「宏一さん、こんなお店、素敵」「そう言ってくれると嬉しいな。でも、紹介して貰ったんだからね」
「それにしても宏一さんの情報網って凄い。あれだけしか時間がなかったのに」
「恵美さんと楽しい時間を過ごしたい執念かな?」
「宏一さん、そうやっていつも女の子を惑わしてるんでしょ?」
「なんか人聞きの悪いこと言うねぇ」
「だって、いつも宏一さんの周りには女の子ばっかり」
「そうかなぁ?」
宏一は東京では恵美と連絡を取った時のことを思い出し、その時は周りに女の子の陰が無かったことを確認しながらとぼけて見せた。
「ほうら、もう!」
「え?」
「今、『そうかなぁ』って言ったでしょ?普通は直ぐに否定するもの」
「ええっ、そんなことで決めちゃうの?」
「それだけじゃないけど、なぁんか、やっぱり危ないんだなぁ」
恵美はそう言いながら笑っている。
「そう言われると、どうしようもないけどね。職場にだって女の子はいるし」
「ふうん、職場に、いるんだ。綺麗な子?」
「綺麗と言われれば綺麗だけど、いつも仕事が忙しくて職場でゆっくり話なんてしないし」
「そうなんだ。『職場で』はしないのね」
「恵美さん、勘弁してよ。俺って虐められるキャラだっけ?」
「そんなこと無いの。でも、宏一さんの話の中になんか危なさを感じるのよね」
「何が危ないの?」
「何となくだけど、こうやって話していて危ない所が全然無いのが危ない感じ、かな?」
「そんなぁ、一生懸命恵美さんに喜んで貰おうとがんばってるのに」
「そうね、それはそう。ごめんなさい。意地悪するつもりじゃなかったの。こんなに楽しい食事になるならもっと早く宏一さんと来れば良かった」
そう言っていると二人のカクテルが来た。
「当店には初めての方だと思いましたので、お客様の雰囲気で作ってみました。ブルーハワイをベースにちょっとジンを入れて炭酸で割って、底にはちょっとだけ赤いストロベリーキュラソーを垂らしてあります」
「うわぁ綺麗」
「何て言う名前なんですか?」
「名前はありません。美味しかったら名前を付けてお楽しみ下さい。こちらはマンハッタンです」
「宏一さんはどうしてマンハッタンなんですか?」
「それはね、カンザスシティでホテルの隣の店でこれを頼んだ時に・・・・」
と理由を説明すると、
「そう言う楽しみ方もあるんだ。不思議」
と恵美は言った。どうやら正直に話したのだが恵美には良く分からない話だったようだ。
「そっか、女の子にはもっと分かり易い理由で楽しく話さないとダメなのかな?」
と言うと、
「ほら、直ぐにそんなこと言う。だから危険な香りがするんですよ」
と恵美は切り返す。どうやら積極的に話題を変えなくてはいけないようだ。
「ねぇ、恵美さん、ところで、さっき食事を終わって店を出る時にちょっと行き先を考えたでしょ?もうこの店に来たんだから、どんな所に行きたいと思ったのか教えてよ」
「あぁ、それは・・・・・・どうしようかな?」
「そんな言い方しないで、ね?教えて?」
「ううん、あの時は、特別な場所を思った訳じゃなくて、『どこか素敵な所に行きたいな』って思っただけなんですよ」
「そうか、『素敵な場所』ねぇ・・・ロマンチックな所、って感じ?」
「ロマンチックかぁ、そうねぇ、そう言う言い方も・・・このお店も充分ロマンチックだから嬉しいわ」
「ん?ちょっと待って」
「え?」
「このお店『も』って事は、恵美さんの心の中にはどこかもう一つの場所があるんだ」
「あ、やられた!」
「そうなんでしょ?はい、白状して」
「それは・・・・良く分からないけど、横浜だから海が見える所とか・・・・」
「山下公園とか港が見える丘公園とかポートタワーとか?」
「そう、そんなところ。もう、あんまり言わないで。恥ずかしいから」
宏一はそれを聞いて元気が出た。どうやらもう一勝負できそうだ。ダメならダメで気持ちもすっきりする。
「うん、分かった。ところで恵美さん、そのカクテル、どう?美味しい?」
「すっごく美味しい。飲んでみます?」
そう言うと恵美はグラスを渡してくれた。代わりに宏一のマンハッタンを恵美に渡す。味を見てみると確かにかなり美味しい。メロンの香りがとても心地良い。
「ほんとだ。美味しいね」
「わっ、強い!」
恵美の方は宏一のマンハッタンを一口飲んで驚いたようだ。シェイクしてショートで作ってあるので度数はかなり高めだ。恵美はほんのちょっと口を付けただけでマンハッタンのグラスを宏一に返してきた。
「私はやっぱりこっちが良い」
「そうか、お酒は強くない?」
「大丈夫。これくらいなら美味しいわ。カクテルバーってあんまり来たこと無いんですけど、やっぱり専門のお店は美味しいんですね」
「まぁ、店にも寄るけどね。ここは行きつけの店が紹介してくれただけあって当たりだね」
「宏一さんの行きつけのお店にも行ってみたい。今度連れてってくださいね」
「喜んで」
「私、食事の時のお酒だけで十分だと思ってたから、カクテルも一口だけにしようかなって思ってたけど、これなら全部飲んじゃいそう」
「良かった。でも、お酒は美味しく飲むもの。飲み過ぎは良くないよ」
「大丈夫。でも今日は飲めそう。ふふふふっ・・」
恵美は素晴らしい笑顔を見せてくれた。
それからの時間は会話が弾みあっという間だった。恵美がグラスを殆ど空けた時、宏一は思いきってカードを切った。
「ねぇ、恵美さん」
「え?なあに?」
「それじゃ、素敵な所に行こうか?」
「どこ?」
「海の方へ」
「え?これから?良いわよ」
「それじゃ、出かけようか」
「はい。でも、どこへ?」
「俺の予約したホテル。夜景が綺麗みたいだよ。恵美さんは見慣れているかも知れないけど、高い所から見れば綺麗だと思うんだ」
宏一はその時、恵美をホテルの最上階にあるであろうラウンジに誘うつもりだった。恵美も宏一があまりに簡単に誘うので、部屋まで誘われることはないだろうと思った。
「はい、良いですよ」
「それじゃ、ごちそうさまでした」
そう言うと宏一はオーナーにお礼を言って勘定を済ませ、タクシーを呼んでもらった。その頃になると矢継ぎ早に常連と思われる客が到着し、小さな店はあっという間に半分以上埋まってしまった。恵美も潮時と思ったらしい。グラスを飲み干すと宏一と店を出てタクシーに乗った。
「みなとみらいへ」
宏一がそう言うと、恵美はちょっと考え込んだ。やはりこの時間にホテルへと誘われるのは危ないサインだ。しかし、いざとなれば帰る自信はあったし、宏一ともう少し一緒にいたいという気持ちがそれを抑え込んだ。
「駅で良いですか?」
タクシーの運転手がそう言うので、
「はい、結構です」
と言った。恵美は『ホテルじゃないのかな?』と思ったが、外を歩くのも良いかもしれないと思った。二人が駅に着くと、宏一は恵美を誘って歩き始めた。広い通りは既に閑散としており、二人だけで歩くと静かでとても良い雰囲気だ。
「こうやって海風を受けながら歩くのも良いものだね」
「夜のここを歩くなんて久しぶり」
恵美はそう言ってしまってから慌てて宏一の方を見た。しかし、宏一は気にしているようでもなく、恵美の横を楽しそうに歩いている。恵美は思い切って気持ちを切り替えた。
「宏一さん、これからどこに行くんですか?」
「実はよく知らないんだけど、この先のホテルらしいんだ。少し歩きたかったし」
「よく知らないの?」
「うん、あんまり来ないから」
恵美はさすがにこの辺りのことはよく知っていた。しかし、敢えてそれは言わないことにした。ただ、この先にあるヨットの帆の形をしたホテルの上にラウンジがあったかどうか記憶がない。恵美はそれでも宏一の隣を歩きながら、こんなに楽しい気持ちになったのは久しぶりだと思った。洒落ていて美味しい食事、気の利いたカクテルバー、そして夜景、『これで落とせなかったらおかしいわよね』と自分で笑った。
「何かおかしいことでも思い出したの?」
「ううん、何でもない。でも、とっても今日は楽しいの」
「良かった。恵美さんの笑顔は本当に素敵だね」
「笑顔だけ?」
「そんなこと無いよ。今日見せてくれた恵美さんは全部記憶しました。恵美さんみたいに知的で綺麗な人と食事ができて本当に楽しいよ」
「宏一さん、褒めてくれて嬉しいけど、ちょっと露骨かな?」
「ごめんね。あんまりこう言うのは慣れてなくて。でも、こうやって一緒に歩いているだけでも凄く楽しいな」
「私も。あんまりこんな風に歩く事って無いから」
そんな他愛もない会話をしていると元々距離が短いので直ぐにホテルに着いてしまう。宏一は、
「ちょっと待っててね」
と言ってフロントに行くと、チェックインと同時にラウンジの場所を何度も確認しているようだった。少し離れた所から見ていて、明らかにがっかりしたのが分かる。
「恵美さん、このホテル、上にはラウンジはないんだって・・・。レストランはあるけどもうやって無いみたいだし。ごめんね。二階にラウンジがあるみたいだけど、行ってみる?」
宏一は戻ってくると済まなそうに言った。
「ええ、良いですよ。でも、チェックインしたんでしょ?宏一さんのお部屋は何階?」
「え?俺の部屋?ちょっと待って。係の人がなんか言ってたけどラウンジに気を取られて聞いてなかったよ。カードキーに書いてあったような・・・・。あ、27階だって」
「凄い、ねぇ、宏一さんの部屋に行っても良いですか?」
「良いけど・・・・、うん、分かった」
さすがに恵美の方から誘うとは宏一も驚いた。しかし、女性の方から部屋に誘う時と言うのは、たいてい何も起こらないと思った方が良い。フェリーの中だってそうだったではないか。
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