすればいいのさ。まぁ、部屋でわんわん泣きたいなら別だけどね」
麗華は見当違いを指摘され、言葉を失った。
「バカ・・・・・・いじわる・・・恥ずかしいじゃ無いの・・」
それが精一杯だった。
「そう言うわけだから、ちょっとお顔を直しておいで」
と晃一が言うと、麗華は素直に席を立った。麗華は真っ赤な目をしたまま泣き顔を気にしながらパウダールームに入った。麗華がパウダールームに入ると、確かにトイレとは別になっており一人ずつに鏡が突いている広い洗面台で、おまけに空いているので隣を気にしなくて良いのは助かった。それでもせっかく端の洗面台を確保したのに、それからもほとんど他には入ってこなかったが。思い切って顔を洗い、涙を全て洗い流してみると少しすっきりした。何とかこれでいつもの表情に戻れるかも知れない。そう思うだけでも気が楽になった。
麗華が直ぐに戻ってこないことから、晃一はよほど麗華が悲しかったのだと知った。昨日見た気の強い麗華とは明らかに違う繊細な弱さを見たような気がする。しかし、彼を呼び出して気持ちを確かめるとは、思い切ったことをするものだと思った。
やがて晃一の所に戻った麗華は、かなり復活していた。
「ありがと、助かった」
と、今度は晃一に顔を見せて話しかけてきた。さすがに笑顔では無いが、端整な顔立ちなのできっと笑ったら綺麗だろうなと思った。
「良かった。やっと麗華ちゃんの顔が見られるね」
「こんな顔で良ければ、好きなだけ見て良いから」
「それは光栄だ。怒らせちゃったかと思ってちょっと心配したから」
「さっきのあれ?こっちこそ勘違いしたんだから。でも・・・・・」
「まだ何か?」
「どうせ連れてってもらえるならおじさまの部屋が良かったかも・・・ね」
そう言って麗華は無理に少しだけ笑顔を作った。
「お、余裕が出てきたね。そんな気、全然無いくせに」
「ふふふ、まぁ、そうかも知れないけどね」
麗華はそう言いながら、ちょっとだけ『でも、おじさまに優しく抱きしめられて慰めてもらえたら気が休まるかもね・・・・友紀と麗華が夢中になるのはこういうことなのか・・・』と考えた自分に気付いていた。そして自然に表情が緩む。
「あ、笑ったね。良かった良かった」
「それじゃ、おじさま、慰めてよ。女の子同士だったら、必ずそうするから。だから慰めて」
「ほう、元気が出てきたね、それじゃ・・・」
晃一はちょっと考えてからゆっくりと話し始めた。
「麗華ちゃんの良いところは、きちんと自分の置かれている立場を見極める力があること。何も今日、彼に自分から確かめなくたって誰も怒らないし困らない。明日だって、たぶん来週だって構わないだろ?でも、曖昧なまま確かめておかないといずれ必ず良くないことが起こる。それを自分で知ってるから、わざわざ辛い思いをするかも知れないと思いながら自分で『今日』って決めて確かめたんだろ?さすがにリーダーをやってるだけあるね。偉いよ」
「そんなこと言われても嬉しくない。ちゃんと慰めて」
「それじゃ、彼のことにしたって、俺は遠くから見ていただけだからよく分からなかったけど、真剣に話に乗ってきたって事は、彼にだってそれを見つめる勇気があるってことだよね。まず、そんな彼を選んだのは偉いと思うな。人を見る目があるよ。いくらこっちが真剣に聞いても、向こうに気持ちを受け止める余裕が無いとはぐらかされることだってあるだろうしね」
「私、そんなこと許さないし、そんな人選ばない」
「それはまず、麗華ちゃんの偉いところだよ。そう言う人を選んでおけば、人には必ず相性ってものがあるから、仮に上手く行かなくなっても辛い時期は短くて済むからね。それに、彼、1年なんだろ?自分の恋愛に真面目に取り組めるってたいしたものだよ。大人だってできない人、多いからね」
「彼のことも褒めるの?別れた相手に」
「そりゃそうだよ。麗華ちゃんが好きになった相手だろ?残念ながらこんな結果になったのかも知れないけど、あの様子からは素敵な彼を選んだって思うよ。もし、仮に別れることになっても、これなら後を引かないから。今、麗華ちゃんがしてることは誠実さの現れだよ」
「ふぅん、そう言う見方もあるのか・・・・・」
麗華はちょっと新鮮な感じがして、気持ちが楽になったことに気がついた。女の子同士の慰め方とは全然違う。それが嬉しかった。『次がある、とか、早く忘れた方が良い』とか言われてもむなしくなるだけだからだ。そして、晃一の言葉はじわりじわりと心に入ってくる。
「ついでにもう一度言っておくけど、本当に彼が別れるつもりでそう言ったのかは疑問だよ。もしかしたら迷ってるのを正直に言っただけなのかも知れないから。ま、本当に別れるつもりだったのかも知れないけどね」
「うん・・それは分かってる・・・・と思う。一応」
「それはこれからだんだんはっきりしてくるからね」
「そうね。お互い、少し距離を置いてみるんだから」
「でも、これからしばらくは新しい生活になるから慣れるまでは辛いね。大丈夫?」
「うん・・・・・・・・そうね・・・・」
「これは、新しい環境に慣れるまでが辛いだけで、好きとか嫌いになったとかとは関係が無いよ。環境への適応に時間がかかるだけだから」
「うん、分かってる」
確かに麗華には今日から家に帰ってもメールする相手がいない。麗華はメールにいろいろなことを書く方なので、書く相手がいないとストレスが溜まるのは明らかだった。それに、別れてしまえば次の彼がそう簡単に見つかるとも思えない。
「それじゃ、その分、慣れるまでおじさまに相手して貰おうかな?うん、それが良い」
「俺が相手?」
「そう、ちゃんと返事を返してね。返事が来るまで待つのって、結構ドキドキするから」
「あぁ、メールか、良いよ。俺は家にいるときはいつもパソコン立ち上げてるから」
「パソコンのアドレスに送った方が良い?」
「そうだね。パソコンのアドレスも渡すよ」
そう言うと赤外線でパソコンのアドレスを渡した。
「それじゃ、後でここに送るね」
「今日からメールくれるの?」
「もちろん、シカトすると後が酷いからね」
そう言うと麗華はにっこりと笑った。それは屈託の無い笑顔で、話している内容とは全く一致しない。しかし、それがたぶん麗華の魅力なんだと思った。
「あーあ、コーヒーばっかり。お腹ガボガボ」
「仕方ないよ。誰かさんが食事は嫌だって言うし、店は換えろって言うし・・・」
困ったように晃一が言うと、麗華はきょとんとして
「食事が良いって言ったのは昨日でしょ。それに、別におじさまを責めてないよ」
と言った。
「そうか、そうだね」
「分かれば良いけど」
そう言うと二人は笑った。