第 31 部

             

             

            (この間に第一部から第五部の前半までが入ります)

             

            翌週の土曜日、久美は学校の授業の途中から今日これから怒ることを考え始めていた。幸一から届いたメールでは、中華料理とお寿司が届くので簡単なお吸い物とデザートだけ用意してくれればいい、と書いてあった。中華と寿司とは妙な取り合わせだったが、食べ盛りの久美にしてみれば異論があるはずがない。それに、きっと幸一が頼むものなのだから美味しいに違いなかった。

            ただ問題は、どうして幸一がそれを注文したか、なのだ。先週までに久美の身体は幸一の指の喜びを徹底的に教えこまれた。だから、もしかしたら今日は久美にとって初体験になるかも知れない日なのだ。そう言う日に普段とは違うことをされると、もしかしたら全く関係ないのかも知れないが、どうしても意識してしまう。既に久美は幸一を受け入れる決心をしていた。と言うか、そうなることを成り行きとして当然だと思っていた。

            休み時間にちーちゃんが、

            「ねぇ、どうしたの?今日は元気が旅行中かな?」

            と心配してくれた。

            「ううん、ちょっと強は怠いみたいで。でも、何の心配もいらないぞよ」

            と気合いを入れて答えたものの、気分はすっきりとしなかった。

            「それでは、今日は元気の出る食事に案内して進ぜようか?」

            「ごめん。アルバイトがあるから」

            「なーんだ。せっかく心配してんのにぃ」

            「ごめんね。今度は付き合わせて。お願い。ごめん」

            「なんかバイト先であったの?」

            「違うの。そんなんじゃないの。大丈夫だって」

            「昨日からなんか変なんだなぁ。落ち着かないって言うかぁ」

            「やーだぁ、心配ないってぇ」

            そう言ってごまかしては見たものの、幸一のメールを見てからの自分の変化を一番に察して心配してくれる友達が心から嬉しかった。幸一のマンションに通うようになってから一番迷惑を掛けているのがちーちゃんだった。それまでは土曜の午後は友達同士で遊び回れる最高の時間だった。両親が居なくなってからと言うもの、弟の英二の様子が気になって仕方ないのだが、土曜日を幸一のマンションで過ごすために、英二と一緒にいてやれるのは日曜日しかなかった。だから日曜日は極力予定を入れず、英二と一緒に家にいたりで掛けたりすることにしていた。もう少し英二が大人になれば自分で友達と出かけていくのだろうが、英二も久美と一緒に痛いらしく、日曜日に友達の家に行くこともなかったし、呼ぶこともなかった。

            だから、ちーちゃんと一緒にいられるのは平日の放課後だけだった。ちーちゃんは文句一つ言わなかったが、久美にはちーちゃんが寂しがっているのが手に取るように分かった。いつも心の中で手を合わせるしかできない自分が少し悲しかった。

            そんな久美の顔を眺めていたちーちゃんが断固として言い放った。

            「よし、それでは、お昼ご飯、付き合うことを命ずる。お昼だけ40分の制限付きだぞ。それ以上はいくら頼んでも断る。良いな」

            「うん。絶対行くっ。誰と行くの?」

            「知らないの?」

            「え・・・・?」

            久美は一気に心の中が明るくなるのを感じた。そして、本当にちーちゃんに感謝した。

            お昼は学校からは少し離れた駅の裏にできた手作りのハンバーガー屋だった。手作りのハンバーガー屋はたいてい一つ400円以上するので高校生には手が出ないのが普通なのだが、この店だけは店長が若い女性で、女子高生にだけはこっそりおまけをしてくれるので、いつも土曜日の午後は混み合っていた。第一、380円のハンバーガーにドリンクをつけて520円のセットを頼むと、何故かポテトとクリームブリュレが付いてくるのだ。それも手作りだ。更にグループで頼むとポテトはたぶん、倍近い量になって大皿にドサッと出てくる。女の子4人で頼むと凄いことになる。これで混まないはずがなかった。

            ミカリンはせっせとフレンチフライを特製のケチャップに付けて口に運びながら、

            「それじゃぁ、くーにゃんが土曜日にやってるのって家政婦さんて訳?」

            と聞いている。口元に付いたケチャップが可愛らしかった。

            「うん、お父さんの会社の偉い人だから親切にバイト、くれたんだ」

            「でも、だいじょうぶなの?」

            「いつも家には居ないの。帰ってくるの、遅いんだもの」

            「それじゃくーにゃんは、誰もいない家で掃除して料理作ってるの?」

            「そうだよ」

            久美はミカリンが自分で誤解してくれたことに感謝した。できることならこの二人にウソはつきたくない。

            「えー、それってなんか変」

            「そんなこと言わなくたっていいじゃないの。せっかく見つけたバイトなんだから」

            「いい、くーにゃんは花の15歳の乙女でよ、一人暮らしの男やもめの家に行って親父の食事を作ってる訳よ。そして、一生懸命掃除して、これまた一生懸命食事の準備して、それでハイ、サヨナラな訳?」

            「どうすればいいのよぉ」

            「せめてよ。『ありがとう、お疲れ様』の一言ぐらいあってもいいんじゃないの?」

            「そんなのいらないよ」

            「『いつも美味しいね。いい奥さんになるよ』とかさぁ」

            「それじゃセクハラだよぉ」

            「でもぉ、よし、それじゃぁ、私が行って文句言ってやる。私の大切なくーにゃんを・・・・」

            「分かった、分かったから。ありがとう。感謝感謝。ミカリンは可愛いけど、話をして上手く行った試しなんて無いんだから。ね、複雑にしないで・・・」

            「そうよ。あんたが行ったってなーんにもいい事なんて無い。いい加減に自覚したら?」

            とちーちゃんも言っている。顔が結構真剣なのは、ちーちゃんもミカリンの世話好きにいたい目にあったことがある証拠だ。楽しい時間はあっという間に過ぎていった。

            「そろそろ時間だよ。行こっか」

            「うん」

            ちーちゃんに促されて二人は片付け始めた。この店は40分のタイムリミットがあるのだ。久美はちーちゃんがわざわざこの店を選んでくれた心遣いに感謝した。

            「それじゃ、月曜日ね」

            「勤労少女よ。しっかりと励みたまえ」

            「ハイ、誠心誠意、がんばってきます」

            「よろしい」

            と言った後でちーちゃんが、

            「ちょっと・・」

            と久美を呼び寄せて小さな声で、

            「英二君のこともだけど、自分のことだって大切にするんだよ。いい?」

            と言ってくれた。突然の言葉に驚きながらも目頭が熱くなる。

            「うん、がんばる」

            と素直に言う久美に安心したのか、

            「行きなさい。親友」

            と優しく送り出してくれた。

            久美は元気いっぱいになった。そしてその勢いで吸い物の材料を買ってお酒を買い、果物を買って幸一のマンションに向かった。

            今日の久美は、極論すれば吸い物一つを作ればそれで良かった。たぶん、慣れた主婦なら10分もあればやってのけたことだろう。しかし、久美は味噌汁を作ったことはあっても吸い物など作ったことはなかった。中学の家庭科の時間に吸い物を作ったことはあったが、もうだいぶ前のことですっかり忘れてしまった。昨日はネットでだいぶ探したが、今一歩ピンと来るものが無く、結局後は自分で作って試すしかない、と言うことになった。

            昆布と鰹節は買ってきたのだが、何度お湯に入れて煮てみてもピンと来ない。材料に申し訳ないと思ったが、何度も何度も作り直す羽目になった。

            そのうちにお寿司が届いた。久美はあわてて時計を見て更に焦った。幸一が帰ってくるまでもう1時間しかない。出汁を取るのがこんなに難しいとは思わなかった。やはり自己流には限界があるのかも知れなかった。

            それでも何とかしようと悪戦苦闘しているときに、今度は中華料理が届いた。凄く良い匂いがしている。入れ物もちゃんとした容器に入っており、明日取りに来るという。久美は出前ならちゃんとした皿に入れ直した方が良いだろうと思って皿を出して待っていたのだが、届いた料理はレストランでも通用するほどの立派な皿に入っていた。

            久美は仕方なく皿を片付けていると、チャイムが鳴って幸一が帰ってきた。いつもよりも30分以上早い。まだ作りかけの吸い物は出汁のままで具も入れてないし、味付けだってしてない。

            「久美ちゃん、お寿司と中華は届いた?」

            そう言って幸一がダイニングに入ってきた。

            「はい。でも、まだ準備が全部終わってなくて・・・ごめんなさい」

            「いいよ。いつもよりも早く帰ってきたからね。着替えてくる」

            そう言って幸一は部屋を出て行った。久美はとにかく吸い物を仕上げて料理を並べなくては、と思い、考えていた具の準備を全てとばして手近にあったかつを節を吸い物に放り込み、そのまま塩を入れて味を調え、お椀に盛った。

            「どれくらいで食べられるかな?」

            「はい、何とか・・・・」

            「ほう、美味しそうだね。お吸い物も付いてる」

            「これだけは私が作りました。何度も失敗して・・・・美味しくなかったら残してください」

            「そんなことするわけ無いよ。さぁ、食べようか」

            「お酒はどうしますか?」

            「ビール、ある?」

            「はい」

            「それじゃ、いただこう」

            二人は豪華な食事を前に箸を取った。やはり店屋物は商売ものだけあって、見た目も綺麗出汁香りもいい。いつもはパスタとかトンカツしか作っていない久美はなんか少し惨めな気持ちになった。

            「どうしたの?食べないの?」

            「いただきます」

            食べてみるとやはり美味しい。久美の今の腕前とは大違いで、比べることすら意味がない。

            「どう、たまには店屋物もいいだろ?」

            「はい、私の作ったものとは違いすぎて・・・・」

            「久美ちゃん、俺は久美ちゃんの作ってくれた料理が大好きだよ。本当なんだ。今日、わざと店屋物にしたのは、いつも久美ちゃんが一生懸命時間を掛けて料理を作ってくれるから、たまには休みにしても良いだろうと思ったからなんだ。でも、吸い物まで作ってくれて、結局また苦労させちゃったね」

            「そんなこと、気にしてなんか無いです。私、ここに来ることになって料理をするのが楽しくなったんです。ここに来るまではいい加減な料理ばかり作ってて、英二に、弟にも寂しい思いをさせてたんです。でも、ここで料理の練習ができるから英二に作ってあげると本当に喜ぶんです。嫌だなんて思ってません」

            「ええ?俺は練習台なの?」

            「あの・・、ここだと時間を掛けて練習できるし、お金もいっぱい貰ってるからいろんな事ができるし・・・」

            「そうか、それじゃ、これからも作ってくれる?」

            「はい、もちろん。私からお願いしたいくらい」

            「でも、たまには店屋物もいいだろ?久美ちゃんの勉強にもなるし」

            「そうだな・・・はい」

            「この吸い物、美味しいね」

            「そうですか?なんか味がしなくて・・・」

            「そう?美味しいよ?」

            久美が吸い物をすするとかなり美味しくなっている。

            「さっきはこんなに味がしなかったのに・・・・」

            「久美ちゃん、もしかして鰹節を足したからかな?」

            「あ、さっき幸一さんが帰ってきたときに、慌てて入れたんですけど・・」

            「きっと、それだね。追い鰹って言って、最後に鰹節を入れるのは美味しさのこつなんだ」

            久美は怪我の功名とは言え、幸一が食事を喜んでくれたのはとても嬉しかった。食事の会話も弾んだ。